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メシマズ異世界の食糧改革  作者: 空亡
第五章 魔王の正体 【後編】

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第171話 「大きな誇りと小さなプライド」


 手のひらの上には皮を剥かれた芋。

 そして目の前には水が張った桶が置かれている。

 にも関わらず、マルコは固まったままで動かなかった。


――――否、動けなかった。


「………………洗う……」


 芋を洗う。

 それは肉を主食とし、『捌く』か『焼く』という工程しか知らないマルコにとって、初めて行う調理工程だった。


 狼人族から派生した人狼族とコボルド。

 狩猟を捨て農耕に走ったコボルドと、人間から学んだ人狼族は野菜の調理方法を知っている。狩猟と戦闘()()に特化した狼人族には、馴染みが浅いどころの話ではない。


「チッ! ようは泥を落とせば良いんだろう!」


 芋を乱暴に水の中に放り込み、バシャバシャと荒々しく芋を転がす。方法としては間違ってなかったのだが、その力加減はまったく適切ではなかった。


「むぅ!?」


 百戦錬磨の握力で握られた芋は、ぐしゃりとひしゃげてバラバラに千切れる。桶の中で分解されたタル芋は、水の上で悲しげに漂っていた。


「赤ん坊を洗うように、優しくお願いします」


「わ、分かっている!」


 なんで自分がこんな目に――――マルコは心の中で愚痴をこぼすが、当然その疑問に答えてくれる者はいなかった。狩りの何倍も集中しながら、時間をかけてなんとか芋の汚れを落とす。


「ハァ……ハァ……! お、終わったぞ!」


 すでに満身創痍といったマルコだが、調理は始まったばかり。まだまだ彼の仕事は残っている。


「ありがとうございます。それじゃ次はこのおろし金で、芋をすりおろしてもらっても良いですか? 」


「またオレか!? 他の連中にも言ったらどうだ!」


「他の皆には別の仕事をちゃんと頼んでますよ。マルコさんには、比較的簡単なのを任せてるんですから」


「……………………」


 稲豊の言う通り、マースもミースも――エイムでさえも、自分の仕事を手際よくこなしている。マルコは強く歯噛みすると、無言で持ち場へと戻っていった。



「…………すりおろす?」


 見たこともない調理器具を片手に、マルコはまたも石になる。

 傍観していた側近に救いの視線を送ってみるが、返ってきたのはお手上げの仕草ポーズ。料理スキルに関しては、両者どっこいどっこいだった。


「おい人間! これはどう使えばいい!」


 痺れを切らし、再び稲豊の下へ戻ったマルコだが――――


「なにぃ? イナホくんは蛙が苦手だって?」


「蛙がというより蛇やムカデとか、毒を持つ生き物に苦手意識がありますね」


「蛇は自分も苦手だなぁ」


 ふたりの護衛と『苦手な生物談義』で盛り上がる稲豊の耳には、言葉がまったく届いていない。事実上いまのマルコが頼れるのは、たったのひとりだけだった。


「エイム…………これはどう使ったらいい?」


 可能ならば彼女には頼りたくなかったマルコだが、背に腹は代えられない。ここで『役立たず』の烙印を押されることの方が、彼には耐え難い屈辱に違いなかった。


「え、えっと……おろし金はこう使うのにゃー」


「……うむ」


 数年ぶりにする会話らしい会話は、多分な固さを含んでいた。しかしそれも時間の経過に伴い、少しずつぎこちなさが薄れていく。その様子をニヤニヤと見つめる稲豊の顔には、「作戦的中」の文字が書かれていた。


「さあ、ここからは俺も頑張らないとな」


 腕まくりをした稲豊は、テーブルに置かれたメモ帳へ目を走らせる。そこにはネロから学んだレシピが、こと分かりやすく書かれていた。


「すりおろした芋を清潔な布で包み、桶の中で十分くらい揉みほぐす。しっかり揉みほぐれたら芋入り布を絞って、また十分くらい放置。すると底に白い粉ができるので、粉だけを残すように水を捨てます」


「結構……時間が掛かる料理なんだな」


「今のところ、あんまり美味しそうに見えないのにゃー」


 稲豊の横で、マルコとエイムが見よう見まねで手順を追う。

 料理教室の講師になった気分を味わいながら、稲豊はどんどん次へと進んだ。


「よくかき混ぜたらまた時間を置いて、再び水だけを捨てます。さらに同じ工程を繰り返して、白い粉だけを抽出。あとは完全に水分が飛ぶまで放置すれば『片栗粉』の完成です!」


