第126話 「魔王って自己顕示欲が強くない?」
いつもより少し厳重になった大門を潜り、三層、二層、一層住民街を抜け、坂道と跳ね橋を通れば、そこには魔王城が雄大に聳え立っている。曇天を背に城壁塔に立つ竜の彫像は、七つの首で七つの方角を見据え、妖しく緋色に輝く双眸は、魔王の城を不気味に演出するのに一役買っていた。
魔王城を初めて見る人間がいたならば、中にひそむ異形を想像し、肝を冷やしたことだろう。
「こ、これからここに住むんスか?」
マルーを厩舎に預けたあとで、稲豊は曇天にも負けないどんよりとした顔で訊ねた。するとルートミリアは腕を組み、得意満面な表情でこう答える。
「さもありなん。ここは魔王である妾の城でもあるからのぅ」
己が魔王になることを疑わないルートミリアは、それが当然のように城内を目指し歩を進める。自信家の彼女にとっては、別荘へきた程度にしか感じてはいないのだ。
「城で暮らせるのは名誉な事ですぞ? 人間で魔王城に入ったのは、捕虜を除けば片手の指で数えられるほどしかおりません。ささ! もっと胸を張って下さいませ! 分からない事があれば、いくらでも知識をお貸しいたしますから」
「そうだイナホ。魔王の料理人ともなれば、その地位は大臣級と言っても過言じゃあない。……しかし、心細いようならいつでも言ってくれ。太腿や胸で良かったらいつでも貸すぞ?」
「ナ、ナナだってイナホ様の助手ですからねっ! いつでも頼ってください! ふともも……むね……はないですけど、糸ならいっぱいお貸ししますから!!」
「み、皆……ありがとうっ! 遠慮なく知識やふとももや胸をお借りしますね! 糸は…………うん…………。ハムとか縛るのに使うかな…………」
自分にはこんなにも頼もしい味方がいるのだ。
そう考えてしまえば、陰鬱で不気味だった城もただの堅牢な城へと変わる。
仲間たちに励まされた稲豊は、百人力を得た思いで足を進めた。
そんな彼がルートミリアに追いついたのは、二メートルを有に越す巨大な門を潜った先――――すなわち居館の入口広間である。
「はぁ~…………すっげぇ…………!」
稲豊は広間に入るなり息を呑んだ。
クロウリー家の屋敷も相当な広さだったが、城ともなれば規模も絢爛さもまるで比にならない。
鏡のように磨かれた大理石の床に、十メートル置きに並ぶ魔光石が散りばめられた燭台。巨大なシャンデリアが装飾された天井は、稲豊が五人で肩車しても届きそうにはない。
そして極めつけは、
「あっ!? ルト様、もしかして“あれ”が?」
「うむ」
稲豊が指差したのは、遠く突き当りの壁に描かれた一枚の絵画だ。
絵の中では白髪の青年が玉座に腰かけ、不敵な笑みを湛えながら大きな両翼を広げている。その瞳は鮮やかな緋色に染まっていた。
「我が父、我が目標――――――魔王サタンである」
ルートミリアは郷愁を思わせる表情で語る。
寂しげな横顔を横目で眺めていた稲豊は、彼女の中の魔王という存在の大きさに嫉妬を覚え、同時に『頑張ろう』と自らを奮い立たせた。
『魔王サタン……相手にとって不足なし。いなくなったあんたの代わりに、俺がルト様の支えになってやる』
密かな決意を胸の奥にしまい込み、稲豊はまっすぐに前を向いた。
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「こ、このような部屋にナナが入ってもいいのでしょうかっ!?」
「構わんさ。見ての通り、今は座る者もおらんのでな」
恐縮するナナにルートミリアが告げたのは、さきほどの広間よりも数ランク上等な部屋。規模は入口広間ほどではないが、内装の端々から高貴なオーラが漂っている。
金や銀で彩られた内壁に、職人芸の光る竜の彫像が六体。
巨大な壁画には天使を足蹴にする悪魔が描かれ、床には様々な魔石が幾何学模様に並べられていた。
だが、部屋の中で特別な存在感を放っているのは、何といっても豪華絢爛な椅子である。部屋の最奥にひとつだけ置かれたその“玉座”は、主の帰りを今か今かと待ちわびていた。
