第213話 「人生最高の祝日」
会話がないまま、小一時間。
猪車の行く末と重苦しい空気に翻弄された稲豊は、揺れが止まったのを椅子越しに感じ、安堵の息を漏らした。
「ここ……どこですか?」
窓の向こうの景色には、見慣れぬ木々が映っている。
クロウリー家の周囲の鬱蒼としたそれとは違い、どこか明るい雰囲気を醸し出していた。
「モンペルガの南、妾たちの屋敷からは南西にあたる場所じゃな」
「こんな所に用事が? いったい、ここで何をするんですか?」
「百聞は一見に如かず。準備は整っておるから、後はその眼で確かめるといい」
「はぁ……」
何がなにやら分からないといった様子の稲豊は、少し警戒しながら猪車を降りる。そして爽やかな陽光に照らされた森の中、何とはなしに青く澄んだ空を見上げた……そのとき――――――――
「「「 勤続一周年!! おめでとう~~!!!! 」」」
大勢の祝福の声が、辺り一面に響き渡った。
それと同時に、いくつもの爆発魔法が空に上がり、大きな破裂音が大気を震わせる。
「…………へ?」
狼狽する稲豊が視線を空から地上へ下ろすと、
「お父様! おめでとうございますわぁ」
「ハニーおめでとう! ルトの所ってのが気に入らんけどね!」
「え? ええ?」
アリステラとマリアンヌが、待ちきれないといった様子で両側から稲豊の腕をとる。まだ状況が飲み込めない稲豊が正面へ顔を向けると、そこは異世界でありながら、別世界の光景が広がっていた。
純白のクロスが眩しい丸テーブルが置かれ、それを三方から長テーブルが囲っている。長テーブルの上には様々な料理が並べられ、まさに壮観のひとこと。さらにテーブルの向こう側には大きな花のアーチが掛けられ、華やかさを演出していた。
アーチには横断幕が掲げられいて、そこには『シモン=イナホ、勤続一周年記念遊宴会』の文字。長テーブルの側にはたくさんの見知った顔があり、ほぼ全員が顔をほころばせていた。
「こ、これって――――?」
「見ての通りじゃ」
ルートミリアが猪車から降りてくる。
表情は先ほどまでと打って変わって、どこか穏やかなものだった。
「さぷらいず? というやつじゃな。お前が妾の屋敷で働きだして、今日でちょうど一年。この記念すべき日を祝おうと、皆で準備を進めておったというわけじゃ」
クロウリー家の面々に、王女姉妹たち。
ライトの姿もあれば、ネロやタルタルやターブの姿もある。
奥の方にはオサやパイロ、非人街の子供たちもいて、さらにはマーリー・オネット卿や、ネコマタのエイムまでこの催しに参加していた。
「お、俺の為に……皆が?」
ようやく、沸々と実感が湧いてくる。
胸の奥がじんわりと温かくなり、それが伝わったのか目頭が熱くなった。
だが、大勢の見てる前で女々しい姿を見せる訳にはいかない。
稲豊は瞼をギュッと閉じて、熱が去るのを待ってから言った。
「それじゃあ、今日ルト様たちが朝食に参加しなかったのは……」
「無論この為じゃ」
あっさりと答えるルートミリアを見て、稲豊は今朝の自分の行動が恥ずかしくなった。皆がサプライズの為にひた隠していた事実を、駆けずり回って暴こうとしていたのだから。
「さあ、イナホ様! “しゅひん”はここの席ですよ!!」
「おう!」
ナナに案内されるまま、稲豊は丸テーブルの一番奥の席に腰を下ろす。
すると近くにいた者たちが、意気揚々と話しかけてきた。
「遅いぜ主役! 今日はヒャクを大量に持ってきたから、羽目を外して楽しもうな!」
「待て待て。記念すべき日には違いないが、皆に失礼のないようにな。倅が馴れ馴れしく申し訳ありませんイナホ殿」
「構いませんよ。かしこまられるよりは、馴れ馴れしくされた方が俺は嬉しいので。今日はオサさんも思いっきり楽しんじゃってください!」
今日はすべてが無礼講。
「イナホ~! もうごはん食べていい~?」
「わたしアレ食べたい!」
「ハハハ、あとで一緒に取りに行こうな?」
子供も大人も関係ない。
この場は皆が同じ立場だ。
「シモッチー。ごめんね黙っててさー」
「その代わりといってはなんだが、僕たちで腕によりをかけた絶品を用意した。お前の舌にはもったいないほどの料理だ、味わって食えよ?」
「気にすんなって! 箝口令が敷かれてたんじゃ仕方ねぇよ。早朝から準備してくれてたんだろ? ありがとうな! タルタル!」
「僕は!?」
盛大さは料覧会に劣るかもしれないが、稲豊にとっては比べるまでもない。
「…………ターブちゃんが言ってくれたの。…………『にんげんもいっしょがいい』って」
「へぇ~? 良いとこあるじゃねぇかターブちゃん!」
「………………うるせぇ」
人も魔物も関係ない。
「ほらイナホ、あ~ん」
「あ、あーん」
「ずるいですミアキス様! ナナもイナホ様に“あーん”したいです!!」
気心の知れた仲間たちが集まる、森の中の遊宴会。
「おお~い! 追加の食材はここに置けばええがかよ?」
「なぜ吾が荷運びなど…………」
「ドンさんにネブまで!?」
卓を囲んで食べる皆との食事は、特別な味わいがした。
「エイムさんにオネット卿まで、すみませんわざわざ」
「………………」
「お気になさらず――――とオネット卿は申しております」
「エイムのことも気にするにゃー! わっちはお呼ばれしただけなのにゃ。マルコにも声をかけたけど……。本当に困った奴にゃー」
「まあ、仕方ないッスよ。マルコさんの気持ちは分かります」
参加しなかった者もいるけれど、
「どうしたライト? 神妙な顔をして」
「ああ、いえ……少し考え事を」
「もしかして…………レフトのことか?」
「…………はい。この光景を兄が見たら、どれだけ喜んでいたことだろう――――と。この愉快な宴で、しんみりして申し訳ありません」
「いや、いいよ。俺も同じことを考えていたから」
参加できなかった者もいるけれど、
「今日は皆さん、俺なんかの為にこんな………………ぐす」
「イナホがんばれ~!」
「おうよ! 本日は本当に……本当にありがとうございました!!」
この日は人生最高の祝日として、稲豊の記憶に刻まれた。




