第11話 「世界の殆どを貴様にやろう! ワシは一部でいい!」
「ほほぅ……これはまた。珍しい色のスープですな」
「スープに目玉焼きにサラダ。シンプルだが、悪くない」
食堂に集まる四人。テーブルに着き、目の前の皿と器の中身をジッと観察するアドバーンとミアキス。
二枚の皿の中にはそれぞれ、塩を振った目玉焼きと塩を振った生野菜が盛り付けられ。一つの器には具なし味噌汁が入っている。
その料理を作った張本人達は壁際に控え、食事を口に運ぶ二人の様子を、隠そうともしない焦燥感に駆られた表情で見つめる。
「こ、これは旨い! 魔素が漲りますぞイナホ殿ぉ!! なんとも美味なスープで御座いますな!」
「味音痴の我でも何となくだが旨いことは分かる。見事だぞ少年」
料理長として初めて作った料理は絶賛の一言。ミアキスもアドバーンもあっという間に平らげた。それを見て、これでもかと破顔するナナ。それとは反対に、思い詰めた表情の稲豊。そして意を決した様にその重い口を開く。
「実はこれ、俺が元いた世界の定番の料理と調味料なんですよ。こっちに偶々持ってきていた物で、かなり量が限られてます……。なんで特別な時にしか用意できません」
この異世界にやってきた荷の中の二つ。少量の塩と味噌。塩は残り半分になり、冷蔵室に置いてある味噌は後三分の二と言った所だ。
「なんとイナホ殿の故郷の料理でしたか。この素晴らしき味が毎日楽しめないのは残念ですが、そういう事であれば仕方がありませんな」
「少年は恵まれた場所に生まれたのだな。両親に感謝すると良い」
こうして料理長としての、最初の朝食は大成功と言って良い終わり方を迎えた。
だが褒め称えられるその料理長の表情は、終始浮かないままであった。
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「本当に美味しいですね! このスープ。さすがですイナホ様!」
空となった皿やグラスと共に、厨房に帰ってきた稲豊とナナ。二人は厨房の机で、少し遅めの朝食をとっている。やはりココでも絶賛される朝食。
慌ただしく一人食事を済ませた稲豊は、大量に出た味見済みの食材を壺や籠に詰めていく。肉はタッパーに詰め込み、氷と共に大皿の中に入れる。その様子を見ていたナナが首を傾げて稲豊に尋ねる。
「ゴミ捨てならナナがやっておきますよ?」
「いや、コレは捨てる物じゃ無いんだ」
食事を済ませたナナが、食器を洗い終わる頃に稲豊の準備も完了する。
「ナナ。悪いんだけど、今から一緒にモンペルガに行ってくれ」
「王都にですか? それは構いませんけど。何しに行くんですか?」
「飯を食いに行く」
食べたばかりの食事を更に重ねると聞いて、ナナの顔は困惑で染まる。
「んで、この朝食に出さなかった料理も持って行くから」
どう考えた所で稲豊の考えは読めっこない、ナナは考えるのを止めた。
そして食材の詰まった籠を持ち、稲豊と共に玄関に運ぶ。
二つの籠を運んだ後、稲豊は残りの食材を再度運び。ナナは屋敷の裏手から、猪と馬車を引っ張ってくる。
「――そうだ」
汗を流しながら、食材入りの壺を馬車に積む稲豊。その横で何かを思い出したかのように両手を合わせるナナ。そして駆け足で屋敷の中に戻って行く。それを不思議に思う稲豊だが、積む食材はまだある。非力な自分でも運べるようにと、小さめの壺や籠にした分、数が多い。壺と籠、大皿を馬車に全て積み終わった所で、ナナが戻ってくる。その手には何か布の様な物が握られていた。
「コレどうぞ!」
勢い良く突き出された両手には、灰色のシャツと黒のコートが乗せられている。
どうやら屋敷に戻った理由はコレが原因らしい。
「えっ? これ……服?」
「はい! ナナが作りました。サイズは間違っていないと思います。その白い服は外で活動するのに不向きだと思ったものですから」
はにかみながら差し出す思いの詰まった洋服を、稲豊は恐る恐る壊れやすい物でも触るように受け取る。
「着てみても良いか?」
「モチロンです!」
部屋にまで戻るのすらもどかしい。稲豊は馬車の中で着替えることにした。
純白のコックコートを脱ぎ、汗で汚れたシャツと入れ替えに、灰のシャツに着替え黒のコートを羽織る。黒のコートは何故こうも厨二心を擽るのか? 稲豊は自分が強くなった気がした。
「どうよ! 似合うか?」
「サイコーですイナホ様! 特に後ろの柄がとってもキュートです!」
「後ろ?」
首を後ろに回すが、当然良く見えない。
仕方なく一度脱いで見てみると、コートの背中に白い蜘蛛の模様がデカデカと彫られていることに今更気がつく。
実にロックなコートだ。蜘蛛が苦手な稲豊だが、模様なら別に問題ない。もう一度羽織る。
「――にしても凄いなこのコート。軽いし全然暑くない」
「もちろんです! 特別な生地を使用していますので」
そう言って、ナナは指先からスルスルと糸を伸ばす。
「お前の糸かよ! ――まあ別に良いけど」
複雑な気持ちになったが、好意は有難く受け取る主義の稲豊は脱ぐつもりなど毛頭ない。あまり時間は許されていないので、この辺で急いで出発に取り掛かる。
「マルー。モンペルガまでお願いします!」
