第268話 「努力の理由」
勝負は一瞬で決着した。
「いやぁ、さすがお強い」
飛ばされたアモンの木刀が、からからと音を立てて地面を転がった。
それは即ち、この勝負の軍配がティオスの方に上がったことを示している。
にも関わらず、勝者の表情はおよそ納得のいったものではなかった。
「ふ、ふざけん……!? あ……いや、その……いくら何でも、おふざけになっておりませんでしょうか?」
頬を引きつらせながら、辿々しい敬語でティオスが不満を口にする。
むしろ敗者であるアモンの方が、晴々とした表情をしていた。
「冗談ではありませんよ。小官は魔法のエキスパート、残念ながら剣技の方は不得手なのです」
「じゃ、じゃあ魔法を使えば良いじゃないスか」
「魔法を使っていない相手に、魔法を使って挑もうとは思いませんよ」
「うぐぐ……!」
ぐうの音も出なくなったティオスは、不貞腐れた様子でアモンに背を向けた。エルブに慰めの声をかけられたものの、機嫌はまだまだ戻りそうにない。
結局ティオスの機嫌は戻らぬまま、調練は終わりを告げた。
その日の夜――――――
自室で夕食を終え人心地をついたアモンは、ふいに面をあげた。
「しまった……忘却していた」
食後にハーブティーをと思ったが、エルブから貰った香草入りの袋がどこにもない。思いつく場所といえば、ひとつしかなかった。
「あの記者が現れたドサクサで置いてきてしまったようですね。…………仕方ない、取りに行きますか」
すでに外は漆黒の闇、そのうえ距離もある。
しかし人からの貰い物を無下に扱うわけにもいかない。
アモンはいつもそうするように窓から飛び下りると、再び北区へと向かった。
「ん?」
調練場を訪れたアモンは、煌々と灯る篝火を見て首を傾げた。本日の調練は終わったので、もう兵士は誰も残っていないはず。袋を探すという目的を建前に、アモンは好奇心に誘われるように調練場の中へと足を進めた。
すると奥の方に進むまでもなく、意外な光景がアモンの瞳へ飛び込んできた。
「ハァ!! ふっ! すぅ…………せいッ!!」
気迫の声をあげながら木刀を振るうのは――――――ティオスだった。
仮想の敵を相手に戦うその姿は、激しさもありながら流動的。篝火の灯りに照らされた横顔には宝石のような汗が浮かび、普段の幼い彼女とは違う、蠱惑的な美しさが宿っている。
愚直なまでに鍛錬に励むティオスは、アモンが見ていることにも気づかぬほど真剣そのものだ。そのあまりに真摯な姿は、刹那の邪魔をするのも忍びない。アモンは眺めていたい気持ちを抑えつつ、静かに香草入りの袋を手に取った。
そしてそのまま、その日は自室に戻り就寝するのだった。
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翌日からは、見学する軍務もない完全なる休日。
しかしアモンの足は、自然と北区の調練場へと向かっていた。
そして予想通り、彼女はそこにいた。
「おらぁ! まだまだぁ!」
ティオスは用事のない兵士たちを駆り出し、対戦式の訓練を続けていた。休日の、それも早朝に木刀を叩き込まれる兵士らには同情しかないが、対するティオスも体にいくつも生傷をつくっている。
「よっしゃ! そろそろ休憩にしようぜ!」
「ハァ……ハァ……助かったぁ」
死屍累々となった蛇腹衆の間を通り、ティオスが休憩所へとやってくる。
そして丸太の椅子に腰を下ろすアモンに気づき、小さく「あ」と声を出した。
「お疲れ様です。こちらどうぞ」
「ど……ども」
差し出された手拭いをおそるおそる受け取り、辿々しい手付きで額の汗を拭う。しかしティオスの瞳は、いまだ複雑な色を浮かべていた。
「少しお話をしませんか?」
