第242話 「最強の部隊」
アート・モーロ中心部、ガーデン・フォール城。
大階段のある大広間で、レトリアは落ち着きのない様子でうろうろと歩いていた。
そんな彼女に、背の高い影がひとつ近づいた。
「レトリア? こんなところで、一体何をしているの」
「お、お母様!?」
レトリアの前に立っていたのは、珍しく鎧を着ていないアルバだった。
しかし厚手の鎧がなくとも、全身から放たれる圧力はさして変わらない。いや、むしろ普段よりも強いようにすらレトリアは感じた。
「お母様こそ、どうしてお城に? 国境のお城の方にいるものだとばかり……」
「国境警備の状態や魔石の採掘状況、調練の進行度合いの報告です。これも将軍たる者の務めよ。……拝謁は叶わなかったけどね」
「国王様はその……お身体が?」
「あなたが心配することではないわ。国王様はかなりの御高齢、私室で養生するのも仕方のないことです。そんなことより、あなたは何故ここに?」
高圧的で威厳のある口調に、レトリアは縮こまりながら答える。
「あの……知り合いだった人の姿が最近見えなくて、もしかしたら住民管理をしている城の者だったら何か分かるんじゃないかって……その」
「このエデンで人が居なくなるなど、そう珍しいことではないわ。おおかた、魔物か魔獣にでも攫われたんでしょう。あなたがいますべきことは、ただひとりの人間のために動くことなのかしら?」
「あ……でも……その」
「そんな暇があるのなら、少しでも研鑽を積んで多くの民を守れる力をつけなさい。弱者が戦場に立つほど、愚かしいことはないわ」
蛇に睨まれた蛙となったレトリアは、もう何も言い返すことはできなかった。それが余計に弱者であることの証明になり惨めな気持ちになるが、それはもう諦めるほかない。相手がアルバとあっては、そうならない者の方が少ないのだから。
「無理ならば止めなさい。天使の代わりなど、いくらでもいるのよ?」
アルバは突き放すようにいうと、一瞥もなく入り口の大扉へ向かう。アルバの足音でさえ、自分を叱責しているような気がして、レトリアはその場を動けないでいた。
母の言ってることは、何ひとつ間違っていない。
半端な覚悟で、想いで立てるほど、戦場は安っぽい場所ではないのだ。
城までやってきてまだ誰にも声がかけられないのも、そんな弱い心の表れだったのではないか?
レトリアがそんな呵責に責められている――――――そのときだった。
「緊急!! 緊急ーーー!!!!」
息を荒くした伝令の兵士が、城門を抜け駆け込んでくる。
兵士はアルバの姿を見つけると、息も絶え絶えに彼女の前で膝をついた。
「お、恐れながら……報告させていただきます!」
「構わない。どうした、何があった?」
尋常ではない兵士の様子から、アルバはすぐにそれが非常事態であることを察知する。しかし彼女は敢えて口を挟まず、兵士の息が整うを待った。
「アルバ城が魔王軍の強襲により…………陥落いたしました!!」
兵士の悲痛な報告が、その場にいた軍関係者たちに大きな衝撃を与える。驚きを口に出して表現する者もいれば、持っていた書類を落とす者もいた。
そしてそれは、アルバやレトリアも例外ではなかった。
「我が城が……落ちただと? それはどのくらい前のことだ?」
「一刻ほど前とのことです!」
「ふん、ならばこのアート・モーロまで奴らが辿り着くのも、時間の問題というわけか」
国境の城からアート・モーロまで、馬で数日と掛からない。
大軍での移動を考慮しても、残された時間はそう多くはなかった。
「それにしても、救援ではなく陥落の報告とはな……。城の連中は、一日すら耐えることができなかったのか」
「い、一日どころではなく……半刻も経たないうちに……」
「なに!? 城が……半刻と経たず落とされたというのか?」
「城の兵士からの報告も、精霊を介したものなので要領を得ないものが多く……。ただ、魔王軍は相当な数に加え、とんでもない化け物がいるというのは確かなようです!」
魔王がいなくなって以来、それほどの豪傑の存在は聞いたことがない。
アルバはぶるりと体を震わせたあとで、乾いた唇を一舐した。
「ご苦労だった。お前は続いて大臣や国王様に報告を。そうね、アルバ軍が打って出ると追加で伝えなさい。部下の汚名は、将軍である私が雪ぎます」
「ハッ!」
伝令の兵士は一礼すると、大階段の上へと消えていった。
レトリアはそれを見送ったあとで、早足でアルバへ近寄る。
「おかあさ……いえアルバ将軍! わ、私も一緒に出ます! 私も将軍と一緒に、魔王軍を迎え撃ちます!!」
もう弱者でいるのは嫌だ。
母と一緒に戦うために、自分は天使になったのだ。
レトリアは力強い一歩を踏み出した。
しかし――――――
「結構よ。魔王軍如き、私の軍だけで十分です。レトリア、あなたはこの街を防衛していなさい。その必要も無いでしょうけど」
