第263話 「ニライカナイ」
「この村の査察が本日の任務でござる」
アート・モーロから、馬で南に数時間。
目的の村は、ようやくアモンとシグオンの前に姿を現した。
「なんというか……閑散としておりますねぇ」
そんな感想が口をついて出る。
それほどまでに、アート・モーロと比べ、寂れた雰囲気の漂う場所だった。
色味のない家がぽつぽつと離れて建ち、人は探さねば見つからないほど数が少ないうえに、その格好はお洒落とは程遠く、中年や老人の姿ばかりが目に入ってくる。
「何も無い所でござろう? ここは【ニライカナイの村】。ある事業の為に創られた村で、活気とはあまり縁のない場所でござる。『退屈な村だ』と、アート・モーロの住民も近づきたがらない場所でござるな」
馬を降りながら、シグオンが言う。
しかし彼女の言葉とは裏腹に、アモンは瞳を輝かせていた。
「退屈? とんっっっでもない! 小官の胸は先ほどから小躍りしておりますよ。長閑な雰囲気も然ることながら、何よりここでは漁業を行っている!!」
「そ、そうでござるか。アモン様は変わったお方でござるな」
歓喜のポーズを決めるアモンに、シグオンはたじろぐ。
そして薄っすらと目を細めたかと思うと、とある質問を口にした。
「それにしても、アート・モーロに居ながらこの町の情報に疎いとは……。アモン様は、いままでどこに住んでいたのでござるか?」
「そうですねぇ。深くて暗く、近くて遠い。そんな場所ですかね」
「え、えらく抽象的でござるな…………」
シグオンは困惑した表情を浮かべるが、アモンはどこ吹く風。とりあえず馬を屯所に預けたふたりは、目的の場所を目指すことにした。
「おっとそうだ」
と、思い出したようにシグオンが胸元を開ける。
すると小猿が顔をぴょこんと覗かせ、次の瞬間には背中に生えた小さな翼で、空高く舞い上がっていた。
「あまり遠くへ行ってはダメでござるよ? お前は方向音痴でござるからな」
「キッキキィ!」
シグオンの飼い猿、エテ吉は嬉しそうにいずこへと飛んでいく。その小さくなっていく猿の後ろ姿を見て、アモンはぽつりと呟いた。
「あの猿、やはりアリステラの……」
「ん? 何か言ったでござるか?」
「いえ、取るに足らないことです。さあ善は急げ! 行きましょう!」
「あ!? ま、待つでござる」
いきなり駆け出したアモンのあとを、シグオンは首を傾げながら追いかけるのだった。
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「ほぉ~~~~~! すんっっばらしい!!!!」
大仰に両手を広げるアモンの眼前には、見渡す限りの大海原。
砂浜に押し寄せるさざなみの音は耳心地が良く、全身を撫でる風は気持ちが良かった。白い砂浜と青い空のコントラストは、南の島の楽園を彷彿とさせる爽快さだ。
「アモン様は海を見るのは初めてでござるか?」
「いいえ。しかし久しく見てませんでしたので。泳いでいる市民は――――残念! 見当たりませんねぇ」
「この時期に泳いだら寒さで凍死しかねないでござるよ。まぁ、泳いでいないのはそれだけが原因ではないのですが……。さ、漁場はこの先でござる」
含みのあるシグオンの物言いに、どこか引っ掛かりを覚えるアモン。
だがその理由は、漁場を訪れたときに明らかとなった。
「今月も……漁獲量は芳しくないでござるな」
漁場の責任者から書類を受け取るなり、シグオンは不満気にそう漏らした。気になったアモンが横から書類を覗き見ると、たしかに漁獲量は年々と減ってきている。特に最近の減りようは、目も当てられないほどだった。
「申し訳ないです。これでも努力はしているのですが…………」
「責めているワケではござらん。理由なら委細承知でござる」
平謝りする責任者に、シグオンがいやいやと首を振る。
ふたりはそのまま、書類の中身についての会話を始めた。
手持ち無沙汰となったアモンは、好奇心から周囲へと目を走らせる。すると桟橋の上で海を眺める、数名の男の漁師を見つけた。
