第151話 「本当の力」
ドンとの会話から数十分後――――
「………………どうしてこうなった……?」
震える唇で独りごちる稲豊の前には、何十もの貴族の顔、顔、顔。
大小さまざまな瞳が、噴水前に立つ稲豊ひとりへと注がれていた。
彼らが期待するのは、料覧会の主役。
すなわち料理人の最後の挨拶である。
「締めの挨拶は……絶対にしなきゃダメなんスか?」
脇に控えるアドバーンに訊ねるが、無情にも首は縦に振られる。
もはや退路は断たれていた。
「伝統でございますからな。料理人が挨拶を終えて、初めて料覧会は終わりを告げます。なあに、気を張らず、好きなことを主張すればよいのです」
「そういうの、イチバン悩むやつじゃないッスか!? で、できればヒントだけでも! 何を言えば良いのか、ちょっとだけヒントをください!」
「ふぅむ、それでは……自分に何ができるか? これから、どう魔王国に貢献できるか? などはいかがでしょう? 貴族の立場になってみれば、やはり知りたいのは志でしょうからな」
「こ、こころざし……ッスか」
いきなり志と言われても、そんな高尚なものは直ぐには浮かばない。
その脳みそと同様に、目まぐるしく動く稲豊の視線。
右へ動かせば、貴族たちから離れた場所で応援する、ナナやマリアンヌらの姿が見える。左へ動かせば、ハラハラした顔をする、ミアキスやクリステラたちの様子が覗えた。
「早く何か言わねぇと……。くそぅ……どうして俺がこんな目に」
助けを求めるように彷徨っていた視線は、長旅の果てに上へと向いた。
なんの確証もない、神頼みにも近い心境で上を向いた稲豊だったが――――
「あ」
とうとつに、祈りが天へと通じる。
雪が春先に雪解け水へと変わるように、蝕んでいた稲豊の緊張が解けていく。
そして小さく微笑んだ彼は、いつもと変わらない表情を、貴族たちへと向けた。
「俺の名前は志門 稲豊。異世界から召喚された料理人です。料理人と言っても、本格的に料理を学んだのは、この世界に来てからの話です。つまり何が言いたいかというと、俺は王女の料理人の中で、一番……腕が未熟だってことです」
稲豊がカミングアウトをすると、貴族たちの間に小さな動揺が広がった。
料理人が料理を下手だと告げたのだから、驚くなという方が無理な話である。
「料理の案を出したのは俺ですが、それを現実にしてくれたのは、双子王女の料理人であるネロです。そして調理を担当してくれたのは、気前の良い仲間たちです。ドンさんが屋台を届けてくれなかったら、オネットさんが飾りを提供してくれなかったら、今回の夜店は実現しませんでした。そういう意味じゃ、俺は誰よりも無力です」
話せば話すほど、稲豊は自分の存在がちっぽけであることを痛感した。
誰かの助けがなければ、何ひとつ成すことができない。自虐的な笑みさえ込み上げてくる。
「――――――でも」
でも、そんな自分だからこそ、挨拶ぐらいはしっかりしたい。
そう決意した稲豊の瞳は、この場にいる誰よりも力強かった。
「俺はこの世界の誰も持ってない、“食事方法”の知識を持っています! バーベキューにディナーショー! バイキングに流しそうめん!! 皆さんは今夜の夜店で、料理の奥深さを再認識したはずです! 料理ってのは食べ方によって、味を数倍……いや数十倍にも高められるものだってことを!!」
「う、うむ……たしかに!」
「今宵のディナーは、格別なものであった……!」
賛同する貴族も現れて、流れは稲豊の方に傾きつつある。
機の到来を肌で感じた稲豊の口は、さらに滑らかさを帯びていった。
「俺はこの知識を使って、魔王国に貢献したいと考えてます。もし皆さんが協力してくれるなら、いろんな食事方法をお教えする機会を設けます。ですからぜひ! 俺の――いや、ルートミリア様の味方になってください! たしかに現在は、人間を超える食材は見つかっちゃいません。でも、俺はいつか必ず、人間を超える料理を作ってみせます!! 食糧改革のために、戦争のない平和な世界のために、皆さんどうか……どうかよろしくお願いします!!」
深々と頭を下げる稲豊。
思いの丈の全て吐き出したわけだが、会場は水を打ったように静まり返っている。
『一息に捲し立てすぎたか……?』
そんな不安が脳裏をかすめるが、言ってしまったことは取り消せない。
もうどうにでもなれ――と、面をあげた稲豊を待ち構えていたのは、
「良くぞ言った!」
