第124話 「ある意味では究極」
「あの日……蟻巣の谷への調査が決まったあのとき――――」
覚悟を決めたライトは当時のことを振り返りながら、ぽつりぽつりと語り始めた。
「私は別件で城を離れていました。そしてそのとき私が率いていたのが『魔王国第二調査隊』、索敵や周囲の警戒を得意とする調査専門の部隊です。――――そう、兄直属の部隊でした」
「レフト直属の……部隊」
そういえば、と稲豊は蟻巣の谷での休憩時間を思い出す。
『小官がふだん担当している隊は第二調査隊。訳あっていつもとは違う部隊を率いておるのですよ』
記憶のなかのレフトは、たしかにそんな愚痴を零していた。
「そしてあの日、兄が率いていたのは『魔王国第三調査隊』。近接格闘や敵の捕縛を目的とした、どちらかと言えば隠密の部隊で……私の直属の隊でした。私があのとき城にいれば、私が兄の部隊を借りていなければ……兄さんが犠牲になることもなかったかもしれないんです……!」
ギリと音が鳴るほど歯を噛み合わせ、ライトは後悔の言葉を口にする。
だがどれだけ過去を振り返り後悔の念を抱いても、起きてしまった事実は何一つ変わりはしない。それを理解しているからこそ、ライトは悔しさで涙を滲ませた。
「ならばせめて……裏切り者を見つけることで兄に恩を返したかった。その想いが空回りし、貴方を必要以上に疑ってしまった……本当に申し訳ありませんでした」
「それはもういいって。肉親が死んだんだ、多少おかしくなるくらいが普通だよ。俺がお前の立場だったら同じように……。いや、俺の場合はお前ほど偉くないな。きっと現実逃避して部屋に引きこもってるわ。ちゃんと仕事してるお前は偉いよ」
「そ、そんな! 全然そんなことっ!」
いきなり褒められ、顔を紅潮させて否定するライト。
嬉しさと悔しさに板挟みにされながら、ライトは伏し目がちに言った。
「現実逃避なら、私だってそうです。本当なら兄の検死だって私の仕事だったのに……。現実を認めるのが怖くて、目を背けてしまいました」
「……検死?」
「蟻巣の谷で回収した兄の亡骸のことです。その……頭……部がなかったので、兄だと確定するため、本来なら私が胴体を調べなければいけなかったんです。ですけど、私にはどうしても調べることが出来なかった。結局、兄の遺体は検死される事無く埋葬を。私は現実を認めたくないあまり、任務を放棄したのです」
背を向けるライトの表情は稲豊からは見えない。
しかし声の調子を聞けば、相手が落ち込んでいるかどうかは分かる。
稲豊はライトの気持ちを考えると、胸が締め付けられる思いを感じた。
「それでもいいさ、あいつだってお前のしんどい姿なんか望んじゃいない。笑顔で前を向く事が、きっと何よりもレフトの為になるんだ。だからこそ俺は、あいつの願いを引き継ぐ事にした訳だしな」
「兄の願い? それって――――」
「人と魔物が笑って暮らせる世界。ハードルは高いけど、絶対に実現してやるんだ。待っててくれよな? いつか必ず、お前ら兄弟に平和な世界ってやつを見せてやるから!」
大言を吐く稲豊だが、その瞳には一抹の嘘も含まれてはいなかった。
レフトのため、ライトのため、ルートミリアのため、そして――自分のため。
それがどれだけの無理難題でも、必ず達成する。稲豊は改めて、食糧改革をライトの前で誓った。
「……良いんですか、そんなこと言って? 本気にしちゃいますよ?」
「“蟻の思いも天に昇る”ってな。俺はたしかに弱いけど、思いの強さなら誰にも負けない自信がある。大いに期待してくれ!」
「――フフ、貴方は不思議な人間ですね。いい加減なのに、力も知識も持っていないのに、どういう訳だか頼もしく感じる。何でもやってくれそうな気がする。もしかしたら、兄はシモン様のそんな部分に惹かれたのかも……知れません……ね」
後半に進むにつれ、力をなくしていくライトの言葉。
部屋に充満する穏やかな空気が、張り詰めた心をほぐすのと同時に睡魔も呼び寄せたのだ。
ライトはまだ起きている稲豊に申し訳なく感じながらも、押し寄せる微睡みの心地良さに身を委ねる。そしていつの間にか、彼の意識は夢の中へと誘われていった。久方ぶりの安眠である。その寝息も穏やかなものに違いなかった。
「……俺も寝るか」
稲豊は誰にともなく呟くと、静かに瞳を閉じる。
瞼の裏に描いた平和な世界を眺めているうちに、意識はゆっくりと沈んでいった。
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翌日の朝。
ひとり厨房へ向かった稲豊は、その光景を見て愕然とした声をだした。
「…………なぁにこれぇ?」
そこはさながら戦場。
包丁が壁に突き刺さり、床には野菜の残骸が散乱している。
