第252話 「城外でやりましょう」
燃え盛る貴族街を、魔王城の高台から眺める男がいた。
「…………なんということだ」
男の名はシフ・ドトルセン。
魔王軍の大臣で、城の守りをルートミリアから申し付けられている。
「現在、魔王城への攻撃はありません。ですが念の為に警備兵を増員し、全力で守りを固めております。虫一匹、侵入させませんので、ご安心ください」
シフの背後で、警備隊長が報告する。
「城内の警備は万全。しかしながら、この見晴台は完全に安全な場所とは言えません。シフ様、急ぎ場内への避難をお願いします」
「いいえ、私はここで構いません。敵の狙いは貴族たちです」
警備隊長が進言するが、大臣のシフは首を振って拒否をした。
それどころか――――――
「城の警護は必要ありません。最低限の兵だけを残し、あとは被害者の救助へ向かってください」
「し、しかしそれではシフ様が……!?」
「構いません。この城はいまやもぬけの殻。重役は私しか滞在しておりません。そしてその私よりも大切なのは、魔王国民らの命。彼らの命を優先してください」
警備隊長は少しのあいだ狼狽する仕草を見せていたが、やがて敬礼をしてからシフに背を向けた。
「……承知しました!」
命令を伝えるため、警備隊長が去っていく。
見晴台に残されたシフは、何度目かの大きなため息をはいた。
そして少しの沈黙のあとに、独り言のように呟く。
「これでふたりきり……。そろそろ、姿を見せてはいかがですか?」
シフがそう虚空へ訊ねると、見晴台の一角の大気がグニャリと歪んだ。
歪みは大きくなったかと思うとすぐに縮み、いつの間にかひとつの人影に変わっていた。
「ふん、ただのボンクラという訳でも無さそうだ」
不敵な笑みを浮かべながら現れたのは、厚手の鎧に身を包んだ麗人。
魔物ならば誰もが恐れる、エデンの大天使のひとり。
大将軍、アルバ=ベルトビューゼ。そのひとだった。
「竜人族は鼻が利きますので。……あなた、ここに来るまでに誰かを殺めましたね? 血の臭いが、あなたの剣から厭ってほど漂っておりますよ。いったい……どれだけの者を殺めれば、あなたは満足するというのですか……?」
「知れたこと、貴様ら魔物すべての命だ! 魔物はそれ自体が許されぬ存在。罪深き生き物なのだ。そんな貴様らを根絶やしにするまで、我が体が止まることはない」
「…………なるほど。ならば私も愛する者たちを守るため、微力ながら抵抗をさせていただきましょう」
シフは最後のため息を漏らすと、右手を高く掲げる。
そしてきょろきょろと周囲を見渡したあとで――――――
「ここは良くありませんね、少し場所を移しましょう」
そう告げながら、掲げた右手をアルバの方へと振った。
するとシフのもともと太かった腕が、ぐんぐんと巨大化していく。
アルバの下へ到達したときには、シフの右腕は大木のように大きくなっていた。
「くっ……!」
大剣の横腹で咄嗟に受けたアルバだったが、それでも衝撃は殺しきれない。
アルバの体は強い勢いのまま、見晴台から吹き飛ばされた。そして恐ろしく長い滞空時間のあとで、アルバは地面に激突に近い形で着地する。
「……ここは」
激しく地面に、それも足から叩きつけられたにも関わらず、アルバは何事もなかったかのように周囲を見渡した。鎧や槍などの武具が置かれ、敵を模した人形が置かれた広場。アルバはその場所に見覚えがあった。
「ここは兵舎近くの修練場です。いまは火急のため、誰もおりませんがね」
アルバの前に降り立ったのは、腕が元通りとなったシフ。
シフは普段と同様の穏やかな口調で言ったが、その体からは隠すことのできない闘気が溢れている。
「一撃でこのアルバを城外まで吹き飛ばすとはな。竜人族か、厄介な魔物だ」
「あれで怪我を負わないあなたも大したものだ。しかし、竜人族がこの程度だと思われては、沽券に関わる大問題。特別に見せてあげましょう、竜人族の本気というものを」
するとシフの腕が足が頭が、瞳から爪の先に至るまで、瞬く間に肥大化していく。膨張し裂けた服の下から覗くのは、ずらりと並んだ翡翠の鱗。ぐんぐんと大きくなっていくシフは、やがて魔王城すら超える巨大な竜へと姿を変える。
もはやシフの目線からは、人間のアルバは虫のように小さくなっていた。
「ほう、これほど巨大な竜は初めて見る。これは討伐のしがいがありそうだ」
それでもアルバは大剣を片手に、巨竜へその切っ先を向ける。
異常な体格差にも関わらず、彼女の態度には一切の怯みが含まれていなかった。
そのアルバの態度にどこかで感心を覚えながら、同時にシフの頭には疑問が浮かんでいた。
「戦いの前に、ひとつだけ……伺ってもよろしいでしょうか?」
「最期の願いというやつか。良いだろう! 何が知りたい?」
シフは自分で訊いておきながら、妙な胸騒ぎに戸惑った。
知りたいが、知れば後悔する。そんな不吉な不安。
しかしどうしても好奇心には抗えず、シフはおずおずと質問を口にした。
「あなた……どうやってここまで来たんですか?」
アルバは驚く様子も、嫌な顔もみせなかった。
だが数秒後に唇の端を持ち上げたかと思うと、悪意に満ちた瞳を覗かせる。
そして表情を曇らせるシフの前で、
「それはな――――――」
質問に応じるのだった。




