第14話 「裏山けしからん!」
稲豊は料理に没頭する。
長時間煮込み、焦げるまで焼き、蒸して、炙る。
この世界の酒も使ってみたが、全く意味が無い。どうやら酒とは名ばかりで、稲豊の元いた世界の酒とは完全な別物らしい。
思い付く限りのあらゆる工程と調味料を試す。変に甘いものと変に辛いものも混ぜてみた。しかし上手くいかない。味同士が喧嘩して、互いに自己主張をする結果。どちらかの味に支配される。少しマシかと思った料理も、時間が少し経つと酷い味に変わる。
稲豊自身にも自分が料理をしているのかどうかも分からなくなってきた。焦燥感に駆り立てられ、まるで溺れているかの様に調理する。その顔に浮かぶのは憔悴。そんな姿を見ていられなくなったのだろうか? ナナは稲豊に声を掛ける。
「料理長、ナナも手伝います!」
――――だが。
「いい」
一人で良いと、それを無碍に断る。
寂しげに去るナナの背中すら、今の稲豊の瞳には映らない。
結局食事の時間が来ても。まともな料理を作る事は叶わなかった。
そしてその日の夕食は、稲豊にとって苦痛なものとなる。
アドバーンは「う、旨いですぞ?」と世辞を言い。
ミアキスは黙々と食べ。
ナナは「ナナよりも美味しいです!」と慰める。
ルトは一口だけ食べて、それきりだった。
拷問のような時間が過ぎた後は、また料理に没頭する。そしてそれは、深夜まで続いた。
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稲豊は厨房の冷たい床で目を覚ます。
どうやら部屋に戻るのも惜しんで、キッチンで寝てしまっていたらしい。
時計を見れば、朝六時である事が分かる。
「――作らなきゃ」
身体を起こした際に、見慣れないピンクの毛布が床に落ちる。
寝る前には何も掛けずに寝たはずなので、誰かが掛けてくれたという事になる。
しかし、稲豊はそれにも興味を持たない。また調理作業に戻る。
その目の下には大きなクマを飼っていた。
その日の朝食は完全に昨日の夕食のリプレイだ。
普段寝坊してくる筈のルトが、起きて朝食の席についている事にアドバーンやミアキスは驚いていたが、何かを察したのか追求はしなかった。
朝食が終わり、満身創痍な稲豊は味噌汁を作る。
今はこれが生命線である。しかしその命の源も、残り半分。死神は確実に歩みを進めていく。しかもルトによってタイムリミットが設けられている。それが守られなかった場合、味噌を使い終わる前に命の灯火は消え去るだろう。
恐い……恐い……恐い……。
死にたくない死にたくないしにたくない。
味噌汁を喉の乾いた犬の様に貪り飲む。
不意に今の自分の姿を客観的に思い浮かべ、その惨めさに涙が出て来る。
遂には厨房の壁と床に体重を預け、両腕で顔を覆って目を閉じてしまう。
もうどうすれば良いのか分からない。
自分はプロの料理人では無いのだ……出来るはずがない。
稲豊はもう何もやる気が起きなくなっていた。
「起きろ」
頭上から唐突に声が振ってくる。
驚きつつ顔を上げると、ミアキスがいつもと変わらぬ凛々しい表情で稲豊を見下ろしていた。
そして面を喰らう稲豊の腕を掴み立ち上がらせると、そのまま何処かへ引っ張って行く。
「えっ! ちょっ……ミアキスさん? 俺今時間が無いのですが……」
無言で手を引くミアキス。
途中で気付いたが、その逆の手には厨房で見た毛布が握られている。
為すがままに連れて来られたのは、やたらファンシーな部屋だ。
青空と雲と平原が一面に描かれた壁。鏡台の大きな鏡には何故か犬耳が付けられており、ピンクのベッドには、多種多様な生物のぬいぐるみが寝る者を囲う様に並べられている。
「――ココってまさか」
「うむ。我の部屋だ」
あっさりと答え毛布をソファーに放り投げるミアキス。
「あっ……毛布ありがとうございました」
「気にするな少年。先ずそこの椅子に腰掛けてくれ」
その真意が分からない稲豊は、取り敢えずその言葉に従う。
ミアキスは椅子の背後に回り込み、稲豊の肩に両手を添える。そこまできて、ようやくミアキスの行動の意味を理解する。
「う? おっぉっぉっ!」
肩のマッサージだ。それもかなり手慣れている。
凝っている部分を的確についてくる。身体の疲れも同時に解れていくようだ。物凄く気持ちが良い。
「次は爪だな」
ミアキスは棚から小刀を取り出し、稲豊の指の爪を器用に切る。
手が終われば靴を脱がされ、足の指に移る。爪を切るのにかがんだ際、ミアキスの豊満なバストが強調され、稲豊は恥ずかしさから天井に目を逸らす。ヤスリで形を整え、爪切りが終わると。
「ではこちらでうつ伏せになってくれ」
