第265話 「宿り木の約束」
「申し訳ございません。天使様がいらっしゃるのに、寄り道なんて」
「構いませんよ。小官はいないものと思って、普段どおりに過ごしてください」
早朝、エルブがアモンと共にやってきたのは、東区にある孤児院だった。入り口の門には、【宿り木の家】という看板が掲げられている。
「神咒教の施設……。戦災孤児などを保護し、衣食住を提供している。確か、貴女たちトライデントの出身施設でしたっけ?」
「あら……レトリア様からお聞きに? それともシグかしら。仰る通り、わたくしたちはここで育ちました。だから、軍務の前にはなるべく立ち寄るようにしていますの」
エルブが懐かしそうに、遠い目をした。
すると同時に、孤児院の玄関の大扉が勢いよく口を開ける。
「エルねぇちゃんだ!」
「エルお姉さま!」
「きょうはティオいないの?」
白いローブに身を包んだ子供たちが、扉から次から次へと飛び出してくる。無邪気な笑顔の子供たちで、ふたりの周りはいっぱいになった。
「あれぇ? このひとだあれ? 変なかお~」
「ほんとだー! こわいかお…………」
アモンに気付いた子供が、警戒の眼差しを向ける。
それは子供にとって当然の反応に違いなかったが、その小さな頭に軽いゲンコツが落ちた。
「こら! 新しい天使様でしょ! 失礼なことを言っちゃいけません!」
年長の少女が、年少の子供たちを叱る。
すると先ほどのふたりは深々と頭を下げ、アモンに「ごめんなさい天使様」と泣きそうな声で謝罪した。
「構いませんよ。それぐらい元気な方が、子供らしくて良いのです」
アモンは屈み込み、ふたりの頭を優しく撫でる。
すると子供たちは顔をパァと明るくし、再び笑顔を浮かべるのだった。
「ん?」
そんな折、エルブの矢のような視線がアモンに刺さる。
気になったアモンは立ち上がると、「どうかしましたか?」と彼女へ訊ねた。
「あ、いえ……お気にしないでくださいませ」
エルブは頭と手を振ると、子供たちへ顔を戻す。
「ごめんなさい。今日は西棟に用事があるから、遊ぶのはまた今度ね?」
「はーい!」
子供たちは聞き分けよく、思い思いの場所に散っていく。
ようやく歩けるようになったアモンは、エルブの案内で孤児院の中へ入っていった。
勉強用の教室や食堂を素通りし、西棟と書かれた扉を通り抜ける。
長い渡り廊下の先に見えてきたのは、白く清潔そうな部屋だった。
「…………ここは」
部屋に入るなり、アモンが目を細くする。
そこはいくつものベッドが並ぶ、しかし誰もが見覚えのある部屋だった。
「みんな、良い子にしてましたか?」
ベッドの数は全部で十床。そしてその上には、横になる孤児たちの姿。
彼らはエルブの言葉を聞き、ゆっくりと体を起こし始める。辛そうに上半身を持ち上げる姿が、とても痛々しい。
「病室……ですか」
「いいえ、ここはさくせん部屋。この“ひみつきち”の、重要拠点ですわ」
エルブは優しく微笑むと、いつもそうするように、今度はその笑顔を子供たちへと向ける。そしてベッドに近づき、他愛の無い会話をしてまわった。アモンは彼女の献身的な姿を見て、“病室”や“孤児院”という表現を、敢えて避けているのだと理解する。
「うえ~! またこのおくすり?」
「苦い薬ほど効果があるの。また歩けるようになりたかったら、がまんがまん」
「…………は~い」
一通りのベッドをまわり、エルブは入り口のアモンのところへ戻った。そして子供たちの耳へ入らないように、囁くような小さな声で言った。
「この子たちは、魔素疾患を患ってますの」
「魔素疾患?」
「はい。体内で魔素を上手く活性化できず、手や足などが思い通りに動かせなくなる難病ですわ。精神的な外傷や遺伝、治癒または修復魔法の後遺症などが原因と考えられていますけど、はっきりとは分かっていません」
