第165話 「皺寄せ」
王都を出てすぐ、魔王軍は大きく八つの隊に分けられた。
ウルサの率いる歩兵隊と、ミアキスの騎兵隊。
マルコとタルタルとエイム、それぞれの遊撃隊。
クリステラの前衛、アリステラの後衛の支援部隊。
ルートミリアとソフィア、そしてアドバーンの控える本隊。
稲豊の給仕隊はというと、支援部隊の一部に組み込まれていた。
「こ、これが俺の給仕隊……!」
稲豊の眼前には、二十名の魔物が整列していた。
コボルドにゴブリンにドワーフなど、比較的、人型の魔物が目立っている。中には目深にローブを被っていて、何の種族か判断できない魔物もいた。
人が魔物の部隊の隊長になるなど、前代未聞のことである。
それだけに、稲豊の感動も一入だった。
「自分の隊を持つのって、何とも言えない感慨がありますよね」
感動に震える稲豊の下へ、書類を抱えたライトが歩み寄る。
その後ろには、従者のオーガが寡黙に控えていた。
「おう、ライト! お前はどこの隊にいるんだ? 俺の隊の近くか?」
「私の『偵察部隊』も支援部隊の一部です。シモン様と違って、前衛のクリステラ様の支援部隊ですけどね」
ライトが視線を滑らせた先には、スライムやバードマンの兵士がいた。偵察を得意とする、ライトの部隊の隊員である。
「急ごしらえの少数名の部隊とはいえ、シモン様は名実ともに隊長です。貴方なら大丈夫だとは思いますが、コミュニケーションは大事ですよ? 彼らの命を、しっかり預かってくださいね」
「う……! り、了解!」
「フフ。まあ、そこまで固くならずとも良いですけどね。後衛なら滅多なことがない限り、危険が及ぶことはありませんから。行進は半刻後になりますので、いまの内に隊員の名前くらい覚えておくのをオススメします」
隊長としての心構えを教授したライトは、従者と隊員を連れて前方へと移動する。わざわざ後方まで足を運んでくれたことに感謝しつつ、稲豊は給仕隊の面々へ体を向けた。
「えーと、俺たちはお互いのことを全然知らないので、まずは自己紹介から始めたいと思います! 俺の名前は志門稲豊。異世界からやってきた料理人で、普段はルト様のコックをやっています。まだまだ若輩者ですが、よろしくお願いします!」
丁寧に頭を下げるが、隊員たちの反応は薄い。
というのも、隊長というのは『命令』をするのが普通で、『お願い』をする隊長など見たことも聞いたこともない。どう反応するのが正解なのか? 隊員たちは困惑して動けずにいたのだ。
動揺した空気を感じ取った稲豊は、狼狽しながら口を開いた。
「じゃ、じゃあ……左から順に名前を教えてもらっても良いッスかね? 頼み事するとき、名前が分からないと不便なのでして!」
怪しい敬語で話しかけられた隊員たちは、困惑しつつも敬礼のポーズを取る。そして、
「トゥクルーです」
「オーギュです」
「バシモスでございます」
「リーマ」
次々と名乗る隊員たちの名前と特徴を、稲豊は必死にメモに取る。
それぞれ種族という絶対的な特徴があるとはいえ、二十名分の名前をそらで覚えられるほど、稲豊の記憶力は高くない。
「ガランです」
「ズーれす」
「ダルムドール」
「パルパルです」
最後の隊員の名乗りが終わり、それから十数秒後に稲豊の右手も止まる。手元のメモ用紙が文字で埋まったとき、稲豊の耳に聞き慣れた金属音が聞こえてきた。
「この音は――――マースさんにミースさん?」
嬉々として振り返った稲豊の前には、マルーを連れたマースとミースの姿があった。全身が鎧で覆われていて正確な姿が分からないぶん、稲豊は鎧の擦れる音で彼らを判断している。おかげで似たような鎧を他者が着ていても、区別ができるほどになっていた。
「やあ、イナホ君。さっそく隊長として頑張っているんだね。その若さで立派なものだ」
「い、いえいえ。気持ち的には、すでにいっぱいいっぱいッスよ。もう誰かに代わって欲しいと思ってるぐらいで……」
「ハッハッハ! 君の代わりが務まる者なんていやしないさ。ほうら隊長殿、愛猪をお連れしましたのでやる気を出してください!」
キャリッジを牽くマルーが、ブルルと鼻を鳴らす。
地面を掻く仕草から鑑みれば、稲豊を激励しているのは明らかだった。
苦笑しつつ頭を掻いた稲豊は、
「そんじゃあ、ちょっくら頑張ってみます! マースさんにミースさん。給仕隊の『護衛』よろしくお願いします!」
再び丁寧に頭を下げた。
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「ボンクラ共はただ歩くことさえ満足にできないのか! 二日と経たず音を上げるとは!」
