第210話 「オシャレなら仕方ない」
命懸けの激闘から数分後。
まるで先ほどの戦いが嘘だったみたいに、沼地には平穏が訪れていた。
馬を連れて戻ってきたエルブの魔法によって、意識を取り戻したレトリアと稲豊の傷は治癒され、もはやどこに傷があったかも分からないほど。割れた沼も周囲を水浸しにはしたが、いまはもう何事もなかったように元の様相を取り戻していた。
「このガキで最後だぜ!」
ハーピーとの戦いに参加できなかったティオスは激しく悔しがり、汚名返上とばかりに子供の救出に積極的に参加する。身の軽いティオスとシグオンの活躍により、子供たちはようやく地上の土を踏むことが叶った。
「兄ちゃん!!」
「サイセ! 無事か? どこか怪我はないか?」
「へへ~! へっちゃらだよ!」
サイセは犬歯の抜けた朗らかな笑顔を見せる。
他の子供たちも同様で、念の為にかけた治癒魔法が必要ないほどだった。
「つかまったときはこわかったけどね!」
「捕まったとき? じゃあ、巣に入れられてからは怖くなかったのか?」
「うん! アイツぼぉ~っと見てただけだから!」
ハーピーは獲物が弱るのを待ってから喰らう――――
稲豊は、ファシールの言葉を思い出していた。
「さあ、子供たちも発見できた訳だし、そろそろ戻ることにしよう」
「で、でも……二名の兵士がまだ……」
「明日にでも捜索隊を派遣する。彼らには悪いけど、これ以上は僕たちも危うくなってくるからね」
レトリアの胸中は複雑だったが、日が暮れるに連れ霧が濃度を増してきている。このままでは、帰り道すら分からなくなってしまうだろう。
断腸の思いでファシールの提案に従った面々は、子供たちをそれぞれの馬に乗せると、周囲を警戒しながら霞の沼地を後にした。
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「サイセ!!」
「母ちゃん!」
夕焼け色に染まった北東門の下で、再会した親子が固い抱擁を交わす。
息子の方は周囲の視線にこそばゆげに身を捩ったが、その顔にはどちらも満面の笑みを浮かべている。
そんな光景が合わせて三つ。
子供たちを心配し北東門に駆けつけた親は、人目も憚らず泣き、そして笑っていた。
「勇者様! この度は私の部下の不手際によりお手を煩わし、誠に申し訳ありませんでした!!」
「まあ、あまり責めないであげてよ。彼らも必死に戦ったんだ」
「いえ! 魔獣ごときに遅れを取っていては、誉れあるエデン兵士の名折れです! 明日の捜索で見つけたら、また厳しく指導してやりますとも!」
「…………ああ、そうだね。いまはふたりの無事を祈ることにしよう」
抱擁を交わす親子と少し離れ、ファシールは将校と話している。
トライデントの三人は親子を眺めているので、稲豊とレトリアには丁度、手持ち無沙汰な時間が生まれていた。
「君のおかげで、子供たちを無事に助けることができた」
「そ、そんなことない! ソトナがいなかったら、きっと子供たちのところへ辿り着けもしなかったわ! もしかしたら、私たちが遭難していたかもしれない。ここにいる皆が無事なのも、ソトナのおかげよ」
「いいや! あのとき君が聖剣を見つけてくれたから、無事に帰ることができたんだ! もしあれがなかったら、ハーピーにやられてたよ」
「違うわ! あなたが紙袋のヒントから、子供たちを見つけてくれたからよ!」
「いやいや! 君は皆の命の恩人だ!」
「いいえ! あなたの功績が大きいわ!」
鼻が当たりそうなほど顔を近づけた稲豊とレトリアは、数秒のあいだ睨み合う。
しかし次の瞬間、どちらともなく吹き出していた。
そして一頻り心から笑いあったふたりは、
「いやぁ~、『どっちが?』ってことじゃないかもしれないね」
