第247話 「最期にできること」
「い、いま…………なんと……?」
視界のすべてが白く染まり、途端に耳鳴りが激しく響き始める。
絶え間のない頭痛と一緒に、足元が崩れたような虚脱感に襲われた。
それでもルートミリアは、倒れはしなかった。
あまりにも衝撃が大きすぎて、信じることができなかったからだ。
「シモンが…………死んだ?」
「………………はい……」
「う、嘘じゃ!!!! 見たのか? お前は……その光景を見たと申すのかッ!?」
出した声の大きさにも気づかず、ルートミリアはレトリアに詰め寄る。
そうすることで返答に変化が起きることを期待したが、レトリアの答えは変わらなかった。
レトリアは首を縦に振り、肯定する。
「私の前で……イナホは…………。だから……この争いの意味は…………もう」
「信じられるか!! お前はエデンの天使じゃ!! 妾たちを混乱させるために、謀ったに決まっておる!!!! アドバーン!! お前はこんな……こんな言葉だけで、計画を中止したというのか!?」
次にルートミリアは、恐ろしい剣幕でアドバーンへと詰め寄る。
胸倉さえ掴みかねない勢いだが、老紳士は取り乱しはしなかった。
「彼女はミアキス殿の旧友で、私めにも嘘を言っているようには見えませんでした」
「だがそう信じ込んでおるだけの可能性もあるではないか!! まだシモンが生きておるのに、助けを待っているのに……まだ……」
「どうか落ち着いてくださいお嬢様。私めも、ただ彼女の言葉を鵜呑みにした訳ではありません。ここに戻ってきたのは、確認をする為でございます。アート・モーロの市街地にアリステラ様の門を設置しました、いつでも作戦の再開は可能です」
「確認……?」
呆然とするルートミリアを横目に、アドバーンは体ごと顔の向きを変える。
その視線の先に立っていたのは――――――
「なるほど、オレの“魔能”か」
遅れてやってきたソフィアが、開口一番に答える。
「レトリア嬢の心の中に入り、彼女の記憶を覗く。確認する術があるとしたら、もはやそれしかありますまい」
「記憶を……覗くじゃと?」
「彼女もそれを了承し、ここまで御一緒していただきました」
ソフィアの持つ【魔神の脳】ならば、確かにレトリアの心の中に入り込むことができる。そして記憶を覗くことも可能だろう。しかしそれには、相応のリスクもあった。
「ミアキスの旧友とはいえ、レトリアはエデンの戦士じゃ。本当に大丈夫なのか? 悪意を持つ者の心の中に入れば、こちら側の精神が崩壊することもあり得る」
「ですので今回は、私めが責任を持って行ってまいります。私めの精神力は、お嬢様もご存知でしょう。そこいらの者には負けませんとも」
「決まりだな」
ソフィアが手早く、地面に魔法陣を描きあげる。
そしてレトリアがその中心で佇み、心の中に入る準備は完成した。
「念の為に説明しておくが、あんたには包み隠さず記憶を晒してもらう。無いとは思うが、もしあんたが抵抗しアドバーンの身に何か起きたときは…………」
「そのときは、遠慮なく私を裁いてもらっても構わないわ」
「……良い覚悟だ。時間がない、早速だが始めさせてもらう」
「ではお嬢様、行ってまいります」
アドバーンも魔法陣の中に入り、ソフィアがレトリアとアドバーンに触れる。あとは魔能を発動するのみとなったが、そこで居ても立っても居られなくなったルートミリアが、待ったをかけた。
「待て! 記憶の確認には――――――妾が向かう!」
「そ、それは無茶かしらルートミリアお姉さま! お姉さまは魔王軍の大将なのよぅ? そんな危険なこと、させるわけにはいかないわぁ!」
アリステラが狼狽しながら、必死に止める。
しかしルートミリアは、引き下がろうとはしなかった。
「この目で確認しなければ、納得できん。誰かの言葉ぐらいで、シモンの死を信じることなどできるわけがない!! 妾は行く。誰がなんと言おうと、妾が――――!?」
取り乱すルートミリアの前に、アドバーンが立った。
老紳士は有無を言わさぬ迫力を携え、しかし穏やかな口調で問いかける。
「魔王様からお嬢様を護るように申しつかった身として、私めは危険な旅への賛成はしかねます。しかもただ危険なだけではない、レトリア嬢の仰っていることが真実ならば…………。お嬢様、あなたはイナホ殿の最期を目の当たりにするのですよ?」
「シモンの…………最期」
想像をしただけで、まるで身体のすべてが拒否をしているかのように、ルートミリアの全身の震えが止まらなかった。その光景は、瞳に永遠に焼き付けられるに違いない。
「それでも……それでも妾は……行く。妾には、その責任があるのだ」
「……そうですか。ならば、私めは席を譲りましょう」
アドバーンが脇に避け、ルートミリアの前にソフィアの描いた魔法陣が待ち構えた。ゴクリと喉を鳴らしたあとで、ルートミリアはソフィアの方を向いて言った。
「妾に何かあったなら、あとは頼んだぞ」
「…………ああ」
魔法陣の中にルートミリアが入り、再び準備が整う。
神妙な面持ちのソフィアは、魔法陣の中のふたりに最後の声をかけた。
