第233話 「戦う覚悟と引く勇気」
檄が終わったことを知った魔王軍兵士たちは、それぞれの隊の、それぞれの猪車の中へと収まっていく。彼らの足取りに迷いは見えない。
そんな兵士たちの姿を、どこか憂いを帯びた瞳で眺めるルートミリア。
「姉上……なぜあんなことを?」
「そうですわ! 前線で戦うなんて話、初耳かしらぁ!」
感傷に浸る間もなく、クリステラたちがとても不服そうに詰め寄る。
だがルートミリアは、
「すまぬな。だが、もう決めたことじゃ。妾は軍の飾りになるつもりはない」
心配する妹たちに一瞥も送ることもなく、彼女たちの前を横切っていく。
そしてマリアンヌの前まで歩いたところで、足を止める。
「あ、あんたが前線で戦うんやから、ウチも頑張る! なんだってするから、遠慮なく――――」
「ならば、マリー。お前には……あの猪車に乗って欲しい」
マリアンヌの言葉を遮ったルートミリアが、ひとつの猪車を指差す。
兵士たちの乗車する猪車と少し離れた場所にあるその猪車は、マリアンヌにも見覚えのあるものだった。
「アレは…………どういうこと?」
怪訝な表情で、マリアンヌが訊ねる。
なぜならそこにはマルーが牽く猪車があり、どういうわけかナナと、三つ目の侍女の姿もあった。
マリアンヌはひと目で、その猪車の行き先が戦場ではないことを悟る。だからこそ、ルートミリアに怪訝な表情で訊ねたのだ。
「見ての通りじゃ。お前には戦場ではなく、ナナと一緒に妾の屋敷へ向かってもらう。屋敷には妾の張った強固な結界がある。この魔王国で一番安全な場所といっても過言ではない」
「ちょっと……ちょっと待ちーや! それはウチに……ハニーを助けに行くなっていうことなんか!」
「ああ、そうだ。お前の気持ちを分かったうえで、敢えて言う。今回は留守番を頼まれて欲しいのだ」
「なんで……どうして……!?」
ルートミリアの瞳に嘘の色はなく、そしてこの状況で冗談をいうような性格でもない。それがわかるからこそ、今度こそ頑張ろうと決めていたマリアンヌは、傍目にもわかるほどの狼狽を見せた。
「ウチが足手まといの役立たずやから、ついてくるのが邪魔やっていうんか? たしかにウチは戦争なんて経験したことないけど…………けど!! ハニーを助けたいっていう想いなら、この場におる誰にも負けへんのに!!」
涙ながらに訴えるマリアンヌだったが、ルートミリアは「そうではない」と首を振った。
「むしろ、その逆じゃ。お前に重要な役割があるがゆえ、この戦には連れて行きたくない。お前の身に万が一のことがないように、妾の屋敷で待機して欲しいのだ」
「ど、どういうこと……?」
困惑の瞳を浮かべるマリアンヌ。
ルートミリアはそんな彼女の瞳から逃げるように目を逸らすと、猪車に乗り込む兵士たちを見ながら口を開いた。
「妾たちにもしものことがあったなら、次の魔王代理は――――マリアンヌ、お前に継いで欲しい」
「……え?」
呆然とするマリアンヌの二の句を待たず、ルートミリアは続ける。
「今の魔王軍は、薄氷の上に立っているような、とても危うい存在なのだ。その状態でもし大将の妾が敵にやられでもしたら、軍は内から崩壊してしまってもおかしくはない。だからいざというときのために、お前には安全な場所に隠れていてもらいたいのだ」
「その理屈はわからないでもないけど……でも…………」
理屈はわかるが、納得はできない。
マリアンヌは複雑な表情で俯く。
「お前は『なぜ自分が?』と感じるじゃろうが、妾はお前しかおらんと考えておる。お前にはお前の、マリーだけの良いところがある。それは妾も、他の姉妹たちも、そして父上も持っておらなんだものだ。まだまだ未熟な点も多いが、それは周囲の者たちが支えてくれるはず。お前になら、妾のあとを託すのもやぶさかではない」
ふっ、と薄い笑みをこぼすルートミリア。
その笑みを見た瞬間、マリアンヌは言い知れぬ不安を覚えた。
「あ、あんたまさか…………!?」
「むろん、敵に遅れを取るつもりなど毛頭ないが、戦とは思い通りにいかぬもの。もしもの場合には備えて置かねばならぬ。妾の大切な仲間じゃ、ナナのこと……頼んだぞマリー」
ルートミリアの覚悟を知り、自分の想いと葛藤するマリアンヌ。
本当ならば稲豊を助けに行きたい。
しかし、ルートミリアにナナのことを頼まれた。魔王軍のことを託された。
ここで自分の気持ちだけで行動することを、稲豊は褒めてくれるだろうか?
答えは考えずとも分かる。
稲豊は立場を捨てて助けにきた自分を、決して認めはしないに違いない。
だってナナは、稲豊にとっても大切な仲間だからだ。
「………………ハニーを絶対に……絶対に……!! 助けるって……誓う?」
「ああ、必ず助ける」
「………………ウルのことも……助けるって……誓う?」
「ああ、誓う」
「絶対に……死なないって…………誓う?」
ルートミリアは少しの間を置いてから、「約束する」と告げた。
そこでようやく、マリアンヌはゆっくりとだが首を縦に振る。
その様子をしっかりと見届けたあとで、ルートミリアは満足げな様子で専用の猪車へと乗り込んでいった。やがてすべての兵が猪車に収まり、地響きを鳴らしながらモンペルガを順に離れていく。
マリアンヌはマルーの牽く猪車の中から、その光景を窓越しにぼんやりと眺めていた。
「大丈夫ですかね……ご主人さま……」
そんな様子に不安を覚えたのか、ナナが訊ねる。
するとマリアンヌは窓の外の景色から視線を外し、作り笑いをしてから言った。
「大丈夫! ナナちゃんも知っての通り、ルトの強さは尋常やあらへんから。きっとすぐにハニーを連れて戻ってきて、また偉そうにふんぞり返るに決まっとる! やからウチらは、文字の勉強でもして待ってような?」
「…………はい」
「……きっとだいじょうぶ。ううん、絶対に大丈夫やから」
再び窓の外の光景に目をやったマリアンヌは、自分に言い聞かせるように呟いた。




