第199話 「却下に異議なし!」
仁義なき闘争の翌日。
稲豊は再びエデンに潜入するべく、貴族街の双子王女の屋敷を訪れていた。
アリステラの独断と偏見により設置された移動式魔法陣は、双子王女の部屋にある洋服箪笥にのみ描かれている。つまりエデンへ瞬間移動するためには、否が応でもこの部屋を往復するしかないのだ。
「カツラも付けたし、服装も問題ないな。それじゃあ、行ってくるよ」
「ご武運を祈ってますお父上。油断は禁物ですよ?」
「大袈裟だなぁクリスは。戦争に行く訳じゃないんだから」
不安そうな顔をするクリステラを安心させるため、稲豊は敢えて明るく振る舞った。しかしそれが裏目に出たのか、側にいたアリステラは頬を膨らませてしまう。
「クリステラお姉さまの言う通りですわお父様! ただでさえお父様のお顔はエデン兵に知られているのに、もしアキサタナに出会いでもしたら……」
「ああ……あいつか。ザックイールでの説得は失敗だったかなぁ。覆面でも被っとけばよかった」
「そういう問題ではありませんわぁ!」
「わかったわかった! 慎重に行くって約束するから! そんじゃな!」
柳眉を逆立てるアリステラを尻目に、稲豊は逃げるように洋服箪笥の中へと飛び込んだ。そして赤い魔法陣の瞬きと共に、その姿は消失する。
「まったく! お父様には危機感が足りませんわぁ」
「………………そうかな?」
「ええ!? クリステラお姉さまも同じ意見だと思っていましたのにぃ!」
裏切り者とでも言わんばかりに、怒りの矛先をクリステラに変更するアリステラ。しかし姉があまりに神妙な面持ちをしていることに気付いた彼女は、声のトーンを抑えて質問をした。
「どういうことですの? お姉さま」
「なんて言ったら良いのか分からないけど、最近のお父上は……かなり無理なさっておられる気がする」
「無理?」
「誰もが嫌がる密偵という危険な役目を、お父上は自ら進んでやっている。まるで、そうするのが当然……いや、『そうしなければいけない』とでも言うように」
クリステラの知る稲豊は、いつも笑顔で他人のために尽くしていた。
それは人として、素晴らしい姿なのかもしれない。
しかし――――
「アリスは見たか? 最近のお父上が弱音を吐く姿を」
「そ、それは…………」
「あれだけ神経をすり減らす仕事を担っているのに、お父上はその片鱗さえ覗かせない。普通だったら、もっと辛い顔を見せても良いはず」
「ではクリステラお姉さまは、お父様が『限界を迎えている』と仰られるの?」
「そこまでは言わない。だけど――――」
そこで一旦言葉を区切ったクリステラは、かなり時間をかけて次の言葉を口にした。
「いまのお父上を見てると、すごく不安に感じるときがある。なんというか……前にお父上が居なくなったときと同じような……不吉な」
「か、考えすぎかしらぁ!」
目を伏せるクリステラの視界に、アリステラは強引に割り込む。
そしてわざと明るい表情を覗かせると、落ち込む姉の左手をきゅっと掴んだ。
「お父様がお疲れで倒れそうなら、アリステラたちで支えれば良いのよぉ。家族なんだからぁ」
「そうか……そうだね! 私たちは家族。支え合えば、きっと何とかなるよね?」
「もちろん! さ、くだらない不安はどこかへ捨てて、お城へ向かいましょう? ルートミリアお姉さまたちが首を長くして待ってますわぁ」
「うん、行こう!」
気持ちを切り替えた双子の王女は、軽快な足取りで寝室をあとにする。
そのときのふたりの手は、互いの心を表すかのように、しっかりと握られたままだった。
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クリステラたちの帰還を知ったルートミリアは、すぐに全王女に招集をかけた。しばらく使われていなかった三階の作戦室は、ほどなくして王女たちで満たされる。
すべての王女が着席するのを確認したルートミリアは、咳払いをひとつしてから口火を切った。
「まずは忙しいなか集まってくれた皆に感謝する。さて、妾は回りくどい前置きが好かんゆえ、単刀直入に言うぞ? 今回お前たちに集まってもらったのは他でもない、シモンのことじゃ」
「ハニーの?」
招集に応じた王女たちは、顔を見合わせて意思疎通を確認する。
しかしその誰もが、ルートミリアの真意に心当たりがあるような様子は見せなかった。
「シモン君に何かあったってこと?」
「いや、そうではない」
ウルサの質問を、ルートミリアは即座に否定する。
稲豊が危険な任務を行っているのは、王女たちには周知の事実。
