第六章 【裏話】
魔王国、兵舎前の調練場――――――
「はにゃー!!」
「ふっ!!」
そこではエイムとマルコのふたりが、文字通りの火花を散らしあっていた。
「シャッ!!」
エイムの鋭い爪が、空を切り裂きながらマルコの右肩に迫る。
「なんの!!」
それをマルコが、剣の横腹で弾き飛ばした。
体勢を崩しながらもふたりは距離を取り、激しく視線を衝突させる。
しかし、数秒後――――――
「この辺にしておくか」
「そうだにゃー。そろそろ、おわりの時間だにゃ」
マルコは武器を収め、エイムは伸びた爪を指の中へと隠す。
こうして、日課の戦闘訓練が終わりを告げる。ふたりは頬の汗を拭いながら、自然と周囲の光景を目で追っていた。
「ここも……随分と静かになったものだ」
「貴族たちが居なくなったうえに、姫様たちまで城に引きこもっちゃったからにゃー……。次の作戦もないし、兵士たちもどうすれば良いのかわからないのにゃー」
「魔王を失ったショックか、想像以上に深刻なようだな。……む?」
自分たちに近づく足音に、ふたりが同時に反応する。
手を止めて向けた視線の先には、緩慢な足取りのタルタルの姿があった。心なしか、その表情は暗く重い。
「……キミら、天気も微妙なのに元気だねー。もうここで訓練してるの、誰もいないのにさー」
「鍛錬の怠りは、肉体だけでなく精神をも弱くする。先代族長の教えだ」
「他にすることもないのにゃー。それにわっちたち傭兵組は、そこまで魔王と関わりもなかったしにゃ。レプタイラーもそうじゃないのにゃ?」
「そうだねー。でも魔王とは関わりがあまりなかったけど、シモッチとは友達だったからさー……」
タルタルが気落ちしながらいうと、エイムとマルコも少し目を伏せた。
多かれ少なかれ、ここにいる者は稲豊との関わりを持っている。それがいまや敵となった事実は、稲豊と衝突していたマルコといえど、少なからずのショックを覚えていた。
「まー……おれより問題なのは、マリお嬢たちの方だけどねー。部屋に閉じこもって、食事すら摂ろうとしないからー」
「そんなことでは魔素の補給もままならないだろう。無理やりにでも食べさせた方が良いのではないか?」
「そんなのダメにゃー! 心が弱っているときは、何を食べても美味しくないのにゃ。だから、どっちにしろ魔素は活性化しないのにゃー」
状況はまさに八方塞がり。
今回の作戦で傭兵組への被害は軽微だった。しかし魔王軍として考えれば、甚大を通り越した壊滅的な被害だったといっても差支えがない。現に魔王軍は、もはや軍としての体裁さえ維持できなくなってきている。
「もし……もし、このまま軍が崩壊したら…………わっちたちは、魔物はどうなるのかにゃー?」
「エデンに唯一、対抗できるのが魔王軍だからねー。数百年前みたいに散り散りになって、魔物は各地で細々とやっていくしかなくなるんじゃないかなー?」
「…………それはどうかな? 敵が昔ほど悠長にしているとは思えん。魔王亡きいま、人間たちによる魔物狩りが始まるに違いない。我々は今度こそ……根絶やしにされるだろう」
状況を放置しても地獄。
戦おうにも戦力が足りない。
魔王国を覆う暗雲は、いつまでも晴れそうになかった。
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頑強な石造りの小部屋と、何者も通さない鉄格子が並ぶ地下牢獄。
一年を通して冷たい空気が流れているのは、ただ地下だからという意味だけではない。閉じ込められた囚人の嘆きや、怨嗟の念がこもっているからだ。
地下最奥の独房でも最近、囚人が非業の死を遂げた。
檻の前に座る大柄の魔物は、複雑な思いで床にできた黒い染みを眺めていた。
「…………ターブ、また来ていたのか」
かつかつと足音を立てながら、ひとりの青年が魔物の前に現れる。
「テメェこそ。…………土葬は済んだんだろ?」
ターブがいうと、青年はひとつため息を漏らし、魔物のとなりの石壁に背を預けた。
「何故だかわからないが、兄は墓にではなく、まだここにいるような気がしてな。意味もなく……足を運んでしまう」
そういって、ネロは自嘲気味に笑い、檻の中へと目をやった。
「胸を一突き。苦しみの少なかったことが、せめてもの救いだな」
「それでも、無念な想いってのは消えねぇもんだ。オレたちがここに引き寄せられるのも、そういったモンが残ってるからなのかもな」
「そうかも…………知れないな」
そして、しばらくの沈黙。
互いに顔を合わせることもせず、ただいたずらに時間が過ぎ去っていく。
普通ならば気まずささえ感じる時間が流れたあとで、先に口を開いたのはターブの方だった。
「ふん、人間ってのは脆すぎていけねぇ」
ターブは吐き捨てるようにいうと、どこからともなくヒャクの果実酒が入った瓶を取り出した。そして一息で酒を半分ほどあおり、残った半分を牢屋の前へ乱暴に置く。
「大将、アンタにゃこき使われた記憶しかねぇが、アンタの酒にはそれだけの価値があった。オレ様がアンタに従ったのも、その心意気を買っていたからだ」
乱暴に、しかしどこか物憂げに、ターブは誰もいなくなった牢屋へ語りかける。ネロはその姿を、何も口にせず、じっと眺めていた。
「大将は魔物が嫌いだったみてぇだが、オレ様はアンタのこと…………嫌いじゃあなかったぜ」
それだけを告げると、ターブはのっそりと腰を上げた。そして独房に背を向け、のっしのっしと歩き出す。
その巨体が石造りの階段に差し掛かったとき――――――
「兄さんは」
ネロが小さく口を開く。
「兄さんは魔物が嫌いだったわけじゃない。ただ…………人間が好きだった。好きすぎた……それだけさ」
ターブは少しの間、足を止めていた。
だが、やがて再び足を動かし、今度こそ階段の向こうへ消えていくのだった。




