第261話 「天使の行う悪魔の教示」
「気になりますか? この仮面の下が」
一秒にも、永遠にも感じられる時間の中。
アモンはゆっくりと、偽りの仮面へ指をかけた。
しかし、そのとき――――――
「申し訳ございません!」
アモンの言葉を遮るように、ひとりの兵士が声をかけてきた。
「えっと、どうかした?」
レトリアが訊ねると、兵士は顔をレトリアにではなく、アモンの方へと向ける。そして敬礼をしながら言った。
「新天使のアモン様は、類稀なる魔法の使い手だと聞き及んでおります。よろしければ我々にひとつ、ご指導をお願いできませんでしょうか!」
「な、何を言っているの。アモン殿は天使になったばかりで、指導なんて――――――」
兵士の顔には、どこか懐疑的な色が含まれていた。
そのことからも、彼が求めているがただの指導ではないことが窺える。アモンはくっくと笑い、仮面を右手の五指でなぞってから言った。
「どうやら神咒教徒らと一般兵士たちでは、天使の見え方が少し違うようですね。実力を目の当たりにしなければ、若輩者は認められない……といったところですか」
その言葉を証明するかのように、兵士がひとり、またひとりと集まってくる。
やがてアモンの前は、調練に参加していた兵士で溢れかえっていた。
「よろしい。小官の拙い知識で良ければ、喜んでお教えしましょう」
「ご、ごめんなさい!」
本当に申し訳無さそうに頭を下げるレトリアに、アモンは「大丈夫ですよ」と、手をひらひらと振った。
「さて小官が教示する前に、皆さんの魔法についての知識・訓練方法などを教えていただけますか?」
アモンが訊ねると、兵士の中のひとりが身を乗り出した。
「はッ! 魔法を使用するにあたり、大切なのは想像力。我々、魔導部隊は、日夜瞑想に耽り、想像力を鍛えております!」
身を乗り出した兵士がそう主張すると、他の兵士たちも同調するように頷いた。そして今度は、先ほどとは別の兵士が口を開く。
「水や火の性質を理解するため、魔導書だけに限らず、自然書にも目を通しています。それに加え、強化魔法の担当は人体学についても精通しております!」
兵士は自信に満ちた顔を覗かせた。
他の兵士たちも、やはり同様の表情を浮かべている。
彼らの自信を裏付けるのは、愚直なまでの勤勉さ。アモンは拍手で兵士らの努力を称賛し、「ブラボー!」と感嘆の言葉を贈った。
「魔法の何たるかを、よく理解しておられるようですね。如何に正確にイメージできるか? それが魔法の精度を左右しているといっても過言ではありません」
得意気な顔をする兵士らの前を、アモンが感心しながら横切って歩く。
そして夜間訓練用の篝の前で足を止めた。
「正確にイメージするのに必要なのは、知識と体験! 例えば、氷という存在をまったく知らない者が氷魔法を使ったとしても、あの芯まで凍るような冷たさは再現できません。そしてそれは、火魔法でも同様です」
アモンは喋りながら、篝の足元に置いてあるバケツに右手を入れ、中から火の魔石の欠片を何個か拳に握り込んだ。そしておもむろに、欠片を篝の中へと放り込む。数秒後には、篝に照明用の火が灯った。
「この火の暖かさを知ることが、火魔法を火魔法たらしめる必須の知識なのです」
魔法を使うための、基礎中の基礎。
兵士らは『何をいまさら』といった、したり顔でアモンの方を見ていた。
しかし次の瞬間、兵士たちの表情は一変する。
「ではその知識を昇華して魔法の強化を図るには? 実は簡単な方法があります。こうするのです」
アモンは一切の躊躇なく、篝火の中へ右手を入れた。
当然のように手袋は燃えて灰になり、右手の皮膚は溶け、肉が見る見るうちに焼け爛れていく。周囲には肉の焼ける酷い臭気が漂い、兵士の中にはうっと目を背ける者さえいた。
「灼熱を想像したなら、次に身を焦がす激痛をもイメージする。そうすることで、火魔法の威力は飛躍的に高まります」
眉ひとつ動かすことなく、アモンは講義を続ける。
その間も、右手は篝火に焼かれ続けていた。
「な、何をやっているの!? 早く治療をしないと!!」
レトリアが駆けてきたことで、アモンはようやく手を篝火から離す。
長い時間、火にさらされた右手はもはや黒炭と遜色がない。ぶすぶすと上る煙が、火傷の酷さを物語っていた。
