第200話 「邂逅」
魔王城の作戦会議室で王女たちが白熱していた頃、稲豊はというと――――
「じゃあアダンさ……じゃなかった父さん。行ってきます」
「商品はもう屋台に積んである。ソトナ、今日も気を付けてな」
偽物の自宅の前で、偽物の父親に見送られているところだった。
作ったばかりの豆饅頭と芋餅を屋台に乗せた稲豊は、いつもそうするように屋台を引き、エデンの住宅街にある公園を目指す。
「よっと! ん~~~今日も良い天気だなぁ」
公園に到着したら屋台の車輪を固定し、伸びをひとつ。
最初は警戒心と緊張でぎこちなかった稲豊も、いまでは晴天を楽しめるくらいの余裕は身についていた。
伸びのあとはいつものように、この公園で菓子を売る。
そのついでに、客たちから情報を仕入れたりもした。エデンの民にとっては下らない世間話も、魔王国にとっては貴重な情報である。
住民たちからは生活や治安などの情報を入手し、そして政治の情報は――――
「なになに、『国境警備隊長の任を解かれたアキサタナ将軍、次の配属先はタルタロス監獄か?』――――か。天使が看守とか……笑えねぇな」
客のいない時間に稲豊が手に取るのは、エデン南東部に位置する『トリシー新聞社』が毎週発行しているニュースペーパーである。エデン唯一の新聞は、稲豊にとっての貴重な情報源。毎週、欠かさず目を通すようにしている。
「『人手不足のエデン軍、未成年の徴兵も検討中……。近々、神咒教の信者らに通達する可能性』」
神咒教というのは、エデン国内に広く分布する宗教である。
若者から大人まで、多くのエデン国民が入信している。アート・モーロには親を無くした子供の保護施設があり、そこでは物心もついていない児童たちが身を寄せ合って生活していた。
神咒教の教祖であり、さらに保護施設の施設長を兼任するのが、エデン軍の大参謀こと『トロアスタ』だ。
「トロアスタか……。天使に参謀に教祖に、いくつのわらじを履いてんだっての。この爺さんさえいなけりゃ、四ヶ月前の結果も違ったものになっていたのかもな……」
ふとそんなことを考えた稲豊だが、数秒後には考えるのを止めた。
いくら考えたところで、答えも無ければ意味も無いのだ。
新聞紙をあらかた読み終えた稲豊は、近寄る客の姿を見て新聞紙を屋台の隅に片付ける。そして気持ちを切り替え、営業スマイルを作って話しかけた。
「いらっしゃいませ~!」
「兄ちゃん! いつもの!」
銅貨五枚を屋台に置いたのは、白いローブを着た少年だった。
年齢が二桁間近といった少年は、屈託のない笑顔を浮かべ、大きく開いた口から白い歯を覗かせる。左の犬歯がないのは、彼の愛嬌に違いなかった。
「サイセ! お兄さんでしょ?」
「は~い! 兄さんいつもの!」
「こら! そんな頼み方がありますか!」
白いローブの少年……サイセを叱るのは、やはり白ローブを着た女性だった。ただでさえ白い服なのに、頭には白のヴェールまで被っている。全身が白ずくめという異様な格好だが、稲豊はふたりを見て驚くような真似はしなかった。
なぜなら、その白ずくめこそが神咒教徒の正装だったからだ。
「今日はお祈りの日なんですか?」
稲豊が訊ねると、女性はサイセの首根っこを掴んだまま頷いた。
「はい。久しぶりにお休みが取れたので、息子と一緒に教会の方へ。いつもサイセがお世話になっているみたいで、ありがとうございます」
「いえいえ! サイセは立派なお得意様なんで、こちらが世話になっているようなもんですよ。贔屓にしていただいて、こっちこそお礼を言いたいくらいで」
「お礼なんてそんな……。ここのお菓子、本当に美味しいんですのよ? 私もサイセも、すぐにファンになってしまいましたわ」
花が咲いたような笑顔を浮かべるサイセの母は、一児の母とは思えないほど若く美しい。
魔王国で女性への免疫ができていなかったら、ドギマギしてろくに会話もできなかったに違いない。稲豊は心のなかで、ルートミリアたちに感謝した。
