第254話 「魔人」
稲豊が生きていた喜びと、別人のようになっている悲しみ。
ありとあらゆる感情が渦のように混ざり合い、ルートミリアはただ呆然と目の前の光景を眺めていた。
「お久しぶりですねぇ、ルートミリア様! さて出会い頭で宴もたけなわな様相を呈してきたわけですが、いかがお過ごしでしょうか? 早速ですが降伏と拘束、どちらがお望みで候?」
支離滅裂な言葉を話す稲豊……改めアモン。
ルートミリアは気を失ったナナを抱きながら、なんとか言葉を絞り出そうと口を動かした。しかし口はパクパクと開閉するだけで、言葉が何も出てこない。
「もしかして、これは好機でチャンスな感じですか? なら遠慮なく攻撃を加えさせていただきますが、よろしいですか? よろしいですね?」
アモンが右手を掲げると、その手に黒き魔素が集約する。
魔素は最初こそ丸だったものの、やがて細く長い形状へと変化した。
そしてアモンがふっと息を吹きかけた次の瞬間――――――
「あら不思議、刀へと変わってしまうんですねコレが」
魔素は漆黒の刀となり、アモンの右手に握られていた。
「では遠慮なく」
ナナを抱きとめる為に屈んだルートミリアの眼前で、アモンの黒刀が振り上げられる。本当ならばすぐにでも逃げなければいけない状況なのだが、ルートミリアの体は石になってしまったように硬直し、動いてくれそうになかった。
「さようなら、ルートミリア様」
アモンの無情な台詞と同時に、黒刀がルートミリア目掛けて振り下ろされる。
「ッ…………!!!!」
咄嗟に目を背けるルートミリア。
彼女が死をも覚悟したその瞬間――――――
大きな金属音が鳴り響き、アモンの黒刀はルートミリアの寸前で停止した。
「おやぁ~?」
首を傾げたアモンの前で、ふたつの剣が交差している。
ひとつは黒刀、そしてもうひとつは細身の片手剣だった。
アモンが気怠そうに視線をスライドさせ、細剣の持ち主を確認する。
そしてはちきれんばかりの笑顔を浮かべ、その名を口にした。
「コレはコレは! ご無沙汰しておりました。ご健勝そうで何よりでございます! アドバーン様」
すんでのところでアモンの黒刀を受け止めたのは、ルートミリアを探しにやってきたアドバーンだった。老紳士は迫真と困惑の入り混じった表情で、それでも小さく笑ってから言った。
「イナホ殿も…………お元気そうで。死んだと伺っておりましたので、驚きを禁じ得ませんな」
ふたりは弾かれるように後退ると、互いに身構え、剣の切っ先を相手の方へと向ける。
「いなほ? いなほいなほ……? ちょっと記憶にございませんね。小官はエデン第七天使のアモン、以後お見知り置きをば」
「どうやら……トロアスタ辺りに何かしら施された様子。お嬢様に斬りかかるなど、以前の貴方からは……考えられない」
「誰の話をしているのかわかりませんが、こうしていると昔の稽古を思い出しますねぇ。そういえばアドバーン様には、指を切られた苦苦苦苦しい思い出がございました。くらえ! 積年の恨み!!」
フェンシングのように、黒刀を突き出すアモン。
アドバーンは身を翻して、突きをぎりぎりで回避する。
「やめろシモン!! 仲間同士で……戦ってはならぬ!!」
「ヤメるとは何をヤメればよろしいのでしょうか? ヤメるをヤメるのか、ヤメないのをヤメるのか? 異世界は言葉が難しい難しい」
アモンは首を九十度に捻り、悩むような仕草を見せる。
そのあまりの稲豊の変わりように、アドバーンの中ではひとつの決断が生まれつつあった。
「イナホ殿……貴方が洗脳されていることを承知で警告します。これ以上、お嬢様に危害を加えると言うのであれば、私めは容赦なく貴方を屠ります。後生ですから、矛をお収めください」
「矛? ならば黒刀を持ってる小官には当てはまりませんね! 敵の大将が目の前にいて指を咥えて見てるほど、小官はオギャオギャ赤ん坊ではありません」
「敵……でございますか。ならば……仕方がありませんね」
アドバーンの瞳に影が落ちるや否や、烈々たる覇気が老体から迸る。
それは本気でいくという証明。つまりは、命さえ奪うというアドバーンの覚悟の表れだった。
「よ、よせアドバーン! まだ……まだ他に方法が!!」
「私めは魔王様とリリト様より、お嬢様を護るように仰せつかっております。たとえ貴女に恨まれようと、私めは……私めの責務を果たすのみ!」
ルートミリアの悲痛の訴えも虚しく、アドバーンは低く身構える。
そして――――――
「イナホ殿のこと…………本当の孫のように想っておりました」
感傷的な言葉を合図に、ひと蹴りでアモンとの距離を詰めた。
時間にして一秒にも満たない一瞬の間に、アドバーンの片手剣は空中に鋭利な弧を描き、そして…………アモンの首を切断する。
「シモンッ!!!!!!」
絶叫するルートミリアの前で、切断された首は宙を飛び、ごろごろと地面を転がり壁にぶつかった。首に遅れること数秒後、頭部を失った体も糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、そして動かなくなった。
「あ……ああ…………」
稲豊の死を二度も目の当たりにし、絶望するルートミリア。
肩で呼吸をするアドバーンは、そんな彼女の姿を直視することができず、俯いたままで口を開いた。
「イナホ殿には毒が効かない。こうするほか……ありませんでした。ですが……魔王様も、そしてイナホ殿も……きっとこうなることを望んだはずです。私めならば……そう望みますので」
アドバーンが肩を落としながら呟いた――――――次の瞬間だった。
信じられない光景が、ふたりの前で繰り広げられたのは。
「な……!?」
驚愕し目を剥くアドバーン。
視線の先には、首の無いアモンの体があった。いや、正確には立っていた。
そして動揺し動けないふたりの前で、黒き魔素がアモンの首に集まっていく。それは人の頭ほどの大きさになったかと思うと、瞬く間にアモンの頭部を再生した。
何事もなかったように目をパチパチと開いたアモンは、自らの首を擦りながら口を開く。
「なんてことをするんですか! 料理人としてのクビを切ったというギャグですか? 笑えませんねぇ。やはり念の為、保護しときましょう。防弾マスク装着!」
先ほど砕けたはずの仮面が黒い魔素に変わり、アモンの顔面を覆う。そして数瞬後には、修復された完全な仮面がそこにあった。
「なるほど……そういうことですか……!」
アドバーンは、すべてを察したように頷く。
「ど、どういうことなのじゃ? 妾には……何がなんだか……!?」
「イナホ殿は生門の器が極端に小さく、大きな魔法を使うことはできなかった。それは持続時間も同様で、数秒しか魔法が持続しない。だからこそ彼は、効果が途切れる前に魔法を詠唱し続けている」のです!」
「ビンゴ! まさにピシャリ! さすがは執事長!!」
アモンが狂喜し、それが正解であることを告げる。
「――――――そう、小官は戦闘中、常に魔法の詠唱を続けております! いま唱えているのは肉体強化魔法に修復魔法に治癒魔法!! だから小官は不死身!! そしてもちろん、補助魔法だけに留まるはずもなく!!」
実践とまいりましょう!
