第206話 「トライデントの実力」
六つの巨大な眼が、樹上から稲豊たちを睨みつける。
仲間が倒され怒り狂った魔獣ハーピーは、獲物を見逃す様子はまるで見せなかった。
だがそれは、一行とて同じこと。
「よっしゃあ! 久しぶりの戦闘……腕が鳴りっぱだぜぇ!!」
「待つでござるティオ。まだ馬を繋ぎ終えてない」
「んなの、あちらさんに言えっての!!」
ハーピーが一行の準備が終えるのを待つわけもなく、三羽は止まっていた枝を次々に蹴る。そして猛スピードで滑空したかと思うと、大口を開けて皆に襲いかかった。
「おおっと! 当たるかバーカ!」
鋭い速度だが、まっすぐな攻撃ほど避けやすいものもない。
ティオスは横っ飛びで大口を回避すると、両の腰に付けた鞘から二つの片手剣を取り出した。
「おらよ!!」
鍔についた小さな金具を押して安全装置を解除したティオスは、狙いを定めて左手の片手剣を振る。普通なら届かない距離にいる相手だが、彼女の繰り出した剣にとっては例外となる。
カッターナイフのように幾つもの線が入った剣は、世界で彼女だけが操る伸びる剣。二本のワイヤーで繋がれた刀身は、するすると伸びて数メートル先にいたハーピーの体に巻きついた。
「ぎぃぃぃ!!」
「もがけばもがくほど、刃が食い込んで毒に侵されるぜ? もう遅ぇけどな」
刃に塗られた猛毒は、わずか数秒で体の自由を奪う。
ハーピーは口から泡を吐き、やがて動かなくなった。
「ウキィウキィ!?」
「こちらにも来ましたわ! シグ、なんとかできそうかしら?」
「ふ~……せっかちなキノコ野郎でござるな」
『やれやれ』と首を振るシグオン目掛けて、ハーピーの巨大な口が迫る。
しかし――――
「ぎぃええ!?」
突如としてハーピーの目の前に出現したのは、土でできた巨壁。
回避する間もなく頭から激突したハーピーは、そのあまりの衝撃に耐えることができなかった。本来なら曲がらない方向へ首を曲げ、痙攣したのち絶命する。
「何も考えず突っ込むとそうなるでござるよ。っと、馬はおーけーでござるな」
「こちらも結び終わったわ。ようやく武器が持てるわね…………あら?」
エルブが弓を構えるのと同時に、残った最後のハーピーが背を向ける。
先陣を切った二羽の攻撃が不発に終わったのを見て、旗色悪し――と逃げ出したのだ。
「つれない反応……でも逃しませんわ」
ギリギリと引かれた弦には、異様な形状の弓矢が装填されていた。
鏃から先は緑で、矢羽には楕円模様が特徴的な赤い羽が使用されている。
「やっ!」
掛け声が発射の合図となり、赤い花のような矢が空を駆ける。
それはまるで手繰り寄せたかのように、正確にハーピーの喉笛を貫いた。
「お見事」
称賛の拍手を贈るファシールの足元へ、白目を剥いたハーピーが墜落する。
いきなり現れた三羽のハーピーの襲撃。
そのあっという間の撃退劇に、稲豊はあんぐりと口を開けることしかできなかった。
「三叉の矛の名前は、伊達じゃないんですね」
「あたぼうよ! そんじゃそこらの兵士とは鍛え方が違うぜ!」
「エデンの民を守るために、拙者たちは日夜、修行を頑張ってるのでござる」
「おうよ! 魔物やら魔獣やらエデンの驚異はたくさんあるから、せめてオレたちが強くならねぇとな!」
ティオスとシグオンは、自信たっぷりに微笑んだ。
ふたりともまだ少女と呼べる年齢なのに、小さな背中には十万を超えるエデン国民の命を背負っている。
その覚悟に触れた稲豊の胸中は、複雑な想いでいっぱいだった。
「先を急ぎましょう。さっきのハーピーたちが向かってきた方角に、きっと彼らの巣があるはずよ!」
「あ、ああ。そうだね……急ごう!」
しかし、いまは感傷に浸っている場合ではない。
一行はハーピーの巣を目指して、さらに沼の奥地へと足を踏み入れた。
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「あ!」
ティオスが唐突に腰を屈める。
立ち上がった彼女が手にしていたのは、桃色のハーピーの羽だった。
