第12話 「タップダンスは存在するのか・・・・・・」
「見えてきたな」
猪車の窓ガラス越しに、目的の都市を視界に捉える。
そこで稲豊はある物の準備をする。
「そこで止まれ。どこの者だ?」
「どーも! 先日は助かりました」
猪車を止め中の者を確認する門番。
扉から身体を覗かせた稲豊は、クロウリー家の身分証を見せながら笑顔でお礼を伝える。
「おおっ、君か。今日は歩きでは無いのだね。弟と妹さんは元気かい?」
「ええ、おかげ様で健康そのものっす。『コレ』どうぞ。差し入れです、同僚の方と一緒に食べて下さい」
準備していたのは、世話になった門番へのお礼の品。味噌汁と、高級な肉や果物だ。もし門前払いをくらっていたら、野垂れ死んでいたかもしれない。命の恩人と言っても過言ではないのだ。
「これはありがたい。君は良い『人間』なんだな。勿論通って構わないよ」
心良く稲豊達を城下町に送り出す門番。やはり何故かフレンドリーだ。
王都に来た目的の一つを達成した稲豊に、少しの満足感が宿る。
マルーを猪車舎に預かってもらい、稲豊とナナの二人は大荷物を抱えある場所を目指す。
「どこに行くんですか? イナホ様?」
「恩を売りに」
二つの壺と一つの籠を抱えた稲豊に、大皿と籠を抱えたナナが目的地を確認する。
しかし、稲豊から帰ってきた答えは要領を得ない。仕方なくその背に続く。
市場を通り、路地裏を抜け、着いた先は街外れ。
その場所の名は『非人街』。
「この場所の事は知ってるか?」
「……名前だけは知っています」
動揺が目に見えるナナ。やはり人も魔物も、隔たる溝は深いらしい。
人の集まる場所にナナを無理やり連れて行くのも可哀想だ、稲豊はある提案を持ちかける。
「じゃあナナはこの辺で適当に時間を潰していてくれ。なるべく早く戻るから」
「で、でもお荷物が……」
両手の塞がる稲豊には、もう余分に荷物を持てるスペースも力もない。
しかし自分の我儘で少女に負担を押し付けるのは忍びなかった。
「良いよ。また取りに来るから」
それだけ伝え、非人街に入っていく稲豊。少女はその背に声を掛けようとしたが、その口から出た音は声にならずに、唸りを上げる風の音に掻き消された。
「おっ! いたいた。えっと……ジュニア!」
「誰だよそれは……ってあんたか! 無事だったんだな」
運良くオサの息子を発見し、壺の隙間から声を掛ける稲豊。向こうも覚えていたようで、直ぐに気付き駆け寄る。そして「手伝うよ」と、壺の一つを稲豊の手から受け取る。
「色々あって名乗って無かったが、俺の名前はパイロだ。親父に用か?」
「俺は志門 稲豊。あんたの親父さんこの街のリーダーなんだろ?」
「まあ、形だけの代表だけどな。コレを家まで運べば良いのか?」
「YES!」
同じ人同士だからか、一回りは年上のパイロに対して稲豊は肩の力を抜いて話す。
パイロの方も不快には思っていなかったあたり、二人の相性は良いのかもしれない。
非人街で一番大きい建物が代表の家だ。有事の際には皆が避難出来るように、広く丈夫に建てられているらしいが、それも非人街の低い水準での話だ。
「はぁ~疲れた……」
「親父は畑の方にいるから今呼んでくる」
「ああ、でも荷物はこれで全部じゃねぇんだ。また戻るんで急がなくても良いよ」
「まだあるのか? お前も疲れてるだろ。俺も一緒に――――」
言葉を途中で区切ったパイロに違和感を覚え、その表情を覗くとその視線が稲豊の後方に向いていることに気付く。誘導されるように、そちらの方へ視線を走らせると……。
「――――ナナ?」
残りの荷物を持ったナナが、居心地が悪そうに佇んでいた。
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「いやぁ無事で何より。タルトとキセラの母娘なら問題ない。もう大丈夫な様だ、街の代表として礼を言わせてもらう。ありがとう」
