第144話 「脱衣所に投影石を置けば・・・・・・ゴクリ」
つ、次こそは通常ペースを目指します。
『店を借りたい』
無謀とも取れる願いにも関わらず、ドンは動じる仕草を見せなかった。
激昂しないのならありがたい――と、稲豊は間髪入れずに口を開く。
「紹介が遅れました。俺は――――」
「紹介はえい。おまんらの事は表明の前からしっちゅうきに。商人は情報が命。変わりもんの人間の話は小耳に挟んじゅうぞね」
相変わらずの“こてこて”の土佐弁を話しながら、ドンはのっそりと懐に右手を忍ばせる。その瞬間ミアキスが警戒レベルを上げ、針を刺すような緊張感を醸し出すが、ドンはそれを左手で制した。
「警戒せんでもええ。害のあるもんじゃないきに」
そういってドンが懐から取り出したのは、稲豊の手の平サイズの透き通った丸石。水晶玉によく似たそれは、部屋中央のテーブルの上へそっと置かれた。
「なんですかコレ?」
「覗き込んでみいや。そいたらわかる」
言われたまま、丸石を覗き込む稲豊。
すると石の中に何かが映っていることに気がついた。
目を凝らせば、それが先ほど通ってきた獣道であることが理解できる。
「あれ? 獣道が映ってる? これってもしかして……」
「“投影石”いう魔石の一種じゃ。この魔石は不思議なもんで、“欠片に映り込んだ景色”を“本体へ映す”性質をもっちゅう。門番の右目はこの石の義眼やき、奴の視る光景が映されちゅうがよ」
「見たことも聞いたこともない魔石だな。情報通を名乗るだけはあるという事か」
しきりに感心する稲豊とミアキスだが、ドンの表情は険しいまま。
それもそのはず。投影石を取り出したのには、彼なりの理由があったからだ。
「ちなみにこの部屋も常に映されちゅうき。おまんらが変な気を起こせば、直ぐに屈強な護衛が駆け付けらあ。行動と言動にはくれぐれも気をつけや」
梟の眼をギロリと向け、ふたりを牽制するドン。
客間に護衛を用意しないのは、彼なりの客人への配慮だ。
そんな“配慮”を蔑ろにすれば、待っているのは恐ろしい顛末に違いない。
稲豊は背中に冷たいものを感じるのと同時に、逆に『都合が良い』とも考えた。
「それはつまり、変な気さえ起こさなければ交渉のテーブルについてくれる――って事ですよね? だって、俺達はまだこの部屋にいるんですから」
ドンが聞く耳を持っていなければ、ふたりはとっくに部屋から放り出されているだろう。そうしないのは、商人のボスが融通の利かない唐変木ではない証明。稲豊は右手をぐっと握り込み、自らに活を入れた。
「……交渉相手が人間じゃからって差別はせんきに。商人は利益が最優先。もうけ話をもって来るなら、たとえエデンとだって取引しちゃるわ」
豪語しながら、ドンは再び椅子へと腰を下ろす。
彼の言葉に『嘘』を感じなかった稲豊は、安堵の吐息を漏らした。最初の難関だった“会話”をクリアしたなら、あとは“取引”へと移るだけである。
「俺の目論見が成功すれば、ドン商会にも悪くない結果を生み出すはず。俺の計画はこうです――――」
稲豊は包み隠さず、計画の全容を語った。
そのあいだドンは一度も口を挟まず、ただ静かに耳を傾ける。
そして稲豊が全てを語り終えたあと、ドンは閉じていた双眸をゆっくりと開けてから言った。
「…………なるほど、これは前代未聞の料覧会になるにかぁらん。たしかに面白い――――が、やきって直ぐには認められんぜよ。この作戦は賭けじゃきに、下手したらこっちにまで被害が及ばあ。そう簡単に首を縦に振るわけにゃあいかん」
「では、どうすれば力を貸して貰えるのだろうか?」
ミアキスが訊ねると、ドンは腕を組みしばらく悩む仕草を見せた。
彼の言うとおり、稲豊の作戦はまさに賭け。成功すれば金に繋がるが、失敗すれば不名誉に繋がる。名声は商店にとっての命。何の確証もなしにBETできるほど、稲豊の頼みは軽くなかった。
「そうじゃのぅ」
ならばと立ち上がったドンは、またも懐に右手を忍ばせる。
そしてゴソゴソと弄ったあとで、ひとつの汚れた手拭いを取り出した。
「……それは?」
「どこんでも置いちゅう普通の手拭いぜよ。ちっくと汚れちゅうが、まだまだ使える代物やき。おまん“イナホ”いうたな? 十分以内に、この“手拭いを売って”きいや。そしたらおまんの願いは聞いちゃるきに」
「なんだと!?」
驚きの声を上げたのはミアキス。
汚れた手拭いを欲しがる者などいるはずもない。
無理難題をふっかけるのは、商人が体のいい断りをするときの常套句である。
ミアキスは眉を吊り上げ、怒りの形相でドンを睨みつけた。
「大通りでも不可能かもしれないのに、獣道で売れる訳がないだろう! そもそも、そんな事に何の意味があるというんだ!」
「ワシが知りたいんは“商才”。この程度の機転も利かせられん者に、出せる賭け金はないぜよ。無理ならこの件は白紙じゃき」
「……くっ!」
ドンに明言され、いつも凛々しいミアキスの表情に影が落ちる。
ここで交渉が決裂したら、料覧会が失敗に終わることを彼女は知っていた。
だからこそ恫喝にも似た勢いでドンを非難したのだが、そんなことで怯む商人のボスではない。
「いったい……どうすれば――――――え?」
力なく呟いたミアキスの肩に、軽く手が添えられる。
振り返れば、そこには神妙な面持ちの稲豊がいた。