フライパンからは何かの焦げた悪臭が漂い、鍋からは嗅いだこともないような異臭が立ち込めていた。
「……俺はまだ夢の中にいるのかな?」
「残念ながらここは現実でございます」
「うわっ!? ア、アドバーンさん?」
「…………アドバーンです」
ふいに現れた老執事に稲豊は一度驚き、その顔色の悪さを知ることで二度目の驚きを見せた。アドバーンは憔悴しきった表情をしており、声にもまるで覇気が宿っていない。何かあったのは火を見るよりも明らかである。
「い、一体全体……何があったんですか? 顔色がゾンビのそれですけど……」
稲豊が訊ねると、アドバーンは深く大きく嘆息する。
そして一言だけ、呟くように口を開いた。
「お嬢様が…………朝食を…………」
そこから先は告げるのも恐ろしい――とでも言わんばかりに、アドバーンはぶるぶると震えながら口を噤んだ。その様子を見るだけで、稲豊の背中に冷たいものが走る。
「言伝です。『妾が特別に朝食を用意するので、シモンはまだ寝てても構わん。楽しみにしておけ』だそうです」
「そ、そッスか……。こんな朝早くから、ルト様張り切ってるんですね……」
「ええ……腕にヨリをかけるそうです……」
同時に嘆息する稲豊とアドバーン。
ルートミリアの用意する朝食を、少し前の稲豊なら諸手を挙げて喜んでいたことだろう。
彼女がメシマズと知る前の稲豊なら……。
それから一時間後。
ルートミリアを除く一同は、いつもより少し早い時間に食堂へと集まっていた。
「ルト様は助手とか付けない派なんスか? 皆ここにいるみたいですけど?」
「ああ。我が助手を申し出たが断られた。全部一人で作りたいそうだ」
「…………そッスか……」
メシマズの条件は全て整われている。
稲豊はいい加減に覚悟を決めた。
「まさか姫の手料理に舌鼓を打てるとは、光栄の至り。いやぁ~楽しみです!」
約二名。事情を知らないライトとアルボルは上機嫌に鼻を鳴らす。
その姿を少し羨ましく思いながら、稲豊は本日何度目かのため息を漏らした。
するとそのとき――――
「待たせたの皆の衆! これだけの量を作るのは初めての経験じゃったのでな、少々手間取ってしまった。しかし時間をかけた分、出来は上々。遠慮なく食べるのじゃ!」
二つのワゴンと共に入ってきたルートミリアは、喜色満面で告げる。
そして近くにいたナナとアドバーンに配膳を頼むと、うきうきした様子でいつもの上座に腰をおろした。そんな可愛らしい姿を見てしまえば、「いらない」などと口にできるはずもない。
「……どうぞ」
皆の前に配られていく皿たち。
そのどれもがドームカバーに覆われていて、中の様子を覗うことはできない。
稲豊は恐ろしい中身を想像して、ゴクリと息を呑んだ。
「うむ! 皆に行き渡ったようじゃの。ささ、料理が冷める前に食べるのじゃ!」
「じゃ、じゃあ遠慮なく」
ルートミリアに促され、皆が思い思いにドームカバーに手を伸ばす。
稲豊は眉間に皺を寄せたままで瞳を閉じ、『南無三!』と心のなかで声をあげつつ右手を持ち上げた。そして、ドームカバーが持ち上がるのと同時に、ルートミリアの料理が姿を出現させる。
それは――――
「これは凄い! とても美味しそうです!」
ライトの嬉々とした声が食堂に響く。
その声を切っ掛けに目を開いた稲豊は、眼前の光景に「あ」と声を漏らした。
食卓にのぼった料理は、どれもこれもが素晴らしい外見をしている。
牛肉のステーキはほどよく赤みがかったミディアム・レア。芋と豆のサラダも丁寧に盛り付けされ、キラキラと輝いて鮮度の良さが窺い知れる。卵を溶いたスープも芳香と煙を立ち上らせ、稲豊の食欲を容赦なく刺激した。
朝食としては少し“重い”メニューだが、前評判を考えるとそんなことは問題にもならない。稲豊は信じられないといった様子で、ルートミリアの方を見た。
「なんじゃシモンその顔は? ふふ、まあ妾が料理を振る舞うのは稀じゃからな、気持ちはよく分かる。しかし、見惚れるなら今は料理の方が嬉しいかのぅ」
「あ、いえ! その失礼しました」
上機嫌に話すルートミリアから目を逸し、稲豊は再び食卓へ視線を向ける。
何度見ても、そこには素晴らしい料理たちが並んでいた。
『なんだ、心配して損したな。普通に美味そうな料理じゃないか』
稲豊は安堵の吐息を漏らし、大袈裟な物言いをしていた皆の顔を見渡した。
「………………ん?」
美しい料理が並んでいるというのに、アドバーンとナナの表情はいまだ曇り空。
右手にフォークを持ったままで、完全に動きを停止している。
「それでは、失礼して」
そんななか、何も知らないライトとアルボルが料理に手を伸ばす。