そう言いながらピンクのベッドを指差すミアキス、美女にベッドに誘われ、断る思春期の男子が存在するのだろうか? 稲豊は顔を真っ赤にしながら、言われた通りうつ伏せになる。
「どうだ? 痛かったら言ってくれ」
「いえ、最高です」
背中のマッサージも凄い腕だ。プロとしてでもやっていけるだろう。
あまりに現実離れした今の状態に、稲豊は夢ではないかという疑いすら持ってしまう。
「少年っ。君は根を詰めすぎている。焦りはっ、伝わるが、そんな事ではっ、頭も働かないだろう」
背中を押しながら、ミアキスは慈愛の籠もった声で稲豊の身体を労る。
「で、でも……駄目なんです。今は、今だけは頑張らないと……料理に関してだけは、手を抜くことは許されないんです。お気持ちは有り難いんですが」
身体を起こそうとする稲豊。
しかしそれを手で押さえ阻止するミアキス。
「少年。我は心配であると言っている。聞き分けが悪いのは、耳の汚れのせいだな」
「うっ……あ」
うつ伏せの稲豊は今度は横向きにされる。
そしてその頭の下にはミアキスの健康的な大腿部。その感触に感動を覚えている所で、耳に何かが挿入される。
「危険なので動くな、少年」
「は、はい!」
耳を優しく撫でる棒は、稲豊の心の醜い汚れまで綺麗に掃除していくようだ。
その行為は、時間的猶予が無い稲豊にすら、「もう少しこの状態を維持したい」と、心の底から思わせる何かがある。
『膝枕耳かき恐るべし』
その魔力にすっかり毒気を抜かれてしまい。気が付けば彼の両耳はすっかり綺麗になっていた。
「どうだ少年? 頭は冷えたか?」
「というか溶かされました。ええ、少し。いや大分落ち着きました」
不幸だとばかり思い込んでいたが、この世界でも良い事があるじゃないか。と、稲豊は少し前向きになれた。そんな少年の様子に、満足気に頷いたミアキスは。
「次は風呂だな」
そう言った。
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「はぁ~、俺に何が起きてるんだ? 死ぬ前に夢でも見てんのかもな」
臭いが気になるとミアキスに言われ、仕方なく風呂に入る事にした稲豊。
彼女は相変わらず背中を少年の流したがっていたが、さすがにそれは彼の方から遠慮する。
身体からあらゆるものが溶け出ていく。
今思い返してみると、稲豊は最近自分を見失っていた事に気が付いた。
冷静さを失った状態で乗り越えられる程、今回の壁は低くは無いだろう。
「俺の馬鹿野郎!」
稲豊は自身の両頬を、音が出るほど力強く叩いた。
そうすることにより、気合が入り頭が切り替わる。
まだ、何一つ解決の糸口は見つかっていないのだ。迫る死の運命を回避す為にはどうすれば良いのか? 稲豊は右手を顎に当て、物思いに耽った。
すると、そんな悩める彼の耳に、いきなり声が飛び込んで来る。
「イナホ殿。お悩みのようですな」
「うおおっ!?」
虚を突かれた稲豊は、湯を盛大に撒き散らし仰け反る。
いつからいたというのか? そこには湯船に浸かる執事長の姿があった。
「アドバーンさん……ですか」
「アドバーンです」
さらりと答える老紳士。
この屋敷の者は、人を驚かすのが趣味らしい。
心臓が落ち着くのを確認してから、稲豊はもう一度湯船に浸かる。
若干の気不味さを覚える稲豊だが、幸いな事にアドバーンの方から話題は飛んできた。
「悩みのタネはお嬢様が原因ですかな? いえなに、お二人の様子から想像しただけです」
稲豊自身ですら、最近の自分は変だと分かるぐらいだ。
他者にとっては、相当な異様に見えたことだろう。
「まぁ、それだけじゃないんですけど。ルト様にちょっと……脅されまして」
オブラートに包み答える稲豊。
それを聞いたアドバーンは、深いため息を吐いた。
「申し訳ございません。イナホ殿。お嬢様もアレでお優しい部分もあるのですが、あの性格と立場が邪魔をするのです。『王たるもの優しいだけでは駄目だ』と、そう考えておるのですな」
「優しい……ですか」
稲豊の記憶の中のルトは、恐怖の象徴に成り代わりつつある。
しかしアドバーンの言う事も尤もなのかもしれない。昨日今日の簡単な付き合いで、相手の事が理解できる! と思うほど、稲豊は傲慢ではなかった。
「お嬢様は食事に関して、並々ならぬ拘りを持っておりまして。とても過敏になっておられるのです」
憂いを帯びた表情で語るアドバーン。
ルトとの意外な共通点に稲豊は少し驚き、少し興味が湧く。
知らない事が多すぎる、稲豊は先ず知ることから始めようと考えた。
この場にはタイミング良く、ルトに詳しい人物がいる。
「あの……何でルト様はこんな所に住んでいるんですか? 王女って王宮に住んでるものばかりと思っていたんですけど。えっと、言えない事なら別に構わないです」
少し突っ込み過ぎた質問だろうか?