稲豊はゆったりとした動きでミアキスの前に歩み出ると、
「十分もいらねぇ。三分もあれば、その汚い布切れを売ってみせるよ」
静かだがはっきりとした口調でそう告げた。
これにはミアキスだけでなく、ドンも瞳を丸くし驚きを露わにする。
「さきに言うちょくが、そこの人狼娘に売るんは無しぜよ。身内以外に売って、初めて商売は成り立つんじゃき」
「んなことしねぇよ。ちゃ~んと他者に売るさ。あっ、ミアキスさん書く物あります?」
ひょいと手拭いを受け取った稲豊は、特に焦る様子も見せず、寧ろ飄々とした態度でミアキスに声をかけた。
「え? あ、ああ……羽ペンで良ければここに」
「あざっす!」
ミアキスから羽根ペンと墨壺を手渡された稲豊は、それを手拭いと一緒にテーブルの上へと並べる。そしてドンとミアキスに食い入るように見つめられるなか、たどたどしい手つきで、羽ペンを手拭いの上へと走らせた。
「思ったより書きにくいな…………と、これでよし! どうだ? 自分じゃ上手く書けたと思うんだけどな」
羽ペンの動きを止めた稲豊は、実に満足気。
不敵な笑みを浮かべ、文字が書かれた手拭いをドンの目の前で持ち上げる。
眼前に晒された手拭いを見て、ドンはさらに瞳を大きく変えた。
なぜなら手拭いには、こんな文章が記されていたからである。
『私こと志門稲豊は、ドン商会を“魔王専属商人”として推挙することを誓います』
拙い字だがはっきりと手拭いに書かれた文章。
それはドン商会との“懇意”を約束する誓約書だった。
書いた本人を証明するための拇印も、右隅にしっかと捺印されている。
「コイツは……なんぜよ?」
首を斜めに傾け不思議がるドンへ向け、稲豊は得意げな顔で口を開いた。
「ドン商会を魔王御用達の商店として、大々的に利用させて貰う――っていう誓約書だ。いまはこの誓約書に効力はないけど、のちにルト様が魔王になった暁には、絶大な効力を発揮する代物になるはずだぜ? なんたって魔王のお抱え商人になれるんだからな」
「……しかし、ここには『推挙』としか記されちょらん。つまり駄目な場合もあるちゅう訳やないがか?」
「もちろんあくまで推薦だ。駄目な場合もあるかも知れない。だが俺はルト様に対して大きな影響力を持っている! あんたが取引をしてくれるなら、俺は契約書の内容を現実にすると約束しよう!」
自信満々の表情で語る少年を見て、ドンの心は揺れに揺れた。
もしこの誓約書のとおりに事が運んだのなら、それはこの国で最強の免状。イベント時にしか入れない魔王城にも大手を振って入城できるし、モンペルガ以外の町でも有利な商売が可能となる。商人としては、喉から手が出るほど欲しい物に違いなかった。
「金はいらない、あんたの店を貸してくれればそれでいい。この誓約書を――――買ってくれ!」
先ほどとは打って変わり、真剣な眼差しを向ける稲豊。
ドンはその瞳をまっすぐに見つめ返し、しばらく人と魔物が見つめ合う不思議な空間が続いた。
それから永遠にも一瞬にも感じられる時が経過した頃、静寂を破り、客間に大きな笑い声が轟いた。
「ファハハハハ!! おんしゃあええ度胸しちゅうのう! 何度か手拭いで試したことはあるけんど、このワシに売り込んできたんはおまんが初めてぜよ!!」
嘴を全開にし、豪快に笑い飛ばすドン・キーア。
室内に弛緩した空気が流れ、強く真っ直ぐだった稲豊の瞳に『期待』の二文字が浮かび上がる。
「ワシの負けじゃ、その心意気ごと誓約書も買うちゃるきに!」
敗北宣言と同時に、取引成立の言葉がドンの口から飛び出した。
「そ、それじゃあ!?」
「店は手配しちゃる。今から声を掛ければ、正午には準備も整うき。好きに使うとええ」
手拭いを受け取ったドンは、再び快活に笑う。
もちろん破顔したのは彼だけではない。稲豊とミアキスのふたりも互いに顔を見合わせて、歓喜の表情を覗かせた。
「や、やった! ミアキスさん! やりましたよ!!」
「ああ! 流石だイナホ! これで明日の料覧会に臨むことができるな!」
あまりの嬉しさから、手を取り合い小躍りする稲豊とミアキス。
ドンはそんなふたりの姿を一瞥してから、
「そんなに喜んじょってええがかえ? ワシが貸しちゃる言うたんは店だけじゃき。もし料覧会が上手くいかんかったら…………」
後の言葉をドンは口にしなかったが、どうなるかはその鋭い眼光が物語っている。
「……兵士は提供しないってことッスか?」
「その程度で済めばもうけもんじゃき。……分かったら行きや。時は鈍間にゃあ非情ぜよ」
商人の表情へ戻ったドンに急かされて、稲豊らは追い出されるように屋敷をあとにする。取引成立の喜びも束の間、ふたりは表通りを目指し、獣道をひた走っていた。
「イナホ。これで料覧会はバッチリだな!」
「いえ……まだ足りない物があります」
嬉々とした声を出すミアキスと違い、稲豊の声はまだ軽くならない。
ドン・キーアとの契約という大業を成し遂げたいま、勢いのついた稲豊の脳内には、すでに次の計画が装填されていた。
「それでは、これからまだ行く所があるというのか?」
「ええ。“毒を喰らわば皿まで”、こうなったら最後まで突っ走ります!」
文字通り走りながら、稲豊は“とある方向”へと勇ましい顔を向ける。
「目指す先は貴族街! 目的地は――――」




