第123話 「同じように」
「なんで長髪!? なんで女顔に女声!? そしてなにゆえタイトスカートぅ!!??」
詰め寄る稲豊の顔は、鬼気迫るものがあった。
それもそのはず。尋問官ライト・ローレイが男であることを、彼はここで初めて知ったのだから。
「い、いや……その……えっと……」
矢継ぎ早に浴びせられる質問に、ライトは少し困った顔を浮かべて後ずさる。
そんな“彼”の様子を見かねたのか、ミアキスが擁護の為に口をひらいた。
「イナホ。個性だ」
「こ、個性!?」
稲豊は生まれて初めて『個性』という言葉の便利さに舌を巻いた。
そう言われてしまえば、もう反論の余地はどこにも存在しない。どれだけ納得できなくても、認めるしかないのである。
「敢えて理由を説明するなら……不穏分子の口を割らせるのには、女性である方が都合の良い場合もあるんですよ」
「な、なるほど。そう言われたら何となく理解できる気も……」
「まぁ、尋問官になる前からこの格好でしたけどね」
「元からじゃねぇか!!」
ツッコミを入れたあとで、稲豊は「いやいや」と首を振り、頭にしがみつく常識を振り払った。異世界にいる以上、地球での常識に意味などない。そんな、悟りにも近い境地まで思考を追いやったのだ。
「……ふふふ」
とても厭らしい笑いを零した稲豊は、口元を歪めたままでライトを見据える。
そして再びの後ずさりを見せたライトへ、人差し指を向けながら言った。
「俺はフェミニストだ! 女性にはシロップのように甘く、野郎にはハバネロのように辛くあたれと親父に叩き込まれた。つまり! お前が男だと分かったいま、もはや一切の遠慮は無用!! ストーキングされた恨み晴らさでおくべきか!」
「え、ええ……。ちょ、うわっ!?」
「ちょっとツラぁ貸してもらうぜ!」
当惑するライトの右手首を掴んだ稲豊は、そのままズンズンと山を下りていった。
助けを求める怯えた瞳がルートミリアとミアキスの頬へと突き刺さるが、触らぬ神に祟りなし。ライトに救いの手が差し伸べられることはなかった。
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下山してすぐ、ライトが引き摺られるように連れてこられたのは屋敷の厨房。
慣れない山登りで満身創痍なライトとは違い、稲豊の表情にはまだ余裕が見える。
「さて、ちょっと時間は早いけど始めるか」
「ゼェ……ゼェ……な、なに……を……?」
「何って、ここは厨房だぜ? だったらやることはひとつだ。お前には夕食の下準備を手伝ってもらう」
「は、はぁ!? なんで私が!?」
驚きで目を丸くするライト。
生まれてこのかた、料理など一度もしたことがない。
いや、そもそもなぜ客人が料理を手伝わなくてはならないのか?
ライトの反応は、至極当然なものだった。
だが、息苦しい思いをしたうえ罵倒まで吐かれたのだ。
キレ気味の稲豊は、何を言われようと考えを曲げるつもりはなかった。
「俺の疑いはもう晴れている。ならばいまのお前は尋問官ではなく、ただの俺の友達の弟! 言ってしまえば子分のようなものだ」
「そんな理不尽な!? 友人の弟をなんだと思っているんですか! た、助けなさい“アルボル”!」
ライトが命令をかけたのは、厨房の椅子にどっしり腰掛けていた彼女の部下だ。
鬼のアルボルはのっそりと椅子から立ち上がると、一言も発することなく稲豊の正面で仁王立ちをした。
すると、
「あんた力ありそうだからヒャクの果汁絞りを頼む。なあに、このボウルの上で握りつぶすだけの簡単な作業だ。これがまた飲むと美味い(らしい)んだよ」
稲豊は臆することなくオーガの右手にヒャクを乗せると、ザルの付いた大きめのボウルを取り出した。
しばらく右手の中の果実を眺めていたアルボルだったが、やがて無言のままボウルの置かれた台まで移動すると、鍛え上げられた握力で果汁絞りへと勤しんだ。
「ア、アルボル……!?」
「ほらほら、いい加減に諦めてコレに着替えた着替えた」
「うぐっ……仕方ありませんね……」
遂に諦めたライトは、嫌々ながらも白のエプロンをつける。
それから約一時間。稲豊のスパルタな料理指導を味わったライトは、部屋へ戻るなりベッドへ倒れ込んだ。
そしてやってきた夕食の時間。
昼食のときとは違い、ちゃんと食卓についたライトとその部下は、目の前の料理を興味深げに眺めていた。
「なんですかこの料理は?」
グツグツと湯気を立ち上らせる大きな器のなかでは、瑞々しい野菜たちが整然と並べられ、中心では豚のロース肉と鶏団子が大きく自己を主張している。添えられた小さなキノコもいい具合に茹で上がり、まさに食べ頃といった感じ。
ライトは、知らず知らずのうちに喉を慣らしている自分自身に気が付いた。
「シモンの故郷の料理でな、“鍋”というものらしい。ごちゃごちゃした見た目をしているが、味の方は妾が保証するぞ」
「異世界の料理ですか? それはまた」
料理をよそう器も、稲豊が職人に用意させた特注品。
木製の椀である。見たことも聞いたこともない料理に、ライトは関心の声を漏らした。
「ちょっと待った! ライトのだけは別に用意してあるんで、こっちの方を食ってくれ」
「私だけ?」
