第267話 「隠れし影」
青一色で染め上げたような快晴。
北区の調練場では、早朝から大勢の兵士たちが戦闘訓練に励んでいた。
一対一の実戦を想定した訓練だが、使用している剣や槍は先端が木で作られた訓練用。しかしそれでも、怪我を負う者が後を絶たなかった。
「おらぁ!!」
「ぎゃあ!!!!」
ティオスの木刀で横腹を打ち据えられ、また兵士のひとりが病舎へと送られる。怪我人のほとんどは、機嫌の悪いティオスの相手をしている者たちだった。
「次ぃ!! って、誰もいねぇじゃねぇか!?」
進んで怪我をしたいはずもない。
蛇腹衆の面々は、我先にとティオスから離れていった。
「ちぇ! 意気地なしが!」
戦う相手がいなくなったので、ティオスは仕方なく野外の簡易的な休憩所へと足を向ける。そこでは丸太の椅子に腰を下ろしたエルブとシグオンが、紅茶を啜りながらティオスの帰りを待っていた。
「実に暴力的。野蛮な隊長を持った部下たちが可哀想でござるな」
「もう少し、手心を加えてあげてもよろしいのに……」
「キィキィ……ウッキキ、キィ」
「うるへー!! 誰のせいでこうなったと思ってんだ!?」
ふたりと一匹になじられ、ティオスはさらに激昂する。
というのも、アモンの正体を暴く仲間のはずだったふたりが、尽く懐柔された。
しかもそれだけでなく――――――
「拙者オススメの菓子でござる。アモン様は特別に味見しても良いでござるよ」
「こちらはわたくしの作ったハーブティーですわ。お菓子にも合いますので、どうぞアモン様。乾燥させた葉もありますので、よろしければお持ち帰りくださいませ」
渦中の男であるアモンは、ふたりに挟まれるように腰を下ろし、両手に花という言葉を体現している。目上のアモンに対して直接の文句は言えないので、ティオスはへそを曲げることしかできない。その事実がまた、ティオスの鬱憤に拍車をかけた。
「その小さな体で大の男をばったばったと、いや~大したものだ」
「…………どうも」
「ダメでござるよアモン様。ティオに小さいは禁句でござる」
「う、うるせぇ! お前にだけは言われたくねぇよ!」
バチバチと火花を散らせるシグオンとティオス。
アモンはその光景を微笑ましく眺めたあとで、エルブの方へ顔を向ける。
「このふたりは、いつもこのような感じで?」
「ふふ、宿り木の家でもケンカばかりしてましたわ。それをレトリアとわたくしで仲裁して……。でも誤解はしないでください、仲が悪いわけではありませんの」
「大丈夫ですよ。見てればわかります」
ふたりのケンカは気心の知れた者同士でするような、ある種の信頼の上で成り立っている。見ていれば、それがひしひしと伝わってきた。
ふと魔王の姫姉妹たちの姿がアモンの脳裏を過るが、それは瞬く間に霧散し、欠片ひとつ残さず消滅する。
「アモン様なら、ティオなんて片手で一捻りでござるよ」
「あんだとぉ!! じゃあ試してみようじゃんよ!!」
いつの間にか、話の雲行きが怪しくなっている。
呆れたような顔をするエルブの前を、ティオスがどすどすと地面を踏み鳴らしながら通り抜けた。そしてアモンの前で足を止めると、無遠慮に木刀をぐいと差し出す。
「アモン様! オレと勝負してくれ!!」
「ええ、構いませんよ」
作法も何もなく、ぶっきらぼうに言うティオス。
しかしアモンはふたつ返事で快諾する。「あくまで訓練というカタチですが」と前置きし、アモンはティオスから木刀を受け取った。
「ですがその前に、少しお時間よろしいですか?」
「時間? まさかトイレってんじゃ――――――」
不服そうに漏らすティオスの眼前を、黒い何かが凄まじい速度で横断していく。それが果てしなく伸びるアモンのマントだと彼女が認識したとき、マントは兵舎の影に隠れる男の体を捕らえていた。
「なんじゃこりゃあ!?」
伸びたマントの先で縛り上げられた男は、驚愕の表情のまま皆の前にずるずると連行される。トライデントの三人も、面を食らった顔で不審な男の姿を見つめていた。
「んだこいつ? 見ねぇツラだな」
「ここは軍関係者しか入れぬ場所。しかし、どう見ても民間人でござるな」
シグオンの言う通りだった。
