第10話 「朝俺の死体が発見されたら犯人はナナ」
「ギャアアアアァァァァ!!!」
「きゃああああぁぁぁぁ!!!」
料理長一日目の朝は美しい二重奏で始まった。
朝ベッドの中で窓から差し込む光に呻きながら、瞼を持ち上げた稲豊の瞳に、開口ならぬ開目一番逆さ吊りの少女メイドが映ったからだ。
「何故だ!? 何故なんだ!!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!!」
何故こうも自分の心臓を傷めつけるのか?
一体自分に何の怨みがあるというのか?
稲豊はナナの両肩を掴み、前後に激しく揺さぶった。
「で?」
一旦の落ち着きを見せる室内で、稲豊は組んだ腕を指で叩きながらナナを追求する。
「だってナナはアラクネ族なのに……、普通に登場するんじゃ芸がないかと思いまして――――――あう!」
想像以上に馬鹿だった理由に、稲豊は必殺のデコピンを披露し、それで許す。
「次からは普通に起こしてくれ……。んで? わざわざ起こしに来てくれたのか?」
「はい! 料理長。ご主人様からのことづてを預かってきました!」
「うむ。朝ご飯のメニューの注文かね? 記念すべき初仕事だ。頑張るぞ助手壱号!」
料理長と呼ばれた事に浮かれ、機嫌を良くしてノリノリで答える稲豊。
「違います! 用事があるので朝ご飯はいらないそうです!」
「全力でやる気を削ぎに来るスタイルとはな……。あ~もう、やる気無くした」
「ま、待って下さい! ご主人様以外にも朝食は必要なんです~!」
もう一度ベッドでふて寝する稲豊に、あたふたしながら声を掛けるナナ。
それもそうかと身体を起こす稲豊。
削がれたやる気を少しだけ取り戻す。
「ってか、もう作った方が良いのか? 朝はみんな、だいたい何時頃に食べてんの?」
ある程度の生活サイクルを知っていた方が、スムーズに事は進むだろうと思い、助手に尋ねる新人料理長。
「あと三刻ぐらいしてからですね!」
壁に掛けられた細長の瓶を見たナナが答える。
稲豊はただのオブジェだと思っていたが、どうやら時計の役割を担っている様だ。
瓶の中には青い砂が一定数入っている。どのような原理なのか? それは少量ずつ浮き上がり、瓶上部に蓄積されていく。まるで逆砂時計だ。瓶の右隣にはメモリがあり、何か文字が書かれている。恐らく、この文字が時間を表しているのだろうが、やはり稲豊には読めそうにない。
「浮遊石をいれて時刻を計っているんです。いまは五の刻ですね」
何故か自慢気に説明するナナ。
メモリの文字は上部に十二、下部に同じく十二個ある。昨日の馬車の中で、ミアキスは「屋敷まで一刻程掛かる」と説明した事を稲豊は思い出す。そして確実ではないが、それは体感で一時間ぐらいだったと記憶している。頭の中で一刻=一時間の式が組み立てられた。
確認の為に携帯電話の電源を入れる。
ディスプレイに表示された時間は、AM5時。Q・E・D(証明終了)。
「ならまだ余裕のある時間だな。ってか起こすの早くない?」
「そうなんですか? 前料理長が起きる時間に合わせたんですけど……」
「前の奴、早起きだなぁ」
元々凝った料理の作れない稲豊の、料理にかかる時間はとても短い。
プロなら早起きして色々仕込むのかも知れないが、素人同然の稲豊には良く分からない。父は前日の夜や朝早くに仕込みをしていたようだが、その内容まで興味を持たなかった。
起きてしまったものは仕方ない。窓を開け部屋を換気する。
新鮮な朝の空気と、森の木々の香りに心まで換気される。まだ朝五時だというのに、薄っすらと見えるぐらいには明るい。
「――さて」
思いがけない時間が出来てしまった。
余った時間を有効に使おうと、稲豊は昨日で集めきれなかった情報を収集することにした。
「ナナのスリーサイズってどれくらい?」
「ひゃあ!? な、何て質問するんですか!! お、お尻だけは教えません!!」
お尻を両手で押さえ、顔を真っ赤にして抗議するナナ。
しかし稲豊は、それを全く意に介さない。
それもそのはず、その頭の中は別の事を考えていた。
稲豊は昨日から気になっていた事がある。
それは、所々で皆の言葉に混ざる横文字の存在だ。
彼は更に検証を重ねる。
「ハロー」
