第274話 「鍵の在り処」
宴もたけなわ。
キナコたちを城へと送り届けたアモンは、その足である場所を訪れていた。
見渡す限りの書物に囲まれた、本の密林。
西塔の一階部分にあたる、ガーデン・フォール城の書庫内だ。
この中の全書物に目を通し、その内容もすべて暗記している。
にも関わらずアモンがここを訪れたのは、ある目的のためだった。
「やはりこちらでしたか、キルフォ卿」
部屋の片隅にある椅子に腰かける、長髯の中老の男。
鋭い瞳で書物を読み耽るこの男こそ、書庫を訪れたアモンの目的だった。
「………………なにか用かね、この私に」
男は本から目を離さずに言った。
しかしアモンは意に介さず、ぐいと男に顔を寄せる。
「知人から、貴殿なら承知しているかもしれないと伺ったものですから。キルフォ卿、単刀直入にお訊きします。【魔女の書庫】について、知ってることがあったら教えてください」
アモンが訊ねると、左右に動いていた男の目がピタリと止まった。
そしてしばしの沈黙の後に男は本を閉じ、怪訝そうな顔をアモンの方へと向ける。
「…………知らんな、そんな大層なものは」
「またまたぁ。この国の宰相である卿ならば、噂話ぐらいは耳に挟んだことがあるはずですよ?」
アモンはさらに男に顔を寄せた。
「キルフォ・ルヴィアース。魔王国の第二王女であるマリアンヌ・アレスグア・ルヴィアースの実の伯父で、ドワーフに属する魔物。三年前、魔王国の五行結界の阻止を手土産にこの国に亡命。貴方はその功績が認められ、エデンの重要な役職へと就任した」
魔王国では、現在でも語り草になっている最悪の犯罪者。
その男はいまやエデンの宰相となって、アモンの目の前にいた。
犯罪者からの大いなる出世には違いないが、キルフォの表情はどこか優れない。それどころか、自嘲気味な笑みさえ浮かべている。
「形だけの宰相に……何の意味があるというんだね? 見たまえ。私の仕事と言ったら、この黴臭い書庫の管理ぐらいだ。重要事項はすべてトロアスタらが決定し、モンパイがそれを王に伝える。私がこの国の政に介入する余地など、どこにもないのだよ」
キルフォは吐き捨てるように言うと、話は以上だと言わんばかりに腰を上げた。そしてそのまま帰ろうと足先を扉の方へと向けた……が、アモンがその前に立ちはだかった。
「ならば卿はなぜ、小官について詳しいのですか?」
アモンが訊ねると、キルフォの目の色が少し変わった。
「小官が初めて書庫を訪れたとき、卿は天使になって日の浅い小官のことを知っていた。しかも相当に詳しく。それは、卿が情報を集めている証左では?」
「腐っても私は宰相だ。天使の情報ぐらい、仕入れずとも耳に届く」
「では書庫の入り口のとなり、台の上に置かれた新聞紙。今日が日付のアレも、勝手に入ってくる情報のひとつですか?」
「暇を持て余した老人の日課だよ。力になれず、申し訳ないね」
悪びれることなく、キルフォはアモンの脇を抜ける。
離れていく乾いた靴の音。その背中が書庫の扉へ迫ったとき、アモンがおもむろに口を開いた。
「魔女の遺産…………見つけたくありませんか?」
ドアノブを握ろうとしたキルフォの腕が、時間が止まったように静止する。
「貴方がここの書物を見る瞳は、慈愛に満ちている。まるで子を想う親のように。そんな貴方が、もうひとつの書庫に興味を持たないはずがない」
腕を下ろしたキルフォは、無言で振り返った。
「会話していて何となく分かりました。卿は魔女の書庫の中身を知らない。しかし、場所については……心当たりがある」
「なぜ、そう思う?」
「知人が教えてくれたのです。『キルフォ卿がある部屋の前で、じっと立っている姿を見た』。“彼”はこうも言っておりました。『その部屋は空き部屋で、誰も使っていないはずだ』とね」
部屋の空気がピンと張り詰める。
肌を刺す沈黙が、静寂にありながら暴風の如くふたりの間を流れた。衝突する視線は、まるで鍔迫り合いのようだ。
やがて膨らんだ風船が破裂するときのように、ふたりは唐突に瞬きをし、そして同時に長い息を吐いた。
「…………その部屋に足を運んでみたのかね?」
「実を言えば、数日前からその部屋の存在には気づいておりました。南塔の六階の端の部屋、一見なんの変哲もない扉ですが、鍵の挿入口に特別な紋章が刻まれていました。あれに施されているのは、侵入者を拒む結界ですね?」
「左様。特別な鍵がなければ、あの部屋に入ることはまかりならん。まあ、君ならば力づくで入ることも可能だろうがね」
「それがそういうワケにもいかないのです。あの結界には感知型も併設されてますので、壊せばすぐにバレちゃうんですよ。卿の仰る通り、鍵がなければどうもこうも……」
再びの沈黙。
しかし先ほどの張り詰めたような空気はなく、すぐに弛緩した空気が漂う。
「ひとつ、取り引きといこうじゃないか。私が鍵の在り処を教える代わりに、君は書庫の情報を私に伝える。どんな書物が置いてあり、どんな内容が書かれていたのか。包み隠さずな」
「ふぅむ……小官には少し分の悪い取り引きのようにも感じますが……。まあ良いでしょう。卿にはこの書庫を使わせていただいた恩もありますので」
「ならば、取り引きは成立だ。言うまでもないことだが他言は無用。私から聞いたことは、口が裂けても漏らさないと誓ってもらう」
「承知しました。この秘密は、墓の中まで持参します」
アモンが深く頷いた。
それを見届けたキルフォは、周囲へ視線を走らせる。
そして他に誰もいないことを改めて確認すると、静かに口を開いた。
「…………あの部屋が魔女の書庫である確固たる証拠はない。だが、他に思い当たる場所がない以上、その可能性は高いように思う」
「それは、卿がいままで調べてきたうえでの結論ですか?」
キルフォが「ああ」と頷く。
「偶然だが、一度だけあの部屋から出てくる男を見たことがある。その際に、男は特殊な鍵を使っていた」
「特殊な鍵?」
「複雑な紋様の描かれた銀色の鍵だ。おそらく結界を解くための術が施されているのだろう」
「つまりあの部屋には、そこまでして封印しなければならない……何かがある?」
アモンはメインディッシュを前にしたときのように、ゴクリと喉を鳴らした。そして数瞬の間を置いたあとで、待ちきれないとばかりに核心に手を伸ばす。
「部屋から出てきた男とは…………誰ですか?」
葛藤か覚悟か、キルフォは視線を落とし息をひとつ吸った。
さらにもう一度、室内を一瞥する。次にアモンに背を向け、書庫のドアノブに手をかけた。
そして――――――
「トロアスタ=マーダーオーダー。それが鍵を持つ男の名だ」
それだけを告げ、今度こそキルフォは部屋を去っていった。
ひとつ補足をいたしますと、アモンの語る“知人”はキナコたちに他なりません。
しかし、アモンは男から情報を得たように話しています。それは情報提供者を悟られないようにするための配慮なのですが、とても分かり難いのでここに補足しておきます。
m(_ _)m