「その意気や良し。人を超える料理、どんな物か味わってみとうございますな」
「吾輩はディナーショーなるものが気になるのである。別の世界の食文化……実に興味深い」
貴族からの喝采の言葉だった。
ドンから始めた拍手も広がり、中庭を一時の喧騒が覆う。
ハラハラ顔だった仲間たちも、いまは満面の笑みで拍手を送っていた。
「あ~……恥ずかしかった。でも頑張ったぞ、俺! これで少しは、ルト様に貢献できたよな?」
再び空を見上げた稲豊は、これまでにない手応えを感じていた。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::
稲豊が挨拶を終えて数分後。
喧騒を離れた老執事は、ひとり静かに城の階段を上っている。
階段の先にある扉を無言で潜った彼は、“先客”を見るなり、「やれやれ」と首を左右に振った。
「竜の溜息が消失したことと、彼が上を向いてから直ぐに緊張を解いたこと、『もしや』と思いましたが……。やはり貴女でございましたか、お嬢様」
「ふふ。妾と目を合わせてから、急に饒舌になりおったな。まったくもって愛い奴よ。そういうところも、みなに好かれる素養かもしれんのぅ」
見晴台にいたのは、ご機嫌な表情のルートミリア。
狭間に腰を下ろした彼女は、両足をぶらつかせながら、中庭の様子をさも愉しそうに見下ろしている。
「たしかにあの少年は素晴らしい。お嬢様がお気に召されるのも理解できます。しかしながら、あまり肩入れするのはいかがなものかと……。魔王様より御身を任せられた者としては、容認いたしかねますな」
「相変わらずお前は堅物じゃのぅ。父親代わりも結構なことだが、いまは妾より中庭の様子を見てみろ。見てるだけで幸せな気分に浸れるぞ?」
「いつになく楽観的でございますなぁ」
アドバーンが呆れた声を出すが、ルートミリアはどこ吹く風。
和気藹々と夜店の片付けを始める稲豊らを見て、鼻歌さえ口ずさんでいる。
「シモンは異世界の知識を武器に決めたようじゃが、奴の“本当の力”は別にある。見ろ、今宵の料覧会は小さな……そう、とても小規模だが、我々の目指した『食糧改革』そのものではないか」
「食糧改革……でございますか」
「人と魔物が手を取り合い、食事や児戯に興じる。この空間を生み出したのは、他の誰でもないシモンだ。人であれ魔物であれ、関わる者を『味方に付けてしまう』のが奴の一番の力だ。素晴らしいと思わないか? 妾の相棒にこれほど相応しい者は他におらん」
饒舌に語るルートミリアだが、老執事の顔は思わしくない。
眉間に皺を刻んだ複雑な表情を浮かべ、
「…………失礼いたします」
簡潔な挨拶を告げると、ルートミリアへ背を向けた。
コツコツと石畳を慣らしながら踵を返すアドバーンは、ゆったりとした仕草で見晴台の扉、そのドアノブを握る。
するとそのとき――――
「なぜシモンに嘘をついた? 妾は城を離れてなどおらん」
先ほどと表情を一変させたルートミリアが、ひとつの疑問を投げかける。
核心に触れる質問だったが、それゆえに老執事は口を開こうとはしなかった。
「……ならば次の質問だ」
痺れを切らしたルートミリアは、もうひとつの疑問をシリンダーへと込めた。
「お前はふいに屋敷を留守にすることがあったな? 大臣にでも言われ来城したのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。魔王城に足を運んでいたのは確かだが、そこからの詳細は誰も知らぬ。……いったい何処に赴き、誰に会っておったのだ?」
詰問にも近い口調で問いかけるが、アドバーンはそれでも微動だにしなかった。
「この質問にもだんまりか……」
厳しくもあるが、悲しげでもあるルートミリアの瞳。
まるでその瞳から逃げるように、アドバーンは扉の方を向いて沈黙する。
重く冷たい空気がふたりの間を流れるが、どちらも口を開こうとはしない。
しかし硬直の時間にも、必ず終わりは訪れる。先に動きを見せたのは、アドバーンの方からだった。
「いま我輩が口にできるのは……。ルートミリア様、我輩は貴女の味方だということだけです」
「…………妾は、もう二度と身内に裏切られとうない。信じても良いのだな? アドバーン」
「無論。それでは、失礼いたします」
そう言い残し、今度こそ見晴台を去った老執事の方を、ルートミリアはしばらく眺め続けていた。




