第196話 「地下迷宮に潜ってみた(割愛)」
厨房でのやりとりから数時間後。
男たちの井戸端会議のことなど露とも知らない稲豊は、仲間を連れてクロウリー家の屋敷の地下へと潜入していた。
「よし準備完了! パイロ、覚悟は良いか? 油断したら死ぬかもしれないから、気を付けろよ!」
「いや……そんなところに連れて行かれても……。つーか、なんで俺?」
元気よくサムズアップする稲豊とは対照的に、パイロの表情は暗い。
とはいえ、全身を白い防護服に覆われたふたりにとって、表情にあまり意味などなかった。
「本当にここまでで良いのかイナホ? もっと先までついていっても良いのだぞ?」
「そうですよイナホ様! ナナだってどこまでもお供しますよ!!」
ハラハラという音が聞こえそうなほど、ミアキスとナナは心配の眼差しを稲豊へと向ける。しかし稲豊には、ふたりを連れて行けない理由があった。
「ついて来て欲しいのはやまやまなんだけど、あいつらなぜか魔物の匂いに敏感なんだよ。下手に刺激するのもどうかと思うから、ふたりにはこの研究室で待ってて欲しい。もし何かあったときは大声で叫ぶんで、そのときは遠慮せず助けてね」
「うぅ……不安ですイナホさまぁ……」
「大丈夫だって! ナナが作ってくれた防護服の調子も上々だし、近くには耳が良く聴こえるミアキスさんだって控えている! もし怪我しても屋敷の中にはルト様もいるし、それにいざとなったらパイロを盾にするから」
「……オイ」
パイロのツッコミが入ったところで、稲豊は鉄扉の閂を外す。
そしてミアキスとナナのふたりに見送られながら、扉の向こう側へと足を踏み入れた。
「おお~! 本当に地下に花畑が広がってるよ。家の親父も造ってたけど、あれの十倍は広いな」
「さて、目的の物は分かってるな? パイロ」
「ええっと、魔女の遺産だろ? この花畑にいる魔獣が守ってるとかなんとか」
「魔獣と言えば語弊があるかもしれないが、苦手な人間からしたら的外れでもねぇ。下手したら殺られる危険性もある。気を抜くなよ!」
「だから……なんで俺?」
全身白ずくめの男ふたりは、花畑の中を慎重に歩いていく。
すると、ものの数秒も経たないうちに、
「お、おいイナホ! なんか変なのが出てきたぞ!?」
洞窟の壁に無数にある六角形の穴から、黄色と黒のコントラストが顔を出す。それはおびただしい数の視線となって、稲豊とパイロのふたりを針の筵にした。
「さっそくおいでなすったな! アレが尻にとんでもない武器を持っている『蜂』という生き物だ! これとは別の種類だが、俺のいた世界では毎年何人も蜂に襲われ……そして命を落としている」
「なあ帰っていいか? 俺とお前でどうにかできる相手でもないし、数でもねぇぞ」
「ダメだ! さっきも言ったように、この蜂たちは魔物が苦手なんだ。ルト様の風魔法発射未遂事件のことを、いまでも根に持ってるらしい」
「俺は完全にとばっちりじゃねぇか。ああ……嫌だぁ」
涙目になりながらも、パイロは勇敢に足を進めた。
その様子を蜂たちはじっと窺う。無機質な瞳が余計に不気味で、ふたりの足取りは自然とゆっくりになった。
「っていうか、なんでもっと早く採りに行かなかったんだよ? そうすりゃ、俺もこんな目に合わなかったってのに……」
「もちろん最初はミアキスさんたちを連れて行ってみたよ。でも蜂が警戒して道を通してくれないうえに、時期的な問題で採れなかったんだ」
「時期ぃ? なんだかよく分かんねぇけど、魔女の遺産って面倒くせぇな」
恐る恐る、蜂たちに刺激を与えないように花畑の中を進む。
やがて壁に行き当たった稲豊は、魔光石のランタンに明かりを灯した。
「色々と調査した結果、この奥に目的の物があることが判明した。つまり、こっからが本番というわけだ!」
「…………この穴の中に入ってくのか?」
パイロの瞳は、『死ぬほど嫌なんだけど』と訴えている。
それもそのはず。稲豊がランタンで照らした穴は、人ひとり通れるのがやっとなくらいの細い穴で、奥は薄暗くてよく見えない。まともな神経をしていれば、絶対に避けたい場所に違いなかった。
「狭いのは最初だけで、すぐ広くなるから大丈夫だって」
「ふーん……。で? この先は安全なのか?」
猜疑心の視線を稲豊へと送るパイロ。
すると稲豊は、
「…………」
無言のまま、どこか遠い目を浮かべていた。
「おい! なんとか言えよ!?」
「よっしゃあ! 行くぜパイロ!」
「いやいやいや!? その反応、この先も絶対なにかあるよな!? ちょ、待てよイナホ! 置いてくんじゃねぇ!」
防護服に身を包んだふたりの姿は、薄暗い細穴の中へと消えていった。
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それからしばらくして、
「――――! イナホ様!」
研究室へ戻ってきた稲豊とパイロを、ナナの太陽のような笑顔が出迎える。
「ふ……ふふ……生還……したった」
「防護服がボロボロではないか! 治癒魔法!」
崩れ落ちた稲豊の体を、ミアキスが駆け寄り支える。
同時に治癒魔法も発動させるが、稲豊の体にあるのは擦り傷くらい。しかしミアキスは、全力の治癒魔法を掛け続けた。
「あの……俺のことも少しは考えてくれないか……?」
「あ、その! パイロ様もご無事でほんとうによかったです!」
「取って付けたような言葉だが、なぜかいまは身にしみる……ぐふぅ」
無事に帰った安堵から、パイロは研究室の机に突っ伏した。
頭に浮かぶのは、地下迷宮での冒険の数々だ。
「ハニカム迷宮の地下十五階では、本当に死ぬかと思ったぜ……。まさかあんな罠があるとは」
「イナホはまだ良い方だ……。俺なんか三十五階であんなものにあんなことをされたんだぜ?」
「いやいや。俺が四十二階でどうなったのか忘れたのか? あんなところにあんな罠があるとは……!」
ほどなくして、冒険を終えたふたりの不幸自慢が始まる。
ある意味では余裕のある姿に、ミアキスの表情にも安堵の色が浮かんだ。
「すっごくたいへんな冒険だったんですねぇ……。おふたりはとても頑張ったので、ナナがなでなでしてあげますね!」
「うお~! 癒やされる~!」
「俺は遠慮しとく。なんだか悲しい気持ちになりそうだからな。それでイナホ、アレは落としてねぇだろうな?」
「あたぼうよ! 命懸けで手に入れた戦利品だからな。ボロボロの服で羞恥心は無くしても、コイツだけは無くさねぇぜ!」
そういって稲豊がズボンのポケットから取り出したのは、手のひらに収まるサイズの小さな瓶だった。中には黄金色の液体が、びっしりと詰まっている。
「なんだこれは? 見てくれは樹液に似ているようだが……。フンフン、なんだか良い香りがするな」
「イナホ様ぁ、これが『まじょのいさん』なんですか?」
ナナとミアキスのふたりが、しげしげと瓶の中の液体を眺める。
ふたりにそんな姿を見せられては、得意げにならない訳にはいかない。
稲豊はゆっくり体を起こすと、
「そう! これがリリト様が残してくれた魔女の遺産こと――――『蜂蜜』だ!」
誇らしげに瓶を掲げた。




