第253話 「仮面の下は」
シフが大将軍アルバと対峙している頃、ルートミリアがようやく魔王領内へ帰還する。
「どういうことだ!? なぜ王都が!?」
モンペルガまで距離はまだあったが、立ち昇る黒煙は飛翔するネブの背中からも窺うことができた。王都に起きた明らかな異変に、ルートミリアが動揺した声をあげる。
「あの位置……貴族街でございますね。事故が起きるような場所ではありません。内紛か敵襲か、おそらく後者でしょう。屋敷に侵入を図った者の一味である、と考えるのが自然です」
「くっ!!」
冷静なアドバーンの言葉に、ルートミリアは顔をしかめる。
どれだけの被害が出ているのか想像もできない。稲豊を救う為の作戦で、被害も最小限に抑えられるはずだった。
どうしてこんなことになったのか?
どれだけ考えても、答えは見つかりそうになかった。
「わ、妾はどうしたら良い? このままではモンペルガが無茶苦茶にされてしまう!」
「落ち着いてください、お嬢様。一番に優先すべきは、敵の迅速な排除。お嬢様が発動させたリリト様の魔神石、あれに接触することです」
「そうか! あの魔神石を使えば、五行結界の力を再び発動することができる。敵を根こそぎ、この魔王国から締め出すことが可能なのじゃ! ネブ!」
「……分かっている、もう目の前だ」
希望を取り戻し、表情を少し明るくしたルートミリア。
そんな彼女に催促されたネブは、翼を平行に広げ、急降下を開始する。
ほぼ垂直に落ちていく三名の前で、ぐんぐんと大きくなってくる森の屋敷。
そして急激な浮遊感のあとで、ルートミリアは遂に目的地へと到着する。
「ここは妾たちで何とかする。だからネブ、お前は王都へ――――――」
「言われずとも救援に行かせてもらう。あそこには父がいるんでな」
話を最後まで聞くことなく、ネブは飛び立った。
そしてルートミリアもその後姿を最後まで見送ることなく、屋敷の方を向いた。
本来なら会話さえ省きたいほど、事態は一刻を争っている。
「妾の結界をここまで……」
門扉の右端にある紋章が、石柱ごと破壊されている。
相手が相当な手練であることの証明だった。
「お嬢様、私めが先に」
「うむ、まかせる!」
まずはアドバーンが屋敷の扉をくぐる。
そして周囲を確認してから、次にルートミリアが屋敷の中へ入った。
一見、ふだんの屋敷に見える。
しかしルートミリアは、そこに確かな悪意を感じ取っていた。
「お嬢様、マリアンヌ様たちを探したいところでしょうが」
「……わかっておる。すべては五行結界を発動させたあとのことじゃ」
アドバーンのいつもとは違う声色に、緊張感が増していく。
いまや屋敷内は猛獣のいる檻の中と同じ。いつ、どこから敵が飛び出してきてもおかしくはなかった。
幸いなのは、目標がそう遠くないこと。
ふたりは周囲の警戒を続けながらも、ほどなくして開かずの間の前にたどり着く。
「これはいったい……?」
壊れた扉を目にし、アドバーンが首を捻る。
だが考えたところで、わかるはずもない。アドバーンは開かずの間の中を素早く確認したのち、口を開いた。
「私めが調べてまいります。お嬢様はここでお待ちを。何か起きたら声をあげるか、私めの方へ逃げてください」
「妾を誰だと思うておる。賊など、返り討ちにしてくれるわ」
「……お願いでございますから、無理はしないでいただきたい。それでは、行ってまいります」
アドバーンは不服そうに、開かずの間の奥へと入っていく。
その後姿を見送ったあとで、ルートミリアはとうとつに心細くなった。
こんなとき稲豊が居てくれたら、どれだけ心強かったことだろう?