平地に用意された天幕の中、アキサタナは辟易した様子で独りごちる。いくら兵たちに檄を飛ばそうとも、寒いなか延々と歩き続けることはできない。傷を癒やす魔法はあっても、疲労を回復させる魔法は存在しないのだ。
副官の三回目の進言で、アキサタナは渋々といった形で休憩を許可した。
「チッ! 兵どもの体力のなさ、これは誤算だった……。おい、注げ!」
何度目かの悪態をつきながら、背後の侍女へワイングラスを乱暴に差し出す。すると侍女は恭しく頭を下げつつ、空になったグラスにヒャク酒を注いだ。
「仕方ありません。貴方様は特別で、彼らはただの人間なのですから。想像の十ほどランクを落とせば、ちょうど良いくらいかと……」
アキサタナが好き勝手にやるので、名ばかりとなった参謀……もとい副官は、いまやアキサタナの宥め役である。言いたいことはそれこそ山のようにあったが、それが聞き入れられることは殆どない。副官は半ば強制的に、消極な性格を強いられていた。
「そんなことではボクが困るんだよ! 三大天の前でアレだけの大言を吐いたんだ! いまさら無様な報告は許されない! モンペルガを迅速かつ簡単に落とすのが前提の今作戦だ! ボンクラ共の『皺寄せ』という波が、こっちにまで掛かっちゃ困るんだよ!!」
半分ほど中身の残ったワイングラスを、アキサタナは怒りに任せて投げ捨てる。絨毯の上でグラスは粉々になり、ヒャク酒が黒い染みを作った。
ちょうどそのとき、
「しし、失礼します!」
兵士のひとりが、必死の形相で天幕の入り口を潜った。
狼狽しながらも敬礼のポーズを取る兵士は、上手く回らない舌で報告を開始する。
「魔獣たちの襲撃を受けました!! 応戦していますが、歩兵隊に複数の負傷者がでています!!」
「魔獣? 魔物ではないのか?」
「以前に見かけたことがある生物なので、恐らくは魔獣かと……」
副官の確認に、報告にきた兵士は記憶を掘り起こしながら答える。そんなやり取りを静かに聞いていたアキサタナは、ひときわ大きなため息をこぼしたあとで、
「場所は近いのか? 案内しろ」
「は、はい!!」
兵士と共に、天幕をあとにした。
襲撃地点は森の近く。休憩中の兵士を狙って、小型の魔獣の群れが急襲してきたのだ。とはいえ、相手は武装したエデンの兵士。アキサタナが到着するころには、すでに決着はついていた。
しかし――――
「…………くっ……三人も……!」
報告にきた兵士は、現場を見るなり顔を苦渋に歪めた。
一つ目の、毛の生えていない犬とも猿ともつかない魔獣。その魔獣たちの死体の中に、三体の兵士の亡骸があった。
本来ならこのクラスの魔獣に遅れなど取らない。
しかし今回は、休憩直後なのが災いした。疲労と空腹で思考が鈍ったところへ、徒党を組んだ攻撃。鋭い牙と爪は、容赦なく兵士の急所へすべり込んだのだ。すぐに医療班が駆けつけるも、時すでに遅く、三名はすでに絶命していた。
「自分の身すら満足に守れないのか! 魔物でなく、下等な魔獣なんかにやられやがって――――」
そう悪態をつきながら、アキサタナは近場に横たわる魔獣の頭を蹴った。するとそのとき、
「て、天使様っ!!!!????」
側にいた兵士が、鋭く突き刺すような叫び声を上げた。
兵士の視線の先には、アキサタナが先ほど蹴った魔獣。瞳を閉じて横たわっていた魔獣が、突然その血走った眼を覗かせたのである。
「……あ?」
初め不機嫌そうに兵士を見たアキサタナだったが、魔獣が体を起こし身を屈めたところで、ようやく事態を把握する。だが、襲撃体勢をとった魔獣の動きは素早かった。
「ギェェェェッ!!」
奇声を上げながら、目の前の敵。
すなわちアキサタナ目掛けて魔獣が跳躍する。数瞬後、大きく開いた口から覗く四つの牙が、赤い服の袖を貫通し、アキサタナの右腕に深々と突き刺さった。
「……………………ふん……」
次から次へ溢れ出す、真っ赤な血液。
アキサタナは自らの腕に食らいつく魔獣をしばらく眺めてから、
「爆破魔法」
爆破魔法を発動させ、魔獣を己の右腕ごと爆破に巻き込んだ。
粉々に吹き飛ぶ魔獣の肉片を浴びた兵士たちは、爆風も相まって軒並み尻もちをつく。
「死体かどうかくらい調べろ!!」
目の前の異様な光景を目の当たりにした兵士たちは、アキサタナの怒号にもすぐ言葉を返せない。ただ呆然と、数十に分かれた魔獣だったものと、右腕のないアキサタナを眺めることしかできなかった。
「……兵士たちの亡骸はどうしましょう?」
「知らん! 適当にその辺にでも埋めておけっ!」
遅れてきた副官に問われ、苛々した様子で答えるアキサタナ。
彼の右肩からは、すでに新しい腕が生えてきていた。