彼らが同時にフォークで突き刺したのは、芋と豆のサラダ。皆の視線と意識が集中していることなど露知らず、二名は躊躇せず料理を口内へと運んだ。
「これはこれは、何だか初めて食べる味わいですね。ぷよぷよとガリガリが同居して、噛めば噛むほどに滲み出る血液のようなドレッシングが――――――」
ライトとアルボルが意識を保てたのはそこまで。
どちらもゴトンと頭蓋がぶつかる音を響かせ、食卓へ突っ伏し昏倒した。
「……あれ~……河の向こうに兄さんが見える……。あ、兄さんも食べます?」
「お、おい! そっちへは行くな!! それとレフトに勧めるのはやめろ!!」
ライトのうわ言にツッコミを入れた稲豊だが、その声は心なしか震えていた。
そう。彼はこのとき、ルートミリアの料理の恐ろしさにようやく気が付いたのだ。
「一見は素晴らしい料理に見せ、油断し手を伸ばした者を容赦なく殺る。なるほど、たちが悪い!」
ルートミリアに聞こえぬよう小声で言った稲豊は、悪魔の料理を作った張本人へそっと顔を向ける。
「気絶するほど旨いか。まったく大袈裟な奴じゃのぅ!」
本人はカカと笑い飛ばし上機嫌を維持している。
それはつまり、この拷問が続けられることを意味していた。
「……いただきます。はむっ」
勇敢にも次に手を伸ばしたのは、前のとき記憶を飛ばしたとされるミアキス。
記憶がないがゆえに『大丈夫だろう』と高を括った彼女は、ステーキを一口頬張ると、
「…………………………ぶつぶつぶつぶつぶつ……」
部屋の隅で体育座りをしてしまった。
時おり誰かに許しを請うような声も聞こえるが、ハッキリとは聞こえない。
それを見ていた稲豊たちは、もはや戦慄しか感じなかった。
「考え込むほど旨いのか? まったく、ういやつじゃのぅ」
ルートミリアは相も変わらず料理に手を付けず、他人の反応を楽しんでいる。
稲豊とアドバーンは顔を見合わせ、覚悟を決めた様子で一度頷いた。
そして、
「じゃーんけーん!!」
「ポンでございます!!」
二人は同時に声を上げ、右手を勢い良く突き出す。
稲豊が出したのはチョキ、アドバーンはグー。勝者は静かに右手を上げ、敗者は右手を見ながら絶望に顔を沈ませた。
「い、いただきます……」
「うむ! たらふく食うのじゃ!」
スプーンを手にした稲豊は、ルートミリアの熱のこもった視線を受けながら、スープへと震える右腕を伸ばす。その際にハラハラとした面持ちのナナが視界の端に映ったが、死刑台を上る稲豊には笑ってみせる余裕などまるでなかった。
「……ぐっ!」
口元まで運べば、芳しい香りが鼻孔をくすぐる。
なのにまったく食欲は湧いてはこない。稲豊は魔神の舌の解毒作用に全てを託し、「ええいままよ!!」と熱々のスープを口内へと流し込んだ。
するとその瞬間、
「はぐぅ!!!!!!!!!!!!????????????」
稲豊の口の中で、スープが爆ぜた。
それは比喩などではなく、“本当に”スープが爆発したのだ。
何がどうなってそんなことになるのか稲豊には理解できないが、彼が意識を失う直前に理解したのは、魔神の舌でもどうしようもない料理の恐ろしさであった。
口から煙を吹きながら倒れる稲豊を見て、ナナは恐怖から涙さえ浮かべている。
合掌をするアドバーンだが、次は自分の番。合掌にはそういう意味合いも込められていた。
「普通に旨いと言って欲しいのじゃがな。ま、喜んで貰えたようで何よりじゃの」
ふだんは聡いルートミリアも、自らの料理になれば途端に盲目となる。
もうどうしようもないのか? そんな諦めがアドバーンとナナの頭を支配したとき――――それは突然やってきた。
「む?」
「あっ」
同時に頭を持ち上げたルートミリアとナナが、真面目な表情を屋敷の外へと向ける。
そんな彼女らの様子から状況を理解したアドバーンは静かに席を立ち、どこか安堵した表情を浮かべて言った。
「客人のようですな。残念ですがお嬢様、私めとナナ殿で応対してきても?」
「こんな時間から誰じゃまったく! くだらん者ならすぐ追い返すのだぞ!」
楽しい朝食を邪魔されて憤慨するルートミリアだが、アドバーンとナナには天の救いにも感じられた。二名は足早に食堂をあとにすると、急ぎ玄関へと向かう。
玄関の大扉を開き外へと出た彼らが見たのは、マルーよりも二回りは小さい猪だ。そしてその上には、軽鎧を着込んだコボルド兵の姿があった。
「失礼! アドバーン様でよろしいかっ!」
兵士は跨っていた猪から飛び降りると、老執事の下へ慌てた様子で駆け寄った。そのただならぬ気配を感じ取ったアドバーンは、「いかにも」と簡潔に言葉を返す。
すると兵士は息を切らせながら、
「エデン国第五天使、アキサタナ=エンカウントより宣戦布告の文が届きました!! 来たるチャトゥラの月、我が魔王国に進軍するとのことです!!」




