第207話 「なりそこない」
「こっちが正しい道……だと思う」
稲豊が指差したのは西。
東方に比べれば、足場の悪い地面が続いている。
しかし皆は足場の悪さよりも、稲豊がなぜ西方を推したのかが気になっていた。
「なぜそっちの方角だと? ハーピーの羽に、何か違いがあるのかい?」
「その……はっきりとは言えないんですけど……。俺にはどうしても、このハーピーの羽が子供を攫ったときに落ちてたのと同じ羽に見えるんです」
「根拠は?」
「えっと……それは………………」
ファシールに追求されるが、本当のことは口が裂けても言えない。
かといって上手い言い訳も思い付かない。
結局、稲豊はしどろもどろに返事をすることしかできなかった。
「まさか…………勘かい?」
「ええ、まぁ…………」
幾つかの怪訝な瞳が投げかけられる。
あまりの居心地の悪さに、稲豊が俯きかけたそのとき――――
「よし! 彼の言う方へ行ってみよう」
予想を裏切り、ファシールは稲豊のいう西方を指差した。
「で、ですけど……百歩譲って、そこに落ちていたのが子供たちを攫ったハーピーの物だとして、そちらの方角に巣があるかどうかは別の話では? もし間違っていたら……」
「きっと大丈夫さ」
エルブが当然の疑問を投げかけるが、ファシールは気軽に返すだけ。
彼のあまりの軽さに毒気を抜かれ、皆が言葉を失ってしまう。
そんな無言の疑問に少しでも応えようと思ったのか、西方へ向かっていたファシールが足を止めた。そして一拍を置いてから、振り向きざまに口を開く。
「僕の勘もこっちだって言っているんだ」
もう、ファシールに異を唱える者は現れなかった。
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西の方角へしばらく歩いていると、濃霧の中に大木の姿が浮かんでくる。
それは十階建てのビルにも相当する、太さと高さを兼ね備えていた。
根が半分ほど沼に浸かっているにも関わらず、巨木は枯れ、一切の生気を感じさせない。
「こっちは腹ぺこだってのに、木の実ひとつ生ってねぇ……。こんなんじゃ、ハーピーどころか普通の動物だっているかどうか……」
「そういうこと言わないの。子供たちを無事に連れて戻れたら、皆でお祝いしましょう? ティオの食べたい物、何でも作ってあげるから」
「マジでッ!? じゃあステーキとミートスープと肉団子と……ああ~! むっちゃやる気でてきた! リアの作る料理はマジで美味いからなぁ。さっさと片付けて、ゼッテー腹いっぱい食ってやる!! うおぉ~ガキ共どこだ~!!??」
ご褒美につられたティオスは、よだれを拭きながら大声を上げる。
単純で微笑ましい彼女の姿は、陰鬱な景色のなかで一服の清涼剤となって、皆の表情に笑顔を灯した。
しかも、好事はこれだけに留まらない。
「え?」
稲豊の前髪を掠め、小さな何かが目と鼻の先を通り過ぎた。
それは乾いた音を立てながら、足元で跳ねるように転がる。
「これって……」
稲豊は最初、茶色いそれが小石のように見えた。
しかし右手で掴み持ち上げてみると、やたらと軽い物でできていることに気がつく。石でも木くずでも、ましてや虫なんかでもない。
「まさか!?」
右拳を力いっぱいに握り締めながら、稲豊は急いで天を仰ぐ。
限界まで開いた目を凝らしたのは、枯れた大木の上の方だ。
「どうしたでござるか?」
「上の方に何かございますの?」
必死の形相をする稲豊を見て、周りの皆も習うように大木を見上げる。
視界に映るのは、枯れて草も生やさない枝に、皮の剥げ落ちた木の本体。一見では、何も引っ掛かることのない光景だが、稲豊にはひとつの確信があった。
やがてその自信を裏付けるかの如く、この場にはそぐわない『あるもの』が視界に飛び込んでくる。それは枝で隠れるように、ひっそりと作られた穴の中にあった。
「あ……! あそこッ!!」
「ああっ!?」
稲豊が指差すことで、その場にいた全員が状況を察した。
地上から十数メートル離れた木の穴の中に、白い何かが揺らめいている。
ジッと目を凝らして見てみれば、それが攫われた子供たちの着る白い服であることがよくわかった。子供たちはいまにも泣きそうな表情で、一行へ必死に手を振っている。
表情は暗いが元気そうな姿に、稲豊たちはまず安堵の吐息を漏らした。
「兄ちゃんやるじゃん!」
「ほんと! ソトナ、どうしてこの木がハーピーの巣だってわかったの?」
「この高さじゃ、子供らの声も聞こえなかったでござろう?」
先ほど見せた怪訝な瞳はどこへやら。
いまや羨望の瞳を向けられた稲豊は、少し得意気になって言った。
「コレのおかげだよ」