「心の準備は良いな? じゃあ、始めるぞ」
ソフィアがそう口にするが否や、ルートミリアとレトリアに電撃のような魔素が流れる。やがてその感覚が全身まで行き渡ったとき、ルートミリアは自分の気が遠くなっていくのを感じていた。
そして宙を飛んでいるような浮遊感を味わったのち、やがて固い何かに着地する。
「くっ! こ、これは…………?」
手に触れるのは、冷たくゴツゴツとした感触。
朦朧とする意識の中で、ルートミリアはそれが石畳の床であることに気がついた。
「どこじゃ……ここは?」
身体を起こし、周囲を見渡す。
そこは暗く、静かな場所だった。
いくつもの檻があり、中には手枷・足枷用の鎖が設置されている。
「独房か……どこか懐かしい気もするの」
子供の頃、魔王城の地下牢獄で遊んだ記憶が蘇る。
そのときは姉妹の誰かが一緒だったのだが、いまのルートミリアはひとりきり。レトリアの姿は見えなかった。
「こんなところに、シモンが……」
恐る恐る、独房をひとつ、またひとつと覗いていく。
そして何度目かの独房を覗き込んだとき、
『時間が――――――ごめんな――――――』
『ああ――――――リアも――――――こと』
どこか遠くから、誰かの会話が聞こえてきた。
「この声……? シモンか!?」
稲豊の声が聞こえた気がする。
ルートミリアは、声の聞こえる方へ駆け出した。
音が反響するせいで、いまひとつ場所が把握できない。
流行る想いにヤキモキしながら、ルートミリアは少しずつ声の聞こえる方へと近づいていった。
そして――――――――――――
「シモン!!!!」
遂に、稲豊の囚われている独房へと辿り着く。
『私の勝手な思い込みかもしれないけど、魔王軍の目的は――――イナホなのかもって』
『そ、それは…………』
狭く黒ずんだ独房内には拘束された稲豊と、その側に寄るレトリアの姿があった。
「シモン!! 妾じゃ!! いま、いま助けるからの!!」
そこがレトリアの心の中であることも忘れ、ルートミリアは稲豊の下へ近づこうとした。しかし目に見えない壁があり、どうしても近づくことが叶わない。
「ええい! なんじゃこの忌々しい結界は!? シモン!! 無事なのか!?」
ルートミリアが声をかけても、稲豊とレトリアは反応を示さなかった。
まるでルートミリアが存在していないかのように、ふたりで会話を続けている。
『俺のせいで……俺のせいでッ…………!!』
『落ち着いてイナホ! だから私は、貴方にお願いにきたの!!』
そこでルートミリアは、ここが心の世界……いや、レトリアの記憶の中であることを思い出した。これは既に過去に起きたことで、自分は何も干渉ができない。
「シモン……お前のせいではない! この戦は、妾たちが決めたこと!! 妾たちが始めた戦いなのだ!!」
聞こえないと分かっても、届かないと分かっていても、ルートミリアは言わずにはいられなかった。それが例え記憶の中だったとしても、稲豊には救われてほしかった。
『イナホ……お願い! 貴方を…………死なせたくないのッ!!』
レトリアの悲痛な叫びが響く。
そしてその想いはルートミリアも同じだった。
魔王軍を裏切ることで稲豊の命が救われたなら、それは仕方のないこと。そんなことよりも、稲豊には生きていて欲しかった。
「シモン……よいのだ。妾たちの為に、お前が犠牲になることはない。お前はもう十分、魔王軍の為に尽くしてくれた!!」
透明の壁に縋りつき、ルートミリアは声をかけ続ける。
やがて稲豊とレトリアの会話も、佳境に入ろうとしていた。
『リア――――――君に頼みがある』
どこか悟ったような、稲豊の表情が気にかかる。
ルートミリアはその表情に覚えがあった。
『たの……み?』
『君にはこれから起こったことを、ありのままルト様に伝えて欲しいんだ。難しいと思うけど、ミアキスさんを通じてならルト様に会うことも可能かもしれない』
『伝えるって……いったい……なにを?』
『もう……この戦いに意味がないってこと。魔王軍の目的はもう……無くなるんだってこと』
稲豊の表情は、死地に向かう者のそれ。
死を覚悟した者が浮かべる、最後の表情だった。
「シモン……? 何を考えておる……?」
困惑したルートミリアの質問に答えるように、稲豊は言った。
『セイモンシロチョウのせいで、俺は生門の魔素を使うことができない。だから自力じゃ何をすることもできない。でも、ひとつだけ……俺にはできることがあったんだ』
『イナホ…………あ、あなた…………まさかッ!?』
穏やかな顔の稲豊とは対照的に、レトリアの表情は驚愕に歪んでいる。
そしてそれは、ルートミリアも同様だった。
「止めろシモン!! それは、それだけはやってはならぬッ!!!!」
『これが俺にできる……最期の……!!』
どれだけ悲痛な声をあげても、稲豊には届かない。
ルートミリアは何度も透明の壁を叩き止めようとするが、もう起こったことは変えられない。
そして悲壮な瞳を浮かべるふたりの目の前で――――――
『ぐぅ……! あああぁッ!!!!』
稲豊の身体から、漆黒の魔素が迸った。




