第259話 「上辺の称賛」
「こんなところで、な~にをやっておられるのですか?」
「お前のせいだろ!? い、いきなり人の頭に降ってくるんじゃない!!」
尻もちをつきながらそう怒鳴ったのは、紅衣に身を包んだ男――――――
アキサタナ=エンカウント、その人だった。エデンの天使のひとりで、稲豊と因縁のある男でもある。
「これはこれは、失敬失敬。天気が良いので、ここで横になっていたのかと」
「こんな場所で寝るアホがいるか! チッ」
舌打ちをしながら立ち上がったアキサタナは、自慢の服についた砂埃を手ではらった。そしてアモンを睨みつけ、値踏みするように足先から顔面を覆う仮面までをひとしきり眺める。
「相変わらず不気味な男だ……。まあいい、得体も知れないお前がどうやってトロアスタ様に取り入ったのかは知らないが、ここではボクの立場の方が上だ。新入りは新入りらしく、身の振り方を考えるがいい」
「大天使を除く下位の天使は、皆を同列として扱うと聞きましたが?」
「う、うるさい! ボクがそうだと言ったらそうなんだよ! お前はただ、ボクの言うことに従っていればいいんだ!」
「はあ、そうですか。では先輩、これから何をする予定で?」
アモンが訊ねると、アキサタナは眉をしかめた。
そしてさっと前髪を掻き上げてから、怪訝そうに口を開く。
「降臨祭の下見だ。ボクが監督することになっているからな」
「こうりんさい?」
「はぁ……自分のことだというのに、キサマは何も知らぬようだな」
アキサタナは深くため息を漏らし、やれやれと首を振った。
「新たな天使が現れたときに開かれる、祝福の宴だ。まあ宴といっても、東区の大聖堂で祝辞があるだけだがな」
「なるほど、簡単な歓迎会のようなものですか」
「問題なのは、祝辞を述べるのがエデン王だということだ。間違っても粗相があるようではいけない。だからボクが下見にいき、神咒教徒らを指導するというワケだ」
面倒くさそうにアキサタナが言う。
話を聞く限りでは、祝宴と呼べるほど楽しいものではない。しかしアモンは、その宴に興味を持った。
「小官もご一緒してよろしいですか?」
「キサマは歓迎される側だろうが。まぁ……別に構わないが」
どこか警戒した様子を見せるアキサタナだが、一応は了承する。
そしてつかつかと歩き始めるそのとなりに、アモンは同じ速度で付いていった。
城と東区を繋ぐ長い橋を越え、整備された並木道をひた歩く。
やがて中世ヨーロッパを彷彿とさせる街並みが現れ始める頃には、ぽつぽつと町民たちの姿が見えるようになっていた。
「おお天使様!」
「本当だ! 天使様だ!」
老齢の男と中年の男が、満面の笑みを浮かべ声をかけてきた。
顔が似ていることから、男たちが親子であることが分かる。
「本日も荘厳で眉目秀麗なお姿!」
「これからもエデンの民である我々を、お導きくださいませ!」
しかし天使とはいっても、それがアモンを指していないことは、親子の視線からも明白。なのでアキサタナが対応した。
「ああ…………頑張るとも」
「さすがは天使様!」
「今日は良い日になりそうだ」
親子は笑みを湛えたまま、アモンらの前からいなくなった。
アキサタナはその後ろ姿を苦々しく見送ったあとで、歩みを再開させる。
だがそのあとも――――――
「アキサタナ様! 本日はお日柄の良い日ですわね」
「なんたる神々しいお姿!」
「ありがたやありがたや……」
「天使様、何卒エデンを魔物共からお護りください」
少し歩く度に町民たちから声をかけられ、その都度、彼らへの応対が余儀なくされる。アキサタナは慣れた様子で挨拶を返しつづけたが、町民らの姿が見えない路地に入ったとき、疲労の色を隠すことなく嘆息した。
「…………ハァ」
「ふぅむ、どうやら町民たちはまだ小官のことを知らないようですねぇ。つい先日、任命されたばかりなので仕方ないですが。しかしそれにしても……さすがというかやはりというべきか、天使の人気は凄まじいものがありますね。称賛を通り越して、もはや崇拝の域までやってきている」
アモンが感心して何度も頷いていると、アキサタナが急に足を止めた。
そして感情の無い瞳を浮かべ、静かに口を開く。
「調子に乗るなよ」
「うん?」
意味が分からず、アモンは首を傾げる。
「たしかにキサマは、先の作戦で目覚ましい成果をあげたんだろう。だが勘違いをするな」
アキサタナはそういって、アモンの方を向いた。
その瞳には、相変わらず感情がなかった。
「目の前にいるというのに、彼らが見ているのはボクじゃない。民が見ているのは、天使という称号だけだ。誰もボクたち自身に興味など無い。どれだけの成功を収めようが、どれだけの失敗を重ねようが、彼らは諸手を挙げて賛辞の言葉を投げつける。キサマも……いまに分かるさ」
言葉の端々に棘を滲ませながら、アキサタナは再び正面を向いた。
そして――――――
「最初に会話した親子を覚えているか? あれは…………ボクの父と兄だ」
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数時間後――――――
予定通り、降臨祭……もとい降臨の儀は開始された。
大聖堂に集められた、大勢のエデンの民。
彼らが尊敬の眼差しを送るのは、壇上に並ぶ天使たち……だけではない。
「混沌とした世界を救済するべく、また新たな天使が神より遣わされた。これにより、エデンを守護する羽は七枚。皆の衆……盤石となった平和を、共に喜ぼうではないか」
大聖堂の中に大きく浮かび上がっているのは、マハ・ス・ファル=エデン三世。エデン国を統治する、絶対の王である。投影石で映された姿なので、王本人はこの場所にはいない。にも関わらず、民らは瞳を輝かせ、ひたすらエデン王の言葉に耳を傾けている。
「紹介しよう。第七天使こと、類稀なる魔導の使い手――――――アモン」
エデン王が紹介したタイミングで、アモンが数歩だけ前進する。
それだけで、大聖堂内は割れんばかりの歓声に包まれた。
歓喜する民らの顔を見渡しながら、アモンが考えていたのは先程のアキサタナの言葉だった。
『誰もボクたち自身に興味など無い。どれだけの成功を収めようが、どれだけの失敗を重ねようが、彼らは諸手を挙げて賛辞の言葉を投げつける。キサマも……いまに分かるさ』
およそ天使に似つかわしくない姿をしている自分でも、エデンの民たちは手放しとなって称賛している。それはどこか、異様な光景でもあった。
しかしアモンはそんな民たちの姿を見て、仮面の下で小さく微笑んだ。
そして誰にも聞こえないほどの微かな声で――――――
「上辺の称賛…………結構じゃないですか。いずれ改革してやりますとも。この異世界の食糧事情と一緒にね」
そう心に誓うのだった。




