第276話 「開会式」
短い廊下を抜けた先には、突き抜けるような青空と、割れんばかりの大歓声がアモンらを待ち構えていた。
「これはこれは、壮観」
二十段はある円環状の座席は、エデン住民たちで埋め尽くされている。彼らの幾万という瞳が向けられているのは、闘技場の中央に位置する正方形の石舞台だ。戦闘用に広く造られたその場所は、先に扉を潜った闘士たちでごった返していた。
「う、うう…………」
「だ、大丈夫よティオ……私が付いてるからね」
会場の異様な熱気に呑まれそうになりながらも、レトリアとティオスが牛歩で進む。しかしアモンとシグオンは平然とふたりを追い抜き、石舞台に上がるのだった。
「剣魔合わせ、選ばれた精鋭は三十二名ですか。それなりの数ですねぇ」
「毎年、大体そんなものでござるな。一対一で戦い、五つ勝ち抜けば優勝でござる」
「なるほど。それは今日ですべて消化するのですか?」
「いえ。例年通りならば、一日ひとり一試合でござる。魔素の消耗も激しいので、数日に渡って戦うのでござるよ」
アモンは闘士たちを一望してから、次に観客席の方へと目をやった。
老若男女、大勢の住民たちが腰を下ろす座席群の中で、嫌でも目を引くのは正面にある絢爛な観覧席だ。左右の観客席から少し離れたそこには、場違いに高級な天幕が設置されている。
絢爛な天幕の入り口は布製の御簾によって遮られ、中にいる者の姿は朧気にしか分からない。だがアモンにはその中にいる人物が誰か、すぐに想像がついた。
「あそこに…………エデン王がいるのですね」
「はい。兵士たちの勇姿を、あの特別席から観覧するのでござる」
アモンが天使に就任したのは、トロアスタを介してのこと。そして降臨の儀でも、エデン王は投影石に映った幻影の姿だった。だからこの開会式が、エデン王の実物を見る初めての機会ということになる。
「粗相のないようにしないとね」
いつのまにか舞台に上っていたレトリアが、天幕を見つめて言った。
するとそれを合図にするかのように、再び福音のファンファーレが兵士の手によって鳴り響いた。
「エデン国王! ご来臨~~~!!」
皆の視線が集中するなかで、御簾が厳かに上っていく。
御簾がすべて上がりきった数秒後、三体の人影が天幕の中から姿を現した。瞬間、観客たちは息を呑む。
左には大参謀トロアスタ。
右には大将軍アルバ。
そして中央には長い顎髭を携えた老齢の男、エデン国王の姿があった。
あちらこちらから、感嘆の息が漏れ聞こえる。
観客たちは祈るように頭を垂れ、闘士たちは跪いた。アモンも皆に習い、片膝をつき頭を下げる。
そんな群衆たちを見下ろしながら、エデン国王『マハ・ス・ファル=エデン三世』は、皆を祝福するように両腕を広げる。
「よくぞ集ってくれた、エデンの誇る勇士達……そして人民達よ。我等が怨敵、魔王国もいまや風前の灯。エデンがこの地を統べるのも、もはや時の問題である。恵まれたるこの日、この戦いはその祝戦。勇士は存分にその辣腕を振るい、人民は私と共に、その行末を見届けようではないか」
エデン国王が言い終わるが否や、空にいくつものカラフルな魔法弾が炸裂した。国民たちは歓喜の声をあげ、闘士たちは誇らしげに立ち上る。そして挨拶を終えた王は、ゆっくりと天幕の中へ戻っていくのだった。
「分かってはいると思うが、エデン兵士にあるまじき戦いを行った者は処罰の対象となる! 国王陛下の下、正々堂々と戦うのだ!!」
天幕の御簾が下りていくのと同時に、アルバが大声を発する。
闘士たちは、その言葉に身を引き締める。
