第195話 「男たちの井戸端会議」
時間は現在に戻り、場面はランチ後の魔王城厨房へと切り替わる。
「よっしゃ食器洗い終わり! ネロ、悪いけど乾燥機を先に使わせてもらうぜ? ターブ、ヒャクは倉庫にまとめて入れといてくれ。あとで確認しに行くから、ちょろまかすなよ? タルタルはマリーに『二刻後に出発予定』って伝言よろしく! じゃあ、頼んだぜ!」
稲豊は早口で言うと、慌ただしく厨房を去っていった。
その背中を無言で見送った面々は、
「食器ぐらいのんびり洗えば良いというのに、せっかちな奴だ」
「最近はとくに忙しそうだよねー、シモッチ。森の屋敷に行ったり、貴族街に行ったり。かと思えば、姫さんたちの相手もしたりさー」
「非人街の方にも顔出してるぜ。毎月なにかしらの催し物を開いてるようだけどな」
それぞれの作業を再開させつつ、上った話題は最近の稲豊についてだった。
「しかも色々とこなしつつ、特別な仕事もやってるしねー」
「ああ、アレか。重要な任務とはいえ、もう四ヶ月か。ホントよくやるぜ」
タルタルとターブが、遠い眼差しをどこかへ向ける。
それは稲豊の不器用な生き方に対しての同情や、ある意味では尊敬の入り混じった複雑な感情から来る仕草だった。
そんなふたりの様子を横目で眺めていたネロは、口をへの字にし不満を露わにする。
「……そろそろ話してくれても良いんじゃないか?」
食器洗い中のネロがそう切り出すと、厨房でモップをかけていたタルタルの腕が止まった。その表情には、『何のこと?』という疑問がありありと浮かんでいる。
ネロは呆れた様子でため息をこぼし、
「特別な仕事――――『作戦丙』について、お前たちは知っているんだろう? ザックイールの戦争から四ヶ月が経過したんだ。もういい加減、教えてくれても良いんじゃないか? 周りで自分だけ知らないってのは、仲間外れにされているようで気分が悪い」
「そういえばネロッチはあのときいなかったんだねー。でも、作戦丙って名前は知ってるのかー」
「これでも王女の料理人だからな。あいつがそんな名前の作戦に参加していることぐらい、とうに知っている」
「だったら、その王女に訊きゃあ良いじゃねぇか」
木箱を担いだターブがそう口にすると、ネロの肩が目に見えて落ちた。
食器を拭いていた布巾を力一杯に握りしめ、双眸には『不服』の二文字が滲んでいる。
「クリステラ様たちはダメだ……! 口を開けば『お父様が』『お父様は』! こっちの話なんか聞いちゃいない! 例えこちらの声が届いたとしても、『お前の知るところではない』で片付けられるに決まっている……!」
「ふーん。ネロッチもけっこう苦労してんだねー」
「そう思うだろう? だったら! 君たちとはこうして良く顔を合わす者同士、仲良く情報は共有するべきだとは思わないかッ?」
暗い顔が一転、えびす顔に変わる。
ネロはニコニコと表情を緩ませ、爽やかな声でふたりに愛嬌を振りまいた。
「同士ねぇ…………。そういやぁオレたちが前線で命を張ってるあいだ、ここで鍋振ってる奴もいたっけなぁ」
だが会心の説得も、ターブのひとことで一蹴される。
状況が不利であることを悟ったネロは、瞬く間に不服顔へと戻っていった。
「し、仕方がないだろう……僕は別な仕事をしていたんだから! それに料理人の全員が戦に向かってしまったら、この城に残った者たちの食事はどうなるんだ? 大臣の食事だって、用意していたのは僕なんだぞ!」
「まーまー。ネロッチにはネロッチの事情もあったみたいだし、教えてあげても良いんじゃないかなー? 軍事機密とはいえ、ネロッチが知ったからどうにかなる問題でもないしねー」
「さすがレプタイラーの王子! 話が分かる!」
グッと拳を握るネロを見て、ターブも「仕方ねぇな」と木箱を下ろす。
それに習うように、タルタルもモップを壁に立てかけた。
「作戦丙っていうのはねー。エデン内部の『情報収集』を目的とした作戦のことだねー」
「エデン内部の情報? それってつまり……」
「間者ってやつだな。イナホの野郎は、エデンで色々な情報を集めてんだとよ」
「間者!? お、おい! それはかなり危険な任務なんじゃないのか? もし敵にバレでもしたら……!」
「まぁ、生きては帰れねぇだろうな」
想像以上の現実に、ネロは絶句した。
彼が驚いたのは、任務の危険さだけではない。
とてつもなく危険な任務を担っているのに、そのことをおくびにも出さない稲豊に驚いたのである。
「だ、大丈夫なのか!? そんな危険な任務を、なぜあいつがやらなくてはいけないんだ? 他に代わりはいるだろう?」
「エデンで活動するのは人間じゃないとできないからねー。それに今回の作戦は、シモッチの方から参加を熱望したみたいだしー」
「……あいつの方から?」