アルバは冷たく言い放つと、レトリアに背を向ける。
そしてひとつため息を漏らしたあとで、
「グラシャ、スカルフォ」
二つ、名前を呼んだ。
すると――――――
「出撃ですね? くく、久しぶりの実戦……腕が鳴る」
レトリアの脇を抜け、褐色肌の大女が姿を現した。
大女は黒い長髪を揺らし、実戦という言葉の響きに歓喜している。
「い、いつから……!?」
どこからともなく現れたその女を見上げながら、レトリアは口を片手で押さえて驚きを顕にする。しかし彼女が驚愕するのは、これで終わりではなかった。
「時間稼ぎすら出来ないとは……やはり男共には荷が重すぎる相手でしたね……。我々で格の違いというものを見せつけてやりましょ……」
またも背後からぬるりと現れたのは、全身を黒いローブで覆われた女だった。白髪と目の下のクマが特徴的な女は、先端に魔石のついた杖を片手に、糸を引くような笑みを見せた。
二度の驚きで言葉を失ったレトリアだったが、このふたりを思い出すまでに、時間はさほど必要なかった。軍関係者なら……いや、軍関係者でなくとも知っている、大将軍アルバの片腕たちだ。
「――――――“ワルキューレ隊”」
「お久しぶりです、レトリア様。アルバ様の背中はこのグラシャが護りますので、レトリア様は街でのんびりと読書でもしていてくださいな」
「そうそう……。所詮、魔王軍を率いるのは魔王の姫君たち……。我々、ワルキューレ隊の敵ではありませんわ…………」
アルバの率いる軍は、大きく二種類に分類される。
城の防衛や雑用を担当する、練度の低い“男だけ”の名もなき兵隊。
そして戦闘や略奪を担当する、“女兵士だけ”で構成された『ワルキューレ隊』。
エデン最強の部隊と呼ばれているのは、言うまでもなく後者の方だ。
その中での近接格闘の最強格がグラシャ。魔術師の最強格がスカルフォ。
このふたりの実力は、天使にさえ負けずとも劣らないと言われている。
「行くぞ」
「はいアルバ様!」
「ええ……アルバ様……」
近寄りがたい強者の風格を漂わせながら、三人は堂々とした足取りで去っていった。レトリアはそんな強者たちの背中を遠くに眺めながら、ひとり残された孤独感に苛まれていた。
周りのすべては進んでいるのに、自分だけはいつも取り残される。
いつまで自分は蚊帳の外にいれば良いのか。レトリアの頬を、ひとすじの涙がつたう。
「私……どうしたら良いんだろ?」
誰かに話を聞いて欲しい。
できれば、それは軍と関係ない人間が良い。
そういう意味でも、ソトナはちょうど良い相談相手だったのだ。
レトリアは重い足取りで、城の外を目指した。
といっても、家に帰るわけじゃない。
「準備だけは…………しとかないと」
例え出番がなくとも、街を防衛する準備だけは整えなくてはいけない。
アルバが敗れるとは露ほどにも思っていなかったレトリアだが、いざというときの備えは必要だと考えていた。
ならばいまの自分が目指すべきは、部下たちの控える兵舎だ。
そう自分に言い聞かせながら、湖上に掛かる長い橋を徒歩で渡る。
その中腹に差し掛かったときだった、聞き覚えのある声が彼女の耳に届いたのは…………。
「なんでボクが奴と面会できないんだ!! 奴を捕らえたのはこのボクだぞッ!!」
「お怒りはごもっともかと思いますが、その……」
「ボクはタルタロスの監獄長だ!! 一番偉いんだ!!」
「し、しかしその……トロアスタ様からの厳命だそうで……」
顔をその衣装と同じように真っ赤に染めているのは、アキサタナだった。
城に向かっている途中のアキサタナは、部下の兵士に宥められながらも、まだまだ怒りを抑えられずにいた。
レトリアは嫌な場面に出くわしたと眉をひそめたが、アキサタナが自分の存在に気づいていないことを知ると、ほっと少しだけ胸を撫で下ろした。
『このまま気づかないでいてくれたら、良いのだけれど』
顔を伏せ、できるだけ静かに橋の端を進む。
しかし次の瞬間、レトリアの耳に信じれない言葉が飛び込んできた。
「あの饅頭売り……本当はもう死んでいるんじゃないだろうな?」
「それは無いかと、食事も出されているようですし……」
「フン! どちらにしろ、もう奴に残された時間は少ない。コケにされた分、最後くらいはボク自身の手で始末したいというのに」
アキサタナはぐっと手を握り込み、怒りを露わにした。
そんな彼の視界の中に、ひとつの影が入り込む。アキサタナは面を上げて、表情をすぐに明るくした。
「やぁ、これはこれは、誰かと思えばレトリアじゃないか。こんな場所で出会えたのも何かの縁、このさえない気分を変えるために、これから一緒に食事でも」
「教えて!!」
ずいっと身を寄せてくるレトリア。
そのあまりの迫力に、アキサタナですら後退りしまう。
そして迫真のレトリアは、たじろぐアキサタナへさらに一歩踏み込んでから言った。
「さっきの話、詳しく聞かせて!!」




