第129話 「無能な有能」
第六王女のウルサと邂逅を果たしてから十分後。
稲豊は魔王城三階にある居間の椅子に腰を下ろしていた。
魔将の間と名付けられたサロンは、壁に掛けられた武器の他は六個の椅子だけという、まさに会話の為だけの部屋である。
現在この場にいるのは、クロウリー家の者たちのみ。
ぶーたれるマリアンヌを振り切ってまで皆がここに集まったのは、ある重要な話をするためでもあった。
「まさか『増殖』なんてとんでもない魔能があるなんてな……」
「ナナもびっくりしました! でもちょっと羨ましいです!」
「たしかにな。遊び関係では無敵の力を誇るだろう。さらに肩が凝ったときや、背中が痒いときなんかも重宝するだろうな」
「……そんな使い方をされては、父上の魔能が泣いてしまうのぅ」
いまだ興奮冷めやらぬ稲豊とナナは、増殖の魔能について会話を盛り上げていた。そしてその流れのまま、稲豊の興味は我が主の下へと移る。
『見たことないけど、ルト様も特別な魔能を持っているんだろうか?』
淡い期待に胸をときめかせながら、稲豊はルートミリアの方を見た。
「ルト様も魔能を受け継いでいるんですよね? いったいどんな能力なんスか?」
椅子から身を乗り出し、瞳を輝かせ訊ねる稲豊。
ルートミリアは少し悩む仕草を見せたあとで、「フッ」と軽い笑みをこぼした。
「実はのシモン。お前は既に妾の魔能を目の当たりにしておるのだ。その恩恵すら与えた事もあるのだぞ?」
「へ? まじスか!?」
腕を組んだ稲豊は、ルートミリアとの思い出を巡らせる。
初めて会ったときの虚無魔法や、親指を元に戻した修復魔法。ヒャクの苗を樹木に変えた成長魔法に、屋敷の一帯を覆っていた結界魔法。脳内に色々と思い描いた稲豊だが、それはやがて一つの記憶に収束する。
蒼月に照らされたバルコニーでの口づけ。
誓いのキスだと脳内変換している稲豊は、柔らかい唇と艶めかしい舌の感触を思い出し、顔面を紅潮させた。
「も、もしかして“魅了”だったりします? なら俺はルト様にメロメロだなぁ――――な、な~んて!」
赤面した顔を誤魔化すように、茶化した回答を告げる稲豊。
彼が期待したのはルートミリアからのツッコミだったが、少し待ってもツッコミが飛ぶ気配はない。稲豊は首をひねりながら、彼女の方へ顔を向ける。
するとそこには、わなわなと唇を震わせるルートミリアがいた。
「ばば、莫迦者っ! しゅ、主人をからかうでないわ!」
遅れて言葉を発したルートミリアの顔は、先ほどの稲豊よりも朱に染まっている。恋に免疫がないからこその恥じらいであった。
そんな二人のやりとりをジト目で見ていたナナとミアキスは、
「たしか! まじんのせい……せい……?」
「【魔神の生門】だな」
「そう! それですよね! ねっ!!」
桃色の空気を変えるため、早急なネタばらしに入った。
「う、うむ。その通りじゃ! 能力は『無限』。妾の生門の器には、生物が本来もつ“限界”が存在しない。すなわち無限大に魔素を蓄えることが可能なのじゃ。妾は生まれながらに膨大な魔素を持っておった。今日までやってこられたのも、その膨大な魔素のおかげでもあるのだ」
「む、無限の魔素!? RPGの魔道士キャラじゃ、最強のポジショニングですね!」
「誤解はせんでくれよ? 無限に蓄えられるというだけで、無限に魔素を持っておる訳ではない。生きておるだけで魔素を少なからず消費するし、底をつけば普通に死ぬ。妹達に比べれば、地味な魔能である事は否めんのぅ」
「いやいや! ぜんぜん地味なんかじゃないですよ! 強力な魔法をバンバン使えるとか、最高じゃないッスか!」
稲豊が初めて知ったルートミリアの魔能。
悲しげな瞳で語る彼女だが、生門の魔素が劇的に少ない稲豊にとっては、羨望以外の何物でもない。可能ならば、魔神の舌と交換して欲しいとさえ彼は思った。
「魔能談義もよろしいですが……お嬢様。今は我々の“現状と今後について”議題に挙げるのが先決かと。これからの身の振り方を気に揉んでいる者もございますゆえ」
「おお、そうじゃな。まずはそう――――なぜ兵士がいなくなったのか? この辺から伝えるとするかの」
「“いなくなった”ということは、前はもっとたくさんいたんですか?」
「鋭いぞナナ、その通りである。数ヶ月前までは三千もの兵が在籍しておったようだが、今ではその殆どがこの城を去ったそうじゃ」
報告を聞いた稲豊は、「どうして!?」と驚きを露わにした。
これからエデンとの本格的な戦争が始まるというのに、城を放棄する兵士たち。その思考が、どうしても理解できなかったのだ。
「イナホ殿のお気持ちは良く分かります。ですが、これは兵士だけの所為とは一概に言えないのでございます。深い深~い事情がありまして……」
「事情ってなんスか!」
憤慨する稲豊に訊ねられ、アドバーンの額の汗は三割増しになる。
焦る老執事の姿を見たルートミリアは、苦笑混じりに口を開いた。
「そうアドバーンを苛めんでやってくれ。全てはこの国の戦に対する体制と、父上の所為なのじゃからな」
「魔王サタンの?」