馬車に乗ったナナが小窓から猪に話しかける。稲豊はというと、ナナの向かいの席で荷を支えている。鼻をブルルと鳴らし、森の外目掛け走りだす猪。やはり振動は殆ど感じない。
「せ、狭い」
馬車内部は持ち込んだ壺と籠、大皿で座るスペースも少ししか無い。
更にナナの黒光りする足が触れ、稲豊は必要以上に身体を壁に押し付けてしまう。蜘蛛の部分に慣れるには、まだまだ時間を要しそうだった。気を紛らす為に、ナナに雑談を持ちかける。
「この猪『マルー』って言うんだな。初めて知った。メスか?」
「オスですよ。猪の中でも特別賢い子で、ナナ達の言葉も理解してくれるんです。なので他の猪車と違って御者がいなくても、目的地に連れて行ってくれます」
「……猪車って言うのも初めて知ったな」
馬が引くから馬車な訳で、当然と言えば当然なのかもしれない。稲豊は妙に納得した。
「なあ。他にも色々聞きたいことがあるんだけど。構わないか?」
「なんですか? ナナが答えられる範囲なら大丈夫ですよ」
見た目の割にしっかりしている少女だ。
少し突っ込んだ質問をしても大丈夫だと稲豊は判断した。
「この世界ってさ、魔王が支配しているんだよな? んで、ここは魔王の土地って認識で良いのか?」
元の世界と違い蔓延る異形。そして立場の弱い人間達。
魔物が支配する世界で間違いないと稲豊は確信していた。しかしナナは首を振り、それを簡単に否定する。
「半分正解で半分間違いですね。ここは魔王様の土地ですけど、別に魔王様が世界を掌握している訳ではありませんよ?」
魔王というのは基本的に世界を支配したがるモノだと勝手に思っていたが、どうやらそうではないらしく「この国と周辺の地域だけが、魔王様の縄張りです」と、ナナは言った。
「まあ王都は世界最大の二都市の一つですし、上級魔族が集まるというだけで凄いことなんですけどね。国としての力はありますよ」
「へぇ~。やっぱ魔族ってのは力持ってんな~。じゃあ、魔物はこの土地にしかいないのか?」
「いえ。世界中に色んな魔物が住んでいます。でも、執事長の話だとその数も種類も、年々減少しているそうです。原因は『天敵』のせいですね」
「天敵?」
魔物にも苦手な生き物がいるのだろうか? 稲豊は特に何も考えず聞き返す。
「決まっているじゃないですか。『人間』ですよ」
そう話すナナの顔に、一瞬影が落ちるのを稲豊は見逃さなかった。あまり話したく無さそうに見えるが、ここは聞いておいた方が良いと、稲豊は判断する。
「……人間。いるのか? 王都以外にも人が」
「はい。世界最大の二都市の一つ。――聖域『楽園』。行ったことは無いんですけど、そこには大勢の人間が住んでいるそうです。そしてそこから派遣される者達が、各地の魔物を狩っているとか……」
そう語るナナの表情は不快な感情が見え隠れしている。
「そ、そうか……。魔物にも皆みたいな良い奴はいるのにな! じゃあ次は召喚魔法について聞かせてくれ」
正直な所もっと詳しく聞き出したい稲豊だったが、人間の話はナナの精神衛生上良くない。
多少強引に別の話題に切り替える。
「召喚された精霊とかってさ、どうやって元の世界に帰ってるんだ?」
「ええ!? イナホ様帰っちゃうんですか!」
物凄い勢いで詰め寄られ、壁に押し付けられた身体が更に潰れる。
「く、苦しい……」
潰れかかった稲豊が苦しげな声を漏らすと、我に返ったナナが「ごめんなさい!」と少し離れる。
「――ふぅ。ずっとこの世界に居る訳にはいかないだろ? 俺にだって家族と友達がいるんだからさ、ナナだっていきなり屋敷の人間が居なくったら困るだろ?」
「……それは、そうですけど」
不満そうな表情を一切隠さず、プイと顔を背けるナナ。しっかりした少女だが、こういった子供らしい仕草は実に愛らしい。すかさず稲豊もフォローを入れる。
「今すぐにって訳じゃねぇよ。帰る時は必ず屋敷の皆にも話を通すし、出来れば後任が見つかってからがベストだしな」
「じゃあ、帰る方法が見つかっても。本当に勝手に帰ったりはしませんか?」
「しないしない。約束するって!」
ばっくれは交流会だけで十分だと、稲豊は少女と約束をする。
そこでようやく機嫌を取り戻したナナが、話を進めた。
「召喚者との契約を果たせば帰ることが出来るそうです」
「勝手に呼び寄せといて、力を貸さないと帰さないとか……、ブラック企業も真っ青だな」
契約を果たそうにも、稲豊の召喚者が誰なのかも分からなければ、どんな契約の内容なのかも分からない。この方法はほぼ不可能に近い。
「後は、そうですね~。転生魔法や空間魔法を使って帰る事が出来ますね」
「それだ! ルト様は凄い魔法が色々使えるんだよな?」
光明が差し込み、今度は稲豊の方からナナに詰め寄る。
眼前の少女の顔は少し困惑気味だ。
「どうですかね~。ナナもご主人様の魔法を全て把握しているわけでは無いので」
それでも今の稲豊には数少ない希望には違いない。
手をグッと握り締め、元いた世界を思い出す。そして頭のギアをチェンジをする、帰る為には目の前の困難を乗り越える必要があるのだ。その為に必要な事は……。
そんなやる気を出した稲豊の姿を、寂しげな瞳で見つめる少女。
その視線に、稲豊が気付く事は――――最後までなかった。