第168話 「マルコの異変」
『ネコマタ族を戦線から離脱させて欲しい』
マルコに難題を強要――――もとい持ちかけられてから三十分後。
稲豊はとんぼ返りする猪車の中で、頭を抱えていた。
「いやいやいや……無理だろ……。俺にそこまでの権限ないし」
何度もマルコに「無理だ」と説明し理由も訊ねたが、まるで巨木か巨岩。押しても引いても、まったくの無反応だった。仕方なく狼人族の陣をあとにした稲豊は、理由を求め南方のネコマタ族の陣へと向かう。
ネコマタ族の野営場所は、平原近くの森の中。
天幕や猪車はなく、大木に大量のハンモックが吊るされていた。それは地上一メートルぐらいの物もあれば、ハンモックが蟻ほどのサイズに見える樹上にも設置されている。
「当たり前だけど、種族によって寝床も違うってわけか。でも――――」
右へ左へ、何なら上にまで顔を動かすが、ネコマタ族の姿はどこにもない。装備や荷物などの“居た痕跡”は見つかるのだが、肝心の姿が見つからないのだ。
「どっか行っちゃったんですかね?」
「うーむ荷物を置いてというのは考えられないが、実際に居ないからねぇ」
「………………」
護衛のふたりと一緒に、稲豊は途方に暮れる。
会うことが叶わなければ、会話もへったくれもない。もちろん狼人族との因縁が聞けるわけもないし、両種族の取り持ちなどできようはずもない。
「くそっ!」
上手くいかない現状に、稲豊は悪態をつきながら地団駄を踏む。
するとそのとき――――
「なにするんだにゃー!」
甲高い声が響き、足裏の地面がもくりと盛り上がる。
稲豊は「わっ!」と飛び退ったあとで、盛り上がった地面を怪訝な顔で見つめ直した。
眺めているうちに地面はどんどん膨張し、やがて限界を迎えたのか裂けて中身が飛び出した。それはまるで小さな噴火。違うのは飛び出した物が溶岩ではなく、ズングリムックリな二足歩行のネコだったという点だ。
「せっかく気持ちよく寝てたのに、ひどい奴だにゃー!」
体をブルブルと振り、付着した砂や土を落とす。
そして二又の尾の先まで綺麗になったことを確認すると、ネコマタはシャキンと両の指の爪を伸ばした。戦闘態勢である。
「ちょ、ちょっと待った! たしかに寝てるところを起こしたのは悪かったけど、俺は敵じゃない! 用事があってやって来ただけだ!」
「……用事ぃ~?」
「あ、ああ。彼はルートミリア様の料理人のイナホくん。軍師に頼まれここに足を運んだんだ。君たちのリーダーが今どこにいるのか、教えてはいただけないだろうか?」
訝しげに睨むネコマタ族へ、マースが丁寧な口調で声をかける。しばらくお互いに硬直した時間が流れるが、それもいつかは終わりを迎える。先に硬直を解いたのは、ネコマタの方からだった。
「……なんとなく信じて良いような気がするにゃー。オカシラならこの森の奥……といっても、そんなには遠くないにゃー。案内するから、ついてくるのにゃ!」
「あ、ありがとう。ちなみに質問なんだけど……なんで土の中? あのハンモックの意味は?」
「アレはただの飾りにゃー。ああしておけば、敵が攻めて来たときに意識を上に集中させられるにゃ。オカシラのアイデアだにゃー!」
「へ、へぇ……」
三毛猫風のネコマタに先導され、稲豊たちは森の奥へと進む。
そして歩くこと数分。木々の開けた場所に、目的の魔物は鎮座していた。大木を前にしたピンクの毛並みのネコマタは、マイペースに爪を研いでいる。
「オカシラ! 客人を連れてきたにゃー!」
案内ネコマタが声をかけると、族長のエイムは「にゃー?」と尾を揺らしながら振り返る。その表情はマルコよりも幾分か豊かで、稲豊たちは少しだけ胸を撫で下ろした。
「どこかで嗅いだ臭いだにゃー?」
眉を潜めるエイムに、稲豊は軽く会釈する。
するとエイムはポンと手を叩き、眉に入っていた力を抜いた。
「ああ! 城で会った人間かにゃー。わっちに何か用かにゃあ?」
「えっと、狼人族との間で何があったのか、軍師がどーしても知りたいらしく。えー差し支えなければ、教えていただけたらなぁ……なんて」
ここで相手の機嫌を損ねたら、もう手の打ちようが無くなってしまう。そうなれば待っているのは、氷よりも冷たいソフィアの冷笑と、ルートミリアの申し訳なさそうな表情である。それは勘弁とばかりに、稲豊は極めて低姿勢に努めた。
もし拒否されたのならば、ありとあらゆる買収を試みる覚悟すらあった。
しかし、
「聞いてくれるのかにゃー!? 聞くも涙……語るも涙の因縁を!!」
ずずいと稲豊に詰め寄ったエイムは、さも語りたそうに目を輝かせる。マルコとのあまりの違いに圧倒される稲豊だが、この状況は追い風にほかならない。流れを切ってはまずいと、静かに耳を傾けることにした。
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あれは、わっちがまだ子供の頃の話だにゃ…………。
小さなウサギを狙っていたわっちは熱中するあまり、ひとり禁断の森に入ってしまったのにゃ。
『うにゃにゃ!? 迷子になってしまったのにゃー!?』
右を見ても左を見ても、目に映るのは草木だけ。
どんどんと暗くなっていく森の景色に、わっちの胸は不安と恐怖でいっぱいになっていったのにゃ。
そして流す涙も枯れてきたころ……。
『……にゃ? ひ、光だにゃ!? 誰かいるのかにゃー!!』
森の奥で黄色の光を見つけたのにゃ。
わっちは助かったと思うと、もう嬉しくて嬉しくて。スキップしながら光の方へ向かったのにゃ。でも近づくに連れ、光の数がどんどん増えていることに気が付いたのにゃ……。
『にゃにゃ!? こ、これは……松明の明かりじゃないにゃあ!?』
よく見ればそれは、わっちの様子を窺う魔獣の瞳だったのにゃ!