「どっからか作戦丙の話を聞きつけ、テメーから軍師に進言したんだと。当初は色々と揉めてたみてぇだが、最終的には野郎の頑固さにルートミリア様が折れたんだそうだ」
「……なるほど。当時クリステラ様たちの様子がどこかおかしかったのは、そういう理由があったからか」
四ヶ月前を振り返りながら、ネロはうんうんと何度も頷いた。
合点はいったが、まだ少しだけ。気になることはまだまだあった。
「しかし、どうやってアート・モーロに? ここから通うには、ちょっと距離がありすぎるだろう?」
「……オメェは主人から、ホント何も聞いてねぇのな。作戦丙を準備した立役者が、騎士団長のアドバーンと大臣補佐官のライト。それとアリステラ様だって話だ」
「アリステラ様が? ということは、融合の魔能を使っているということか?」
「ぴんぽーん。戦争のどさくさに紛れてエデンに侵入ー。手頃な空き家に魔法陣を描いてきたんだってさー。シモッチは、その空き家に『新しく住み始めた親子』って設定で潜入しているらしいよ? 非人街で募った、偽物の父親と一緒にねー」
話を聞けば聞くほど、納得は増えていく。
しかし、それと同時に疑問だって増えていく。
頷きと傾げるのと、ネロの首は忙しなく動いていた。
「どさくさついでに、エデン王の頸でも獲ってきてくれりゃ良かったのによ」
「さすがに無理でしょー? 警護とか厳しそうだしねー」
「ちょ、ちょっと待て! いくらあいつが希望したからといって、お前たちはそれで良いのか? 曲がりなりにも、一緒に戦った仲だろう? 止めようとは思わないのか?」
ネロが訊ねると、ターブとタルタルのふたりは打ち合わせたように顔を見合わせる。そして少しの間を置いてから、
「そのときはそのときかなー? シモッチなら上手くやるとは思ってるけどねー」
「オレ様はあいつと関わってろくな目にあってないしな、いまこうしてヒャクを卸してるのが奇跡みたいなんもんだぜ。まあ、あいつが作戦丙の存在を知ってしまったのが悪い。そんときから、野郎の運命は決まったんだよ」
「うーん、その点はおれも悪かったと反省してるかなー?」
「あいつに教えたのテメェかよ!?」
ドライに会話するふたりを見て、ネロは肩をすくめる。
武人としての教訓か?
魔物としての本能か?
ネロは少しの時間、どこかにいる稲豊へ同情の眼差しを送った。
「でも、ネロッチがそこまでシモッチを気にかけるとは思ってなかったなー。むしろ、嫌ってると思ってたよー」
「オメェも野郎に一杯食わされたクチだろ? やっぱり同じ人間だからか?」
「バカいえ、嫌ってるに決まってるだろう。僕が心配なのは……ルートミリア様のことだ。あいつが大変な目に合うと、ルートミリア様が悲しむ。それが見るに堪えないだけだ」
「一途だねー、ネロッチは」
「好きな人にいつも笑って欲しいと願うのは、ごく普通の感情だ。魔物には分からんかもしれんがな!」
今度は、ふたりの方が肩をすくめる結果となった。
どこか弛緩した空気が厨房内に流れる。ネロも燻っていた謎の正体を知り、清々しいとは言わないまでも、心の内が晴れていくのを感じていた。
そんななか、ふとタルタルが面を上げる。
「そういえばー、シモッチじゃないとダメな理由がもうひとつあるんだよねー」
「間者のことか?」
「そうー。シモッチじゃないと、見つけるのは難しいらしいんだよねー」
「見つける? 情報以外にも、エデンで探してるものがあるというのか?」
ネロの表情に、疑問が再び表れる。
それを知ってか知らずか、タルタルは少し考える素振りをしてから口を開いた。
「魔女の遺産」
「魔女の……遺産?」
「いまタブッチが持ってきたのも、そのひとつらしいよー?」
「オレが持ってきた物って、ヒャクのことか?」
魔女の遺産については、ターブも初めて耳にする。
自然と皆の視線は、ヒャクの入った木箱へと集まった。
「つまりエデンには、あいつにしか判別できない特別な食材がある……。それが、魔女の遺産という訳か」
「シモッチの神の舌なら、見つけられるってことじゃないかなー? 良く知らないけどねー」
「ヒャク以上に美味いもんがあるかもしれねぇのか! そりゃ命を懸けるだけの価値があるってもんだな!」
皆の頭の中を、未だ見ぬ謎の食材がぐるぐると回る。
しかしどれだけ考えても、それがどういうものか想像の域をでない。
「魔王国で見つかってるのは、ふたつだけみたいだねー。いまのところ」
「ふたつ? ヒャク以外にもあるというのか!?」
「なんだそりゃ! オレ様は知らねぇぞ! どこにあるのか言え!!」
ネロとターブのふたりに詰め寄られ、タルタルは「しまった」と目を逸らす。
しかし、ふたりの剣幕は尋常ではない。
身の危険さえ感じたタルタルは、ゆっくりと視線を戻したのち――――
「森の屋敷に…………」
観念した様子で呟いた。




