第230話 「沈黙の緊急集会」
――――――夜。
普段なら静寂に支配された魔王城一階の大広間が、今夜ばかりはその様相を変えていた。所狭しと魔王軍兵士たちがひしめき合い、今宵の緊急召集について、まことしやかな噂をささやいている。
賑わいをみせる大広間がいつもの静寂を取り戻したのは、軍の幹部と、ルートミリアらが壇上に姿を現したときだった。
「こんな時刻にも関わらず集まってくれた皆に、まずは謝意を伝えたい」
一切の笑みのない表情に、どこか低めのルートミリアの声。
兵士たちはその声を聞いて、自分たちの預かり知らないところで起こった事態の深刻さを理解する。
それを確信づけるのが、いつも以上に汗を拭うシフの存在と、逆にこの場にはいないウルサの存在だった。
「えー……それではさっそくでなんですが、本題に入らせていただきたいと思います。詳しくはソフィア王女から……えーと……ソフィア様お願いいたします」
大臣のシフに呼ばれ、ソフィアが数歩前に歩みでた。
その表情には、ある種の決意のようなものが浮かんでいる。
ソフィアは兵士たちの顔を見回したあとで、はっきりと告げた。
「今朝に発覚したことだが、第六王女のウルサと、我が姉ルートミリアの専属料理人、シモン=イナホがエデンの手に落ちた。ふたりは恐らく、現在もアート・モーロのどこかに幽閉されているはずだ」
一度は静寂に支配されていた大広間内が、再びざわめきで溢れかえる。
だが、騒々しさは先ほどの比ではない。兵士たちは一様に驚愕の表情を浮かべ、「なぜ」「どうして」と壇上に投げかける。
糾弾にも似た、割れんばかりの疑問の声が大広間内を乱れ飛ぶ。
これでは質問に答えようにも、誰の耳にも届かない
「静まれッ!!!!!! 魔王代理の面前であるぞ!!!!!!」
シフのとなりにいたライトが、一歩進み出て落雷のような怒声を張り上げた。
そのあまりの声と閻魔顔の迫力に、数秒と経たず兵士たちは沈黙する。
場内が静まり返ったのを見届けたあとで、ライトは頭を垂れながら後ろへ下がった。
「皆の疑問も尤もなことだと思う。本当ならひとりずつ詳細に説明していきたいところだが、いまはとにかく時間がない。簡潔な説明になることを、まずは許して欲しい」
ルートミリアが皆に告げると、兵士たちはとなりあった者同士で顔を見合わせるも、先ほどのように声をあげる者は現れなかった。
そこで、説明役のソフィアが再び口を開く。
「ふたりはアート・モーロでの潜入作戦中に拘束された。作戦が成功していたら、我々はエデンに対して大きなアドバンテージを得ることができていただろう。そしてそれは逆に、ふたりは我々にとってのアキレス腱であることを意味している」
ウルサも稲豊も、魔王軍の中で重要な役職に付いていることは言うに及ばず。ふたりは軍内部の情報に精通していて、それがエデンに渡ることは当然、魔王軍にとってはとても喜ばしくない事態である。
「なので早急にふたりを救出に向かう必要がある。集まってもらったばかりのところ申し訳ないが、諸君らにはこの集会が終わり次第、出征の準備をしてもらいたい。明朝、我々はエデンへ向けて進軍を開始する」
三度目のざわめき、いや……どよめきが兵士の間を駆け抜けていった。
いま魔王軍に起こっている事態は飲み込めたものの、明日の朝という限りなく少ない時間までは飲み込むことができない。
日頃、調練があったとはいえ、訓練と実戦では心の準備が天と地ほども違う。四ヶ月前の敗戦の味もまだ苦々しく残っているというのに、すぐに出発などできるわけがない。
兵士らの顔面には、そんな不満がありありと表れている。
やがて膨れ上がった不満は、表情だけに収まりきらなくなり、口から飛び出した。
「あ、あの…………本当にその……救出は可能なのでしょうか?」
ひとりの兵士が、右手を上げておずおずと訊ねる。
それは言葉こそ選んだものだったが、裏には『ふたりにはそこまでして助ける価値はあるのか?』という真意が隠されている。
誰だって死にたくはない。
四ヶ月前の敗戦を知っている者なら、なおさらだ。
前回の戦は、『恐怖』という種を兵士たちの心に植えつけていた。
「可能かどうか? という話ではない。これは謂わば、賭けのような作戦だ。ふたりを救出しなければ、魔王国はこれまでにないほどの窮地に立たされることになるだろう。いまの平和が仮初めのものであることを忘れるな。我々には最初から……選択の余地など残されてはいない」
断言され、兵士は右手を下げる。
表情を見る限り、納得のいったようにはとても見えなかった。
しかしソフィアは、一瞥も送ることなく話を続ける。
「皆の不満、そして不安は痛いほど理解している。ウルサの兵士だった者ならともかく、そうでない者にとっては割りに合わない戦に違いない。もし我が妹のために命を張れないのなら、どうかシモン=イナホのためにその生命を懸けて欲しい。なぜなら彼は――――――」
そこで口を動かすのを一旦やめて、ソフィアはルートミリアの方を一度だけ見た。これから話す内容に思い当たる節があるのか、ルートミリアは複雑な面持ちでソフィアが口を開くのを待っている。
いや、ルートミリアだけではない。
マリアンヌもクリステラも、なんともいえない表情でソフィアを見ていた。
本当なら、公にしない方がいい情報なのかもしれない。
だが兵士たちの心を動かすためには、言わなければならない。
他の方法を思いつくことは、遂にできなかった。
だからこそ、諦めの境地が背中を押す。
ソフィアは逡巡したものの、結局はソレを口にする。
「なぜなら彼は我らが君主……魔王サタンの生まれ変わった姿なのだから」
歓声もなければ、驚きの声もあがらない。
水を打ったような静けさだけが、大広間内を満たしていた。
大勢の、多くの種族の魔物が集まっているにも関わらず、兵士たちは皆が一様に驚愕の表情を浮かべ、完全に声を失っている。それはまた、ルートミリアを始めとする王女たちも、大臣のシフや補佐官のライトなどの幹部たちも同様の反応だった。
「我が父サタンはこの国を守るために一か八かの賭けに出て、そして賭けに負けた。だが父は最後の保険として、自らの魂を宿した人間をこの世界へ送り込んだのだ。それこそが異世界からやってきた料理人、シモン=イナホである。オレの魔能で調べたので間違いない。彼の心の中には、確かに魔王サタンの魂が宿っている」
説明はもう終盤だというのに、誰も口を開こうとはしない。
アドバーンとソフィアを除く誰もが、ただ呆然と壇上のソフィアへと顔を向け、脳の理解が追いつくのを待っている。
「この国に住む者は、全員が魔王サタンの庇護を受けていたはず。多かれ少なかれ、恩を感じているはずだ。魔王サタンは身を粉にしてこの魔王国を、そして皆を守ってくれた。次は我々が……彼への恩を返す番ではないだろうか? 薄情者はいらない。忠臣のみ、明朝に街の東門に集って欲しい。いまこそ、魔王への忠を尽くすときがやってきたのだ」
ソフィアが兵士らに告げ、喧騒と沈黙を繰り返した緊急集会は幕を下ろした。
兵士たちは会話すらなく、呆然とした様子でひとり、またひとりと大広間を去っていく。
やがてすべての兵士がいなくなったあとで、
「…………詳しく、話してもらおうか?」
ルートミリアが憤怒の表情を浮かべながら、ソフィアに言った。