しかし残された時間の少ない稲豊は、何も知らずに死ぬのだけは避けたかった。
老紳士は稲豊の言葉に少し悩んだ様子を見せ、やがて口を開く。
「まあ構わぬでしょう。皆知っている事ですからな。イナホ殿は魔王様のご息女の人数をご存知ですかな?」
「ルト様一人……って感じじゃ無さそうですね」
ルートミリアに姉妹がいるというのは、稲豊には初耳だった。
それが屋敷の誰かで無いのなら、必然的に別に暮らしている事となる。
「魔王様の子は全部で六人いらっしゃいます。全員女の子で、お嬢様は長女に当たります」
「六人? 結構多いっすね」
「そして奥様は5人おられまして……」
「ぶっ!?」
盛大に息を吐き出す稲豊。
子沢山は別に良いが、だが妻が五人は許容できない。
「多すぎる!! どんな人間……いや魔王だよ」
まだ見ぬ魔王に思いを馳せる稲豊。
少年が落ち着くのを待ってから、アドバーンは続きを語った。
「まあ魔王様はプレイボーイでしたからな。奥様はそれはもう、色々なタイプの女性達でした。うらやま……、いや実にけしからん事で」
「今……羨ましいって言おうとしました?」
げふんげふんとわざとらしい咳を出す老紳士。
そして気を取り直して、話を戻す。
「色々なタイプがおりましたよホントに。魔族、エルフ族、精霊族。そして――人間」
「…………人?」
「まあ……そういう事ですな」
そこで顔を伏せるアドバーン。稲豊はその仕草で理解する。
魔物を殺す人間達。確執の出来る人と魔物。そして当然生まれる差別。
この魔物の国で、人と結ばれると言う事は…………。
「魔王様の計らいで、この土地に強固な結界を貼り。住まわれたのですな」
「そう……ですか」
人との間に生まれた子。それが例え王の子供だったとしても、他人の目は厳しいモノだっただろう。この辺鄙な森の中に住まなければならない程度には。
「少し喋り過ぎましたな……、寂しい老人の独り言です。お聞き逃して下さい」
「いえ。貴重なお話、ありがとうございました」
確かにルトはまだ恐い、だが……稲豊の中で彼女を見る目は確かに変わった。
彼女の事をもっと知りたくなった事が、その事実を裏付けている。
「しかしイナホ殿。風呂に入れるぐらいの余裕が出来たようですな? 実に良かった」
うんうんと頷くアドバーン。
ミアキスだけでなく大きく歳の離れた彼にまで心配をされて、どこかこそばゆい稲豊だった。
「ミアキスさんに臭うって言われちゃいまして」
「ほ。なるほど。ミアキス殿は鼻が利きますからなぁ」
ん?
アドバーンの言葉が、稲豊の何かに触れる。
それはモヤモヤとはっきりしない……、だが確かに何かの手応えを感じた。
「私も以前服を汚した時にミアキス殿にうんたらかんたら」
その後の言葉は右から左に通り抜けて行く。
引っ掛かったフレーズは……『鼻が利く』という点。
稲豊は深く深くその言葉について思い出す。その言葉がどうしても引っ掛かるのだ。確かに聞いたその言葉は誰の言葉だったか?
「鼻? 鼻が利く……鼻が……」
「――イナホ殿?」
突然ぶつぶつと言い出す稲豊に、アドバーンは少し不安そうな視線を送る。
そして次の瞬間。目を大きく開いた稲豊が大声を上げる。
「ターブだ!!! あいつに!!!」
「イイイイイイイナナナホホホホドドノノ」
両肩を稲豊に掴まれ、ガクガクと揺さぶられる老紳士。
そしてそのままの勢いで一人風呂から駆け出て行く稲豊。
後に残ったのは湯船に浮かぶアドバーンだけだった。
「もう……コレに賭けるしかない!!」
屋敷を奔走しながら誰かを探す稲豊。
その目には――――確かな光が宿っていた。




