第232話 「出征の日」
魔王軍、出征の日――――――
ルートミリアとマリアンヌを乗せた猪車は、街の東門を目指していた。
「な、なんや緊張してきたわぁ。戦前ってなんていうか、こう……ピリピリした感じがするんやね」
そわそわと落ち着きのないマリアンヌとは対照的に、ルートミリアは瞳も口も閉じて微動だにせず、ただじっと猪車の揺れに身を任せている。
その姿は頼もしくもあると同時に、これからの激戦をマリアンヌに想像させ、彼女の不安を煽りもした。
「みんな……来てくれるんかな?」
沈黙に耐えかねたマリアンヌが訊ねる。
すると瞳を閉じたままで、ルートミリアは緩慢に言った。
「さて……の。シモンの中に父上の魂があるとはいえ、シモンは人間なのだ。拒絶を示す兵士がおったとしても、それは仕様のないこと。そのことで、兵士らを罰するつもりはない」
「悲しいけど、簡単に割り切れる問題やないもんなぁ。……悲しいけどね」
人と魔物の差別問題は、建国以来、ずっと魔王国に蔓延り続けている。
敵国の種族に対して、負の感情を抱くのは至極当然のこと。
マリアンヌも、ルートミリアでさえ、まったく抱いていないと言えば嘘になる。それが理解できるからこそ、作戦への参加を希望しない兵士の感情も理解できた。
「だがもし兵士たちの大半が東門に集まらなかったとしても、作戦に変更はない。妾はシモンたちを救いに行く」
「せ、せやね! 戦いのこととかよく分からんけど、今回はウチもできる限り協力するから!」
いつになく意気込みを見せるマリアンヌだが、ルートミリアはそんな彼女に一瞥することもなく、到着のときを静かに待っている。
そうしているうちに猪車は巨大な門を抜け、東門の外――――つまりは街を覆う石壁の東側で動きを止めた。
「東門前に着きましてございます」
猪車内の小窓が開き、御者が到着の報告を告げる。
そこでようやくルートミリアは瞳を開き、「うむ」と猪車の外へと降りていく。緊張した面持ちのマリアンヌも、ルートミリアに続いた。
集まった兵士の総数は、魔王軍への……ひいては自分たちへの信頼度と言い換えてもいい。民からの信頼がない国などもってのほかであるし、兵士が少なければ少ないほど稲豊たちの救出も困難になるのだ。
そんな不安で顔を強張らせたルートミリアとマリアンヌのふたりは、やがて意を決した様子で面を上げる。そしてふたり同時に、驚きの表情を浮かべ息を呑んだ。
ふたりの眼前に広がるのは――――――
大地を埋め尽くすほどの、魔物の軍勢だった。
大小様々な魔物たちが思いおもいの武器を持ち、頼もしい表情をいま到着したばかりのふたりへと送っている。
「こ、これは……いったい、何名が……」
想像していなかった光景に、ルートミリアは思わず言葉を詰まらせる。
「魔王軍に在籍する、ほぼすべての兵が志願してくれた」
言葉を失ったふたりのところへ、さきに到着していたソフィアが近づく。
誇らしげなその表情から、ルートミリアは彼女の言葉に偽りがないことを知る。
その瞬間、ルートミリアは半信半疑だった自身を心から恥じた。
「在籍している兵だけではありませんぞ? 近隣の村や街、里からもたくさんの義勇兵が名乗りを上げてくれました。さすがは魔王様とお嬢様の人望……もとい魔望というべきか、いやはや素晴らしい」
どこからともなく現れたアドバーンが、嬉々とした表情で賛辞をおくる。
しかしルートミリアは、すぐに頭を振った。
「妾の求心力など微々たるもの、父上の威を借りただけに過ぎぬ。いや、父上だけではないな」
そういって、ルートミリアはアドバーンの背後へと目をやった。
視線に誘導されるように、アドバーンが振り返る。
そこにはコボルド族の青年を筆頭に、数十名の魔物が敬礼をしていた。
青年は恭しく頭を下げたあとで、口を開く。
「魔王様への忠義はもちろんですが、我々は給仕隊の隊員として、イナホ隊長の救出に全力で貢献したく思います。前回の戦だけでなく、その後も事あるごとに隊長は我々を気にかけてくださいました!」
コボルドの青年が口火を切ると、
「お給金が入ると、隊長はいつもごちそうしてくれるんです!」
「異世界のおもしろい話、いっぱい聞かせてもらいました!」