「良いですよ別に、自己満足が偶々良い方向に流れただけなんで。でも元気なら何よりっす」
畑仕事から戻ってきたオサと、椅子に腰を深く落とし、母娘の近況報告を聞く稲豊。茶を人数分入れてくるパイロと、部屋の隅の方で小さくなっているナナ。広い室内にいるのはこの四人だけだった。
「んで何なんだこの大荷物は?」
屋敷から運んだ食材入りの壺や籠を指差し、気になる様子を隠しもせずに、パイロは稲豊に尋ねる。
「ああ、コレ屋敷で余った食材。街の人間に配りたいんだけど構わないか?」
「申し出は有り難いが……本当に良いのかね?」
「屋敷じゃもう使わないので。遠慮せずどうぞ」
気前良く食料を差し出す稲豊に、「願ってもない」と好意を受け取るオサ。
その行為に意味を見出せないナナは、どこか不満気に見える。
「取り敢えず、この果物は人数分配るつもりです。この家は何人家族なんですか?」
その質問をした途端、目に見えて表情を暗くするオサとパイロ。
微妙な部分に触れてしまったらしい。
「母は死んで、弟は家を出た。今は俺と親父の二人だ」
簡単に言い放つパイロに、地雷を全力で踏み抜いた稲豊はバツが悪そうな顔で果実を二つ渡す。
「残りの食糧は我々で配っておこう。物も貰って、その手も煩わすのは礼儀知らずな行いなのでな」
「そうすか? なら出来れば、子供優先でお願いしますね。それじゃあ、そろそろ失礼します」
申し出を受け、食料はオサ達に任せる事となった。玄関を目指す稲豊の後ろからナナがついてくる。結局会話には一切参加していない。罪悪感が胸を刺激する。
「なあ。そう言えばあのオークどうなった?」
玄関まで見送りにきたパイロに、少し気になっていた存在について稲豊は問い掛ける。あの状態で助かるとは到底思えないが、死んだとなったら自分も共犯者みたいで気分が悪い。「せめて花ぐらい手向けてやろう」と稲豊は考えたのだが。
「ターブなら一命を取り留めたよ。ある程度回復した後に街を出て行ってから見てない。つっても昨日の今日だけどな」
「マジかよ。あの状態から復活とか生命力ハンパねぇな。まあ死んでないならその方が良いや。そんじゃ、見送りありがとう。また来るよ」
「ああ、またな」
これでオークに夢枕に立たれずに済む。
少し軽くなった足で、稲豊とナナは非人街を後にした。
非人街を出た稲豊は沈んだ表情のままだったナナに、出来る限りの笑顔で話しかける。
「よしっ! それでは助手壱号。ここからが、君を連れてきた事の最大の目的となる」
ぱぁ、と音が鳴りそうな程、表情を一変した少女が期待の眼差しを向けてくる。
期待には答えなければならない。
「ナナは買い出しで良くこの王都に来てる。だからこの町についてある程度の情報通なはずだな?」
「モチロンです! 最近では執事長と色々見て回ったりして、地理も覚えました」
えっへんと胸を張るナナ。誰かに頼られると、嬉しそうな様子になる所が微笑ましい。
「じゃあ旨いと有名な料理屋に案内してくれ。確認したい事がある」
「分かりました! ついてきて下さい」
笑顔を取り戻した少女はそんな頼みも一切疑問に思わない、そして稲豊の手を引き早足で歩き出す。
しかし、そんな稲豊の表情にはどこか焦りの様なものが見て取れた。
場面は移動し、とある飲食店内部に切り替わる。
陶器のように磨かれた石の円卓と、豪華な装飾の施された椅子。サイズの大きめな魔物でも落ち着けるように、卓同士の感覚は広めにとられている。高級感漂う店内に、場違いな人間とアラクネ族の少女の姿がそこにはあった。
「以前見た酒場とはグレードが二つ、いや三つは違うな……。本当に金は大丈夫なんだな?」
「はい! 費用ならたくさん頂いておりますので」