「なるほど、それは難儀な」
子供たちは一見、どこにでもいる普通の子供たちと変わらない。しかしその表情には、どこか影を感じずにはいられなかった。アモンはおもむろに歩きだすと、一番近くにいたおかっぱ頭の男児のベッドへ近づき、男の子の頭へ左手を添えた。
「え? え?」
「君の名前はなんですか」
「え、えっと…………セムラ……」
混乱する男の子。
しかしアモンは意に介さず、瞳を閉じて魔素を左手に集中させる。
「解析魔法」
左手から放たれた魔法が、水色の波紋となってセムラの全身を通り抜ける。それを三回ほど繰り返したあとで、アモンはゆっくりとおかっぱ頭から手を離した。
「アモン様、あの……」
「シッ」
エルブが恐る恐ると話し掛けるが、アモンは人差し指を立ててそれを遮る。
そして次にセムラの右手をとって、静かに顔を寄せていった。
「わっ!」
アモンに手の甲を舐められ、セムラは驚きながら手を引いた。
その顔は、クエスチョンマークでいっぱいになっている。
「驚かせてしまって申し訳ございません。お詫びといってはなんですが、何か欲しいものはありませんか? 小官が持ってきてあげましょう」
「え? な、なんでも……いいの?」
セムラは驚きながらも、少し表情を緩めた。
そして少し俯いて考えたのち――――――
「六つ葉のトレーフルがほしい」
アモンの目をまっすぐに見つめ、はっきりと答えた。
「六つ葉のトレーフル? なんですかそれは?」
「見つけたら幸せになれる、という言い伝えのある花の葉ですわ」
「なるほど、願掛けのようなものですか。確か、いまから向かう場所は南西の森でしたよね?」
薬草の採集と、南西にある森林の動植物の調査。
それはこの孤児院に来る前に伝えられた、エルブの本日の軍務だった。
「わかりました。探して持ってきてあげましょう」
「ほんとうに! やったぁ」
アモンが快諾すると、セムラはようやく子供らしい笑顔を浮かべた。
しかし対照的に、エルブの表情はどこかぎこちない。ふたりは軍務後にまた寄ることを子供たちに約束し、西棟をあとにする。
孤児院の長い廊下で、エルブは複雑な顔をアモンに向けた。
「…………失礼を承知で申し上げますが、セムラとの約束を果たすのは難しいかと思いますわ」
「なぜです?」
「トレーフル自体は森によく自生しているのですが、トレーフルは本来が三つ葉。六つ葉というのはとても貴重なもの……いいえ、ほぼ迷信に近いものなのですわ」
エデンの森を繰り返し調査しているエルブでさえ、いままでお目にかかれたことはない。それを今日一日で見つけるなど、不可能に違いない。約束が果たされず悲しみに暮れるセムラを想像し、エルブは複雑な表情を浮かべた。
「知っておりますよ。昨夜、書庫で【エデン野花大全】という図鑑に目を通しましたから」
「で、でしたら……なぜ?」
「天使というのは、古来より奇跡と抱き合わせて存在しているのです」
「…………はぁ」
要領を得たような、得ないような。
釈然としない様子で、エルブは首をひねるのだった。
廊下を抜けたふたりは、子供たちの見送りを背に受けながら宿り木の家を出る。そして本日の軍務に従事する兵士らと合流するため、南西の門を目指して歩き始めた。
そのときだった――――――
「…………うん?」
アモンが唐突に、足を止める。
「どうかなさいましたか?」
「…………いいえ、気のせいでしょう」
エルブの問いにそう言い切ったものの、アモンは確かに見た。
自分たちを遠巻きに眺める、何者かの影を。その気配はアモンが足を止めるや否や、何処へと去っていった。
確実ではないが、アモンにはその影は――――――男だったように感じられた。




