第194話 「もうひとつの顔」
遡ること四ヶ月。
ザックイール戦を終え魔王城へと戻ってきた稲豊は、再び心の内にある魔王サタンの下を訪れていた。
「よう会いたかったぜソフィちゃん! パパがだっこちまちょうねぇ~?」
「ガ、ガキじゃねぇんだから!」
「ちぇ~イケズ~」
サタンとソフィアのコミカルな再会を見せつけられているにも関わらず、稲豊の表情はとても険しい。さすがにこのままスキンシップを続ける訳にもいかず、サタンは咳払いをひとつ零したのち、稲豊の方へ向き直った。
「んだよ辛気くせぇな。お前ここんとこ笑顔が薄いぞ? もっと笑えよ」
「…………大切な仲間が死んだ。そんなときに笑えるかよ」
「分かってねぇなぁ。そんなときだから笑うんだよ。辛いときにそれを顔に出すとだな、周りだって辛くなっちまう。皆が落ち込んでるときはよ、それを元気付けるのも大将の仕事なんだぜ?」
「……うるせぇよ。俺が大将の器じゃねぇってことぐらい、自分でよく分かってる。それに、国を見捨てたあんたには言われたくない」
「正論とかやめろよ。しまいにゃ泣くぞ? 魔王サタンが人間に泣かされるところが見たいのか?」
まるで暖簾に腕押し。
大木と相撲でもとっているかの如く、魔王サタンは崩れない。
しかしこのときの稲豊は苛立ちを覚えるというよりも、その飄々とした態度を少し羨ましくも思った。自分では、心をそこまで強く保てない。
「んなことより、あんたに聞きたいことがある。クロウリー家の地下にある部屋……あんたも当然知ってたんだよな?」
このまま魔王のペースでいると、いつまで経っても会話が進まない。
稲豊は強引に本題に入ることにした。
「ああ、知ってたよ? っていうか、あの部屋を作ったのオレ様だしな。リリトに頼まれて作ってやった」
「それじゃあ、あんたはもちろんあの台座のことも知ってたんだよな? リリト・クロウリー……いや、黒瓜 理々人のことも知ってたんだよな?」
糾弾するような稲豊の声に、サタンではなくソフィアの方がたじろいでしまう。居心地の悪そうな顔を始めた娘の頭を撫でながら、サタンは再び口を開いた。
「ワイフのことだ、当たり前だろ。リリトがお前と同じ異世界人……もとい地球人だってことは、オレ様が転生する前から知ってたさ。本人の口から聞いたからな」
「どうりでな、おかしいと思ってたんだ。異世界に転生するってのは、リスクだってデカイに決まってる。いまの俺と同じように帰れなくなる可能性だってある。そんな危険な賭けを、何の確証もなしに試すなんてありえねぇ。お前は黒瓜 理々人から地球のことを聞いていたんだな?」
「おうともよ! 旨いもんがたくさんある場所だとリリトは教えてくれた。膨大な世界の中から地球を探すのは骨が折れたが、それもリリトのおかげで何とかなった。オレ様が異世界転生を思いついたのは、彼女の力が大きかったね実際」
サタンは稲豊の質問に、嘘偽りなく答える。
隠すつもりもないといった魔王の態度に、稲豊は己の毒気が抜かれていくのを感じていた。
「ルト様は、そのことを?」
「ルトだけじゃねぇ。アドバーンもソフィも、なんならエデン軍だって知ってることだ。まあ、リリトは話したがらなかったから、知らない奴も多いだろうけどな」
「………………なんで」
「誰も教えてくれなかったのか――か? じゃあそれを話してもらったら、お前は安心できたのかよ? 異世界からやってきたリリトは、いまだ地球に戻れちゃいねぇ。それどころか屋敷の地下で石の中に缶詰だ。そんな話を聞かせてもらって、お前は『ああ良かった』って思えるのかよ?」
「それ……は」
思えるはずがない。
稲豊の中で即座に答えが出たが、モヤモヤしたものはなくならない。
いまの心痛と相まって、稲豊の表情はより暗く沈んでいった。
「なんだぁ? 辛いことが多すぎてホームシックにでもなったか? けど残念ながら、お前はオレ様と同じ方法は使えねぇぜ。お前自身は転移魔法を扱えねぇし、扱える奴は地球の座標を知らねぇからな」
「んなこと…………分かってる」
頭では理解していても、湧き上がる感傷だけはどうしようもない。
自然と伏し目がちになった稲豊は、それでも気持ちを切り替えるしかなかった。
「それで? 聞きたいことはもう終わりか?」
「いや……まだある。地下にいたあの蜂たちのことだ。あれはサイズこそ違うけど、地球の蜂に間違いねぇ。なんでこの世界に地球の生物がいる? まさかそれも、あんたが作ったなんて言わねぇよな?」
「まさか! いくらオレ様でも、地球の生き物を作り出すことなんてできねぇよ。そうさなぁ、どっから説明しようかねぇ」
