第203話 「嘘と掛け合い」
アート・モーロ北東門の屯所から現れたのは、忍び装束の少女。
あろうことか、アリスの谷で稲豊と面識のある三人の内のひとり、三叉の矛のシグオンだった。
稲豊は反射的に体をよじり背を向けたが、それでも顔を見られていない自信はどこにもない。もちろん、シグオンの発した『レトリア様』という言葉に、耳を傾ける余裕もなかった。
「どうしてこんな所にいるのでござるか?」
シグオンの次の台詞で、稲豊は自分の正体がバレていることを確信する。
かといって、この場で逃げ出すことをファシールが許すとも思えない。
万事休すか――と稲豊が歯噛みしたそのとき、
「今日は非番だったのでは?」
「………………………………へ?」
稲豊の脇を通り抜け、シグオンはレトリアに声を掛ける。
そんな彼女の行動は、普通の市民を装うレトリアにとって、不都合なこと極まりない。
「も、もっとこちらで話すのはどうかしら? ええ! それが良いわ!!」
「拙者は別にここでも構わな――――」
「いいえ! あちらの方が涼しそうだわ! 熱中症にでもなったら大変!!」
シグオンを強引に屯所の影に連れて行ったレトリアは、ぐいっと顔を近づけてから言った。
「私がレトリアだってことは、あの彼には内密にお願い!」
「むむ? なにやらきな臭い。あの民間人は一体、何者でござるか?」
「え、ええっと彼は…………その…………」
レトリアは考えた。
もしここで『贔屓にしているお菓子屋さんよ』なんて正直に言おうものなら、甘い菓子に目がないシグオンは毎日のように通うことだろう。そうなってしまったら、自分の正体がバレるのは時間の問題。奇跡的にバレなくとも、ソトナとの会話は極端に減ってしまうに違いない。
それに見た目が可愛いらしいシグオンを、ソトナが気に入る可能性だってゼロではない。如何に天使といえど、気になってる異性を別の女性とくっつけるキューピッドにはなりたくなかった。
複雑な立場と想いに挟まれたレトリアは、最後の手段に訴えることにする。
「彼はそう――――『トリシー新聞社の記者』なのよ!!」
「記者? なぜ記者がレトリア様と一緒に?」
「た、たまたま偶然ここに居合わせることになったのだけれど、まだ私が天使のレトリアであることには気が付いてないわ! もしバレたら、少し面倒なことになるかもしれないの!」
「なるほど。記者なら事件を嗅ぎつけてもおかしくないでござるな。承知……レトリア様がレトリア様だってことは、秘密にするでござるよ。ニンニン」
「ありがとう! 私は彼に『リア』と名乗っているから、よろしくね? そ、それであなたの方は、どうしてここに?」
「それは――――――――」
シグオンが経緯を説明しようと口を開く。
しかしその言葉を遮るように、屯所の裏手からふたつの影が現れた。
「あら? レトリア様?」
「お~~! 勇者様までいんじゃん!!」
影の正体は、三叉の矛の残りのふたり。
透明感のある青緑色の髪が特徴のエルブと、ピンと伸びた桃色アホ毛が目立つティオスだった。前者は淑やかに、後者は快活に、レトリアらとの距離を縮める。
「あ、あなたたちも来てたのね?」
「『ともだちが魔獣にさらわれた!』って子供たちから聞かされてさぁ。非番だったけど、そんな舐めた真似する魔獣をいっちょ懲らしめてやろうかって思ったんだよ! 非番だったけどね!」
「レトリア様も同じようなものかしら? 勇者様と……あの殿方とご一緒に?」
「え、ええ……! そんなとこ!」
シグオンひとりなら何とか誤魔化せるというレトリアの算段は、ふたりの登場により瓦解する。もはや命綱なしの綱渡りに等しいが、一度ついた嘘はもう取り消せない。
「実は『かくかくしかじか』ということらしいでござる」
「まあ! 新聞の記者さん?」
「へぇ、つまりはパパラッチか! オレたちの行動をスクープにしようなんて、ふてぇ野郎だ!! 文句言ってやる!」
「ちょっと待ってぇ!?」
