第240話 「砂塵の中に」
「む?」
アキサタナ城跡地に建設された、アルバ城の見晴台。
ひとりの兵士が、遠く西の方へ訝しげな視線を送っていた。
「どうした?」
その様子が気になった別の兵士が声をかける。
「一瞬だったが、西の空に巨大な鳥影が見えたような気がしてな」
「鳥影? おれには何も見えんが」
「そう……だな、おそらく雲か何かを見間違えたんだろう」
「おいおい、しっかりしてくれよ? この前のハーピー襲撃の件で、ただでさえ兵士たちはピリピリしているんだ。また新聞で中傷されるのはごめんだぜ」
「わかっているさ。しかし……あれも妙な事件だったな」
兵士のひとりが、腕を組みながら言った。
「妙って、なにが?」
「…………うむ」
しばらく悩む素振りを見せたあとで、やがて兵士はとても言いづらそうに口を開く。
「俺の家が北東門の近くでな。気になって現場の様子を見に行ったことがあるんだ」
「ほう、それで?」
「そこでハーピー事件の現場検証を行った兵士に話を聞くことができたのだが、どうも不可解なことがあったらしい」
「不可解なこと?」
「ああ。まずハーピーは霞の沼地を根城にしている魔獣で、滅多なことで住処を離れることはないらしい。それも群れで離れるなど、前代未聞だそうだ」
もうひとりの兵士は、「なんだそんなことか」と強張っていた表情を弛緩させる。
「たまたま餌が近くになかったんじゃないか? あるいは自分たちで食べ尽くしたか。魔獣が普段と違う行動を取るのは、別に珍しいことではないだろう?」
「まあ、そうなんだが……。じゃあこれはどうだ? その兵の話では、ハーピーに襲撃された兵士たちの中には熟練の兵士もいたそうだ。にも関わらず、現場には争った形跡が何もなかったらしい」
「争った形跡がない?」
「うむ。三人もの見張りがいて、中には熟練の兵士もいた。魔獣に為す術なくやられるものだろうか? 何かしらの抵抗を試みることぐらい、できたのではないか?」
もうひとりの兵士は「……ううむ」と唸ったような声をだし、弛緩していた表情を再び強張らせた。
「ハーピーの前には、訓練中の隊がガルムの群れに遭遇した事件も起きている。あれも魔獣がいない場所を吟味したにも関わらず、なぜかいきなり魔獣が襲撃してきた」
「…………つまるところ、お前は何が言いたいんだ?」
「つまりオレが言いたいのはだな、この魔獣たちの異常行動には何か理由があるのではないか? ということだ。例えば――――そう、人間の裏をかくために知恵をつけてきたとかな」
「住処を追われた魔獣たちが人を襲うために進化したと? ありえない話ではないが……」
「さらにありえない話をするならば、魔獣たちの異常な行動は或いは――――――」
そこまで言葉にしたところで、兵士は口をつぐんだ。そして急に話を止めたことで不服そうな同僚に背を向け、再び西の方角へと顔を向けた。
先ほど視線を向けたのは西の空。
しかし、いま兵士が見ているのは遥か下方。荒涼とした大地の方だった。
「おい、どうした?」
同僚の問いかけも無視し、腰に下げてあった望遠鏡を取り出し即座に覗き込む。
円形の視界の中には、なんとも奇妙な光景が広がっていた。
「なんだ……アレは?」
望遠鏡を使っても微かに捉えられるほどの彼方。
遥か遠くの地平線が、左端から右端まで茶色のうねりに覆われている。
例えるならば茶色の洪水。
それは濛々と土煙をあげながら、少しずつだが確実に兵士らの方へと向かってきている。
「くそ! なんでこんなときに!?」
悪態をつき終わるや否や、兵士は望遠鏡を片付ける間もなく駆け出した。そして見晴台に備えられた警鐘を、躊躇もなく幾度と鳴らす。
この鐘が鳴るのは、有事の際。
即ち――――――
「敵襲ッ!! 敵襲ーー!!!!!!」
大きな鐘の音と兵士の叫喚が、開戦の合図となった。
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アルバ城より発せられる、ただならぬ警鐘。
その音色を遠くに聞いたソフィアが、御者に何かを囁いた。
すると御者は小さく頷き、気迫の掛け声をあげながら手綱をふるった。
兵士たちを乗せた猪車の大群の中から、頭ひとつ抜け出した絢爛な猪車。
ルートミリアとソフィアの搭乗するその猪車の中では、あるひとつの“覚悟”がせめぎあっていた。
「…………作戦を中止できるのは、ここが最後だ。接敵してしまえば、もう作戦の修正はできない」
どこか思いつめた様子のソフィアが呟く。
ルートミリアはそんな妹の顔を一瞥したあとで、からかうように「かか」と笑った。
「なんじゃなんじゃ? 天下の魔王軍の軍師ともあろうものが、ここまできて尻込みか? そんなことでは、先が思いやられるのぅ」
小馬鹿にしたような笑いに、ソフィアは不快感をあらわにする。
その顔があまりにも不服に満ちていたので、ルートミリアは即座に「すまぬすまぬ」と謝罪した。
そして遠くに小さく見えるアルバ城を見据え、ルートミリアは憂いを帯びた表情を浮かべる。
「今回のことで、妾は己を心の底から不甲斐ないと感じたのじゃ。皆に任せっきりで、戦場では血の一滴すら流してはいない。そう、いままでの妾は魔王軍の飾りでしかなかった。主のいなくなった椅子に座るだけの、ただの人形じゃ」
「……それが王の役目だ。象徴は、ただそこにいるだけで皆に勇気を与える」
「普通の王ならばそうかもしれんの。だが、妾は魔王の背中を見て育ったのじゃ。あの姿こそ、妾の目指す王そのものなのだ」
ルートミリアの瞳に浮かぶ、絶対の覚悟。
もはや説得は不可能と悟ったソフィアは、無言で俯いた。
その様子があまりに悲しげだったので、ルートミリアはソフィアの頭を優しく撫でる。そして、アルバ城からワラワラと出てくる兵士たちを見つめながら――――――
「妾は、ただの飾りで終わるつもりはない」
そう告げたルートミリアの体には、夥しい量の魔素が渦巻いていた。