「カタクリ~? 聞いたことない粉なのにゃー」


「完全に水分が飛ぶまでとは、どのくらい放置すれば良いのだ?」


「およそ半日から一日くらいです」


「長すぎるわ! 出来るまで待てとでも言うつもりか!!」


 怒るマルコとは対照的に、稲豊の顔は実に涼しげ。

 ふたりの反応は想定の範囲内。マースの下に足を運んだ稲豊は、ほどなくして戻ってきてから言った。


「というわけで、ここに一日乾燥させた物があります」


「オレが芋を洗った意味は!?」


「そしてこの粉をヒャクの果汁と湯の入った袋に投入し、よ~く揉みます。そのあとは菜箸を使い、少しずつまとめていきます」


「こ、この人間のメンタルの強さは異常だにゃー……」


 怒りを通り越した呆れを感じながらも、ふたりは慣性で真似をする。特注の桶の中で、片栗粉は水分を含み生地としてのていを成していった。


――――のだが、



「……? ボソボソ崩れて、上手く纏まらんな」


「なんだか変にもろいにゃ……。これ本当にひとかたまりになるのかにゃー?」


「なりませんよ? 小麦粉が入ってませんから」


 稲豊のひとことでマルコはこめかみに青筋を浮き上がらせ、エイムは「ズコー!」とズッコケた。ふたりが稲豊を見る瞳に、そろそろ殺気が宿りだす。


「ちょ、ちょっと待ってください。対策はちゃんと考えていますから! アリスさん出番ですよ!」


 身の危険を感じた稲豊は、出し惜しみせず奥の手を呼ぶ。

 すると天幕の横からアリステラが顔を覗かせ、テーブルの方へトテトテと駆けてきた。エプロン姿のアリステラは右腕をすうっと桶の中へ伸ばすと、『融合』の能力を発動させる。


 すると見る見るうちに生地は纏まりはじめ、あっという間にひとつの塊へと変貌した。


「本来なら小麦粉に入ったグルテンが生地を纏めるんスけど、ここには小麦がありませんからね。魔能で生地を纏めてみました」


「………………」


「王女の魔能を必要とする料理って……それってどうなのにゃ……?」


 何はともあれ、生地の体は整った。

 あとは生地を三十分ほど寝かせる必要があるのだが――――


「すでに寝かした物がコチラになります」


「もう文句を言う気も起こらないな……」


「この生地を一口大にちぎり――そうそう、そんな感じッス。ちぎり終わったあとに茹でたら、もう完成は目の前です」


 そこへタイミングを見計らったように、ミースが鍋を持ってくる。

 鍋の中では茸と野菜で出汁をとったスープが、ゆらゆらと波打っていた。鼻腔を擽る香りが食欲をそそる、この料理のもうひとりの主役が登場である。


「ミースさんたちが用意してくれたスープに先ほどの生地をぶちこみ、ちょっと煮込んだら――『すいとん(異世界ver)』の完成です!」


「ほぅ……!」


「お、美味しそうだにゃー! 食べても良いのかにゃ!? 協力したんだから、その権利はあるはずなのにゃー!」


 エイムは二又の尾を振りながら、大きな瞳を爛々と輝かせる。マルコは「食べたい」と口にこそ出さなかったが、本人の意志とは関係なく滴る唾液がすべてだった。


「一応、衝立の向こうにテーブルを用意しましたけど」


「ここで良い!」


「わっちも場所なんか気にしないにゃ! 早く食わせろにゃー!」


 椀の中に注がれたすいとんを見て、マルコとエイムは辛抱たまらないといった様子。快適な衝立の席へ着くことなく、立ったままで椀へと手を伸ばす。そしてすいとんを一口啜ったあとで、大きな目を更に大きくして言った。


「わっわっ! こんな透明なスープなのに、なんてコクなのにゃー! いくらでも飲めてしまうのにゃっ!!」


「この白い生地も、なかなかどうして。もちもちでつるんとした喉越し――悪くない」


 すいとんの評価は上々。

 数分と持たず空になった椀が、その出来を物語っている。

 調理中とは違い上機嫌になったエイムとマルコは、同時に「おかわり」と椀を差し出した。


 息の合ったふたりの様子に、稲豊は思わず吹き出してしまう。

 