「優勝の栄誉を賜った者には、その者の望む物を何でも与えようではないか。死力を尽くし、その栄誉を勝ち取るが良い」
トロアスタの言葉も、出場者たちの闘志に火を点ける。
そして最後に闘技場の最上段から現れたファシールが、聖剣トワイライトを天高く掲げ口を開いた。
「僕たち三大天が勝負の見届人となります。まあ怪我をしない程度に頑張ってください」
ファシールの気が抜けそうな挨拶を聞いたアルバが手で目を覆うが、諦めたように地上に向けて合図を送る。すると合図を受けた侍女が、凝った装飾の箱を両手で抱えて石舞台に上がった。
「それではおひとりにつき、ひとつずつ照明石をお取りください」
「剣闘士の部に出場する方は、こちらの箱からお願いします」
ふたりの侍女が、高価な箱を手に闘士たちを巡って歩く。
その度に出場者たちは、箱の中からひとつの照明石を手に取るのだった。
「どうぞ」
「どうも、ご苦労さまです」
アモンはいくつもある照明石の中から、感慨も無しにひとつを摘み上げる。
ビー玉ほどの大きさのそれは、どれも無色透明で、一見して見分けはつかなかった。
「拙者はコレで」
「おお、オレは…………こ、これ!」
「わ、私はこの石にしようかしら……」
レトリアたちは、剣闘士の箱からそれぞれひとつずつ照明石を握る。そうしてすべての闘士たちを巡ったあとで、ふたりの侍女は静かに石舞台を下りていった。
「この照明石に……オレたちの命運が……!」
手のひらの上の、小さな玉を真剣な眼差して見つめるティオス。
そしてそれは、他の闘士たちも同様だった。
「皆の手に照明石は行き渡ったな! ならば闘士たちよ、己の魔素をその石に注ぎ込むのだ!! それだけで、石がお前たちの運命の相手を教えてくれるだろう!!」
アルバの良く通る声に従い、皆が照明石に魔素を注ぎ始める。
すると魔素と石が反応し、照明石は煌々とした美しい輝きを帯びていく。やがてそれは赤や黄などの様々な色に発光し、闘士たちの手を染めていった。
「拙者は黄色か。さて、初戦の相手は誰でござるかな?」
「なるほど、同色の者同士が戦うということですね」
シグオンは黄、ティオスは赤、レトリアは水色。
そして、アモンは黒。皆の瞳は自然と、同じ色に発光する石を探してしまう。
「だ、誰がオレの相手に…………」
「あまり……強い人でなければ良いのだけれど…………」
闘士たちの間を、疑心暗鬼にも似た視線が飛び交う。
だがそれも少しの時間だった。
「アンタがわしの対戦相手か」
「そのようだな」
ほどなくして、続々と初戦の対戦カードが埋まっていく。
「あ、トライデントの……シグオン様ですね? わたしは国境警備隊隊長のピドガーと申します。配属されたばかりの新参者ゆえ、お手柔らかにお願いします」
「新しい警備隊長殿でござるな。拙者こそまだまだ若輩者、こちらこそでござる」
同色の石は近づくほど輝きを増すので、似た色の石でも間違えることはない。レトリアとティオスは心臓を早鐘のように鳴らしながら、手の中の石と他人の石を交互に目で追っていった。
だがそんな緊張に支配された時間も、遂に終わりがやってくる。
「あっ!?」
レトリアとティオスの石が、ほぼ同時に強く発光した。
手元の照明石に視線を落としていたふたりは、ふと目の前に立つ誰かの足先に気がついた。
そして導かれるように顔を上げたふたりの前にいたのは――――――
「トライデントのおチビちゃんが相手か。くく、懲りずに再び参加するとはな」
赤い石を持った褐色巨女のグラシャと、
「あれぇ? レトリアちゃんがあーしの相手みたいね。よろしくぅ」
水色の石を持った狂天使、ティフレールだった。