稲豊が右拳を開いて見せたのは、くしゃくしゃに丸められた紙の袋だ。
その紙袋を見るなり、レトリアはハッとした顔で口を開く。
「お菓子の袋ね!」
「正解!」
紙袋は、サイセからのメッセージ。
樹上から稲豊の姿を見つけたサイセは、自分たちの存在に気付いてもらおうと、紙袋を丸めて放り投げたのだ。
紙袋を普段から目にしている稲豊なら、きっと気付くに違いない――――
そんな願いの込められた、サイセなりの救難信号だ。
「いま行くからな! ちょっと待っててくれ!!」
聞こえるかどうか自信はなかったが、稲豊は少しでも安心させようと声をかける。しかし、逆に子供たちの反応は激しくなっていった。安堵とは程遠い顔で、何かを必死に叫んでいる。
「き・を・つ・け・て――――と言っているようだね」
「聞こえるんですか!?」
「いや、口の動きを読んだだけさ」
「見えるんですか!?」
眼帯に覆われていない右目を使い、ファシールは遠く離れた子供たちの唇の動きを読む。その人間離れした所業に、稲豊は呆れながら驚くしかなかった。
「あ・ぶ・な・い」
子供たちの言葉を次々と解読していくファシールだが、その内容は不穏なもの。
「う・し・ろ」
「……危ない後ろ?」
言葉をすべて解読したあと、一行は同時に振り返る。
するとそこには、視界いっぱいに桃色の景色が広がっていた。
「けぇぇぇええええぇぇ!!!!!!」
桃色の正体は、先ほど戦ったハーピーの三倍以上の体躯を持つ、巨大ハーピーだった。十メートルを有に超える両翼を広げ、既にかなりの距離まで迫っている。
「あぶない!!!!」
地面スレスレを飛ぶハーピーの突進を紙一重で回避した稲豊たちは、大木を背に飛翔するハーピーを睨みつけた。しかし負けじと、ハーピーも不気味な鳴き声で一行を威嚇する。
どこからともなく現れた巨大怪鳥に心底驚いた稲豊だったが、彼以上にハーピーに恐怖したものがいた。
「ヒヒィィ!!!!」
「ヒヒヒィィィーン!!!!」
ティオスとシグオンが手綱を握る、三頭の馬たちだ。
ハーピーの鳴き声に驚いた馬たちはパニック状態になり、あらぬ方向へと一斉に駆け出した。
「う、うわ!? ちょ、ちょっと落ちつ――――あだだだだだッ!?」
「もう少し拙者が大きければ……無念でござるるるるる」
小さなふたりは、馬に引きづられどんどんと離れていく。
『このままではいけない!』とエルブが走り出そうとするも、すぐに足を止めてレトリアの方を向いた。
「ここは私たちで何とかするから、エルはふたりの救出に向かって! 馬がなかったら、子供たちを連れて帰ることもできなくなるわ!!」
「――――! 承知いたしました!」
無茶苦茶に走る馬を追って、エルブは去っていった。
この場に残ったのは稲豊とレトリア……そしてファシールだけとなる。
すると敵の数が減るのを上空から眺めていた巨大ハーピーは、醜悪な老婆の顔で笑みをこぼした。そして一呼吸を置いてから――――
「おお……おなが…………へったねぇ~~…………!」
人間の言語で、たしかにそう言葉を発した。
巨大な体躯よりも、
魔獣が笑ったことよりも、
人語を話すことに、稲豊とレトリアは驚愕する。
あまりの驚きに言葉を失う稲豊たちだったが、そんななか、ファシールだけは言葉を紡ぎ続けた。
「どうりで、大人しいはずのハーピーたちが凶暴化していたわけだ。群れを率いているリーダーが『成り損ない』だったとはね」
「なり……そこない?」
聞き慣れない言葉を聞いた稲豊は、無意識のうちに聞き返していた。
するとファシールは、
「最初の魔物がどこからやってきたのか……君は知っているかい? 答えは魔獣の突然変異。極稀に、知能と魔素を多く持った個体が生まれてくるんだ。人はそれを魔物と呼び、そして中途半端な突然変異を起こし『魔物に成れなかった個体』を、成り損ないと呼ぶようになったのさ」
「魔物ほどではないけど、知能と力を持っているんですね。…………って、悠長に話してる場合じゃないですよ! あ、あんなのどうやって倒せば良いんですか?」
「なあに、問題ないさ。この聖剣『トワイライト』さえあれば、あんな魔獣は恐るるに足りな――――――――うん?」
饒舌に語っていたファシールの言葉が、急に止まった。
異変とも取れる勇者の言動に、自然と稲豊とレトリアの視線が集中する。
そんななか、ファシールはきょろきょろと周囲を見回し、やがて諦めたように顎に右手を当ててから口を開いた。
「聖剣が……どこかに行ってしまった」
捜索隊を結成してから、最大のピンチの到来。
それを知ってか知らずか、巨大ハーピーは口角を釣り上げ、稲豊らに再び醜悪な笑みを見せつけた。




