第251話 「足止め発動」
結界の限界が近いのは、それを張る兵士らの表情からも伝わってくる。
苦悶の色を浮かべる彼らとは対照的に、攻めるワルキューレ隊の顔には愉悦が表れていた。
「もうすぐだ! もうすぐ奴らの喉元に手が届くぞ!!」
グラシャの持つハルバードが唸りを上げ、結界に激しく叩きつけられる。
すると、みしりと音を立て、大きな亀裂が結界に広がった。それは本来すぐに修復されるものなのだが、魔素の足りない結界では、亀裂の直りも遅々として進まない。
「さあ皆さん…………さっさとあの目障りなものを取っ払ってしまいましょう…………」
さらにスカルフォの号令で、火魔法や土魔法が矢のように降り注ぎ、結界に無数の穴を作っていた。もはや結界は風前の灯火といっても過言ではない。
しかしそれは、ソフィアの想定していたことだった。
「ネコマタたちに合図を出せ」
「はい!」
ライトが伝令の兵に合図を送り、伝令から別の兵士たちへ合図が伝えられる。
その直後、大きな地響きが両軍のいる平原を揺らした。
「なんだッ!? どうした!?」
「じ、地震……? いやこれは……!?」
慌てふためくワルキューレ隊。
しかし次に起こった出来事により、彼女らはさらなる混乱に陥ることになる。
結界を破壊しようと距離を詰めていたワルキューレ隊の足元、つまりは地面が突如として崩落し、隊員たちが為す術もなく落下していったのだ。
「きゃああ!!!!」
「わわわッ!?」
女性的な悲鳴をあげて、次々と穴に落ちていくワルキューレ隊の隊員たち。
「お、落とし穴?」
「小癪な真似を!!」
穴の底は柔らかい土だったので怪我は負わなかったものの、隊員たちは天を見上げて途方に暮れた。全長数十メートルにもなる横長の穴は、深さも相当なものがあった。登ろうと試みた隊員もいたが、土が柔らかく、とても登れるようなものではない。
そしてその機を、魔王軍が逃すはずもなかった。
「全軍撤退!!!!」
ソフィアの号令が響き渡り、魔王軍は結界を解き反転する。
最初から退却を想定していた彼らの統率は、驚くほどに取れていた。
ぐんぐんと遠ざかっていく魔王軍を横目に、スカルフォは小さく舌打ちをする。
「まったく…………なんてざまかしら…………」
「う、うるさい! さっさと助けろ!!」
穴の底でまだ起き上がれないグラシャは、顔を真っ赤にしながら悪態をつくのだった。
「さすがはネコマタ族、十分すぎるほどの働きをしてくれましたね!」
「ああ、これでしばらくの時間は稼いだ。奴らも前衛の隊を欠いて、我々とやり合うつもりもないだろうからな」
ソフィアはこの為に、エイム隊から十名のネコマタ族を本隊に残していた。結界は稲豊救出の時間稼ぎでもありながら、同時に落とし穴を掘る為の時間でもあったのだ。
しかしまだまだ油断はできない。
絢爛な猪車に揺られながら、ソフィアは再び気を引き締める。
――――――そんなときだった。
バードマンの兵士が大きな羽音と共に、ソフィアとライトの乗車する猪車に飛び込んできたのは。
「な、なんだ? 何事だ!?」
目を丸くするライト。
一兵士が王族の乗る猪車に進入するなど、あってはならない。
「くっ…………ハァ……ハァ……ッ! き…………が……!」
「落ち着け。話すのは呼吸を整えてからでいい」
呼吸もままならないバードマンに、優しく声をかけるソフィア。
あってはならないことを兵士が行うとき、それはあってはならない事態が起きたときだと、ソフィアは経験から知っていた。
「申しわけ……ございません……!」
「構わない。お前は本隊所属の兵士ではないな。いったい何があった?」
ソフィアが静かに問いかけると、バードマンは一度だけ深呼吸をする。
そしていまだ興奮の冷めやらぬ様子で、口を開いた。
「き、奇襲です!! 王都が何者かの攻撃により、炎上しています!!!!」
さすがのソフィアも、この報告には言葉を失った。
それは想像もしていなかった異常な事態。あってはならない、緊急事態である。
「馬鹿なッ! 王都への道には我々がいる!! 奴らはどうやってモンペルガに向かったというんだ!? いや、そもそも五行結界を張っているなか、魔王領内へ進入できるはずがない!!」
ライトが狼狽し兵士に詰め寄るが、兵士も訳が分からないと首を振ることしかできなかった。
「…………敵の数は?」
「分かりません……。アルバ城で待機していた我々に、王都から急報が入ったのが半刻ほど前。残念ながら、詳細は何も……!」
「…………そうか」
敵の正体も、数も、どうやって侵入できたのかも不明瞭。
「屋敷への襲撃といい、いったい何が起きている……?」
どこか統率のとれた、敵の行動。
それは誰の描いた謀なのだろうか?
