第214話 「桃源郷」
大きな盛り上がりを見せた森の中での食事会も、いつかは終わりがやってくる。
心も胃も満たされた面々は、和やかな雰囲気のまま後片付けを始めていた。
「これはここに積めば良いんだよな?」
主賓であるにも関わらず、稲豊は後片付けに積極的に参加する。
それが稲豊なりの、皆への感謝の表し方だった。
「ん?」
そんなとき、稲豊はネロの様子がどこかおかしいことに気がつく。
落ち着かないといった感じで、先ほどから忙しなく周囲へ目を走らせている。
「どうかしたのか? いつも以上に様子がおかしいぜ?」
「僕が普段からおかしいみたいに言うな! ぼ、僕は至って普通だよ。これから先の展開になど、何も心を踊らせたりはしていないさ!」
「ここから先? 何かあるのか?」
「な、何もないとも! ああ忙しいなぁ!」
ネロは明らかにおかしな様子を見せるものの、稲豊にはそれが何から来るものなのか分からない。仕方なく片付けを再会した稲豊だったが、そこへパイロが近づいてきた。
「おうイナホ、ネロ知らねぇ?」
猪車の死角に入っているため、パイロからはネロが見えない。
なので荷物で両手が塞がっている稲豊は、「そこ」と顔を向けてパイロに教えた。
「ネロ、親父が手伝って欲しいことがあるから、街まで付いてきてくれってよ」
「え!? い、いまから!?」
「ああ。城に納品するヒャクの状態を確認して欲しいんだと」
「そんなの兄さんでも構わないじゃないか!? ぼ、僕にはこれから外せない用事が――――」
「せっかく親子で仲直りしたってのに、ここで台無しにするつもりか? 引っ張ってでも連れてくからな」
「ちょ……ま、待ってくれ! 今日だけは! 今日だけは~!!!!」
パイロはネロの首根っこを掴むと、本当に引っ張って連れ出した。
その去り際、
「こんな弟だけどよ、よろしくしてやってくれや」
苦笑いとそんな台詞を残して、パイロはネロを引き摺り去っていった。
「頼まれちゃ仕方ねぇ。今日は二人共ありがとな!」
手をヒラヒラと振った兄とは対照的に、弟はいまにも泣きそうな顔をしている。稲豊は仲が良いのか悪いのかよく分からない兄弟を見送ったあとも、片付けに精を出した。
そしてひとつ、またひとつと猪車が去っていき、ふと我に返った稲豊は、周囲にいるのが自分とライトだけになっていることに気がついた。
「あれ? ルト様たちは?」
「姫様たちなら、あちらでお待ちです。付いてきてください」
「お待ち?」
いまひとつ要領を得ないが、稲豊は言われるがままライトの後を追った。
開けた森の丘を抜け、ひと一人が通れるのがやっとの道を歩くこと五分。
小さなせせらぎと共に、それは姿を露わにした。
「おお~! 川だ!」
そこにあったのは、森を流れる小さな川。
透き通った水が陽光を反射し、ダイアモンドのようにキラキラと煌めいている。木々の間から聞こえてくる小鳥のさえずりと、小雨の音にも似た川のせせらぎが心地いい。魚こそ泳いではいなかったが、まるで地球の小川を思わせる美しい場所だった。
『まるで風景画の世界だ』
美しい景色に目を奪われた稲豊は、ぼんやりとそんなことを考える。
「あ! きたきた! こっちこっち!」
そんなとき、誰かの弾んだ声が耳に届く。
稲豊はぼんやりとした状態のまま、顔だけをゆっくりと声のする方へ動かした。
するとそこには――――――――
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!????」
言葉にならない声が稲豊の喉を迸った。
さっきまでの穏やかな空気は瞬く間に霧散し、ぐつぐつと煮えたぎった感情が丹田より湧き上がる。それほどまでに、眼前に広がる光景は刺激に満ち溢れていた。
川縁では王女たちが思いおもいの場所に佇んでいて、マリアンヌとアリステラが稲豊へ向かって手を振っている。そこまでは別段おかしくもない光景だが、問題は彼女たちがしている格好にあった。
誰に視線を向けても、肌、肌、肌。
くびれた腹部も、すらりとした生足も、あられもなく曝け出されている。
そう。
彼女たちが身を包んでいたのは、神のつくりたもうた最高傑作。
――――――――――――水着だった。
「なな、ななななななななッ!?」
「お父様ぁ。この服、似合うかしらぁ?」
そういって、稲豊の腕に自分の腕を絡めるアリステラ。
彼女の着る水着は桃色のビキニだ。小さなフリルと短いスカートが付いた、アリステラらしい可愛らしい仕上がりになっている。
人にくっつく癖のある彼女が着れば、その破壊力は計り知れない。
右腕にダイレクトに胸の感触が伝わり、稲豊の心拍数は上がる一方だった。
「手を離せアリス! お父上が困っているじゃないか!」
アリステラを嗜めるのは、双子の姉のクリステラだ。
彼女の着る水色の水着は、妹のアリステラの色違い。しかし何と言っても、特筆すべきはその肌の美しさにある。曝け出されたきめ細やかな白い肌そのものが、稲豊の何かを刺激する。
「ちょっとたんま! なんで水着!?」
「何を仰ってるのお父様? ここからが遊宴会の後半開始かしらぁ。だからアリステラたちは、大人しくしてましたのよ?」
「こ、後半?」
「はいお父上。お父上の疲れを少しでも癒そうと、皆で考えたんです。それと、この可愛らしい衣装は彼女に作ってもらいました」