「謁見の間。シモンと出会ったあの日、妾はここで大臣から父上が失踪した事を告げられた。その場には他の姉妹達もおってな? 皆の取り乱し具合と言ったら――――」
当時を振り返るルートミリアの表情は、寂しさを越えて悲しげですらあった。
主のいなくなった玉座を眺めながら、ため息を漏らすかのように言葉を吐き出す。彼女を見ているだけで、取り乱した姉妹を想像するだけで、稲豊の胸は強く強く締め付けられた。
そんなとき、
「やはりおいでになられていたのですね! お父様!」
「ハニー! 会いたかった~!」
扉が開く音と同時に、黄色い声が謁見の間に響き渡った。
稲豊が声のした方向へ顔を向けると、そこにいたのはマリアンヌ一行と、クリステラとアリステラの双子の王女一行。タルタルやネロといった料理人だけでなく、メイドや他の使用人を引き連れての参上である。
想い人の姿を確認したマリアンヌとアリステラは、稲豊の胸へ先を争うように小走りで飛び込んだ。
「う、うわっ!? いきなり飛びつくなって!」
「いいではないですかお父様。アリステラわぁ、生けるときも死ぬときもお父様の腕の中だと決めているのですわぁ」
「それじゃ常に抱き合ってる事になるだろ! 離れなさい! お父さんはそんなふしだらな娘に育てた覚えはありませんよっ!」
「そんなイケズ言わんといてぇや。これからハニーとウチらは“同棲”するんやから! 嬉しすぎて体が勝手に動いてしまうんよ~」
「はっ? ど、同棲?」
首を傾げる稲豊の下へ、ルートミリアがつかつかと歩み寄る。
そして両の手で、躊躇なくアリステラとマリアンヌの頬を捻りあげた。
「ひたたたたたっ!? ふーとみひあおひぇはま……ひたいれすわぁ……」
「はわわわわっ! な、なにすんのや~!」
赤くなった頬を擦りながら、涙目かつ恨みがましい目を長女へ向ける妹たち。
しかし、ルートミリアは仁王立ちをしながら、
「やかましい! これから闘争を繰り広げようという時に気を抜くでないわ。色恋沙汰は、アキサタナを退けてからにするのだ!」
一喝されたマリアンヌとアリステラは口唇を尖らせる。
そして渋々といった様子で使用人たちの下へと戻っていった。
やはりそこは長女のルートミリア。すでに上下関係を築きつつあった。
「すみませんアドバーンさん、ちょっと聞いてもいいスか? 同棲って事は、王女みんなこの城へ?」
「ええ、恐らく。姿を見せぬ統率者に魔王の兵は従いません。ゆえに、六名の王女すべてが城に集まる事になるでしょうな」
「なるほど」
稲豊が知っているのは、長女のルートミリアと次女のマリアンヌ。
四女のクリステラと、五女のアリステラの計四名の王女である。
つまり三女と末っ子の王女に関しては、名前すら知ってはいなかった。
「何もなければいいんだけど……」
蚊の鳴くような声で呟いた稲豊。
その頭を巡るのは、王女との波乱の数々。
終わり良ければ全て良し――と前向きに考えている稲豊だが、やはり命を失いかねないトラブルはごめんである。
『他の王女との初対面は、絶対に相手の機嫌を損ねないようにしよう』
稲豊がそう自分に言い聞かせたとき、謁見の間の大扉が再び音を立てた。
皆の視線は自然に扉へと吸い込まれる。皆の注目が集まるなか現れたのは、翡翠色をした巨体だった。
「お待たせしてしまったようで、申し訳ありませんな。そしてこの窮地に御足労いただき、感謝の言葉もございません」
低い声で皆に感謝を述べたのは、高価な赤いローブに身を包んだ、身の丈二メートルを超える男である。
ローブの袖から伸びるのは、翡翠色の鱗に覆われた巨大な腕。
その先には鋭く尖った爪を携えており、臀部からは稲豊の足よりも太い尾が覗いている。前に長い口からは閉じていても分かる鋭利な歯がズラリと並び、顔面は硬い鱗に覆われていた。爬虫類人間とも違う男の種族は、
「竜人族だねー。魔族でも最上位に位置する種族だよー」
「ドラゴニュート? 強キャラ感がすごいな……」