「ええ、そうね。きっとこの中の誰が欠けていたとしても、上手くいってなかったと思う」
「そうだね、きっとここにいる皆のおかげだ。でも、君には何度も命を助けられたから、この言葉だけは受け取ってほしいな。ありがとう、レトリア」
「そ、そんな……お礼を言いたいのは私の方で――――――――」
夕日よりも顔を赤くしたレトリアは、そこで言葉に詰まった。
やがて驚きに満ちた表情を稲豊の方へ向けた彼女は、
「いま…………レトリアって……?」
自らの耳の調子を疑いつつ、小さな声で聞き返した。
反応を予想していた稲豊は、どこか申し訳なさそうな笑顔を浮かべる。
その笑顔から色々と悟ったレトリアは、観念のため息をひとつ漏らしてから言った。
「やっぱり、気づいちゃう?」
「あれだけの魔法を見せられちゃね。どう考えても一般市民の扱えるレベルじゃないよ。それに、トライデントの三人の反応もどこかぎこちなかったし」
それは嘘ではない。
しかし、決定打となったのは、魔神の舌から得た情報である。
鍛えられた肉体もさることながら、稲豊が引っ掛かったのは生門の器だった。レトリアの体内にある生門の器が、普通では考えられないほど大きかったのだ。
魔族すら連想させる大量の魔素。
それが決め手となって、稲豊は彼女が只者ではないことを知った。
「ごめんなさい。……天使だって分かったあなたに、態度を変えられるのがどうしても嫌だったの。できることなら普通の女の子として、ソトナには接して欲しかったから」
夕日が沈むに連れ、レトリアの表情にも影が落ちる。
紡ぐ言葉は、少し震えてさえいた。
「神咒教の保護施設の出身っていうのは?」
「あれは本当。宿り木の家で暮らしていたところを、お母様に拾われたの。私に天使になれる素質があったから……」
「……そうなんだ」
「本当にごめんなさい! …………お、怒ってる?」
イタズラがばれたときの子供のように、レトリアは涙目になって稲豊の様子を窺う。上目遣いでおずおずと覗く仕草は、嗜虐心と父性本能を同時に刺激された。
複雑な感情の狭間で悶える稲豊だが、最終的には父性本能の方に軍配が上がる。
「怒ってなんかないさ。誰にだってその……隠し事のひとつやふたつ、あって当然だよ」
「ソトナにも、人に隠してることがあるの?」
「もちろん。エデンの誰にも言ってない、姿があるよ。まあでも……そうだな」
稲豊はそこで考えるような仕草を見せる。
そして少し間を置いてから――――
「レトリアにはいつか、話せる日が来るかもしれない」
「ほんと? えへへ、嬉しいな」
文字通り、天使の笑顔を覗かせるレトリア。
心臓を無理やり高鳴らせるほどの威力を持つ彼女の笑顔から、稲豊は逃げるように目を逸した。
このままでは、抱きしめたくなってしまう。
稲豊は邪な感情を吹き飛ばすため、わざとらしく声を上げた。
「ああ! もうこんな時間! 父さんが心配してるだろうから、早く家に帰らないと!」
「そうね。心配してくれる家族がいるなら、早く安心させてあげないとね」
このままこの場にいては、帰りがいつになるか分かったものではない。
それに過去に会っていることを、トライデントに思い出されても面倒だ。
「それでは皆さん! ごきげんよう!」
稲豊はそれだけを口にし、皆に背を向け駆け出した。
「あら? もうですの?」
「せっかちな恩人でござるな」
「記者の兄ちゃん、色々とあんがとよ~! 次に会ったときは、一緒にメシでも食おうな~!」
トライデントの三人が手を振る。
立場上は敵だというのに、悪い気はしなかった。
そのとき、反射的に手を振り返した稲豊と、ファシールの視線が交差する。
「ちょっと待った」
「え?」
ファシールが小走りで稲豊へ近づく。