話を聞かないことに定評のあるティオスは、ズンズンと稲豊たちの方へ歩いていってしまう。レトリアは涙目で引き留めようとするが、一歩及ばなかった。
「よう兄ちゃん! 知ってるとは思うけど、オレはトライデントのティオスってもんだ! あの背が高い母性本能の塊みたいなのがエルブで、あのちんちくりんがシグオンな」
「ど、どうも……ソトナって言います」
「あん? なんかコソコソした兄ちゃんだなぁ。新米記者か?」
既に顔を知られている身としては、コソコソせざるを得ない。
稲豊は右手で日差しを避ける仕草で顔を隠し、可能な限り簡潔に自己紹介をした。できるだけ関わり合いになりたくないという意思の表れだったが、そんな思惑とは逆にティオスが顔を寄せてくる。
「事情は聞いたぜ。んで、どんなネタを扱おうってんだ?」
「…………ねた? ええっと、扱ってるのは饅頭や餅なんかを」
「まんじゅうにもち? なにかの隠語か? オレが訊きてぇのは、どんな記事にすんのかってことだよ!」
「きじ? えっとそれなら、餅にはヒヅメ芋の生地を使ってますけど」
「んん? 芋?」
レトリアの嘘を知らない稲豊には、いまいち会話の要領が得られない。
しかしそれは、嘘を信じるティオスも同じ。
最終的には、ふたりして首を捻る結果となってしまった。
「そ、そんなことをしている場合ではないでしょう! いまは一刻を争う状況なんだから!」
「まあ、それもそうか。この話の続きは、ガキ共を助けたあとだな!」
「…………ふぅ。それであなたたち、なにか分かった?」
なんとか軌道修正に成功したレトリアは、トライデントの三人に訊ねる。先に到着し調査していた三人の方が、情報を多く持っているに違いないと思ったからだ。
すると仕事用の真面目な表情に戻した三人は、上司への報告を開始する。
「ここの屯所には、最低でも三名の兵士が常駐しているはずでござる。なのに、いまはもぬけの殻。人っ子一人、影すら見つからないでござる」
「室内に荒らされた形跡は無し。武器や鎧も、とくに変わった点はないように感じますわ」
「オレとエルで厩舎も見てみたけど、馬三頭はしっかり中にいたぜ。外にちょっくら散歩に、って訳でもなさそうだな」
「誰もいない? 変ね…………」
当然だが、三人の兵士が同時に休憩を取るなどありえない。
ひとりが休憩を取ったなら、あとのふたりは必ず歩哨として立つのが基本である。
よほどの異常事態でも起こらない限り、屯所が空になることなどありえないのだ。
「その謎の答えは、拙者が外壁の上で見つけたコイツが、きっと関係しているでござる」
そういってシグオンがどこからともなく取り出したのは、桃色の鳥の羽だった。楕円形の模様が特徴的なその羽は、稲豊らの記憶にも新しい。
自然と、皆の視線がファシールの手元に集まる。
「どうやら、救出の対象が三人ほど増えたようだね」
人差し指と親指で摘んだハーピーの羽をクルクルと回しながら、ファシールは独り言のように言った。大人の兵士ですら、神隠しのように攫ってしまう凶悪な魔獣。その姿を想像した稲豊たちは、緩んでいた気を再び引き締める。
「獲物を手に入れたハーピーは、それを必ず巣に持ち帰ろうとするはず。そしてその巣があるのは、ハーピーが去った北東の方角が一番怪しいですわ」
「なら決まりだね。さっそく、向かうことにしよう。馬は三頭だから、皆で手分けして乗ろうか」
「おっしゃあ!! 久しぶりの実戦、腕がなるぜぇ~!」
「実戦というか狩りみたいなものでござるな。サクッと片付けて、拙者は早く菓子でも食べたいでござる」
士気を高めるトライデントの姿を眺めながら、稲豊は安堵を覚えていた。
魔獣による誘拐事件の影響のせいか、誰も稲豊とアリスの谷で会ったことを口に出さない。
もし気付かれていたのなら、とっくに言及されていることだろう。
どこか希望にも似た、稲豊の楽観的な考え。
そんな甘い思考を嘲笑うかの如く、
「…………………………」
ある者の懐疑的な瞳が向けられていることに、稲豊はまったく気付いていなかった。