「料理のことで聞きたいこと、まだまだたくさんあるんです!」
後ろの給仕隊員たちも、口々にそう訴えた。
彼らの真摯な訴えを聞いたルートミリアは、得意げな顔をアドバーンへ向ける。
アドバーンは当然、その表情の意味を理解していた。
「失礼……私めとしたことが、イナホ殿のことを失念しておりました。彼の働きぶりは、誰もが認めるところでございます」
申し訳なさそうに、しかし嬉しそうにアドバーンが謝罪する。
そこでようやく、ルートミリアは満足そうに頷いた。
「無論、父上やシモンだけではないぞ? 言うまでもないことじゃが、これはソフィやクリス……そして家臣たち、この場におる全員の功績である」
「もったいないお言葉……ですが、ここは肯定することにいたしましょう。皆が一丸となったいま、我が軍を阻むものはございませんとも」
「うむ! 分かればよいのじゃ!」
喜色満面の笑みを浮かべるルートミリア。
そのとき――――給仕隊の列の中から、男がひとり進み出る。
男はルートミリアらの前で足を止めると、深々と頭を垂れた。
「愚かな兄の犯した罪……魔王軍に貢献することで償いたく思います。この度は、私などに給仕隊隊長などという大任を与えていただき……誠にありがとうございました!」
「ネロか。苦しゅうない、面をあげよ」
「は!」
面をあげたネロの表情には、ある種の覚悟のようなものが浮かんでいる。その覚悟に偽りがないことを察したルートミリアは、ネロに優しく語りかけた。
「よいのだ、ネロよ。パイロにも、やむを得ぬ事情があったのだろう。愚かなのは、パイロの苦しみに気づくことができなんだ妾の方じゃ。妾がもっとしっかりしておれば、こんな大事にはならんかったに違いない。……許せ」
「め、滅相もありません! 責任はすべて家族でもある自分に――――!」
「それとネロよ。感謝をしてもらった手前、すまぬが……お前を給仕隊の隊長に推薦したのは、妾ではないぞ?」
言葉を遮られたネロは、その行為よりも、遮られたルートミリアの言葉に首を傾げる。「へ?」とポカンとした表情を浮かべるネロだったが、数秒後には答えの方から彼の下へとやってきた。
「あなたを推挙したのはぁ、アリステラたちですわぁ」
「アリステラ様とクリステラ様!? いったい……なぜ?」
驚きに目を剥くネロを見て、アリステラたちは上機嫌に語る。
「そんなの、あなたが適任だと思ったからに決まってるかしらぁ?」
「これでも私たちはお前の雇い主だぞ? お前の料理の腕を買っているのは、姉上だけではないということだ。お父様の代わり……頼んだぞ、新隊長」
「あ、ありがとうございます……!! 必ず……全身全霊をかけて、務めを果たさせていただきます!! 本当に……本当に……ありがとうございます!!」
瞳に涙を浮かべながら、ネロはアリステラたちに何度も感謝を示す。
不信もわだかまりも必要ない。
いまの魔王軍に必要なのは、一致団結しようという思いのみ。
「姫……いや御大将。出征の準備、すべて滞りなく」
「あとはルートミリア様の号令を待つのみです」
ミアキスとライトがそんな台詞と一緒に、皆の輪に加わる。
大地を埋め尽くすほどの軍勢と、彼らを運ぶための約千台もの猪車。
出征を妨げるものは存在しない。ルートミリアは皆の顔を一瞥したあとで、意気揚々と兵士らの前に躍りでる。
「勇猛なる魔王軍兵士たちよ! 急な出征にも関わらず志願してくれたこと、我が身に余るほどの幸福である!! 急行軍になり、前回の戦よりも厳しい戦いになる可能性は否定できぬ。だが、それを不安に感じる必要はない! なぜならば今回の戦は――――この妾も前線に出て戦いに参加するからだ!!」
ルートミリアが高らかに宣言すると、兵士たちは歓声を上げてそれに応えた。
「ルト……あんた……!?」
「ルートミリアお姉さま……!?」
妹たちの驚愕の視線を背中に浴びながら、ルートミリアは申し訳なさそうな表情を浮かべる。しかしすぐに凛々しい顔つきに戻すと、兵士らの方を向いて叫んだ。
「我らが魔王を――――取り戻すのだ!!!!」
割れんばかりの歓声が、空気と大地を飲み込んでいった。