クエスチョンマークを浮かべるライトの前に差し出されたのは、鍋料理には違いなかった。しかし見た目は他の者と大きく違い、白濁というより茶に染まっている。芳しい香りが鼻孔をくすぐるが、ライトにはなぜ自分だけが特別なのか意味が分からなかった。
「これは一体?」
「量が少なくて一人分しか用意できなかったんだ。他の皆には断ってるから、遠慮なく食ってくれ。レフトも喜んでくれた特別なメニューだよ」
「…………兄さんが……」
――――そう。
稲豊がライトに用意したのは、レフトにも振る舞った味噌入り鍋。
心の拠り所にしていた小瓶を開き、中身を全て投入した特別なものである。
これで本当の本当に、稲豊は持参してきた調味料の全てを失う。
だが、少年の頭に後悔は微塵もなかった。
「――――とても美味しい……です」
友の弟を、喜ばせることができたのだから。
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夜。
満足した面持ちのライトは、部屋で一人パジャマに着替え、その美しい長髪を櫛で梳していた。
「あれだけ美味しい料理なら、昼食も素直に食べるべきだったかな」
鼻歌混じりにそんな愚痴をこぼしたライト。
すると突然、
「オッス! オラ稲豊!!」
「うわぁ!! な、なんですかいきなり!?」
部屋の扉を破らんばかりの勢いで現れた稲豊を見て、ライトは驚きのあまり鏡台前の椅子からずり落ちた。しかしそんな彼の様子を気にもかけない稲豊は、マイペースに部屋の中へと歩を進める。
「……えっと、手に持っているのは何ですか?」
「何って“枕”だけど? 安眠枕」
「いや……それは見れば分かるんですけど……」
右脇に枕を抱えた稲豊は不思議そうな顔で答えたのち、それが当然のようにベッドへと潜り込んだ。
「いやいやいや!? なんでベッドに入るんですか!?」
「何って夜だからに決まってるだろ。何を言ってんだまったく!」
「いやなんで私が非常識みたいになっているんですか!? 明らかにおかしいのはそっちですよね? で、ですよね?」
しかしいくら常識を説こうとも、稲豊はベッドから微動だにしない。
ライトは大きな大きなため息を吐いたあと、仕方なしといった様子で稲豊とは逆側からベッドに進入する。そして稲豊に背を向け、もう一度だけ大きく嘆息した。
「じゃあ暇だから初恋についてでも話し合おうか?」
「い、嫌ですよ! 何が悲しくて男二人ベッドに入ってそんな会話をしなくちゃならないんですかっ! もう寝ます!」
いい加減ツッコミにも疲れたライトは、会話をピシャリと切り上げ、魔光石のランプを消灯した。そして明かりの消えた部屋のなかで、人間と魔物は静かに瞳を閉じる。
とたんに静寂が訪れ、部屋のなかは呼吸音だけとなった。
あとはそのまま明日まで眠るだけなのだが、
「ふ……ふふ……。くくっ……!」
ふいに零れた笑い声によって、部屋の静寂は破られる。
声の主であるダークエルフは口元を手で押さえたが、それでも込み上げる笑いは止まってはくれなかった。
「ど、どうした?」
稲豊がたまらず声をかけると、ライトは「いえいえ」と言葉を返す。
そしてくるりと体を反転させてから口を開いた。
「ふふ……。“コレ”、兄からの受け売りですよね?」
「あ、やっぱ分かる?」
「もちろんですよ。兄弟ですから」
一頻り笑ったライトは大きく息を吐き、今度は天井の方を向く。
その表情にはすでに笑みはなく、どこか物憂げですらあった。
「ケンカしたときとか、落ち込んでるとき……。兄はいつも今の貴方と同じように、ベッドに潜り込んできました。あ、もちろん子供のときの話ですよ? それを大人になった今もやっていたのかと考えたら、可笑しくなってしまって」
「あいつ変わってる奴だったからなぁ。やっぱあの性格は昔からなのか」
「貴方に言われては兄も憤慨しそうですが、仰る通り変わり者でしたよ。よせと言うのに人間との共存を目標へ掲げて、城内では鼻つまみ者に。まったく! どうしようもない兄でした」
兄の行動を非難するライトだったが、声に怒りの感情はこもっていない。
無茶をした子供を叱るときのような、優しさに溢れている。
それを感じた稲豊は、ライトと同様に天井へ体を向け、口元を少し弛めた。
「確かにあいつはベッドに潜り込んでくるような変な奴だったけど――――俺はスゲー嬉しかったよ。人間ってだけで嫌な目を向けてくる魔物も多いなかで、あいつはまったく警戒する事無く俺に接してくれた。今まで口にした事はなかったけど、本当の本当に…………嬉しかったよ」
「…………シモン様……」
寂しげな瞳を浮かべる稲豊に気付いたライトは、少し鼻を啜ったあとで、
「……ごめんなさい」
ぽつりと謝罪の言葉を漏らした。
しかし稲豊には、それが何に対しての謝罪なのか理解できない。
「どったよ? もしかして俺を裏切り者だと疑ったことか?」
「それもあります……。私は自らの責任から逃れたいあまりに、貴方に辛く当たってしまいました。心から謝罪を申し上げます」
「別にいいよ。その分、料理を手伝って貰った訳だからな。俺としてはそれでチャラにしたつもりだ。んな事よりもお前の責任ってのは何だ? そっちのが気になる」
訊ねられたライトはしばらく悩む仕草を見せたが、やがて表情を覚悟の決まったものへと変えると、意を決したように口を開いた。
「兄を殺したのは………………私なんです…………」