「体験によって想像力を強化することが、攻撃魔法の……ある意味、奥義のようなものですね。やりすぎたら死んでしまうので、そこはケース・バイ・ケースで無理なくやりましょう。小官が教示できるのは、まぁこんなところですかねぇ」
そういって、アモンは右手をまたひらひらと振った。
すると次の瞬間には、手品のように右手の火傷は消え失せていた。
唖然とする兵士らの前を、アモンは何事もなかったように横切って歩く。しかしその姿には最初にはなかった、兵士たちからの賛辞の拍手が投げかけられていた。
「…………あなた変よ」
「なんですか不躾に?」
元いた場所に戻るなり、追いかけてきたレトリアに怪訝そうな目を向けられる。訓練を再開させる兵士らを横目に、レトリアは大きなため息を吐いた。
「兵士たちが真似したらどうするの! あ、あんな危険なこと……」
「危険? 我々は魔王国と戦争をしているのですよ? この程度の覚悟など、承知の上では?」
「な、何も殺し合うことだけが戦争ではないわ。血を流すことなく話し合いで解決できれば、それが一番のはずよ」
レトリアが言うと、アモンの瞳がゆらりと動く。
そしてその体を覆うように、夥しい量の魔素が噴き上がった。
「…………話し合い? 相手は野蛮で、人の心を持たぬ魔物の群れだ。一匹残らず駆除する以外に、終戦の方法はありません。レトリア……あなたは天使でありながら、魔物の味方をするのですか?」
穏やかな声にも関わらず、アモンの体からは漆黒の魔素が迸っている。
レトリアは全身に大量の冷や汗を流し、鳥肌が立つのを感じていた。次の自分の返答次第では、とんでもないことになるかもしれない。
しかしこれだけは譲ることができない。
レトリアは勇気を奮い立たせて、震える唇を開いた。
「え……ええ……味方をするわ。私は人も魔物も……仲良くできれば良いと思ってる。いつかきっと、分かりあえると……信じているわ」
死臭の漂う、尋常ではない黒き魔素。
ひときわ大きくうねったかと思った、次の瞬間――――――
「うっ……!」
ぎゅっと両目を閉じたレトリアの前で…………それは何事もなかったように霧散していた。
「え?」
「…………見解の相違ですね。小官には、そういった考えはできかねます。しかし、否定もいたしません。貴重な意見をありがとうございました」
きょとんとするレトリアの前で、アモンはどこか遠い目を浮かべる。
その哀愁の宿る瞳の中に何かを感じ取ったレトリアは、声をかけようと口を開けた。
「レトリア様~~!!」
だがそのとき、快活な声がレトリアの言葉を遮る。
ふたりが声の方へ顔を向けると、そこには大小、三人の姿があった。
「調練のお手伝いに来ました~!!」
「暇でござったのでな」
「ついでに、明日からの打ち合わせでもと思いまして」
ティオス、シグオン、エルブの三叉の矛の三人だ。
三人は親しげな様子でやってきたが、レトリアのとなりに立つアモンの姿を見て表情を変えた。
「なんだこの怪しい仮面野郎はッ!?」
「たしかに怪しすぎるでござる。物の怪の類に違いない……」
戦闘態勢に入るふたりを、エルブが「こら」と嗜める。
そしてアモンの方を向いた彼女は、恭しく頭を下げた。
「新しい天使様ですわね。わたくしはエルブ。そしてこの元気な子がティオス、髪を後ろで結ってるのがシグオン。みんな、レトリア様の部下ですわ」
「これはご丁寧にどうも。小官はアモン、しがない天使でございます」
簡単な自己紹介を受け、アモンも簡単に自己紹介をする。
毒気を抜かれたティオスは「ちぇっ」と、つまらなそうに武器をしまった。
「ご、ごめんなさい! 私の部下がまた失礼なことを!!」
平身低頭するレトリア。
アモンは別に気にしてはいなかったが、それでは彼女の平謝りが終わりそうもない。
「そうですねぇ。ではひとつ、お願いしたいことがあるのですが」
「え、ええ……大丈夫よ! 私にできることなら、何でも言って!」
快諾するレトリアだったが、アモンの視線は横へスライドしていく。
そしてトライデントの三人の前で視線を止めると、アモンはおもむろに口を開いた。
「次はそこの三人のお仕事、小官に手伝わせさせてください」