「貴族ってなんでそんなに金あるんだよ……」
胸を張るナナとは対照的に小さくなる小心者の稲豊。大丈夫と言われても、常に最悪のパターンを想像する。兎耳の美女が「どうぞ」と、メニューを持ってくる。
「悪いがナナ。今の俺は幼稚園児よりも文字が読めない。適当に頼んでくれ。量は少なめで良い」
「えんじ? 分かりました。それではナナにお任せ下さい!」
円卓の上の呼び鈴を鳴らすと、美女が戻ってくる。
「ハンネのコースを二人分お願いします」
「畏まりました」
優雅な動きで去って行く美女。
その姿が見えなくなってから、稲豊はナナに声を掛ける。
「コース料理なのか?」
「はい! 色々な料理が小さな器で出て来るコースにしました」
「えらい! そういうの待ってたんだよ」
場所も顧みずナナの頭をワシャワシャと撫でる稲豊。頭を差し出し、微笑みを浮かべながらそれを受け入れるナナ。傍から見れば仲の良い兄妹の様に見えるが、一人は人間もう一人は魔物。その様子を見ていた客は首を捻る。
十分程待った所で、最初の料理と飲み物が運ばれてくる。ワイングラスに赤く透き通る液体が注がれ、小さめの皿が二人の前に並べられる。前菜のようだ。
白と赤の鮮やかな彩りの野菜。青いソースが円を描くようにかけられている。
「この鼻を突き上げる芳香と、舌の上でタップダンスを踊っているかの様なうんたらかんたら」
「ボキャ貧なら無理に褒めなくていいと思うぞ」
大人を気取りたいナナがそれっぽい事を評価をするが、良く聞かなくても支離滅裂な事を言っていた。それに対し無理はするなと、ツッコミを入れる稲豊。
稲豊は料理を口に運ぶ。
次に来たのは若緑色のスープ。少しとろみがある濃い目のスープだ。
「ふーむ。中々の仕事ぶりですね~」
称賛するナナと、黙々とスープを啜る稲豊。
稲豊は料理を口に運ぶ。
次に来たのは何かの肉料理。
稲豊は料理を口に運ぶ。
次は何かの果物。
稲豊は料理を口に運ぶ。
そして全ての料理を平らげた後で、ナナが会計を済ませ店を出る。
「美味しかったですね。イナホ様。まあ、ナナの奉公先の料理長には及びませんがね!」
「調子の良い奴だな。まあ、嬉しいけど。よし、次の店だ!」
「まだ食べるんですか!?」
目と腹が大きく丸くなったナナが、驚愕の表情を浮かべる。
「ナナは食べなくても良いから。案内だけ頼む」
「何なんですか~!」
城下町にナナの不満の声が木霊する。
そこから更に三軒の店を梯子する。料理のジャンルも、店のグレードも違う店達だ。様々な料理を食べた稲豊。文句を言いながらもそれに付き合ったナナは、城下町広場のベンチで満身創痍となっていた。
「も、もう……動けませんイナホ様。ナナは今日で二キロ体重が増えました」
「あ、安心しろ。ダイエットには……協力してやる」
「やたっ!」
軽口を叩く二人であったが、稲豊の胸中は穏やかでは無かった。
仮定は真実。想像は確信に昇華し、泥水が湧き上がる様な焦燥感に襲われる。
それから屋敷に帰るまで、稲豊が軽口を叩くことはなかった。
帰りの猪車の中で、疲れて眠るナナと同じ様に稲豊は瞳を閉じているが。胸を渦巻く暗雲が睡魔など寄せ付けない。稲豊は遂に気付く、この世界と元の世界の決定的な違いを……。
それは魔法がある、なんてメルヘンな理由じゃない。もっと根幹の部分だ。
思い返せばヒントは何度も出されていたのだ。非人街での干し肉、味噌湯で蘇った少女、その匂いを嗅ぎつけてきたオーク。
そして……自信作壱号で認められた自分。
その疑念は、今朝の屋敷の厨房で蕾となり、王都の飲食店で開花した。
稲豊が確信するこの異世界の理。
――――その答えは。
「この世界の食い物は――――不味すぎる」
顔を右腕で覆い、ポツリと零す稲豊。その隠れた表情は、絶望色に染まっていた。