「朝ですよ? でもこんにちは!」
「ニーハオ」
「ええ!? こ、こんにちは!」
「グーテン ターグ」
「なんなんですか! こんにちは!!」
やはり稲豊の思った通りだった。
召喚魔法の話を聞いた時から、彼は疑問に思っていた。
それは『召喚者は異世界の住人とどうやって意思疎通を図るのか?』という点である。
契約が必要な相手と会話できないほど馬鹿なことは無い。
結論は『翻訳』。
つまりこの世界の住人は、稲豊には全く理解できない発音の言葉を発している。そして向こうにとってもそれは同じ。何かしらの作用で、言葉を互いに馴染みの深い、その世界の言葉に変換して伝え伝わっているのだ。
なのでさっきのやり取りもナナにとっては、稲豊が『こんにちは』と、三回同じ言葉を繰り返したように聞こえている。その便利な翻訳機能だが、欠点もある。
まずは、文字に対応していないところ。
次に、稲豊の世界に存在しない物は上手く翻訳されない部分だ。『魔素』という本来、地球に存在しない要素は、稲豊の知らない言葉として翻訳される。
「な、何ですか?」
自分を見つめる稲豊の視線に気付いて、少し頬を染めて瞳を逸らすナナ。
もしかしたらこの少女の名も、この世界の発音では『ズンドコペロンチョ』かも知れない……。
稲豊は遠い目でナナを見る。
この検証によって、ある程度の横文字も使用できるし、逆手にとって『ある応用』もできることが判明した。稲豊は有意義な検証だったと満足し、次は確認作業に移る。
「なあズンドコペロンチョ」
「誰ですかそれは!? ナナはナナです!」
「おっと、悪い。それで食事は結局のところ、何人分用意したら良いんだ?」
「ナナに執事長にミアキス様、あと料理長の四人分ですね」
ルトが抜けて四人分。つまり基本的には、五人が満足に食べるだけの量を用意しなくてはいけないと言う事だ。
この世界の一人分がいまいち把握できない。大食家のミアキスの事も考慮し、それなりに用意する必要がある。
「やっぱり、この屋敷のメンバーって昨日で全員なのか?」
「はい! イナホ様が入るまでは四人でした」
嫌な事実が判明した。
執事長や料理長など大した肩書がついてはいるが、実質料理人や執事は一人ずつしかいないのだ。
これでは長もへったくれもない。幼いナナですら、メイド長という訳だ。
「まあ、大人数に料理を振る舞う事にならないだけマシか」と、稲豊はポジティブに考える。
「そうだ! イナホ様。コレを」
そう言ってナナが取り出したのは、綺麗になった稲豊の服達。勿論コックコートも、泥や砂で汚されていたその純白の輝きを取り戻している。
「ナナが綺麗にしておきました!」
えっへんと鼻を高くして胸を張るナナ。
込み上げてきた感情そのままに、稲豊は微笑みを浮かべながら「ありがとな」と、少女の頭を優しく撫でる。ナナは少し目を丸くした後で、次は逆に目を細め気持ち良さそうに稲豊の手に身を委ねる。
「よっしゃ! では助手壱号。厨房に案内を頼む」
「はい! 料理長!」
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朝の厨房にはコックコートに身を包んだ男と、メイド服の少女の二人が雄々しく立っていた。
「やっぱ金持ちは違うな」
稲豊がそう漏らしたのは、その厨房設備についてである。
高価そうな木と陶器の様な石で構築された、利便性まで良く考えられたキッチンだ。つまみを捻るだけで火を起こせるし、火力の調整も出来る。調味料が入った数種類の小瓶は美しく整列し、蛇口のついたシンクもあり、調理器具一式もガラス棚に揃っている。冷蔵庫が無い事を除けば、元の世界の厨房とあまり変わらない。非人街で見た厨房とは何から何まで違う。
「塩や砂糖は無いのか……」
小瓶の中の調味料も黄色や青、灰や紫と……、あまり馴染みの無い色をしている。
「では食材の所まで案内します」
案内されたのは厨房脇に控えるドア、その内部。その中は少し薄暗い。
地下室の様な雰囲気のそこには、色取り取りの野菜や果物が、大きな棚の中で眠りについている。
「凄い量だな。籠城してもかなりの期間生きられる」
「費用はご主人様からたっくさん頂いてますので、食材はいくら使っても大丈夫ですよ!」
