第152話 「結果発表」
波乱の料覧会から七日後。
魔王城の三階にある十畳ほどの作戦室内では、窓がないこととは関係のない、張り詰めた空気が漂っていた。
「ようやく集計が終わったようですね。まったく! 敵はすぐそこまで迫っているというのに、悠長な」
「仕方ありませんわぁ、クリステラお姉さま。ただでさえ後ろめたい思いの兵士たちが、み~んな登城ですもの。それにぃ、竜の溜息が昨日まで猛威を振るっていましたからぁ」
眉をへの字にするクリステラを、おっとり顔のアリステラが宥める。
しかし姉を宥めた妹も、場の空気に当てられたのか、その内心はとても穏やかではなかった。
「す、すみません。催促はしていたのですが……」
「構わんさ。どうせあの冷気の中では調練も無理じゃろ。少し猶予が増えたところで、逃げた兵士らが屈強に変わるとも思えんしな。そんなことより、ソフィはまだ部屋に引きこもっておるのか? 是非もないのぅ」
平謝りする大臣補佐のライトを、ルートミリアがフォローする。
作戦室の中央にすえる卓についているのは、四人の王女たち。戦争に参加しないマリーはともかく、第三王女の姿もそこにはなかった。
しかし、呆れ顔の姉妹たちとは対照的に、ウルサの表情はそこはかとなく愉しげだった。
「まーまー。ソフィだって自分の役割ぐらい把握してるでしょ。そのときがきたら、きっと活躍してくれるんじゃないかな? いまボクたちに必要なのは、優秀なリーダーと兵士たちだけだよ」
「では当初の取り決めどおり、より多くの兵を集めた王女が『総大将』として戦に参加する。異論はございませんな?」
アドバーンの問いかけに、王女たちは無言の頷きを見せた。
彼女たちの心の準備は、とうの昔にできている。
「……ゴホン。それでは時間も惜しいので、さっそく兵士らの連判状の集計結果を発表したいと思います」
ライトが厳かに言うと、なんとも言えない緊張感が場に流れる。
誰かの息を呑む音さえ聞こえる作戦室内で、
「最も多くの兵を手にしたのは――――――」
勝者の名が告げられた。
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「すまぬ、待たせた」
「い、いへ! ぜんぜん待ってまへん!」
三階サロンに現れたルートミリアを見て、稲豊は裏返った声をだした。
緊張が隠せなかったことを少し恥ずかしくも思ったが、いまはそれどころではない。
「姫。早速で申し訳ないのですが、結果を伺っても?」
「ナ、ナナも知りたいです! さっきから胸が、心臓が!!」
作戦会議での結果を待ちわびていた、ミアキス、ナナ、稲豊の三名は、緊張の面持ちで主の次の言葉を待った。
「そう上がらずともよい。魔王の仲間がそれでは、他の者たちへの示しがつかぬではないか」
そう語るルートミリアは、誰の目から見ても上機嫌。
彼女の機嫌が良いと、稲豊たちの表情にも、自然と明るさが戻ってくる。
「そ、それじゃあ!?」
声を弾ませたナナが、期待の宿った眼差しを向ける。
少女の眼差しに答えたのは、ルートミリアの後ろに控える、アドバーンだった。
「お嬢様に賛同した兵士は、およそ三百名。千を超える支持を集めた、『ウルサ』王女殿下が総大将に決定いたしました」
老執事が無情な結果を告げた瞬間、稲豊の時間は凍りついた。
起死回生のアイデアも、知恵を絞った契約も、協力してくれた仲間の好意も。
「すべてが…………無駄……だった?」
怒りでも悲しみでもない。
そこにあるのは、全身を蝕むほどの脱力感。
手応えを感じていただけに、稲豊の受けた衝撃は計り知れなかった。
「……イナホ様」
ナナの憂いを帯びた眼差しにも、いまは応えるだけの気力がだせない。
「執事長――――いや、アドバーン様。これは何かの間違いでは? 夜店での貴族らの反応は、他の王女たちに引けを取らなかったはず。所信表明での反応を考慮しても、ここまでの開きは納得いたしかねるのですが……」
口を利けなくなった稲豊の代わりに、ミアキスが不満顔で敗因を訊ねる。
貴族らの喝采は、誰の記憶にも新しい。なのに、蓋を開ければ大差での敗北。
よく利く直感を働かせたミアキスは、裏で動く『影』の存在を感じ取っていた。
「さすがはミアキス殿。そう、これは純粋な勝負ではございませんでした。お嬢様は悪く言うなら、ウルサ王女に出し抜かれたのです」
「…………出し抜かれた?」
聞き捨てならない言葉が、稲豊の顔を上げさせた。
その茶色の両眼には、敗北の悔しさが滲み出ている。
「アドバーンに兵士への聞き込みを頼んだ結果、ウルのヤツが“こんな物”を用意していたことが発覚した」
「紙切れ? 失礼……拝見します」
ルートミリアの手から一枚の紙切れを受け取ったミアキスは、紙面に目を走らせる。そして少し動揺した表情を浮かべたあとで、静かにその内容を読み上げた。
「……『契状。甲は乙に対し、安全の保証と高待遇を誓約する。乙は甲に対し、主の意向に関わらず、甲の名を連判状に記入すべし』――――か」
「契状?」
「契約書のことじゃ。つまりこの紙切れには、『戦での身の安全を確保したければ、私の兵士になれ』と書かれておるのだ。無論、ここでいう“私”というのは……」
そこまで言われたら、子供にだって理解できる。
稲豊は右手を強く握りしめながら、苦虫でも噛み潰したような表情で言った。
