第236話 「作戦概要」
魔王国の東――――パイモン平原。
夜の帳に支配された草原の上に、天幕が所狭しと並べられていた。
天幕はそれぞれ入り口の側で松明が炊かれ、一定時間毎に横切る哨戒の兵士が、周囲へと目を光らせている。
そして中央付近で一際目を引く巨大な天幕の中では、いままさに魔王軍幹部たちによる作戦会議が行われている最中だった。
「我々はこことここ、それとこの場所で野営。それぞれでドン・キーアの運び屋たちが空輸する補給物資を受け取りながら、数日をかけてエデンへ向けて進軍する。最初に交戦するのは、おそらくアキサタナ城跡地の国境付近になるだろう」
天幕の中央に設置された大きな机。
卓上には横長の地図が広げられ、所々に☓などの印が付けられていた。
その地図へ目を走らせながら、ソフィアが周囲の幹部たちへ作戦の概要を説明する。円を描くように並んだ幹部たちは、彼女の言葉を一言一句、逃さないように神経を研ぎ澄ませている。
「やはり……戦闘は避けられないんですね」
クリステラが、物憂げな顔で呟く。
するとアリステラが、やれやれと頭を振ってから口を開いた。
「当然ですわぁ。自国に敵が進軍してくるのを無視する兵隊はいないかしらぁ」
「そういうことではなくて、私は血を流さずにお父上を救出する方法はないのかと……」
今回の作戦の目的は侵略ではなく、あくまで稲豊らの奪還。
誰も傷つかずに目的が達成できるのなら、それが一番良いに決まっている。
しかし無情にも、ソフィアらが次に放った言葉は、そんな希望を根底から否定する言葉だった。
「ただの捕虜ならばそれも可能だったかもしれない。しかし稲豊は魔王代理の料理人で、ウルに至っては魔王国の王女だ。恐らく最高クラスの警備がしかれているに違いない。エデン軍の将校ですら、近づくことができないほどのな」
「警備を手薄にするには、分散と撹乱がもっとも効果的です。複数の隊でエデンの重要拠点をいくつか急襲し、敵が混乱しているところをどさくさに紛れて救出する。複数の場所を襲撃されれば、敵もそちらに兵を割くしかありませんからね。自ずとアート・モーロの警備も手薄になります」
ソフィアとライトに説得され、クリステラは仕方なく平和的な希望を引っ込めた。
「問題は……いかに迅速に遂行するかじゃな。時間をかければかけるほど、戦局は我々にとって不利に傾く。場合によっては、シモンの移送もあり得るかもしれぬ」
「こちらの目的が敵に悟られる前に救出したいところでございますが……。まあ、無理でございましょうな。気付かれるのも前提で行動した方がよろしいかと」
「じゃが、悟られるのが遅ければ遅いほど成功率が上がるのもまた事実じゃ。ソフィ、我らの狙いは上手く隠せそうかの?」
ルートミリアが視線を送ると、ソフィアは一度だけ周囲の気配を探る仕草を見せる。そして入り口の側にいたミアキスの反応を窺ったあとで、細く静かな声で皆に言った。
「兵士たちの中にエデンの息が掛かった者がいることを想定し、見張りの数は倍にした。さらに気配探知に長けた者を周囲に配置……。その後の首尾はどうだ?」
ソフィアの問いに、ネコマタ族のエイムと狼人族のマルコが深く頷く。
「問題ないにゃー。ネズミ一匹、見逃しはしないのにゃー!」
「右に同じく。皆に迷惑をかけた分、務めは確実に果たす」
「此度の狼人族の働き次第で……マルコ、先日の勝手な行動は不問とする。励めよ」
たとえ一寸先が見えない闇の中だろうと、ネコマタ族と狼人族の警戒網を抜けることはできない。さらに上空は夜目が効くバードマンが巡回し、あらゆる気配を探っている。
「その他にも、考え得る限りの対策を講じている。間者がエデンに情報を伝えるのは、不可能だと考えてもらって構わない」
「それを聞いて安心したわぁ。ならソフィアお姉さま、作戦の概要を教えてくださるかしらぁ? アリステラたちは、どう動けばよろしいの?」
ここからがこの作戦会議の要になる。
張り詰めた空気がより一層と厳しくなり、自然と皆の表情に険しさが増していった。
皆の視線を一手に浴びるソフィアには、他の者の比ではない重圧が、その小さな双肩にのしかかる。しかし彼女はそんなことをおくびにも出さず、いつものように淡々とした口調で告げた。
「最初に会敵を予想される場所が、アキサタナ城跡地。新たな城が建てられたそこは、現在アルバ軍の領域となっている」