いつの間にか側に移動していたタルタルが、男の種族を稲豊へ説明する。
説明を聞いた稲豊は、「なるほど」と首を縦にふった。たしかに男の容姿は、惑乱の森の主であるネブを彷彿とさせた。
「シフ殿。そこまで魔王国は困窮しているのですか?」
ミアキスが真剣な表情で訊ねると、シフと呼ばれた男はポケットから手ぬぐいを取り出す。そして額に浮いた汗を拭きながら、困り果てた顔で言った。
「面目ない事ですが、まさにと言った感じです。いやはや、なかなか困りました……」
汗を拭ったあとは、下顎から伸びる白髭を落ち着きなく撫でるシフ。
大きな体をしているというのに、その声は消え入りそうなほどに力がない。
「……それで、あの人は結局のところ誰なんだ? なんかやたら腰が低そうだけど」
「さあ? その辺うといよー。おれは」
ひそひそ話を続ける稲豊とタルタル。
そんな彼らの下へ、呆れた表情のネロが近づく。
「君らは自分が住んでる国の大臣の名すら知らないのか? 『シフ・ドトルセン』卿は、魔王がいなくなったあとの軍をまとめる最高責任者だ。彼がいなかったら、とっくに魔王軍は崩壊していたかも知れない――と謳われるほどの凄い方なんだ。粗相のないようにしたまえ」
「なるほど大臣かー。言われてみれば、服装とか大臣っぽいねー」
「でもその軍の最高責任者の様子に不穏を感じるんだが……。魔王軍ってやっぱヤバイんじゃないのか?」
稲豊が訊ねると、ネロは青ぶちの眼鏡を整えた。
その際にキラリと光ったガラスのレンズが、さらに少年の不安を掻きたてる。
「……君は気づいたか?」
訊ね返すネロ。
当然、稲豊には何のことだか分からない。
するとネロは、いまだ挨拶を交わしている大臣の様子を一瞥したあと、体を少しだけ稲豊の方へ傾けた。
「――――君はここに至るまで、何名の兵士に会った?」
「…………あ……」
ネロに言われて、記憶を辿る稲豊。
入口広間に廊下に階段、そしてこの謁見の間。どれだけ記憶を検索しても、そこに兵士の姿が見つからない。稲豊が見た兵士は、門番と厩舎の兵が数名だけであった。
「人手不足と言えば聞こえは軽いが、現実はきっとそんな生易しいものじゃない。僕達の想像以上に、厳しい戦いになるだろうな」
「ま、まじか……」
稲豊とネロが不穏な会話を繰り広げていたとき、謁見の間の扉がもう一度口を開く。次に現れたのは、報告書の束を腕に抱いたライトだった。
「おおライトさん、ちょうど良かった。今の状況を説明して頂けますか?」
「はい。承知いたしました」
シフに頼まれ返事をしたライトは、皆へ恭しく一礼する。そして「では報告させて頂きます」と前置きをしてから報告を開始した。その表情には、不穏を感じさせる焦りの色が見える。
「まず事前に調査したアキサタナの軍ですが、魔法兵が半数を占める、魔法主体の軍であると推測されます。調練の様子から、兵自体の練度はそこまで高くはありません。しかし、脅威なのはその数です。アキサタナ軍の総数はおよそ五千人。正面からぶつかるのは、自殺行為に等しいですね」
ライトがアキサタナの軍を説明すると、何名かの口からため息がこぼれた。
その内のひとりでもあるルートミリアは、しかめっ面で口を開く。
「敵の事はよく分かった。では次に魔王軍の状況について教えてくれんかの? どうも先ほどから兵士の姿を見かけんのだが……?」
「うっ……!」
ルートミリアの質問に、痛いところを突かれた表情を浮かべるライトとシフ。
視線を大いに泳がせたライトは、やがて諦めたように肩を落とす。
そして意を決し顔を持ち上げると、
「索敵や調査、町の警備にあたっている兵を除けば、現在この城に常駐している兵は………………十三名。そしてその十三名は、ほとんどが雑務を担当する兵達です。はっきり申し上げますと、我々の軍の総数は三桁にも届いていません。我々はこのままでは、百名にも満たない兵でアキサタナの五千の兵を相手にしなくてはいけないのです」
絶望的な報告を告げた。