「どうも皆さんコンニチワ!」
「わっ……なんだオメェ!? 仮装大会でもやってんのか」
元気よく話し掛けるが、中年の漁師は怪訝そうな顔を返した。
しかしアモンは引くことなく、むしろずずいと漁師に顔を寄せる。
「小官のこと、ご存知でない?」
「し、知らねぇよオメェのことなんて。変な奴だな」
「なるほど。まぁ、昨日の今日ですからね。通達が届いていなくても、仕方がないので仕様がない」
うんうんと勝手に納得したアモンは、次に桟橋に留めてある漁船へと目をやった。漁獲量が減っているというのに、船はゆらゆらと呑気に揺れている。
「こんなに好天に恵まれているのに、今日は漁をしないのですか? 小官は魚が食べたいのですが!」
「ああ? アンタなんも知らねぇんだな。したくても出来ねぇんだよ」
「できない?」
苛立つ漁師の返答は、要領を得ない。
なのでアモンが別の漁師へ顔を向けると、その漁師はため息を混ぜながら口を開いた。
「最近……って訳でもねぇけんど、魔獣がこの辺りの海に住み着いてな。船を出すたんびにやってきで、網を破っだり船を沈めだり」
「今月に入っで、もう五盃はやられだ。漁師も何人も喰われだ。このままじゃ、おまんまの食い上げだっぺよ」
よほど鬱憤が溜まっているのか、他の漁師も吐き捨てるように言った。
「海に魔獣ですか」
「仕方ねぇがら、いまは……ホレ。あすこで塩をつぐることしかできねぇのよ」
「しお!? 塩があるのですか!?」
「あすこでな、海水を濾過して煮詰めとんのよ」
アモンは目を丸くし、漁師が指差す方向へ目をやった。
そこには巨大なレンガ造りの建物があり、煙突からは白煙が尽きることなく立ち昇っている。
「塩は超希少品だから欲しくなるのも分かるが、止めとけ。すべて王への献上品だ。おれら庶民は、手ぇつけるだけで死罪になる」
「一摘みつぐるのに何日も掛がるんだ。そもそも在庫がねぇっぺよ」
「あれだけ大掛かりな施設がありながら、たったそれだけ? 妙ですね」
辛気臭い表情の漁師たちに背を向け、アモンは桟橋の端まで移動する。そこで深く屈み込むと、アモンは右手を海水へ漬けた。針で刺すような冷たさが、手袋越しに伝わってくる。
「どれどれ…………あむ」
そしておもむろに、アモンは海水へ漬けた人差し指を口へ入れた。
その瞬間、様々な情報がアモンの脳内に浸透していく。
「――――――なるほど、そういうことですか」
怪訝そうな顔をする漁師たちを尻目に、アモンはひとり納得して呟いた。
地球の海の塩分濃度は、場所にもよるが凡そ3.4~3.5%と言われている。魔神の舌によって判明した、この世界の海の塩分濃度は――――――
「約0.001%以下…………ほぼ真水ですね。信じられない」
海なのに、その成分は海ではない。
アモンはここが地球とは違う理で成り立っていることを、今更ながら痛感した。
「お待たせしたでござる」
話を終えたシグオンが、桟橋へやってくる。
アモンはそこで、気になる質問を投げ掛けてみることにした。
「漁獲量の減少は魔獣のせいなのでしょう? なぜ退治しないのですか?」
すると目に見えて、シグオンの表情が曇った。
いや、シグオンだけではない。周りの漁師たちも、皆が似たような顔を浮かべている。
「……退治しようと、すでに色々と手は尽くしたのでござる。しかし相手は数も多く、海中を自由に泳ぎ回るため仕留めるのも難しい。囮の船を出し何匹か倒したこともあるでござるが、魔獣の親玉が次から次へと子を産み、手がつけられないのでござるよ」
「ふぅむ、それは難儀な」
シグオンのため息に、漁師たちのため息も重なった。漁場全体に、半ば諦めのムードが漂っている。
漁師たちの鬱蒼とした顔、顔、顔。
その原因が分かったいま、アモンは手を打ち合わせ、あっけらかんとした表情で言った。
「わかりました。なら、魔獣を退治してしまいましょう! 小舟を一艘、貸していただけますか?」