「アルバ……よりによって、あの大将軍かしらぁ」
アリステラが苦虫を噛み潰したような顔をする。
大将軍アルバの軍といえば、名実と共にエデン最強の部隊。
以前に戦ったアキサタナ軍とは、兵士の練度が天と地ほども違う。精鋭中の精鋭部隊である。
「たしかにアルバ軍は強力だが、国境の城に配属されているのは精々、数百名といったところだ。我々は奴らの援軍が到着する前に城を攻略し、その足でエデンの首都アート・モーロへと向かう。ただし、向かうのは魔王軍本隊だけだ」
「本隊だけ? どういうことかにゃー?」
「国境を突破した時点で、魔王軍は隊を四つに分散する。北の森の中の採石場にはエイム隊。北東の牧場地帯をマルコ隊。そして南の港町は…………タルタル隊。それぞれ、いま言った場所を襲撃してもらう」
「えー? おれぇ?」
エイムとマルコが神妙な面持ちをするなか、タルタルが気の抜けた声をあげる。
「そうだ。三つの隊には、それぞれエデンの北、北東、南へ向かってもらう」
「でもエデンの南って言ったら、噂じゃのどかで小さな町があるだけですよねー? そこを襲撃するのは、なんかイヤだなー」
後頭部を掻きながら、タルタルはのんびりとだが心底嫌そうに言った。
狼人族ほどではないが、爬虫類人間にもプライドはある。
武装もしていない民間人を襲うのは、彼らの誇りが許さない。
そんなタルタルの心中を知ってか知らずか、ソフィアは一度だけ小さく笑ってみせた。そして「語弊があったな」と首を左右に振ったあとで、
「正確には、三つの隊には襲撃のふりをして欲しいんだ。本当に町を襲うのではなく、町を襲いに来たのだとエデンに錯覚させてもらいたい」
「襲撃の……ふりー?」
「ああ。魔物が町を攻めてきたのだと錯覚した住民たちは、恐らくエデン軍に救援を出すはずだ。そして救いを求められたのなら、エデンは援軍を送らざるを得なくなる。どれも重要な拠点だ。襲撃の報告を同時に受けたなら、エデン軍は混乱の渦に放り込まれる。そうでなくとも、かなりの兵を割くことになるのは必須だ」
皆の表情に、徐々にだが光明が差したような明るさが灯る。
一筋の希望が、現実のものとなって皆の心を満たしていった。
「そして先ほどライトが言ったように、手薄となったアート・モーロを本隊が襲撃するというわけじゃな?」
「そうだ。だが、それすらも本気の襲撃じゃない。あくまで目的は捕虜の奪還。アドバーン、ミアキス、アリステラなどの少数名で混乱した市街へ侵入し、速やかにイナホたちを発見し救出する。これが今回の作戦の全容だ」
説明を終えたソフィアが、「何か質問は?」といった表情を皆に向ける。
すると少しの沈黙のあとで、クリステラが口を開いた。
「市街地への侵入経路は大丈夫なのですか? 以前に使った『アキサタナの通路』はもう使えなくなっている可能性があるのでは?」
「その点に関しては、私めにおまかせを。侵入方法にはいくつか心当たりがあります。妹君のアリステラ様なら私めがこの命に代えてもお守りいたしますので、ご安心くださいませ」
「……それを聞いて安心しました。アドバーン様、妹をお願いします。もちろん、父上とウルサのことも」
クリステラの質問が終わり、再びの沈黙が訪れる。
やがて他に質問がないことを悟ったソフィアは、皆の顔を一瞥してから言った。
「言うまでもないことだが、この天幕での会話は他言無用だ。心を許した部下にさえ、会敵の直前まで作戦の本質は口外しないでもらいたい。そして何か気にかかることがあれば、どんな些細なことでも構わない。報告を頼む」
仲間を疑いたくはないに決まってる。
しかし、今回の作戦に失敗は許されない。
多くを犠牲にしなければ、何一つ取り戻すことは叶わない。
「厳しい作戦になることは間違いない。だが、妾たちが力を合わせれば、不可能な作戦などないはずじゃ。妾の不手際により迷惑をかけて、本当に申し訳なく思うておるが、いまばかりは皆の力が必要なのだ。妾はどうしても、あの日常を取り戻したい。どうか、力を貸してほしい。この通りだ」
それは命令ではなく、懇願。
部下に頭を下げることは大将としてあるまじき行為だが、誰一人として咎める者は現れなかった。
彼女の切実な思いが伝わるからこそ、皆はゆっくりとだが、確かな頷きを見せる。そうして、静かに始まった天幕での作戦会議は、静かなまま幕を下ろすのだった。




