第275話 「武闘会当日」
武闘会当日の朝――――――
北区の闘技場は、闘士らの勇姿を眺めにきた住民たちでいっぱいになっていた。
何十畳もある石舞台を囲うように観客席があり、次から次へとやってくる住民たちで座席が埋まっていく。そして観客席と石舞台の間には魔導士が集まり、結界を展開するための準備を行っている最中だった。
「やはり今年の優勝者は、前年の覇者であるティフレール様さ。見ただろう? あの氷魔法の凄まじさ!」
「いやいや、凄まじさで言ったらアキサタナ様の爆破魔法だよ。当たりさえすれば、勝ったようなものだからね」
「しかし、グラシャ様とスカルフォ様もなかなかの手練。番狂わせも大いにあると思うよ、うん」
「新しく降臨なされた天使様も、噂では相当な魔法の使い手らしい。あのレモラの大群をひとりで退治したとか……」
住民たちによる、白熱した優勝者予想。
しかし観客席の真下に位置する細く長い控室は、逆に水を打ったような静けさに支配されていた。出場者たちはそれぞれが一定の距離を取り、無言で互いを牽制し合っている。初戦にて誰と誰が雌雄を決するのか…………まだ発表はされていない。
そんなヒリヒリとした空気の漂う控室へ、突如として場違いな声が飛び込んできた。
「つまり、剣闘士の部と魔闘士の部があり、それぞれの一番になった者同士が最後に戦うと?」
「そう。でも剣闘士と言っても、使う武器に制限は設けられていないの。槍でも弓でも、好きな武器を使って構わないわ。魔闘士の部では、魔法以外で攻撃したら失格だけれど。というか……そんなことも知らずに参加を決めたの?」
「城の書庫には残念ながら、武闘会のルールについて触れた本はありませんでしたので」
呑気な声で控室に入ってきたのは、アモンとレトリアのふたりだった。
ふたりは台の上に置いてある『出場者名簿』を手に取ると、流し読みしながら奥の一角を目指して歩き始める。
「どれどれ、小官の出る魔闘士の部にはどんな猛者が……。おや? 三大天の名前がどこにもありませんね」
「昔はね、ファシール様とお母様が出場していたみたいなの。でもいつもいつも、優勝するのはそのどちらか。それではあんまりでしょ? だから大天使は見届け人となり、参加はしないことになったの」
「なるほど。確かにいつも同じ優勝者では、盛り上がりも欠けそうですねぇ。では天使からの参加は、魔闘士の部にアキサタナと小官。そして剣闘士の部に、ティフレールとあなたというわけですか」
名簿を見ていたアモンが、視線をそのままレトリアの方へとスライドさせる。
「や、止めてよ実感させるの、嫌でも去年の試合を思い出しちゃう…………」
「これはこれは、申し訳ありません。しかしどうやら、緊張で固くなっているのはあなただけではないようですよ?」
「え?」
アモンがそう言いながら、控室の奥の方を指差す。
ふたりが目指していたそこには、まるでマネキンのように硬直するティオスの姿があった。何とも言えない表情のティオスは、となりにいるシグオンに頬を突かれても、ピクリとも動かない。その傍で佇むエルブも困り果て、眉を八の字に寄せていた。
「あ、レトリア様にアモン様。ご機嫌よう、お待ちしておりましたわ」
ふたりの姿を見つけたエルブが、表情を明るくして駆け寄ってくる。
「ごきげんよう。どうやら随分とおもしろい……失礼、困ったことになっているようですね?」
「はい、その……見ての通りです。ティオが石になってしまいました」
「そういえばティオは上がり症だったわね。敵兵や部下の前では良いのだけれど、大衆の前だといつもこうなってたっけ」
ついにはシグオンに頭頂部の髪を結ばれても、ティオスは微動だにしなかった。虚ろな瞳を浮かべ、あらぬ方向を見つめている。
「今日のはなかなか手強くて、途方に暮れていたところですわ。やはりわたくしたちではダメなようです」
「わかった。私がちょっと話してみるわね」
レトリアがティオスの前に立ち、顔を寄せて優しく語りかける。
「ティオ、相当な重症みたいね。私の顔がわかる?」
するとティオスは、いきなりハッと我に返った。
そして周囲をきょろきょろと見回してから、その暗い表情を隠すようにレトリアに背を向ける。
「うぅ……去年のことを思い出したら、どうしても弱気になって……!! またブザマに負けるようなことがあったら……もうレトリア様の部下として合わせる顔がねぇ!!」
声と拳を震わせながら、ティオスが慣れない弱音を吐く。
その姿は普段の強気な彼女からは、想像できないほどに弱々しい姿だった。
しかしレトリアはティオスを叱りつけるでもなく、「そんなことを気にしていたの?」と優しく言うと、彼女の正面に立ち柔らかく微笑んだ。
「三叉の矛の活躍は私にとっても喜ばしいことだけれど、でもあなたたちが失敗を重ねたって、私はあなたたちを恥ずかしいだなんて思わない」
「…………レトリア様」
「いつも私を支えてくれてるんだもの。感謝こそすれ、頼りない部下なんて考えないわ。何も知らない人がどんな言葉を並べようと、私の気持ちは変わらない。あなたたちは私の誇りなの」
ティオスの固くなった表情が、雪どけのように解れていく。
「去年の結果が散々だったのは私も同じ。だから一緒に行きましょう? あなたたちが一緒なら、私はすごく心強いわ」
「すいません! おれ……この空気に飲まれていました!!」
「いいのよ。王様も来ているんだもの、緊張しない方がおかしいんだから」
レトリアの差し出した手を、ティオスが強く握る。
そうしてようやく、周囲の空気が弛緩していくのだった。
「レトリア……様、なんというか言葉にするのが難しいのですけれど、いつもと雰囲気が違うような? 前大会ほどの緊張は無さそうに見えますわ」
「そうかしら? まあでも二回目だし、それにティオを見てたら何だか妙に落ち着いてきちゃって。ティオが私の分も緊張してくれたのかもね」
エルブの知るレトリアなら、このような状況下ではいつもおろおろと不安そうな表情を浮かべていた。しかしいま目の前にいる彼女は、どこか落ち着いていて頼もしくすらあった。
「む? 福音のラッパの音が…………時間でござるな」
だがその違和感の謎を解く前に、開会式の始まりを知らせるファンファーレが鳴った。音を聞いた出場者たちは、ぞろぞろと控室中央の大扉の中へと消えていく。
「それでは、我々も向かいましょうか」
「ええ、そうね。じゃあエル、また後で」
「はい。わたくしは医療用天幕の方から応援させていただきますわね。レトリア様もアモン様も、どうか怪我だけはお気を付けくださいませ」
エルブの心配の瞳を背に受けながら、アモンらも他の闘士らの後に続いた。大扉を潜り、ほんのりと薄暗い廊下を進む。
その短い廊下の先で、四人を待ち構えていたものは――――――