数十のギラギラした瞳が、暗闇の中からわっちを狙っていたのにゃー。それに気付いたわっちは、もちろん一目散に逃げたのにゃ! でも魔獣たちに背中を向けたとたん……奴らは牙を剥いて襲いかかってきたのにゃ……。
『ふにゃー! わっちを食べてもカメムシみたいな味しかしないにゃー!! やめて~!! ふぎゃっ!?』
木の根に足をとられて転んだわっちは、目の前に迫る魔獣を見て……死の覚悟を決めてギュッと目を閉じたにゃ。でもそんな最後の最後のときに、アイツが現れたのにゃ――――
『オオオォォォ!!!!』
『……にゃ?』
魔獣とは違う雄叫びを聞いて、わっちはびっくりして薄く目を開けたにゃ。するとわっちの目の前に、見たこともない誰かの背中があったのにゃ。大きくて頼もしいその誰かは、勇敢にもたったひとりで魔獣の群れの中に飛び込んでいったにゃ。
『グオオオオォォォ!!!!』
魔物とも魔獣ともつかない咆哮が辺り一面に響き渡り、わっちはただ震えて身を縮こませることしかできなかったのにゃ。でも時間が経つにつれて……喧騒もだんだん小さくなって、やがて森は虫の声だけになったにゃ。
だから……恐る恐るわっちは周囲を見たにゃ。
そしたらわっちの目の前に、全身が傷だらけの狼人族がいたのにゃ。腕や足には噛み傷、腹や背にはひっかき傷……そして右目には、失明を思わせる大きな傷があったのにゃー……。
『……………………無事か?』
『わ、わっちは大丈夫だにゃー。でも……でも……』
『無事ならいい。行くぞ……奴らは一旦引き上げたが、また体勢を整えてから襲ってくる。ここにいるのは得策ではない』
『わかったにゃ! ついていくにゃー!!』
それが今から十年くらい前。
アイツ…………マルコとの出会いだったにゃー。
狼人族の村へ案内されたわっちは、ようやく安心を確保できたのにゃ。
んでもマルコの方は重症で、右目は完全に使い物にならなくなってしまったのにゃー。だから……だからわっちは――――
『マルコの目が見えなくなったのは、わっちのせいだにゃー! だから……わっちがマルコの右目になるのにゃ!! ううっ……それが……せめてもの償いなのにゃー!!』
マルコの奴は『必要ない』って断ったけど、当時の族長に無理を言って狼人族に入れてもらったにゃ。身の回りの世話に狼人族の訓練に、大変だったけど充実して楽しい日々だったのにゃー。マルコも満更でもなさそうな様子で、わっちも本当の家族のように感じていたにゃ。
なのに………………。
『どうしてだにゃっ!? なんで出て行けなんて言うのにゃー!?』
『傷も既に塞がり、日常生活どころか狩りにも支障はなくなった。エイム、お前がこの家に留まる理由は、もうどこにもないはずだ』
『そ、それはそうかもしれにゃいけど! わっちとマルコは、ずっと仲良くやってきたにゃー? もう何年も一緒にいて、いるのが当たり前みたいな存在で……そう、家族のような存在だとわっちは――――』
『家族? 馬鹿を言うな。お前には我々のような屈強な体は無いし、我々には二又の尾などない。お前がどう思っていようが、種族という壁は超えられぬ。妄言を吐く暇があるなら、さっさと荷を纏めたらどうだ?』
ある日、急にマルコの様子が変わったんだにゃ……。
苦労して一緒に食料を集めた日もあったにゃ、暴風で壊れた家を一緒に直した日もあったにゃ。大変だったけど、一緒だったから辛くなかったにゃ。一緒だから楽しかったんだにゃ……。わっちは生まれたときからひとりだったから、家族ができたみたいで嬉しかったんだにゃ……。
『うっく……ううぅぅぅ……。どうして? どうして……?』
泣きながらあの家を出た日を、いまでも夢に見るのにゃ。
あの痛みに比べたら、身を切り刻まれた方がまだマシだったにゃ。
死んでしまいたいとも思ったにゃ。
でも……わっちは挫けなかった!
『種族の壁なんて……くだらないにゃ! わっちはもう無力だったあの頃とは違う! 狼人族の戦士に勝ったこともあるのにゃー!! 絶対……いつかぜぇったい見返してやる!! 待ってるのにゃマルコ!! わっちはいつか……お前よりも強くなってやるのにゃー!!!!』
どんよりとした雲が天を覆っていたあの日……わっちは轟く雷鳴に誓ったのにゃ!
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