第138話 「最後の手段」
「とは言ったものの……」
ルートミリアに大口を叩いたその足で厨房へやってきた稲豊は、芋や豆などの食材を眺めつつ深いため息を漏らした。高級な食事を、普段から腕の良い料理人に用意してもらっている貴族たち。彼らの琴線に触れるメニューなど、いまの稲豊には想像すらできなかった。
「貴族達にとっては、既にヒャクも一般的な食材だ。かといって、新食材を今から見つけ出すのは時間的に不可能。ここにある食材で勝負するしかない訳だけど……」
食材たちを何度となく眺めてみても、まるで正解は見つからない。
稲豊は早々に匙を投げた。
「ミアキスさん。ちょっと書庫に行っても良いッスか?」
「別に構わないが、書物を探すのだろうか?」
「レシピ本とかあったらヒントになるかも……と思いまして」
「料覧会での成功か。イナホを信じてはいるが……無謀な“誓い”をしたものだな」
就寝時や入浴時を除き、いつも稲豊の護衛を務めるミアキス。
すなわち彼女は、稲豊とルートミリアのささくれだった現場の目撃者ということであり、当然ふたりの約束も承知している。
料理本を求めて書庫へと向かうふたりだが、途中の廊下で稲豊の足が止まった。
「あれは……」
窓枠を介して稲豊の視界に飛び込んだのは、城の中庭を歩くアドバーンの姿。
口を動かすその様子から、誰かと会話しているのは明らかだ。
「草垣が邪魔で相手は見えないな」
ミアキスが稲豊の護衛をしているとき、ルートミリアの護衛はアドバーンが務めている。なので彼が会話をしているとすれば、十中八九はルートミリアのはずなのだが――――
「ルト様のあの様子なら、まだ部屋にいると思うんだけどな。それに……」
稲豊が気になったのは、アドバーンの目線である。
顔の傾斜具合から察するに、相手は相当“背の低い誰か”に違いなかった。
可能性で一番高いのはナナだが、アドバーンがルートミリアだけを部屋に残すのは考えにくい。
「どうしたイナホ?」
「あ、いや。なんでもないッス!」
声をかけられ、慌てて振り向く稲豊。
『まぁ誰でも良いか』
そんな楽観的な思考に切り替え、稲豊はミアキスのあとを追った。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::
無人の書庫に入った稲豊とミアキスは、料理本を求めて本の迷路を彷徨う。
「これは軍略について記した本か? こっちは歴史の本。んでこっちは……良く分からん」
題名の読めない稲豊は、本を開いて判断するしかない。
挿絵が載っていれば何の本かは理解できるが、文字のみの本だと完全にお手上げである。簡単な文字だけ判っても、意味などないのだ。
「え~と……き……ぞく……なんとか? おおっ! これは!!」
稲豊が数十冊目に手に取った本は、題名に『貴族』と異世界の文字で書かれていた。稲豊の知る数少ない文字のひとつである。
「ミアキスさん! これなんて書いてます?」
題名の初めの方の『貴族』は読めたが、そのあとに続く文字列は解読不可。
稲豊は嬉々とした様子でミアキスの下へと走った。
「えーとこれは、『貴族のテーブルマナー』と書いてあるな。残念ながら料理本ではなさそうだ」
「……そッスか。でもマナーを学ぶのも必要かも知れませんね。貴族に嫌われたら元も子もありませんし」
それから二時間ほど書庫内を探し回ったふたりだが、遂にめぼしい料理本を見つけ出すことは叶わなかった。収穫があったとすれば、貴族の食事時の作法を記した本がひとつ。自室へと戻った稲豊は、ミアキスが翻訳してくれた“作法メモ”へ幾度となく目を通した。
残念ながら、起死回生のメニューを思い付くことなくこの日は終わる。
料覧会の開催まで時間は残りわずか。結局、次の日の朝方まで、稲豊の部屋の照明が消えることはなかった。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::
料覧会まで、あと三日に迫った日の朝。
ミアキスとナナを食堂の椅子に座らせた稲豊は、慣れない執事服に身を包み、朝食をテーブルへと並べていた。