故に、緊急性を感じさせない彼女の態度で、作戦室内には弛緩した空気が流れた。
「シモンがこちらの世界へやってきて、もうすぐ一年になる。その記念という訳ではないのじゃが、あいつのために何かしてやろうと思い立っての」
「それじゃあ、我々を呼んだのは?」
「うむ。妾はそういうことに疎いので、皆の知恵を借りたいと思うてな。妾たちのことにヒャクのことに、シモンは随分と貢献してくれたからの。昨日の『蜂蜜』という食材も、シモンのおかげで入手できたようなものじゃ」
「ハチミツ……あの素晴らしく甘美な香りと至高の味! アリステラは一口で虜になってしまいましたわぁ」
うっとりとした表情を浮かべたのは、アリステラだけではない。
黄金色の蜜から感じる甘みは、魔王国にあるどんな食材よりも甘く、そして濃厚だった。甘いもの好きな乙女たちは昨日の蜂蜜を思い浮かべ、思い思いの恍惚の表情を覗かせる。
「お祝いには私も賛成です! お父上の功績を考えれば、当然のことかと」
「じゃろう? それでクリスよ、何か良い案はないかのぅ?」
訊ねられたクリステラは、少し悩むような仕草を見せたあとで、
「やはり『パレード』が良いのではないでしょうか?」
「パ、パレード?」
「魔王国民すべてにお触れを出して、盛大な式典を行うのです! 近隣の町からも大勢を集め、色々な店も出してもらいます。そしていくつもの催し物を計画して、最高に盛り上がったところで仮装した私たちが――――」
「ちょ、ちょっと待てい! 少し大袈裟すぎやせんか!? そんな式典を開いたら、シモンが縮み上がってしまうぞ!?」
ルートミリアに嗜められ、ようやくクリステラの暴走気味な発案が止まる。
素晴らしいアイデアだと思っていただけに、彼女の不満も大きかったが――――
「人間を祝う式典なんか開けるはずがないだろ。人と魔物の関係は最悪だってのに、んなことしたらクーデター待ったなしだ。そもそも、そんな予算も無いしな」
ソフィアに一蹴され、意気消沈。
瞬く間に、しゅんと小さくなってしまった。
そして作戦室内に漂う、どこか哀愁を感じる空気。
そんな空気を払拭するため、ルートミリアは慌てて口を開いた。
「し、しかし皆で盛り上がるというのはシモンの好みじゃと思う! 魔王国民全員は無理だが、妾たちだけでも祝ってやろうではないか! ソフィ、クリスの案をしっかりと記入するように!」
「ああ」
ソフィアは手元にある羊皮紙に、クリステラの案を記入する。
その様子をとなりで眺めていたルートミリアは、次にマリアンヌへと視線を向けた。
「マリーは何かないかの?」
「せやねぇ。皆で祝うのもええけど、ウチとしては一対一の時間も欲しいなぁ。皆の前でだけやなくて、ふたりきりで話す時間もあったらええね」
「うむ。最近のシモンは忙しなくて、会話もろくにできてない者もおるじゃろう。……誘惑しないという条件付きなら、妾も良い機会じゃと思う」
「……口説くのが禁止なデートなんて聞いたことあらへん」
「やかましい! ソフィ、記入!」
「ああ」
羊皮紙に、マリアンヌの一文が書き加えられる。
新しい異議が生まれないよう、ルートミリアは急いで次の者へ顔を向けた。次に彼女の視線に映ったのは、五女のアリステラだ。
「アリスはどうすればシモンが喜ぶと思う?」
「そうですわねぇ。やはり美味しいお食事が良いのではないかしらぁ? いまのお父様はお料理を嗜んでいるみたいですし、特別な物を用意すればきっとお喜びになられるかと思いますわぁ!」
「ほう! それは名案じゃな!」
アリステラの提案に、他の王女たちからも『おお!』という感嘆の声が漏れる。
「ウチらで新しい料理を作って、ハニーに食べてもらうのもええかもね!」
「ふ~ん、おもしろそうじゃん。創作料理ってやつ? ボクも賛成!」
「私も異議なし。ふふ、お父上の喜ぶ顔が目に浮かぶようです」
反応も上々。
料理での饗しに皆の心が傾き始めていた頃、彼女の発言で事態が一変する。
「では久方ぶりに、妾も腕を振るってみるかの!」
ルートミリアがそう口にしたとき、皆の表情に大きな影が落ちた。
中にはぶるぶると震えだし、頭を抱えた者さえいる。
幼少の時代、彼女が振る舞った料理で生死の境を彷徨った者も少なくない。
「ル、ルト姉さんも…………料理するの?」
「無論じゃ! 妾が皆に助言を頼んだというのに、その本人が傍観する訳にはいかんじゃろう? 腕によりをかけてお前たちの分も用意するから、当日は腹を空かせておくようにの!」
「ウ、ウチたちの分まで? へ、へぇ~……………………」