顎を触り、情報の吟味を始める魔王サタン。
ソフィアはふたりの会話に耳を傾けながらも、ずっと居心地の悪さを感じていた。
「席……外そうか?」
ばつの悪そうな顔で訊ねたソフィアを、稲豊は右手で制止する。
「別に良い。俺の考えが正しければ、お前にも聞いてもらった方が都合が良いからな。……で? あの蜂たちはどっから持ってきたんだ?」
稲豊がもう一度、訊ねると、サタンはスッと表情を変えた。
先ほどまでのくだけた印象は鳴りを潜め、いまは色のない表情を浮かべている。
感情をなくした瞳で、サタンはぽつりぽつりと語り始めた。
「リリトにはいくつかの顔がある。オレ様の妻であり、ルトの母であり……そして、科学者としての顔があった。地下の変わった部屋を見ただろ? あそこはリリトが様々な動植物を集め、日夜研究に没頭していた部屋さ」
「あそこか……。たしかに変な道具がいっぱいあったな」
「お前の想像通り、あれは地球から召喚したミツバチだよ。それだけじゃない、あの地下に咲いてる花たちも召喚したものだ。この世界に合わせてリリトが改良を加えたから、元のとは少し違うけどな」
サタンが話すのは荒唐無稽な内容だったが、稲豊は眉一つ動かさなかった。
あの蜂を見た時点で、心のどこかで予想していたのかもしれない。
「さらに言えば、お前が恩恵を受けているヒャクの木だってリリトが作り出したものだ。惑乱の森はヒャクの木の栽培地で、その管理をネブに任せたのがオレ様ってわけよ」
「ヒャクの木まで? ということは……全部、ルト様のお母さんのおかげだったんだな」
いままでの稲豊を支えてきたもの。
その影にいたリリトという存在に、稲豊は奇妙な親近感を覚えていた。
彼女が居なければ、稲豊はルートミリアと出逢うことも、異世界で生きていくことさえ叶わなかった。
「他に聞きたいことは?」
「色々あるけど、今日はもういい。悪意があって隠してた訳でもなさそうだしな。それに、あんまりソフィアに負担をかけるのも忍びない」
「そうか。じゃあ最後にひとつ、良いことを教えてやるよ」
「良いこと?」
心の世界を去ろうとした稲豊に、サタンが再び笑みを向ける。
それは無邪気なものに違いなかったが、いまの稲豊には最高に邪悪に見えた。
だが、好奇心が稲豊をこの場に縫い付ける。
「……なんだよ?」
「覚えてるか? さっきオレ様は、リリトが異世界人であることをエデン軍も知っていると言った。それが何を意味すると思う?」
「え? そ、それって…………」
サタンの言葉が、稲豊の頭の中で反復する。
『リリト・クロウリーのことを、エデン軍は知っていた』
それが意味することとは?
しかし、稲豊が結論にたどり着く前に、答えはサタンの口から明らかになる。
「リリトにはもうひとつ顔がある。『エデン国第四天使、贖罪の魔女リリト=クロウリー』。それがリリトのもうひとつの肩書き……だった」
「ちょ、ちょっと待てよ!? リリト・クロウリーが…………エデンの……天使!?」
「魔女の遺産はエデンにもある。そいつが食糧改革の助けになるかどうかは――――お前次第かもな? シモン=イナホ」
「おいッ! ま、ちょっと!?」
そこまで叫んだとき――――
稲豊は自分の意識がブツリと消えるのを、はっきりと感じた。
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「………………うっ……ここは……?」
重い頭と、重い体をゆっくりと起こす。
そして周囲にある古書の香りに気付くのと同時に、稲豊は現実の世界に戻ったことを知った。
「くそっ……あの変態魔王、最後の最後にとんでもねぇことを…………。お~い、起きろ~!」
目を覚ました稲豊は、となりで寝ているソフィアの頬をペチペチと叩いた。
「ふにゃ……にゃ…………んん…………? ここは~?」
ふにゃふにゃと瞼を持ち上げたソフィアは、普段の気が強い姿とは違い、年相応の柔らかな表情を覗かせる。一瞬、その可愛らしい寝起き顔を堪能したい衝動に駆られた稲豊だが、いまはそれどころではない。
「お~い起きろ。起きなさい! お前に聞いて欲しいことがあるんだ」
「ん…………な~に~?」
まだ意識が覚醒してないソフィアだったが、いまの稲豊にはそれを待つ余裕もない。薄っすらと目を開ける彼女に、はっきりとした口調で告げた。
「覚悟を決めた。作戦丙は――――俺がやる」
誠に勝手ながら、リリトの肩書きを『善悪』→『贖罪』に変更しました。m(_ _)m
申し訳ありませんです。