「…………ウルサ王女」
「うむ。いま思い返せば、ウルが貴族の所に足繁く通っていたのは、ふたつの理由があったのじゃな。ひとつは貴族らの好感度を上げること。もうひとつは兵士らに接触し、懐柔すること」
「もともと命おしさに逃げだした兵士さんですもんね! こんなのゼッタイ効果ありますね!」
「ただでさえ、人心掌握術に長けたサキュバスという種族。ウルサ王女殿下にとっては、赤子の手を捻るようなものだったのかもしれませんな」
話せば話すほど、ウルサの周到な計画が露わになる。
稲豊は心の奥底で感心を覚えながらも、その手口に不服を感じていた。
「料覧会に出たのは貴族たちだけ……。これじゃあ、いくら貴族らに認められても意味ないじゃないッスか。いいんですか? こんなやり方!」
「兵士と契約を結んではいけない。という罰則を設けていない以上、認めざるを得んでしょうな。……残念ではございますが」
「兵士たちが貴族との契約よりも、魔王候補との契約を優先するのは道理じゃな。まったく、今回はしたたかなウルに一本を取られてしまったのぅ。是非もない」
「…………なんというか……その……勘違いだったら申し訳ないんですけど。もしかして、あまりショックを受けてません?」
やれやれと『お手上げ』の仕草をみせたルートミリアに、稲豊は違和感を覚えずにはいられなかった。あれだけ魔王に固執していた彼女にしては、あまりに反応が軽すぎる。
『これから何かしらの逆転劇でもあるのだろうか?』
淡い期待を抱きつつ、稲豊はルートミリアの返答を待った。
「ショックがなかったと言えば嘘になるがの、実はあまり気落ちしておらぬ。たしかにウルサに遅れをとったが、それで魔王への道が断たれたわけではないからの」
「へ? で、でも総大将はウルサ王女になるのでは?」
混乱しつつ訊ねると、ルートミリアは不敵な顔で「総大将はな」と返答する。
言葉の意味が理解できず、稲豊は疑問符を浮かべるばかり。
そんな稲豊にも分かるように、ルートミリアは説明を付け加えた。
「シモン。“魔王になる条件”は何だったか? いま一度、思い返してみるのじゃ。総大将になることが、魔王への条件じゃったかの?」
「…………あ!」
稲豊が思い出したのは、マリアンヌに拉致されていたときの苦い思い出。
そのとき彼女が教えてくれた内容に、疑問の答えは用意されていた。
「最悪の食糧問題の解決。たしか、それが魔王になる条件でした!」
「うむ! 総大将になることではない。食糧改革を起こした者こそが、次代の魔王になるのだ」
「しかし姫、ウルサ王女は牧場での品種改良も成功させたとか……。このままでは、彼女が魔王になる日も時間の問題なのでは?」
ミアキスの問いかけにも、ルートミリアは動じない。
不敵な表情を維持したままで、強気で気丈な態度を示してみせた。
「無論、そちらの方もしっかり調べはついておる。こちらもアドバーンが調査したところ、どうも改良状況は芳しくないようじゃ。どうやら、貴族らの支持を勝ち取るための“方便”だったようじゃな。そんな簡単に食糧問題が解決するのなら、とっくに誰かが解決しておる――――ということじゃろ」
「方便!? 嘘ってことッスか? あの場所でなんて大胆な……。じゃあルト様の機嫌が良いのは、それが分かったからだったんですね?」
「少し違うな。正確には、それも分かったからである!」
腰に左手を当て、人差し指をビシリと突きつけたルートミリアは、実に清々しい笑顔を浮かべている。そこには、見ている者が楽しくなるような、いつもの彼女の姿があった。
「所信表明で大失敗を犯したにも関わらず、三百を超える兵士が妾に忠誠を誓ってくれたのじゃぞ? 妾の見込みでは、二桁台でもおかしくはなかった。これも全て、夜店での成功があればこそじゃ。そなたらのような仲間をもって、妾はほんとうに果報者である」
強く、優しく、愛らしい、ルートミリアの微笑み。
全力で褒められた稲豊たちは、認められる喜びを味わうと同時に、『もう一度その笑顔を向けられたい』と心から思った。
「たった三百名と思うかもしれんが、この兵士らはウルの言う『身の安全』を放棄してまで、妾の下に集ったのだ。背景には、夜店にでた雇い主の説得もあったかもしれん。どちらにせよ、命惜しさにウルを支持した千の兵士より、よほど価値のある三百だと妾は思う」
「な、なるほど。そう言われたら、今回の結果も悪くないような気がします」
「うむ! ……シモンよ、この三百名は強いぞ?」
ルートミリアが元気良く稲豊の肩に右手をのせる。
小さく華奢な手であるにも関わらず、稲豊は全身に力を貰ったような錯覚さえ覚えた。
するとそのとき――――
「…………八時、見晴台」
「え?」
稲豊にだけ聞こえる小さな声で、ルートミリアがそう呟いた。
「皆、此度は大義であった。戦のため、すぐに忙しない日常が訪れるはずじゃ。今日は鋭気を養い、またそれぞれ励んでもらいたい。これからの各々の役割については、追って沙汰を伝える。というわけで、本日は解散!」
「承知!」
「はい!」
こうして、何度目かの作戦会議は終わりを告げる。
皆がサロンを離れ、それぞれの部屋に戻ったあとも、稲豊の耳奥では――――
『…………八時、見晴台』
ルートミリアの声が、延々と囁き続けていた。




