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メシマズ異世界の食糧改革  作者: 空亡
第六章 魔王の死

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第235話 「天獄にて・・・2 名前の由来」


 両羽に黒い髑髏の紋様を持つ蝶は、稲豊の肩で悠々自適に羽を開閉させている。その堂々たる姿に、稲豊は畏怖いふの念を抱かずにはいられなかった。


「な、なんなんだよそいつは!? いったい……いつから俺の肩に!?」


「十分ほど前からかな。君がすやすやと眠っていたので、『彼』に仕事をしてもらった。君は知らないと思うが、昨日も目覚める前には彼がとまっていたのだよ?」


「昨日も……? い、いやそんなことはどうでもいい! その蝶はなんだ? 仕事ってのは……いったいなんなんだ?」


 不吉な模様の蝶を、不吉な人物が操っている。

 その事実だけで、嫌な焦燥感がじわりじわりとにじり寄ってきた。


 そんな稲豊の心の内を知ってか知らずか、トロアスタはにやりと口角を持ちあげる。


「心配せずとも、命に関わるようなものではないよ。この子は『セイモンシロチョウ』といってね。シモンクロチョウの研究の副産物だが、少し面白い性質を持っている。セイモンシロチョウに魔素を吸われると、体内の生門を開くことができなくなるのだよ」


「生門が……開けない!?」


 生門とは文字通り、生き物の心臓部にある魔素を取りだすための門だ。

 この門を開くことで、魔素は初めて魔法へと昇華する。


 魔法を使うために必要不可欠なものが、『生門を開く』という過程なのだ。

 

「だから俺は……魔法が使えなかった……?」


「数分も魔素を吸われれば、半日は魔法を使うことができなくなる。おわかりかね? 君はもはや、ただの人間……いや、人間以下というわけだ。脱走などという夢は早々に諦め、迅速に我々に協力してもらいたい。それが互いのためだと思うがね」


「……………………」


 魔法があまり使えない稲豊でも、時間をかければ魔法で枷を外すことはできただろう。だがその希望はつゆとなって消え、自力での脱走という可能性は、限りなく0に等しい。


 かといって、ルートミリアらを裏切ることなどできない。

 だから稲豊は無言で、トロアスタを睨みつけることしかできなかった。


「こちらは君のためを思って提案しているのだがね。まあいい、とりあえず一時休戦といこう。そろそろ腹の虫が鳴き出す頃合いだろう? 食事にしようじゃあないか」


「食事?」


 ずっと緊張に晒されていたので、食事と聞いた瞬間、稲豊の腹が鳴き声をあげる。その音を聞いたトロアスタは小さく笑ったあとで、両手を軽く二度鳴らした。


 すると一分も経たないうちに、廊下の奥から黒装束の男が現れる。

 男の手には作りたての食事がのせられた、銀色の盆が握られている。


「で、でけぇ……」


 男は全身を黒い装束で覆われている。

 頭と顔は頭巾で隠され、指先さえ手袋のせいで確認できない。

 

 分かるのは二メートルを越す身の丈と、服越しにも伝わる屈強な体格のみである。


「手枷のみ外してあげなさい」


 トロアスタが命令すると男は盆を床に置き、ひとことも発することなく、胸のポケットから取りだした鍵で稲豊の手枷を外した。


「……いつつ」


 真っ赤になった手首を擦りながら、それでも両腕が自由になった喜びを噛みしめる。一瞬だけ抵抗を考えた稲豊だったが、その考えはすぐに頭から消した。まだ足枷がついているうえに、手枷と足枷が共同の鍵だという確証もない。


 そもそも、屈強な男から鍵を奪う力が稲豊にはなかった。


「ここのコックが腕によりをかけた料理でね。味の方は保証しよう」


「じゃあ……遠慮なく」


 ふたりに見られながらというのが気にはなったが、羞恥心よりも空腹の方が勝った。盆の上にはふたつの皿とひとつの器があり、皿には一口サイズに切り分けられたステーキと、バタール型のパン。器は淡黄色のスープで満たされている。