「ふたりの相性ピッタリじゃないですか。こんなに仲の良いふたりが、どうして喧嘩なんかしたんでしょうね?」


「そ、それは……だな……」


 不意打ちな稲豊の言葉に、ふたりはギクリと身を固くする。

 特にマルコの狼狽ぶりには目を見張るものがあり、何か不都合なことがあるのは、誰の目から見ても明らかだった。


 そこへ再び足音が近づく。

 足音の正体は言わずもがな、髭を揺らす老紳士だった。


「マルコ殿、もういい加減に白状してしまいましょうか? 貴方がエイム殿を突き放した……その理由を」


「な!? アドバーン……殿! そ、それでは話が違う! 貴殿が黙っていると言うからオレはっ!?」


「仕方ないではありませんか。兵士たちの士気だけでなく、このままでは作戦の成否にまで関わりそうなのですから。ネコマタ族を戦線から離脱させるよう進言するのは、コチラとしても話が違います」


 表情を歪ませるマルコだが、それ以上の反論はできなかった。

 正論と屁理屈を器用に扱うアドバーンに、口論で勝てる理由などあろうはずもない。


「り、理由ってなんだにゃー? わっちは嫌われたから突き放されたんじゃなかったのかにゃ? 教えて欲しいのにゃー!!」


「そ、それは…………」


 勢いよく詰め寄られ、マルコは途端にしどろもどろになる。

 口下手で愚直な狼男は、なんと話せば良いのか分からず閉口した。なら代わりに答えられるのは、ひとりしかいない。


 アドバーンはひとつ咳払いをした。


「当時マルコ殿は、次代の族長候補に選出されておりました。類まれなる強さと、溢れる人望。最有力との呼び声も高く、次の族長は彼だと皆が思っていたそうです。なればこそ、対立候補としては面白くなかったワケで……」


「た、たしかにあのとき里のみんにゃの様子が変だったけど、そんなの初耳だにゃー!?」


「狼人族は排他的な部族ですからね。貴女を里に招いたのは異例の事態なのですが、さすがに里の重要機密を教えるほどガードは緩くないということでしょう。さて話を戻しますと、対立候補は族長になるために、ある計画を立てていたそうです」


「計画……?」


 初めて知る事実に、エイムの疑問が膨れ上がる。

 当時を思い返してみれば、たしかに里に浮ついた雰囲気はあった。何者かの視線を感じることもあった。しかしそんなことが気にならないほど、エイムは日々の充足感に溺れていたのだ。


「ええ。囲っているネコマタ族を利用した、狼人族にはあるまじき卑怯で小賢しい作戦です。内容は割愛しますが、作戦が成功すればエイム殿はそれはもう無残な目にあっていたことでしょう。もちろん、マルコ殿も例外ではありません」


「そ、それはホントなのかにゃー!? だったら犬こ…………マルコがわっちを追い出したのは――」


 そのさきを口に出さなくても、この場にいる皆が理解していた。

 狼人族の里で渦巻く陰謀。その渦中から、マルコはエイムを逃がそうとしたのだ。


 対立候補の魔手がいくつあるか分からない。

 どうやって収束させるか分からない。そんなマルコが考え出した苦肉の策が、エイムを里から遠ざけることだった。


 策は対立候補の裏をかき、マルコは晴れて若き族長となった。

 そのさいに誰かの血が流れたことは、いまとなっては闇の中である。


「だ、だったら……なんで話してくれなかったのにゃー! ちゃんと話してくれてたら、わっちは……マルコを恨まずにすんだのにゃー!!」


「……すまん。我々の家にも密偵の気配があり、当時は他に方法が思いつかなかった。その後も何度かお前に話すべきか悩んでいたが、迷惑になるかも知れぬと話せなかった……。オレの身勝手が招いた今日だ、恨んでくれて構わない」


 遂に自らの口で、マルコは認め謝罪する。

 いままで信じてきたものが崩れ去り、エイムは混乱し言葉がでない。


 そんな状況を見かねたように、稲豊はゆっくりと口を開いた。


「昔の状況と今の状況……なんだか似てません?」


「……え?」


 そのひとことで、エイムはハッと面を上げた。

 里から遠ざけようとした過去と、戦場から遠ざけようとした現在。もしその()()まで酷似したものだったなら、マルコの真意は一変する。


 つまり、嫌いだったから遠ざけようとしたわけでなく――――



「わっちを……『守る』ためだったのかにゃー?」


「………………」


 マルコは答えなかったが、この場では沈黙こそ肯定の証明となった。エイムの大きな瞳に、大粒の涙が溢れる。それをいち早く察したアドバーンは、手ぬぐいを彼女に差し出しながら、