チェックのベストとパンツに、頭にはシックな色のハンチング帽。丸眼鏡をかけ、顎に無精な髭を生やしてはいるが、年齢はそこまでいっていない。細身の体格も相まって、軍人にはとても見えなかった。
「おい、おっさん。ここは立ち入り禁止だぜ?」
「お、おっさんじゃないッス! おれっちはこう見えても二十五才……ってそれより、コレを外してもらって良いスか? おれっちは無実ッス!!」
男がジタバタと暴れる。
仕方ないので、アモンは男の拘束を解いた。
体表を覆う魔素から、そこまで危険ではないと判断したのだ。
「あ~ビックリした……でも貴重な体験ができたのでヨシとするッス」
男は服の砂埃を払い落とし、やれやれとため息を吐く。
その姿をまじまじと眺めていたアモンは、気になっていたことを口にした。
「あなた昨日も隠れて見てましたよね? あれはそう、確か宿り木の家の近くで……」
「ええ!?」
エルブが『気づかなかった』と言わんばかりに、驚きを露わにする。
しかし男は特に慌てることなく、むしろニヤリと笑ってアモンの方を見た。
「おれっちとしたことが、気づかれていましたか。へっへっへ、さすがは天使様!」
男は分かりやすく煽てると、懐から小さな紙切れを一枚だけ取り出した。
それはアモンにも……いや、稲豊にも見覚えがあるものだった。
「おれっちはこういうモノでございます」
男がそう言って差し出したものは、名刺だった。
名刺には『トリシー新聞社 広報担当 トリシー』と書かれている。
「変な紙切れでござるな。自分の名くらい、口に出した方が早いでござるよ」
「そんな身も蓋もない……!」
憤慨するトリシーだが、アモンの視線を奪ったものは名前ではなく、その肩書きにあった。
「トリシー新聞社? では新聞を発行しているのは……」
「おれっちです! と言いたいところですが、残念ながら殆どの記事を作っているのは先代トリシー。つまりはおれっちの親父。で・す・が! 情報の収集をしたり、インタビューをしたりなんかはおれっちの担当! あのエデン国王の演説装置も、おれっちがセッティングしたんスよ!」
トリシーは鼻を高くして、ふんぞり返った。
「なるほどな! 訓練中のオレたちの勇姿を記事にしにきたってワケか!」
「まあそれもあるんスけどね、一番はやっぱり……へっへっへ」
怪しげな笑みを漏らすと、トリシーはどこからともなく羽根ペンとメモ用紙を取り出す。そしてナイフのように細く鋭い瞳を、アモンの方へと向けた。
「素性、経歴、能力のすべてが謎! 突如として天使の座に君臨した黒衣の紳士!! いまや我々トリシー新聞社だけでなく、エデン全土がアモン様の話題で持ち切りなんッス!!」
トリシーの羽ペンを握る手に熱がこもる。
「失礼ですが、アモン様のことは調べさせてもらいました。飛んでる虫の生い立ちさえ調べあげるトリシー新聞です…………が! 我々が総力をあげたにも関わらず、何ひとつ判らない!! これまでのアモン様を知っている者は、誰ひとり見つかりませんでした!!」
お手上げのポーズをするトリシーに、アモンの正体を知りたかったティオスも落胆の表情を見せる。
「なので最後の最後の最終手段! アモン様から直接お話を伺いたいなと、こうしてやってきた次第でございます!!」
熱く語るトリシーとは対照的に、周囲の空気は冷えていく。
どれだけの情熱があろうと、彼が部外者であることに変わりはないのだ。
「なるほど。話は理解したでござるが、さっきも言った通りここは民間人の立ち入りは禁止。さあ帰った帰ったでござる」
「あ! そんなここまで来て殺生な!?」
シグオンに背中を押され、退場していくトリシー。「おれっちは絶対にあきらめませんよ!」という捨て台詞を残して、男の姿は完全に見えなくなった。
「なんというか、大変そうな人に目を付けられてしまいましたわね。アモン様、よろしければわたくしの方から、詮索はご法度と通告いたしましょうか?」
「お心遣いありがとう。しかし、それには及びません。小官にはやましい部分など、ひとつも無いのですから」
アモンはそう言いつつ、握ったままだった木刀を持ち直す。
そしてティオスの方へ顔を向け――――――
「お待たせしました。それではさっそく、勝負といきましょうか?」
散歩でもするような気軽さで、そう口にするのだった。