アモンが訊ねると、困惑の表情がさらに濃くなる。
しばしの葛藤を経由したうえで、ティオスは最終的に首を縦に振った。
「え、えっと……失礼します」
「普段通りの話し方で結構ですよ。人間、自然体が一番ですので」
「じゃあ……遠慮なく」
借りてきた猫のように、ちょこんとアモンのとなりに座るティオス。
エルブやシグオンがいるときと違って、心なしか大人しい印象を受ける。
「随分と熱心に修練に励んでいるようですが、蛇腹衆ではいつもこんなハードな訓練を行っているのですか?」
「いや、別にここまでじゃ……。その、いまが特別なんだ」
「特別?」
アモンが聞き返すと、ティオスの顔がキッと引き締まる。
そして遠い目をしながら、口を開いた。
「来週末に武闘大会がある。オレはそれで、どうしても活躍しなくちゃならねぇんだ」
「ほう? それまたどうして?」
「一年に一回の武闘大会は、エデン軍人にとっての晴れ舞台。オレたちは毎年、どこの軍が上なのかでしのぎを削りあってる」
「つまり、良い成績を残せば残すほど、所属している軍の格が上がる……と?」
ティオスは力いっぱいに頷いた。
「オレが活躍すれば、それだけレトリア様の評価が上がる。去年はグラシャのヤツにボロボロにされたけど、今年は絶対にアイツに吠え面をかかすんだ!」
右手の手拭いをぎゅっと握りしめ、ティオスは決意を固める。
その瞳は火の魔法の如くメラメラと燃えていた。
「素晴らしい向上心ですね。頑張ってください、小官も応援しておりますよ」
「オレが好きでやってるんだから、褒められるようなことじゃ……」
照れて声が尻すぼみになっていくティオスの左手に、アモンの右手が重なる。
「あ」
ティオスが小さく驚きの声を漏らした直後、その体が淡い光に包まれる。数秒後には、先ほどまであった無数の生傷は、嘘のように消え失せていた。
「あ、ありがとう」
「いえいえ。小官にできるのは、このぐらいのものですから」
「さ、さぁて……訓練再開とするかぁ!」
わざとらしく宣言したティオスは丸太から飛び降り、小走りで部下たちのところへと戻っていく。レトリアの為に頑張るその姿は、ルートミリアの為に努力していた誰かの姿と重なった。
しかしアモンは首を左右に振ることにより、意図的にその感傷を頭から消し去る。
「もう少し見学して行きましょうかね」
そう決めたものの、やはりひとりは寂しい。
アモンは腰を上げると、調練場の隅にある人形置き場の方へと足を運んだ。
ここには訓練で壊れてしまった人形や、折れてしまった木刀などが積み上げられている。いずれまとめて修復するものだが、そのいずれがいつ訪れるかは誰にも分からない。
「ごきげんよう」
アモンが壊れた藁人形のひとつに声をかける。
そして……少しの沈黙。だがアモンがその場を動かないことを察すると、藁人形はモクリと体を持ち上げた。
「………………どうして分かったんッスか?」
藁人形の顔部分が開き、中からトリシーの顔が現れる。
その表情は、とてもバツの悪そうなものだった。
「昨日『あきらめない』とおっしゃってましたので、どこかに潜伏してるだろうと。あとは魔法で聴覚を強化すれば、大体の居場所なら特定できます」
「ううむ、これは手強い……。わかりました、今日のところは引き上げますよ」
トリシーは人形を脱ぎ捨て、丸眼鏡を胸ポケットから取り出し装着する。
そして一礼し、調練場の出口へと向かった。
しかしそのとき――――――
「よろしければ、ご一緒しませんか?」
哀愁の漂うその背中へ、アモンが声をかけた。
虚をつかれた顔をして振り返るトリシー。
アモンは優しく微笑みながら、
「小官も、あなたに聞きたいことがありますから」
五指で仮面を撫でるのだった。