「おおっ! 太っ腹!」
「えっへん。食材はここだけじゃありませんよ? 次は冷蔵室です!」
野菜室の奥に更にドアがあり、ナナの案内のままに進む。
その中はかなり寒い。内壁に埋め込まれた大きな青い石が冷気を発しているようだ。棚の上には、肉や卵など冷蔵保存が必要な食材が並んでいる。
「最後が冷凍室です……」
最後の扉の下からは白い冷気が漏れている。
鉄で出来た扉を開くと、瞬く間に身体の芯をも凍らす暴力的な冷気が襲いかかってくる。
「さ、さむ……い」
両の腕で身体を押さえ、ガチガチと歯をぶつけながら稲豊は部屋の中を進む。部屋の中は妙に明るい。
野菜や肉に果物などが凍った状態で前室同様に保存されている。棚には霜が降り、四角い石の壺の中には大量の氷がぎっしりと詰まっている。冷蔵室で見た青い石がこの部屋の壁には三つも埋め込まれていた。
あまりにも寒すぎる。もう無理だと回れ右した稲豊の視界に、固まったまま動かないナナが飛び込んできた。
「お……い。だ、大丈夫……か?」
「む、無理です……寒くて……ね、眠いです」
「し、死ぬぞ! 寝るな!」
遂には呂律まで回らなくなってきた。
稲豊は急いでナナを引っ張って、冷凍室を出る。
命からがら厨房まで戻って来る二人。
料理長初日の仕事が自分の解凍作業など笑えない。
「助かりました! そしてごめんなさい。寒いの苦手なんです」
復活したナナが申し訳なさそうに頭を下げる。
自らをクズだと自覚している稲豊も、蜘蛛に「寒い所で耐えろ!」何て言うほど人でなしではない。次に冷凍室に向かう時は、厚着した自分だけで行こうと、稲豊は心に決める。
「じゃあ、取り敢えず……この国のポピュラーな食材を、適当に持ってきてくれないか? 肉でも野菜でも何でもいいから」
「わかりました!」
元気よく扉の奥に消えていくナナ。
しかしその後ろ姿を見るだけで、稲豊の産毛は総毛立つ。
――そう。志門 稲豊は虫が大の苦手であった。特に苦手なのが毒を持つ虫だ。
部屋にムカデが出た時などは、女子の様な悲鳴を上げて、光には馬鹿にされたものだった。勿論、ナナが自分に害をもたらすなど稲豊は思っていない。だが、魂にまで刻まれたその嫌悪感まではどうしようもない。
「持ってきました!」
喜色満面で、籠に食材を詰めるだけ詰めて持ってくる少女。やたらと懐っこい少女なだけに、稲豊は針で刺されるような痛みを胸に感じる。
「よしっ! それじゃあソコに並べてくれ」
ズラリと並ぶ食材に、端から目を通していく。
赤く四角い物体。緑の細長い物体。何かの肉。黒の斑点のある卵。
当たり前だが全くもって味が想像できない。野菜か果物なのかすら判別つかない。
「おっ?」
並んだ中に見知った食材を見つける。
非人街では世話になった『芋もどき』だ。あの優しい少女は元気だろうか?
時間があればもう一度足を運ぼうと稲豊は思う。だが今は過去に思いを馳せている場合ではない。
「どうしますか?」
「なるほど分からん。どう料理するのか教え……いや、やっぱり良いや」
ナナの料理の腕はお世辞にも上手いと呼べるものではない。昨日の食事は、この芋もどきを茹でただけのモノよりずっと酷かった。時間と食材はある。難易度は高いが、手探りで料理をする事に稲豊は決めた。
とにかく総当りだ。野菜は取り敢えず切って中身を確認し、毒と味を舐めて確認する。肉と卵は何もつけずにそのままフライパンで焼く、本来の味を確かめたいからだ。野菜は茹でと焼きを同時に行う。その作業中に調味料を少量小皿に出し、味を確認する。そうしてナナの持ってきた食材は全て調理済みの姿に変貌する。
「ナナ……次は、高級食材つーか、比較的単体で旨いと言われてる食材を持ってきてくれ」
「はい!」
小気味良い返事で食材を取りにいくナナ。
何度も何度も味を確認する稲豊。その作業に没頭している間に、時間は刻一刻と、時には遅く時には早い歩みを見せる。
途中からナナもフライパンや鍋を握り、調理を補助する。稲豊はその間に厚着し冷凍室に足を運ぶ。そこにしかない食材も解凍して味を確認した。屋敷の食べ物全てを確認したと言っても過言ではない。
全ての食材を吟味した上で、稲豊の導き出した料理。
――――それは。