得体の知れぬ悪意を感じ、ソフィアは大きく身震いをした。
「いずれにしても、我々にできることは急いで戻ることだけだ」
どう頑張っても、この大群が王都へ戻るまで数日を要する。
ソフィアらは、ただ皆の無事を祈るほかなかった。
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場面は変わり、王都モンペルガ。
ソフィアたちの祈りも虚しく、貴族街は火の海と化していた。
蛇の舌のような紅蓮の炎が、綺羅びやかな家を次々に灰へと変えていく。
いまや貴族街は、逃げ惑う貴族たちで混沌を極めていた。
「ハハハハ!!!! 燃えろ燃えろ!!!! すべて燃えてしまえ!!!!」
燃え落ちる家の傍らで、狂喜乱舞する男がひとり。
醜悪な笑みを浮かべる紅衣の男は、逃げる貴族の姿を見つけては、嬉々として攻撃魔法を放っていた。
「ひいぃ!! た、たすけてくれぇ……!!!!」
「たすけてください――――――だろぅ? まぁ、どちらにしろ断る」
跪き命乞いをする貴族の男に向けて、紅衣の男は容赦なく爆破魔法をお見舞いする。全身が炎に焼かれ事切れる魔物を眺め、男は再び高笑いをしたのだった。
「はぁ~、つまんな~い! 魔族だっつーから、どんだけ楽しませてくれるのかと思ったら……。拍子抜けだわマジで」
高笑いする男の近くで、ひとりの少女がため息をついた。
少女は貴族の亡骸に腰を下ろし、男の姿をさもつまらなさそうに見つめている。
「あんたこんなんでよく楽しめんね。よっぽど鬱憤が溜まってたのかしら? 最近、失敗続きのアキサタナ将軍」
少女が誂うようにいうと、紅衣の男アキサタナは憤慨し反論する。
「う、うるさい! ティフレール、君にボクの悔しさなど分かりはしないさ。……くく、だがこれからだ。やはり大天使様はボクのことを見てくれていた! ここで手柄を立て、ボクは大きく返り咲くんだ!!」
「はいはい、しっかり頑張んな~。はぁ、名のある将はみんな留守なのかしら? 獲る首が無いのに、どうやって手柄をあげるっつーんだか」
再び嘆息する、エデン第四天使ティフレール=キャンディロゼ。
彼女の憂いを帯びた背中に近寄る、ひとつの足音があった。
足音は堂々たる音を立てながら進むので、ティフレールだけでなくアキサタナにまで、その存在は認識されることになる。
ふたりが首を足音の方へ向けると、その主は丸太のように太い腕を組んだ。
そして人を丸呑みできるほどの大きな口を開き、ティフレールとは比べ物にならない強いため息をもらしてから言った。
「おうおう、ワシのシマで好き勝手やってくれたにゃあ……。ここまでされたんじゃ、明日から商売あがったりやき。さあ、どう落とし前をつけてもらおうかのう」
天使ふたりを相手に鋭い眼光をぶつけるのは、モンペルガの商人たちをまとめるボス……ドン・キーアだった。
「活きが良いの残ってんじゃん!」
貴族の躯から瞳を輝かせながら降りるティフレール。
ようやく良い遊び相手が来たと喜んだ彼女だったが、
「――――――は? ぐふッ!?」
ドンの怒りの鉄拳が刺さったのは、アキサタナの顔面だった。
激しい衝撃で吹き飛ぶアキサタナ。
「な、なぜ……ボクが……!?」
かなりの距離を転がったあとで、アキサタナは折れた鼻を右手で押さえながら不満を漏らした。
「おまんの方がワシと近かっただけやき。そうやって、おまんも目に入る魔物を殺しちょったんにかーらん。ようもやってくれたのぅ、エデンのゴミ共が」
「クソが……! ティフレール、こいつはボクが殺る! 魔物の分際でボクの顔に触れたこと、絶対に後悔させてやる!!」
激昂するアキサタナの顔に、傷はもう残っていなかった。
そのまま視線で火花を散らし、やがてふたりは激突する。
完全に蚊帳の外に追いやられたティフレールは頬を膨らまして不満をあらわにするが、戦闘中のふたりがそれに気付くはずもない。
「横槍は趣味じゃないし、あ~つまんね~!」
「ならばお嬢さん、私の相手をしてくれませんか?」
どこからともなく男の声が聞こえ、ティフレールは声の方へ顔を向ける。
すると少し離れた場所に、小男と背の高い令嬢が立っているのが見えた。
「暇ならば、お相手をいたしますわ。――――と、オネット卿は申しております」
小男は淡々とした様子で続ける。
しかしティフレールが気になったのは、小男の落ち着きようよりも、緑の帽子とドレスを着た女の方。漂う静かな殺気は、雑兵に出せるソレではない。
相手が手練の魔物であることを悟ったティフレールは――――――
「いいよ!」
満面に笑みを浮かべ、快諾するのだった。