「いよいよ巣が近いみたいでござるな」
「んでもよ、さっきの連中の羽なんじゃねぇの? だったら、たまたま落ちてただけってこともありうるぜ?」
「それはどうだろう? 思い出すんだ。さっきのハーピーたちは、どんな羽の色をしていたかな?」
ファシールに言われ、ティオスはつい今しがたの記憶を辿る。
そして何かに気付いた様子で、ハッと面を上げた。
「そういやぁ赤っぽかった!」
「正解。この本にも書いているけど、ハーピーってのは生まれつきは赤く、歳を重ねるごとに羽の色素が薄れていくらしい。つまり――――」
「この羽は親鳥ハーピーってわけか! じゃあ、こっちの方へ進めば良いってことだな!」
手掛かりを得たことで、ティオスの足取りも軽くなる。
馬を連れ、意気揚々と東の方へ進んだ彼女だったが――――
「待って!」
レトリアの制止する声により、勢いが止まる。
困惑顔で振り返ったティオスが次の瞬間に目にしたものは、右手にハーピーの羽を握るレトリアの姿だ。
「え? え? それって?」
「これはいま、こっちで拾った分」
「そ、それじゃあ………………どっちが正解?」
レトリアがいま拾った桃色の羽は、ティオスとは真逆の方向を示している。
一方はハーピーの巣に繋がり、一方はまったく別の道へと繋がっているのだ。
どちらが正解で、どちらが外れなのか?
「もうじき日が暮れる。確かめることができるのは、一方だけだろうね。さすがに、暗い中ここを進むのは自殺行為だ」
ファシールもお手上げといった様子で首を振る。
皆の間に、暗雲が広がり始めていた。
「仕方ありませんわね。ここはやはり、手分けして捜索するべきじゃないかしら?」
「しかしもうすぐ日が暮れるうえに、この濃霧でござる。分散すればするほど、遭難の危険性は増すでござるよ」
「つってもよぉ……。ガキ共の救出を最優先にすべきじゃねぇの? 間違った方に行ったら、助け出すのは絶望的だぜ?」
「攫われた子供は三人。運良く見つけ出せたとして、分散した戦力で守れるか不安ね……」
皆の意見がまとまらないなかで、稲豊もどうするべきなのか頭を悩ましていた。戦闘で貢献できない以上、何か別のやり方で子供たちの救出に関わりたい。
「……………………そうだ!」
そう考えた稲豊が導き出したのは、一種の賭けにも近い方法だった。
多少のリスクも孕んでいるが、いまはそんなことを言っている場合ではない。
稲豊はすぐに行動に移すことにした。
「リア……アート・モーロで拾ったハーピーの羽を貸してくれないか? それと、いま拾った分も。ティオスさんもお願いします」
「え? ええ、構わないけど……」
「兄ちゃん。見比べて判断しようって考えてるのかもしれねぇけど、意味ないぜ多分。どれも似たような羽ばっかだし」
ふたりから羽を受け取った稲豊も、同様の感想を抱いた。
羽は楕円模様に少しの違いがあるだけで、どれも同じような羽に見える。
そもそも、同じ個体で同じ模様の羽が生えているとも限らないのだ。
部位によって模様が違っていたら、それで識別などできるはずもない。
「………………大丈夫、俺なら分かるはずだ」
しかし、稲豊には絶対の自信があった。
彼にしかできない、彼だけの判別方法がひとつある。
レトリアたちに背を向けた稲豊は、誰にも見られないよう警戒しつつ――――
「ん」
アート・モーロで拾ったハーピーの羽に舌を這わせた。
そして次に、ティオスの拾った羽にも舌をあてる。
「………………違う」
魔神の舌が導き出した答えは『別個体』。
つまり、アート・モーロで羽を落としたハーピーではない。
「頼む!」
次も別個体であったなら、本当に為す術がなくなってしまう。
稲豊は祈るような気持ちで、今度はレトリアの拾った羽を口に入れた。
「ソトナ、大丈夫? 具合でも悪いの?」
皆に背を向けた稲豊を心配したレトリアが、後ろから声をかける。
そこでようやく、稲豊は彼女たちの方へと振り返り――――
「大丈夫。正解の道が、いま分かったから」
晴れ晴れとした表情で、そう答えた。