そのまま去るわけにもいかなかった稲豊は、仕方なく足を止める。
「ひとつ君に訊きたいことがあってね」
「なんですか?」
稲豊が聞き返すと、ファシールは視線を少し上にずらしてから言った。
「なんでカツラなんてもの被っているんだい?」
訊ねるファシールの表情は、いつもと同じ余裕の笑み。
その心の内は、まったく覗えそうにない。
だから稲豊は、もう取り繕うとはしなかった。
「やっぱり気づいてたんですね。ハーピーに飛ばされたとき……ですか?」
「ああ。訊くべきかどうか悩んでいたんだが、やはり気になってね」
遡ること、数時間前。
稲豊はハーピーの暴風にやられたとき、一緒にカツラも吹き飛ばされていた。
ファシールが沼を割った衝撃から我に返った稲豊は、同時に自身がカツラを付けていないことに気づく。幸いカツラはすぐに見つかり事なきを得たのだが、その様子はしっかりとファシールに目撃されていた。
「背中を向けてたんで見られてないと思ってたんですけど……。その眼帯、実は特別製で、左目は本当は見えてるんじゃないですか?」
「ハハハ。疑うようなら、近くで見てみるかい?」
「へ?」
あっけらかんと答えたファシールは、あっさりと左目の眼帯を外した。
するとその下から、何の変哲もない彼の左目が出現する。
「ほら? この眼帯にも僕の瞳にも、何も細工はないだろう?」
「細工がないのは分かりましたけど……だったらなんで眼帯を? あ、もしかして修行の一環とか?」
「アハハ、僕はそこまで勤勉じゃないさ。これは僕の親友の物で、彼との友情の証なんだよ。オシャレなデザインで気に入っているんだけど、見えづらくて少し不便なんだよね」
「プッ! なんスかそれ」
ファシールという男の天然っぷりには、呆れを通り越して笑いさえ込み上げてくる。度肝を抜かれてばかりの稲豊は、悔しさからちょっと意趣を返したくなった。
「このカツラも同じですよ。俺なりのオシャレです!」
「なるほど、そうきたか。これは一本取られたね! ハハハ」
稲豊とファシールは、愉快に笑いあう。
友人同士で話すときのような、爽やかな笑いだ。
「それじゃ、失礼しますね」
「ああ。機会があれば、また会おう」
稲豊は皆に最後の手を振った。
それにはレトリアたちだけでなく、ファシールやサイセたちも応えてくれる。
一仕事を終えた気分の良さを感じながら、稲豊は今度こそ北東門を後にした。
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アート・モーロの仮宿に帰った稲豊を迎えたのは、青い顔をしたアダンだった。
『無事で良かった! ああしかし、話すよりも先に城に戻った方が良い。大変なことになっているぞ』
稲豊の帰りが遅いので、規定通り城へ報告したアダン。
その結果、魔王城ではいま、大変な事態が起こっていた。
大急ぎで箪笥にある魔法陣から、貴族街にある双子王女の部屋へと戻った稲豊。
そこで彼を迎えたのは、またもや顔色を青くしたネロだった。
『お前!? って説教は後だ、とにかく城へ迎え! 足なら用意してやる!』
焦燥感をどんどんと募らせながら、稲豊は猪車に乗り魔王城を目指す。
ほどなくして魔王城に到着し、中庭に辿り着いた稲豊が見たものは――――
「よし! 準備はよいかお前たち?」
「ルートミリアお姉さま、戦闘の許可をくださいなぁ! いざとなったら、どんな手を使ってでもお父様を救出いたしますの!!」
「そうや! アート・モーロを火の海にしてでも、ハニーを助けんと!!」
「姉上……我が隊の準備は万全です! 出撃の許可を!!」
「すべて許可する! さあ、みな妾に続け!! エデンへ乗り込むぞ!!」
暴走モード真っ只中の、王女たちの姿だった。