ルートミリアを除く姉妹たちは、再び顔を見合わせる。
そして皆が同時に頷き――――――――
「創作料理は却下!」
「異議なし!!!!!!」
ソフィアの提案が、ルートミリアを除く全会一致で可決する。
「どど、どうしてじゃッ!? さっきまで皆ノリ気だったではないか!?」
両手で机を叩いて混乱を表現する、料理音痴のルートミリア。
しかし誰もが俯いて視線を背けるため、
「うぅ……意味がわからん……!」
机に突っ伏して、泣く泣く諦めるほかなかった。
ルートミリアが話すのを止めると、他の王女たちは安堵の吐息を漏らし面を上げる。
「ソフィはずっと書記やっとるけど、なんかええ案ある?」
「オレか? オレはそうだな――――」
落ち込んでいるルートミリアに代わり、マリアンヌが進行役を引き継ぐ。
次に訊ねられたソフィは、しばらく考える素振りを見せた。
やがて遠くを見ていた視線を皆へと戻したソフィアは、緩慢に口を開く。
「忙しない時間ばかりだと、たまにはゆっくりと過ごしたくなるものだ。最近は気温も高くなってきたし、木陰でのんびり読書ってのが良いんじゃないか?」
「それって、ソフィ姉さんがやりたいことじゃんか……」
「ま、まあええんちゃう? のんびり過ごすってのは、一理あると思うで?」
「じゃあ決まりだな」
ソフィアは再び筆を走らせる。
これで王女たちの案はほとんど集まり、残すところは末っ子のウルサだけとなる。
自然と集まる視線のなかで、ウルサは不敵に人差し指を振った。
「姉さんたちはまだまだ甘い! 相手はシモン君で、今回はお互いの距離を縮める絶好のチャンスなんだよ? だったら、やることはひとつしかないじゃんか!」
「と、そのこころは?」
興味ありげに起き上がったルートミリアが、ウルサに訊ねる。
するとウルサは両の頬を染め、恥ずかしそうに口を開いた。
「際どい衣装で――――シモン君を『悩殺』するんだよ~」
ウルサの衝撃の提案を聞いた面々の反応は、いくつかの方向へ割れた。
『その手があったか!』と諸手を挙げて称賛する者もいれば、『そんな恥ずかしい真似できない』と断固反対する者もいる。
「シ、シモンを誘惑するのはダメじゃと言うたじゃろうが!?」
顔を真っ赤に染めたルートミリアは、後者の代表として異議を唱える。
しかしその反論は、ウルサの予想していたものだった。
「誘惑じゃないよ? これは日頃から頑張ってくれてる彼へのプレゼントなんだから! 思春期の男の子の、目の保養を手伝ってあげるだけ」
「そうですわルートミリアお姉さま! アリステラたちがどんな格好をしていたって、それは自由かしらぁ。臆病者のお姉さまたちは、肌を隠した堅苦しい格好をどうぞですわ!」
「むぅ!? そ、そんな挑発に妾が乗るとでも…………」
「『際どい格好も自由』――――と」
「ソフィ!? 何を勝手に記入しているのだ!!」
作戦室での会議も最高潮を迎え、王女同士で白熱した議論が飛び交う。
だがどちらも引かないので、結論が出ることは一向になかった。
ただいたずらに時間が過ぎていき、会議が始まって一時間が経った頃――――
「結論は出ましたかな?」
痺れを切らしたアドバーンが、会議室にひょっこりと顔を出した。
「ハァ……ハァ……まだ…………じゃ」
「が、頑固者のせいで…………決まるのも決まらんわ……」
「ふむ、では少し失敬」
疲れ果てたルートミリアらの側を横切り、アドバーンはソフィアの手元にあった羊皮紙に目を通す。そこに書かれていたのは、
『皆で祝う』
『ふたりきりで会話』
『創作料理……却下』
『涼が取れる場所でのんびり』
『際どい格好も自由』
というものだった。
「なるほどなるほど。して、まだ何をするかは決まってないと?」
「……面目ないが、話が脱線しまくっての。具体的なことは何も決まっとらん」
「アドバーン様……なにか良い解決方法はないでしょうか?」
「解決方法も何も、もうすでに答えは出てるではありませんか」
アドバーンが発したひとことで、皆の表情が一変した。
呆気にとられたような、間の抜けた顔をした王女たちは、「答えって?」と口を揃えて老執事に訊ねる。
するとアドバーンは、口髭を弄りながら言った。
「つまりでございます。――――――――すればよろしいかと」
「な、なるほど……!」
アドバーンの提案は、満場一致で可決した。
すべての条件を満たしたことが、王女らを納得させるに至ったのだ。
かくして、王女たちの作戦会議は終わりを迎える。
年の功とでもいうべきか、解決を迎えたのは、アドバーンが作戦室内に入ってから数分の出来事だった。