「彼は常々、貴女の身を案じていましたよ。知っていますか? 彼が戦への参加を決めた一番の理由は、ネコマタ族が参戦を表明したからでございます。狼人族を最前線へ配置して欲しいと、条件まで付けてね」


「そ、そんにゃ……! わっちの……ために……?」


「お前だけじゃない、狼人族の名誉を守るためでもあった。もう自分たちの縄張りを守るだけでは、誇りを守れる状況ではない。これは狼人族の総意でもある」


 もはやすべては明らかとなり、マルコの表情も心なしか晴れやかなものだった。複雑だったエイムの胸中も次第に落ち着きを見せ、それはやがてひとつの結論にたどり着く。


「マルコの気持ちはわかったのにゃ……。でも、そんな気遣いちっとも嬉しくないのにゃー!!」


「なっ! 何を……!?」


 ポカポカと叩かれ、マルコは思わず後ずさる。

 

「どうしてエイムを……うんにゃ、ネコマタ族を信じてくれないのにゃー!! わっちはもうあのときの弱い子供じゃないのにゃー!! 鍛えに鍛えた、立派な魔物なのにゃ!!」


「お、落ち着け! わ、分かったから……!」


「うそにゃ! 全然わかってないのにゃー!! わっちがもう守られるだけじゃないって、なんでわからないのかにゃー!! わっちがマルコと同じ気持ちでココにいることが、どうしてわからないんだにゃ!!」


「同じ気持ち……?」


 驚きに目を剥いたマルコは、その目をアドバーンの方へスライドさせる。直感的にアドバーンなら知っているような気がしたのだが、彼の直感は鈍ってはいなかった。


「ネコマタ族もまた、狼人族が傭兵候補に挙がっている事実を知り、参戦を表明してくれました。貴方を見返すため……。もちろんその気持ちもあったでしょうが、そんなことで仲間の命を天秤にかけるほど、エイム殿は薄情ではありませんよ」


「そ、それでは……なぜ?」


「わっちだって守りたいんだにゃー! 国を、誇りを、お世話になった狼人族を!! なんでそんな当たり前のことがわからないんだにゃー!!」


 マルコの頭に、ガツンと鈍器で殴られたような衝撃が走った。


 狼人族が強いという慢心から、知らず知らずのうちに『弱者を守らなければ』という思い込みが、毒のように蔓延していたのだ。己が誰かに守られるなど、マルコは考えたことすらなかった。


「誇りだけでなく、国も、ひどく突き放したオレでさえ……守ろうと言うのか?」


「国にも狼人族にも恩がある。今回はそれを返せるまたとない機会なのにゃー! たしかにわっちはマルコへの恨みもあったけど、それ以上に恩を返したかったのにゃ!!」


「…………そうか、なるほどな。……………………ク…………クク…………………………ハァッハッハ!!!!」


 全力の想いをぶつけられ、マルコは完全に打ちのめされた。

 強く気高いという思い込みは跡形もなく砕かれ、いかに自身が矮小な存在なのかを思い知らされた。口から溢れた笑みは、そんな自身を嘲笑する自虐的な笑みだ。


 しかし気分は憑き物が落ちたように、爽快なものだった。


「オレは――なんてバカ野郎だったのか! 誇りを守っているつもりで、自ら誇りを貶めていたのだからな! これほど愉快で痛快に殴られたのは、生まれて初めての経験だ!!」


 ひとしきり笑ったあとで、マルコはエイムへと向き直る。

 そして真面目な表情に戻したあとで、


「ネコマタ族の族長エイム。貴殿と同じ戦場に立てることを、愚生は誇らしく思う。願わくば、戦のあともこうして同じ卓を囲ってはくれまいか?」


 そう言って右手を差し出した。

 

「もちろんだにゃ! また一緒に()()()()を作るのにゃー!」


 大きな右手に、小さな右手が重ねられる。

 こうしてふたつの種族間の確執は終結を迎え、魔王軍はより強固な絆で結ばれた。


 そしてそれを祝福するかのように、空から白い欠片が降ってくる。


「あら? 雪ですわお父様。例年よりもかなり早いですが、幾度見ても美しいですわねぇ」


「にゃはー! 片栗粉みたいなのにゃー!!」


「これはまた、天も粋なはからいを。しかし積もる前に、備えをしなくてはなりませんな」


 雪は途切れることなく降り続け、一面を銀世界へと染め上げていく。そしてそれは強行軍をしいられるアキサタナ軍にとって、さらなる地獄の始まりを意味していた。



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