「前菜でございます」
背筋をこれでもかと伸ばし、格式張った口調で話す稲豊。
精一杯のすまし顔のつもりだが、慣れないせいか表情筋は突っ張っている。
「イナホ様…………お顔がこわいです」
「ま、まじで? そんな事はないッスよね? ミアキスさん」
「ああ。格好いいぞ」
「ダメだ……ミアキスさんは俺に甘すぎる」
食堂の床にがっくりと膝を折った稲豊は、前途多難な現状に表情を暗くした。『付け焼き刃の作法が本当に貴族に通用するのだろうか?』そんな疑問が首をもたげるが、いまは迷う時間すらない時間欠乏状態。稲豊は再び立ち上がると、ズボンのポケットから取り出した作法メモに視線を落とした。
「お辞儀の角度は15度で、ナイフは正面から見て……」
「あの――」
声に出し、記憶とメモの内容に差異がないか確認する稲豊。
難しい顔を浮かべる稲豊を見るのは、彼と同じくらい複雑な表情をしたナナである。
「……ものすご~く言いにくいんですけど、イナホ様のために言いますね? きっとたぶん、お食事をくばるのは別のかたのお仕事かと……」
「…………………………え?」
「え、えっと……イナホ様はお料理を用意するだけでよろしいかと……その……思います」
徹夜で暗記という努力が水泡に帰した瞬間、稲豊は文字通り崩れ落ちた。
料理人と給仕係が違うことぐらい、少し考えれば分かることに違いない。にも関わらずナナに言われるまで、彼の頭からは完全に抜け落ちていた。
余裕のなさが露呈する結果に終わり、徒労は疲労となって稲豊の全身に重く伸し掛かる。
「すまないイナホ……。我が気付くべきだったが、そういう事情には疎く……」
「いえいえ! ミアキスさんは悪くありませんから!」
しゅんと落ち込むミアキスを励ましながら、稲豊が考えていたのは今後の方針。
「こうなったら“最後の手段”を講じるしかないか」
実は稲豊は少し前から、借りたい“猫の手”に思い至っている。
だがそれはあまりにも気が進まないため、最後の最後に据え置いていたのだ。しかし現状を鑑みれば、背に腹は代えられない。
二時間後に稲豊が向かったのは、屋敷の厨房。
ミアキスを廊下で待たせ厨房の扉を潜った稲豊は、開口一番に頭を下げた。
「俺に料理を教えてくれ。教えてくれなかったらお前の秘密をばらす」
「……それが教えを請う者の態度か?」
眉をへの字にし呆れた声を出すのは、最後の手段ことネロである。
彼の料理の腕は魔王国随一。最悪な性格にさえ目を瞑れば、教えを請うのにこれ以上適した人物もそうはいない。
「僕を頼った判断は悪くないが、脅迫とはいただけないな。僕だってそこまで鬼じゃない。素直に頭を下げれば――」
「教えてくれたか?」
「間違いなく断っていただろうな」
「鬼じゃねえか!?」
冗談なのか本気なのかも分かり難い会話をしたあとで、稲豊はまっすぐネロの瞳を見た。もう後も時間もない。ここで断られたら、八方塞がりとなってしまう。稲豊は是が非でも教えを請うつもりだった。
「実際、僕だって時間がある訳ではないしな。クリステラ様とアリステラ様には、裏切った僕のクビを切らなかった恩義もある。彼女達には料覧会で恩を返したい」
「お前の気持ちも分かるけど、そこをなんとか! 俺はルト様に人間だ魔物だなんて関係ない――って事を証明しなきゃならねぇんだ!」
両手を合わせ懇願する少年から、ネロは何とも言えない表情で顔を背けた。
ルートミリアの名前が出てきたことが、青年の心を強く揺さぶる。しかし、他人に割く時間がないのもまた事実。
ネロはしばらく考える素振りを見せたあと、やがてゆっくりと稲豊の方へ顔を向けた。
「確かに僕はルートミリア様に好意を抱いている。しかし、今の僕はエルルゥ家の料理人だ。悪いが指導は断らせてもらう。中途半端になるのも嫌だしな」
「……うぐっ! ど、どうしてもダメか?」
「くどいぞ。無理なものは無理だ」
ネロは背中を押して、厨房から廊下へと稲豊を追い出す。
そして困り果てた顔をする少年に、
「“僕の真似はするな。”……僕から言える事はそれだけだ」
そう告げると、厨房の扉をゆっくりと閉めた。