「はい、芋餅と豆饅頭がひとつずつ。サイセはどっちの菓子が好きなの?」
「おれはモチ! ずっと食べてられるから!」
「ああ、なるほど。でもいっぱい口に入れちゃダメだよ? 喉に詰まったら大変だからね」
「わかった!」
サイセは菓子の入った紙袋を受け取りながら、元気いっぱいに頷いて見せた。その快活な様子を眺めながら、稲豊はどこか小さな違和感を覚える。
「いつも二個だけだけど、お父さんは菓子が嫌いなのかい?」
「ううん! 父ちゃんも好きだったよ!」
「え?」
ニコニコと返事をするサイセとは逆に、稲豊の表情が瞬時に曇る。
しまった、失言だったか――――と眉を顰めるが、時すでに遅し。
母親の顔に、影が落ちたあとだった。
「主人は四ヶ月前の戦で……」
「そ、そうでしたか。すいません、無神経なことを」
「気にしないでください。もう色々と落ち着きましたし、それに……私たちだけでもありませんので。神咒教の救いもあって、いまはもう大丈夫ですから」
「そうですか。神咒教の」
神咒教徒は温和な者が多く、容姿以外に変わった振る舞いもない。
教祖は別として、稲豊が信者に抱く印象に悪いものはなかった。戦争という不幸を呼ぶ諍いがあるなか、宗教に縋る気持ちは分からなくもない。
健気に頑張る親子に、稲豊は何かしらのエールを贈りたくなった。
「サイセ。ほら、忘れ物」
「え!?」
屋台に置いてあった紙袋をふたつ手に取った稲豊は、それをサイセの小さな手に握らせる。
「言い忘れてたんだけど、今日は特売日だった」
「ええ~!! ほんと!?」
「ホントホント。だからこれは持って帰って、家族みんなで食べるといいよ」
「やったぁ~! ありがとう!!」
笑顔を弾けさせるサイセを見ていると、心が満たされていくのを感じる。
サイセの母は最初「いただくわけには」と遠慮していたが、
「大変なときはお互い様ですから」
という稲豊の言葉で、最終的には施しを受けることを許容した。
「今日は本当にありがとうございました。サイセもほら、さよならの挨拶」
「兄ちゃんまたね!」
「こら!」
仲睦まじい親子は、こぼれるような笑顔を残して去っていった。
稲豊はそんなふたりの後ろ姿に、幼き日の自分を重ねる。
「…………お母さん、か」
昔、ほとんどの子供が経験するように、稲豊も母と買い物に行ったことがある。先ほどの親子と同じように手をつなぎ、同じように笑顔をこぼす。
それはセピア色に染まるくらいに、遠い過去の思い出だった。
「さ、お仕事お仕事」
センチメンタルな気分を強引に切り替えた稲豊は、客の来訪をひたすらに待つ。
そうこうしているうちに、公園にやってきて二時間が経過。
それなりに客が訪れ、それなりに菓子も売れた。貴重な情報は得られていないが、むしろ得られるときの方が珍しいのだ。
「もう昼か。一旦切り上げて、家で昼ごはんにでもしようかね」
そろそろ腹の虫が騒ぎ出す時間帯。
稲豊はルートミリアに食事を用意するため、午前の部の終了を決める。並べていた菓子入り紙袋を麻の袋に収納し、立てていた旗も屋台の脇へとしまい込んだ。
そして車輪の留め具を外そうと膝を屈めたとき――――
「あれ? もう店じまいかな?」
いつからいたのか、客の声が稲豊の背中にかけられる。
「いらっしゃい、まだ大丈夫ですよ。いま店をたたみ始めたところで…………」
立ち上がり、そして振り返った稲豊。
しかし次の瞬間、その表情は魔法にかけられたように凍りついた。
振り返った稲豊の目に最初に飛び込んできたのは、白を基調としたジャケット。少し視線を上をスライドさせると、声をかけてきた男の端正な顔が視界へと映る。
だが稲豊の目を釘付けにしたのは、男の整った顔立ちなどではない。
稲豊を凍りつかせたのは、この世界では珍しいアッシュグレーの髪と、左目を覆う灰色の眼帯だった。
そう。
冷たい汗を全身で感じる稲豊の前に立っていたのは――――
「………………勇者……様」
大勇者、ファシール・B=ラインウォールだった。