稲豊が問いかけると、ルートミリアはしっかりとした頷きを見せる。
そして今まで体重を預けていた椅子から腰を上げると、壁に掛けられた五角盾へと顔を向けた。彼女の視線の先には、盾に刻まれた魔王国の紋章がある。
「魔王国というのは、エデンよりも後に建国された。最初は小さな村だったのが、町へ、そして国へとまで発展できたのは、偏に父上の功績が大きい。いや、現在に魔王国が存在している事でさえ、父上のお陰なのじゃ」
「そして、それこそが魔王国の一番の“問題”なのでございます」
「も、問題?」
魔王サタンという強大な指導者がいたお陰で、魔王国は目覚ましい発展を遂げてきた。しかしアドバーンは、その一番の功労者を“問題”だと切り捨てる。稲豊には訳がわからなかった。
「シモンが目の当たりにしてきた魔神の能力の数々、父上はそれらを駆使し、エデンの軍を退けてきた。領土内に張った感知型の結界に侵入者が触れれば、『融合』を使って瞬時に移動し敵を駆逐。大軍が魔王国に迫れば、『無限』で蓄積した魔素を使用し敵を屠った。それはそれは悪魔的な活躍ぶりだったそうじゃ」
「魔王むちゃくちゃ有能じゃないスか!?」
広大な結界に少しでも触れれば登場し、絶対的な力で立ちふさがる悪魔。
稲豊はその光景を想像し、『敵でなくて良かった』と心の底からそう思った。
「その“有能さ”が仇になったんだイナホ。魔王サタンがあまりに常識外れな力を持っていたため、誰も彼に付いていけなかった。当然だ、瞬間移動する魔王に続ける兵士などいるはずもない。もちろん、兵士達が戦争に参加する状況もあったが、それは“魔王が来るまで”の時間稼ぎの戦い……。そう――兵士達は、完全に魔王に頼り切ってしまっていた」
「それって……それってまさか!」
ミアキスに言われ、稲豊はここでようやく理解した。
自分の知らない所で問題を解決する有能な存在。
現れただけで戦況を覆す頼れる存在。
もしもその存在が、いなくなってしまったら?
そう考えれば、全てに合点がいったのだ。
「つまり……魔王がいなくなったから……戦争に自信が持てない兵士達は城を去ってった……て訳ッスか……?」
「有り体に言えばな。父上は『魔物たちは家族だ、ひとりの仲間も失いたくない。俺が強いんだから、俺が戦えば良いのさ』。皆の為にそう言って孤軍奮闘してきたのだが、全ては裏目に出てしまった訳じゃの。入口広間に巨大な自画像を飾っておるのも、万が一にでも城への侵入者が現れたとき、その刃を自分へと誘導する為じゃと聞いておる」
「そ、そんな……そんなのって…………あんまりです!!」
報われない真実に、ナナは両拳を力一杯に握り込んだ。
稲豊とて薄情な兵士たちに憤りを覚えたが、ここで怒鳴っても何も解決はしない。怒りをグッと喉の奥に流し込むと、いつの間にか立ち上がっていた自分を抑えるように、再び椅子へと腰を下ろした。
「兵士達がそんな行動を取るって事は、もう魔王がいなくなった事は周知の事実って認識でいいんスか?」
「魔王様は良い意味でも悪い意味でも目立っておられましたからな……。町の者ならともかく、兵士らにはすぐ伝わった事でしょう。恐らくエデンにも……」
「つまり……かなりヤバイ状況って訳ッスね……」
話を聞けば聞くほど絶望が重くのしかかる。
稲豊は肩をがっくりと落とし、深く長い溜息を吐いた。
「じゃがのシモン? たしかに今は危機的状況だが、打つ手が全くない訳ではないのじゃ」
ルートミリアの言葉が、少年の心に光明を与える。
稲豊は床に向けられていた面を上げ、期待の宿った双眸をルートミリアへと向かわせた。
「いなくなってしまった兵士は、また“取り戻せば”良いのだ! そしてその為にはシモン――お前の協力が必要不可欠なのじゃ」
「お、俺ぇ!?」
「うむ! お前じゃ!」
ビシリと人差し指を向けられた稲豊は、あまりの驚きから再び立ち上がる。
冗談か何かの類かと思った稲豊だが、それはルートミリアの表情を見れば一息で霧散する。自信満々の彼女の態度には、一欠片の嘘も込められてはいなかったのだ。
「それではここで、皆の今後について伝える。まずはアドバーン! お前は大臣に協力し、軍に関する諸々を任せる。経験豊富なお前だ、好きなようにやるといい」
「仰せの通りに」
「次はナナ! 今までと同じく、妾の身の回りの世話を頼む。それ以外の時間はお前の自由じゃ。雑用をするも良し、シモンの手伝いをするも良し。好きに過ごすといい」
「わ、わかりました!!」
「ミアキス! お前は基本的にはシモンの助手兼護衛だが、兵士が戻ってきた際には調練を頼みたい。お前以上の適任は今のところおらんのでな」
「承知」
ルートミリアに命を下された従者たちは、皆が一様に恭しく頭を下げた。
「最後にシモン!」
「は、はい!」
最後に名前を呼ばれた稲豊は背筋をピタリと伸ばし、緊張した面持ちで主人の次の言葉を待つ。ルートミリアはそんな彼の瞳をまっすぐに見据え、不敵な笑みを浮かべながら言った。
「一週間後、料覧会を催す事が決定した。お前にはそこで、“貴族達”の心を動かす料理を作ってもらう!」