 食欲をそそる香りに誘われた稲豊は、盆に無造作に置かれたフォークを掴むと、迷うことなくステーキを口の中へ放り込んだ。


「我が監獄、自慢の料理は如何かね?」


 稲豊はトロアスタの質問に答えなかった。

 それは料理の味があまりに酷いので返事をしなかった――――のではない。


 むしろ逆。

 想像を超えるほど美味だったので、思わず言葉を失ってしまったのだ。


「これ……本当に監獄ここのコックが?」


「もちろん。正真正銘、この監獄で作られた食事だよ。普段よりも豪勢なものだとは認めるがね」


 噛めば噛むほど肉汁のあふれでるステーキは、その滴ひとつひとつに濃厚な旨味が凝縮されている。外はカリカリ、中はもちもちという絶妙な焼き加減のパンは、薄味なので肉との相性は抜群。そしてパンで乾燥した喉を潤す役目なのが、ステーキ肉に負けずとも劣らない芳醇な香りのスープだ。薄切りにされた茸と山菜の浮かぶスープは、見た目の色彩の薄さに反して、しっかりとした味わいで稲豊の腹と舌を満たしていった。


 これほどの食事は、魔王軍幹部とておいそれとありつけるものではない。

 現在、モンペルガにある最高の食材のすべてを集めたとしても、これほどの味を再現はできないだろう。


 そんなある種の絶望を感じさせるほど、稲豊がいま口にしている食事は、魔王国での食事とかけ離れていた。


「――――――ん?」


 複雑な心境で食事を口に運ぶ稲豊だったが、数口目である違和感に気がつく。

 本来ならもっと早く気づくべきなのだが、目の前の食事に心を奪われ、思考が阻害されていた。


 なにはともあれ、少しの冷静さを取り戻した稲豊は、違和感の正体にすぐに思い至る。

 









『これ…………なにを使っているんだ?』



 普段の稲豊ならば、ありえない感覚。

 いや、普通の人間ならば、そもそも持っていなかった感覚。

 

 稲豊はいま、食べた物が()()()わからなかった。


「なんでだ……? なにも……わからねぇ……」


 もちろん、食べている物が肉やパンなのは知っている。

 稲豊がわからないのは、その種類。


 そして、それらに混ぜられている、あるいは塗されている調味料。

 魔神の舌で判明する情報のすべてが、まったく伝わってこなかったのである。


「なに、驚くほどのことではないよ」


 頭上からしわがれた声が聞こえ、稲豊はハッと面をあげる。

 そこには、得意気に笑うトロアスタの顔があった。

 

「君が舌の能力を使用するとき、無意識のうちに生門の魔素を使っていたのだよ。生門が閉じられたいま、君の舌はもう普通の人間と変わらないということだね。まあ、安心したまえ。そんな能力を使わずとも、変なものなど入れてはおらんよ」


 トロアスタはからから笑うと、手のひらを差しだして稲豊に食事の続きを促した。


 魔神の舌がないと、途端に目の前の食事が怪しく見えてくる。

『毒が効かない』という保険があったからこそ、稲豊は出された食事に食らいついたのだ。


 しかしいまや毒の有無どころか、どんな食材と調味料を使われているのかもわからない。疑ってしまえば、ステーキ肉は馬のようにも、豚肉のようにも感じられた。


「…………ちっ」


 しばらく悩んだのち、稲豊は結局、食事を再開した。


 もうすでに口にしていたということもあったし、何より脱走にも体力は必要だ。いつか必ず訪れるであろう脱走の機会に備え、稲豊は虎視眈々と料理を口に運んでいった。



:::::::::::::::::::::::