そんなことを考えながら、アドバーンの帰りを待つ。
そのときだった――――――
「…………なんじゃ?」
誰かの声が聞こえた気がする。
それも、そう遠くない場所だ。ルートミリアは、首だけを廊下へ出して確認する。
しかし、誰の姿も見えない。
「聞き間違いではない……はず。こっちか?」
アドバーンは開かずの間で待てと言った。
本当なら、ひとりで行動など危険きわまりない。だがルートミリアは、声の主を探すことにした。
「賊など……許せるはずがない」
恐怖心よりも何よりも、いまのルートミリアを突き動かすのは怒りだった。
貴族街を燃やすだけに飽き足らず、屋敷を襲撃し、あまつさえ稲豊の命まで奪った宿敵エデン。その敵の姿を想像するだけで、腸が煮えくり返るような想いだった。
「……!」
今度は、先ほどよりもはっきりとルートミリアの耳に届いた。
なにかのうめき声が、そう遠くない場所から聞こえたのだ。
ルートミリアは、それが一階の客間からであると直感する。
「間違いない、誰かいる……」
一階の客間の扉の前で、異様な気配を察知するルートミリア。
扉越しとはいえ、その隙間から禍々しい気が漏れ出ていた。あまりに邪悪な気配なため、ルートミリアは一瞬だけ開けるのを躊躇う。
しかし最終的に、怒りの感情に軍配が上がった。
無謀といわれても、ルートミリアのドアノブを捻る手は止まりそうになかった。
怒りに任せ、それでも慎重に、ルートミリアは客間の扉を開ける。
「…………なっ!?」
そこには、信じられない光景があった。
「う……く…………あ……あ…………!」
顔を真っ赤にし、声にならない声をあげるのは…………ナナだった。
細い少女の首に蛇のように絡みつくのは、黒い手袋に覆われた男の手。だが、男が黒いのは手袋だけではなかった。
全身が黒衣で覆われた男は、その素顔まで漆黒の仮面で隠している。
禍々しい仮面の横から伸びる黒の長髪は、女性のようでもあった。しかしルートミリアにとって、そんなことはどうでも良かった。
あろうことか、見知らぬ男がナナの、大切な仲間の首を締め上げている。
その事実を目の当たりにしたとき、ルートミリアの中で何かが切れた。
「ナナに何をするッ!! この下郎が!!!!」
ルートミリアの右手の人差し指から、氷が弾となって放たれる。
それは矢のような速度で空中を飛び、男の顔面を正確に撃ち抜いた。
氷の破裂する音が響き、吹き飛ぶ男と仮面。
衝撃から蹲った男の側で、砕けた仮面が音を立てて転がった。
「ナナ! ナナッ!! 無事か!! 返事をせい!!」
男の手から解放されたナナを、ルートミリアが抱きかかえ声をかける。
しかしナナは激しく咳き込んだあとで、糸が切れたように意識を失った。
「貴様……!! よくも……よくも……!!!!」
呼吸を確認し安心するのもつかの間、ルートミリアは燃えるような瞳を男へぶつける。ナナはしっかりしているとはいえ、まだまだ子供だ。その子供を、男は本気で締め殺そうとしていたのだ。
「くく……何をするんですか? 小官の邪魔を……しないでいただきたい」
「ふざけるな!! どこぞの誰か知らぬが、貴様は妾の仲間に手を出したのだ。覚悟はできているのであろうな!」
「おやおや? 小官のことを忘れてしまったのですか? ひどいなぁ」
黒衣の男はにやにやと笑いながら、ゆっくりと体を起こした。
「なに……? 妾は貴様のこと…………など……」
ルートミリアの声が、次第に細く弱くなっていく。
男が背を向けているので、顔はよく見えない。だがその背中には、たしかに見覚えがあった。
「ま……まさか…………」
喉がからからに干上がっていく。
声を出すだけで、痛みが走るほどだった。
瞳を大きく見開き、驚愕の表情を浮かべるルートミリア。
そんな動揺を知ってか知らずか、男は何の前触れもなく振り返る。
時が止まったかと錯覚するほど、ゆっくりと流れる時間の中で、ルートミリアは確かに見た。男の顔を見た。そして瞳の端から一筋の涙を落とし、その名を呟いた。
「……………………………………シモ……ン…………?」
間違えるはずもない。
少年から青年へ。
明らかに成長しているが、その男は紛れもなく――――志門 稲豊だった。
次の言葉が出てこず、完全に放心するルートミリア。
男はそんな彼女の前で、ぴょんと跳ねると、大仰に両手を伸ばして言った。
「残念ながら大外れ! 小官はエデン第七天使、魔人【アモン=イナホ】!!!! ああ~いえいえ『イナホ』の部分はケッコウです!! もうそんな人間はおりませんので!!!!」