クリステラが指差す先には、同じく水着に身を包んだナナが、満面の笑みを浮かべて立っていた。ナナは少女らしく、スクールタイプの水着を着用している。大きなお尻まで覆う水着の構造が気になった稲豊だが、そこは敢えて口にしなかった。
「この水着はナナが作ったって?」
「はい! オネットさんの所へいって、作り方をおしえていただいたんです!!」
「なるほど……。そういえばオネット卿は、色々なブティックを経営してたっけ」
朝ナナがドタバタしていたこと。
オネット卿が遊宴会に参加していたこと。
何となく感じていた違和感に、合点がいった。
「グッジョブだ! ナナ!!」
「えへへ~!」
最高の賛辞を贈り、桃源郷の立役者の頭を撫でる稲豊。
そこへ、ウルサが飛翔しながらやってくる。
「ホント可愛いよねコレ! どうシモン君? 悩殺されそう?」
「ま、まあ悪くないんじゃないか?」
ウルサの水着は紫のチューブトップ。
体の起伏の乏しい彼女だが、ウルサの魅力は年齢にそぐわない妖艶さにある。
子供と大人の中間にいるような、そんな怪しい魅力。ここに彼女の分身がいないことに、稲豊はホッと安堵の息を漏らした。
「へぇ、ソフィも水着なんだな」
「オレが可愛らしい服を着ちゃ悪いのか? ふん……似合わないってことくらい、自分でも分かってるよ」
わざわざ持参したベンチで横になっているのは、茶のワンショルダービキニを着たソフィアだった。
確かに他の王女たちに比べて地味めな水着には違いないが、いつも厚着の彼女が肌を晒しているという事実だけで、何か特別な気がしてしまう。しかも着痩せするソフィアの胸は、童顔とロリ体型には似つかわしくない成長っぷり。その道の人間には、大きな需要が期待されるレベルだ。
「んなことねぇよ。普通に似合ってるって!」
「………………フン」
ぷいと体を横に向けたソフィアだが、少し覗く頬は朱に染まっている。
稲豊が『珍しい姿が見れた』と妙な関心を覚えていたところで、川の一部がいきなり隆起を始めた。
「イナホ、一緒に泳がないか? お前の水着も用意してあるそうだぞ?」
「ミ、ミアキスさん!?」
水面から現れたミアキスの水着は、シンプルな黒の三角ビキニ。
シンプルなだけに、鍛え上げられた肢体が際立つ。胸は豊満なのに、腰はしっかりと括れていて、足はスラリと伸びている。この場の誰よりも、均整の取れたプロポーションと言えた。さらに濡れた髪と尾が金色に輝いていて、もはや神々しささえ感じるほどである。
「待ちーや、感動するにはまだ早いで?」
「うッ!?」
背後からの声に、稲豊は戦慄を覚えた。
もし振り返ってしまったら、とんでもないことになるかもしれない。
だがしかし、男としての本能が、拒絶することを拒絶する。
「ぐわぁ!?」
恐る恐る振り返った稲豊は、あまりの衝撃に吹き飛ばされそうになった。
声の主は、赤い水着を着たマリアンヌ。
下半身の半分以上がパレオで覆われ、残念ながら艶めかしい足を拝むことはできない。しかし、それを補うのが、上半身にあるダイナマイト級の双丘だ。ミアキスも大きいが、その一回りはマリアンヌの方が大きい。男ならば視線は釘付けにされ、様々な妄想……もとい想像に苛まれることは避けられない。
「うち泳ぐの苦手なんや~。ハニーが手取り足取り教えてくれたら、嬉しいなぁ」
「ぐおぉ……そ、その指を止めろ~!」
ピタリと密着したマリアンヌは、稲豊の胸に指でのの字を書く。
上目遣いと、至近距離まで迫った胸の谷間も相まって、稲豊の理性はゴリゴリと削られていった。ここに他の誰もいなければ、押し倒していたとしても不思議ではない。
「南無三!」
「ええっ!?」
煩悩を鎮めるため、稲豊はコートを着たまま川に飛び込んだ。
皆は驚きの表情を向けたが、そうしなければ、とんでもないところがとんでもなくなるので仕方ない。
「ふ……ふふ……! こ、これでなんとか…………ん?」
勝ち誇った笑みを浮かべる稲豊。
だが次の瞬間、彼の目はある一点に縫い付けられた。
「ほらほらお姉さま! せっかく着たんですからぁ」
「し、しかし……ちと子供っぽい……」
「大丈夫ですって。ここまで来て逃亡する方が子供みたいですよ?」
「う……うむ! そうじゃな、こんなことで怖気づいていては魔王に……でも」
クリステラとアリステラに挟まれたひとつの影。
ふたりの体でよく見えないが、それが誰だかは声で分かる。
川の中の稲豊は、無意識に喉を鳴らした。
やがて一頻りの押し問答を終え、覚悟を決めた彼女は、もじもじと恥ずかしそうにその姿を露わにする。
「ど、どうかの?」
そう不安気に訊ねたのは、白の水着を着たルートミリアだ。
青いスカートの付いた、確かに一見は少女が着るような水着に見える。
胸もマリアンヌらと比べ小さいため、幼さをより演出してしまう。
「………………………………」
だがそんなことは、稲豊にはどうでも良かった。
重要なのは、いつも堂々としているルートミリアが、気恥ずかしそうにしているギャップにこそある。
足を小刻みに動かし、頬を染め、合った視線を逸らす仕草は、稲豊のハートを情け容赦なく撃ち抜いた。
「ぶはっ……!!!!」
限界を越えた理性は崩壊。
稲豊は空中に赤色の虹を描いたのち、川の底へと沈んでいった。