「はぁ……また吊るされんのね」


 食事が終われば、大男に再び手枷をつけられる。

 やがて食事前と同様に吊るされた稲豊は、それでも満たされた胃袋の幸福感に酔いしれていた。


「うん?」


 食事の余韻を楽しんでいた稲豊の足元に、大きめの布袋がひとつ投げられる。

 いくつかの金属音が鳴るそれは、大男がトロアスタの指示で持ってきたものだ。


 無粋な金属の音色のせいで、食事の余韻が急激に冷めていく。

 稲豊は怪訝な顔でトロアスタに訊ねた。


「なんだよそれ? まさかこの状態の俺に、使った食器を片付けろってんじゃねぇだろうな?」


 軽口を叩き笑った稲豊だったが、トロアスタは釣られて笑いはしなかった。

 先ほどまでの好々爺といった雰囲気は鳴りを潜め、鷹のように鋭い眼差しで稲豊の瞳を見つめ返す。


「例外も稀にあるが、入獄当日は囚人を優遇するのがここの決まりでね。それは好きな書物を読むことだったり、豪勢な食事をとることだったりと、まあ囚人によって待遇は違ったりするわけなんだが……」


 若干、歯切れの悪い――――というより、霞がかったような物言いをするトロアスタ。話の先が見えず、稲豊も曖昧に「……はぁ」と返事をすることしかできなかった。


 だが大男の手により布袋の中身が露呈されていくに連れ、トロアスタの言葉の真意が明らかになっていく。


「それは言うならば我々から囚人らへの慈悲であり、同時に免罪符にもなる。つまり、咎人とがびとに慈悲を与えたのだから、()()()()()()()()()は、神も目を瞑ってくださるだろう――――とね」


 トロアスタの口元が残酷に歪む。


 だが稲豊の視線を釘付けにしたのは、不吉な老人の表情ではなく、その足元。

 床に無造作に並べられた、いくつもの『器具』たちの姿だった。


 大工道具のかんなのような物もあれば、返しのついた長い鉄棒もある。他にもいろいろな器具が置かれてあるが、稲豊がかろうじてわかるのは、五寸釘やハサミといった工具だけ。しかし、その器具たちを()()使()()()()だけは、容易に想像できた。


「……じ、時間の無駄だぜ? どれだけ訊かれようと俺は何もし、知らねぇんだからな! あんたの欲しい情報なんて、おれ、俺は」


 荒くなる呼吸と震えのせいで、上手く舌が動いてくれない。

 そんな稲豊の姿を、トロアスタはさも愉快そうに眺める。


「心配せずとも、今日一日は君だけのために時間をとってあるとも。訊きたいことは山のようにあるのでね、ゆっくり時間をかけて『会話』を楽しもうじゃあないか。最初はどれからが良いかね? 特別に君に選ばせてあげよう。まあ、見た目と痛みが比例しない器具も中にはあるがね」


「ふ、ふざけんな! そん……そんなの選べるわけが……」


 そう口にしながらも、稲豊の瞳はより痛みが軽く、より傷が残りにくい器具を探し始めていた。だがどれだけ眺めたところで、結論は同じ。


 どの拷問器具だって、想像を絶する痛みを伴うに違いない。



「私はね、昔はただの『トロアスタ』だった」



 いきなりそう告白され、ただでさえ混乱している稲豊の頭が、さらに混沌となった。だがトロアスタは、まったく意に介さない様子で話をつづける。


「昔は今ほど囚人の扱いが厳しくなくてね、口を割らない生意気な囚人も数多くいた。そこで私がここに派遣されることになったのだが……いやはや。私が拷問にたずさわると、囚人たちが次々に我儘わがままを口にし始めてね。それが何かわかるかね?」


 わからない。

 わからないはずなのに、稲豊の背中には止まることのない悪寒が流れ、全身に氷のように冷たい汗が浮かぶ。


 もはや焦燥感などではない。

 これは警鐘。早鐘のように鳴る心臓が、脊髄を走る痺れが、いまだかつてない危機を稲豊に訴えている。


「君が恐らく恩恵を受けたであろう治癒や修復といった()()な魔法のせいで、彼らは死ぬことも許されない。だから囚人たちは口を揃えて、私に殺人(マーダー)注文オーダーするのだよ。それからだ、私がマーダーオーダーを名乗り始めたのはね。さあ、君はいつ私に『殺してくれ』と注文するのだろうね?」


 愉悦の表情を浮かべながら、トロアスタは再び口元を残酷に歪めた。



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