アモンはそんな台詞を吐きながら、左手の人差し指をピンと立てる。
するとその指先に、蝋燭の先ほどの小さな火が灯った。
「小官の器では、この程度の火力が精一杯。ですが何度も唱えることによって~~」
火は拳大になり、猪車の車輪大になり、やがて人間を飲み込めるほどの火球となって、部屋全体を猛烈な熱気で満たしていった。
「ぐぅ……! 確かに理論上は可能……。しかし無詠唱で魔法を重ねがけするなど、いつ脳が破壊されてもおかしくない暴挙……。アモン……貴方はいったい……」
「言ったはずですが? 小官は魔人! そして――――――ルートミリア様と似て非なる器を持つ者!!」
アモンが左手を振り、剛速球の火球が放たれる。
それはアドバーンとルートミリアらを素通りし、部屋の窓を壁ごと破壊した。しかしそれでも火球の勢いは衰えず、森の木々を幾つも焼き払いながら彼方へと消えていった。
「妾と……似て非なる器……?」
しかしルートミリアが気になったのは、火球の凄まじさよりも、アモンが口走った言葉だった。
「そうか……すべて合点がいった。シモン、お前が父上から受け継いだのは……【魔神の舌】だけではなかったのだな? だからお前は……死ななかった」
ルートミリアが問いかけると、アモンは正解だと言わんばかりに頭を下げる。
そして再び両手を広げ、舞台で演じる役者のように言った。
「監獄の中で、死を覚悟した死門の解放。ですが彼は知らなかったのですよ、自身があのサタンの能力のひとつ……【魔神の死門】を継承していたことをね! 能力は至ってシンプル! 死門に無限に魔素を蓄えられ、かつ死門を自由に開閉できるというもの!!」
人も魔物も、死門を開けば魔素が流れ続け、やがては死に至る。
だが魔王サタンだけは、開いた死門でも閉じることができた。
そしてその能力は稲豊が継承し、知らず知らずのうちに魔素を蓄え続けてきたのだ。
「イナホ殿の世界の……豊富な食材によって蓄えられた魔素。その膨大な魔素があれば、お嬢様の結界を破るのも容易い……という訳でございますか」
「ザッツライ! さらにさらに、この力を使って洋服箪笥ごと融合の魔法陣を再構築!! ソトナがそうしていたように、ビューンと魔王領へ瞬間移動してきたという顛末なワケです!! まあ何人か便乗してきたようですが、それは小官の知るところではないないなないのないのです」
アリステラの魔能を悪用し、モンペルガへ侵入。
その後、屋敷へやってきたアモン。敵襲の絡繰が明らかとなったが、ルートミリアの表情が晴れることはなかった。
「さて、とはいっても……小官は魔法のエキスパート! やはり剣闘は見当違い。てなわけで、助っ人を呼ばせていただきますね!!」
唖然とするふたりの前で、アモンが手をパンパンと叩く。
すると先ほど壊した壁の穴に、誰かの足先が乗った。
最初に見えたのは、白のブーツだ。次に見えたのが、灰色を基調とした軽装の戦闘服。どこにでもあるような普通の男性用の服だが、腰に下げている剣だけは違った。六枚の天使の羽が装飾された鞘に、白銀の柄。
それはこの世である男だけが持つことを許される、聖なる剣の証だった。
「まさか…………!?」
アドバーンの瞳が大きく開かれる。
その視線の先にあるのは、炎で焼かれた壁の穴。そこに降り立つ、ひとりの天使の姿。
天使は眩いばかりの笑顔を浮かべ、春風のように爽やかな声で言った。
「やあ、久しぶりだね――――アドバン。また少し齢を重ねたかい? 苦労が耐えないようだね」
この場で絶対に会いたくなかった男、勇者ファシール。
アドバーンは身に降りかかる災難の連鎖に苦笑を浮かべつつも、ファシールへ皮肉を込めた言葉を贈った。
「脳天気な貴方と違って、こちらは色々と考えておりますので。貴方の方こそ、年相応に老け込んでみてはいかがですか? …………お父さん」




