第117話 「居場所」
【第四章~エピローグ~】
料理対決から五日後の朝。
志門稲豊は、
「……あれ? 俺の部屋じゃない」
見慣れない天井に違和感を覚えながら目を覚ました。
寝起きで重い頭をなんとか動かし、視線を横へと移す稲豊。
そんな彼を迎えたのは、猪や蜘蛛などの様々なぬいぐるみたちだった。
「おはよう」
目が合ったぬいぐるみに、稲豊はなんとなく挨拶を告げる。
しかし、いくらそれが子供向けの造形物とはいえ、寝起きの顔を見られるのは気分が良いものではない。
「よっこいせ」
稲豊は年寄りくさい掛け声をだし、のっそりと寝返りをうつ。
そして他人の部屋であることも忘れ、二度寝への移行を目指した。
――のだが、そんな彼の思惑は、眼前に広がる光景により遮られる結果となる。
「おはようイナホ」
彼の目と鼻の先には、美しい金色の瞳と慈愛にあふれた笑み。
瑞々しい口唇から奏でられる言葉は、溌剌さの相間に少量の妖艶もスパイスされている。
「ぶふぅ!!!!????」
眼前で挨拶をするミアキスを見て、稲豊は驚いたときの猫のように飛び跳ね、余った勢いでベッドの下へと転がり落ちた。
「ミアキスさん!? どうしてここに!?」
「どうしてと言われてもな、我が自室で就寝するのは自然なことだ」
ミアキスに言われ部屋を見渡せば、爽やかな風景を描いた壁に、ピンク色のベッドが稲豊の視界に飛び込んでくる。世界広しといえど、このような部屋を使っているのは一人しかいない。
「なるほど、間違いなくミアキスさんの部屋だ……。えっと質問を変えます、どうして俺はここに?」
「昨夜、部屋で眠っていたイナホを、我がここに連れてきた」
「なるほど、それならなっとく――って、誘拐やないかーい!! 理由はともかく、理由をお願いします!」
さっきまでの眠気はどこへやら。
稲豊は当惑しながら、ファンシーな部屋で声を響かせた。
「昨夜、マリアンヌ様がイナホの部屋に侵入しようとしてるのを見かけてな、『これはイケナイ』と念のために部屋を移したんだ」
「あっ……と、そうだったんスか。すみません叫んだりして、俺を助けてくれたんですね?」
「守ると言っただろ? これからは、何でも我を頼ってくれて構わない」
「あ、ありがとうございます」
今までとは少し違った、熱のある視線を稲豊へと向けるミアキス。
吐息が触れるほどの距離まで顔を近付ける彼女に、稲豊は恥ずかしさから視線を逸したのちに言った。
「そ、そう言えばマリーの奴はどうしたんスか? あいつが注意されたぐらいで引き下がるとは思えませんけど?」
「ああ、それは我も理解していた。だから当て身をして気絶させてから、簀巻にしてイナホの部屋の床に寝かしてある」
「…………仮にも王女なのに、扱いが悲しすぎる」
稲豊はマリアンヌに同情を感じ、彼女へ向けて弔いの合掌をした。
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時間は飛んで、朝食の時間。
咀嚼音や食器のぶつかる音が聴こえるなかで、“二人”のやり取りが違和を生み出していた。
「イナホ、さぁ口を開けて? あ~ん」
「あ、あ~ん」
「良い食べっぷりだな、カッコ良いぞ。次はスープにしようか」
稲豊の隣の席に位置づけたミアキスは、右手に持ったフォークに左手を添えながら、少年の口内へと料理を運んでいた。それはまるで、恋人同士のランチタイムのよう。
甘い空気は食堂内に充満し、容赦なく他の者たちの神経に触れた。
「……のぅ、ナナ。あれをどう思う?」
「……ちょっと近すぎるような気がします。その……いろいろと」
「……イナホどの。うらやまけしからんです」
ジトっとした目を二人へ投げかける外野。
稲豊はそんな者達の視線を受け、狼狽えながら言いわけを開始した。
「これはミアキスさんの善意からの好意……もとい行為で、いかがわしい意味などこれっぽっちもありません! 礼をしたいと言うので、仕方なくやってることなんです!」
「ええ、イナホの言う通りです。我の感謝の気持ちを形にしただけのこと、邪推する必要など皆無です」
キリッとした表情で語るミアキスに、
「礼ならば……うん、しょうがないかもしれんの」
「そ、そうですね! ミアキス様がイナホ様に……なんて考えすぎですよね!」
「……イナホどの。席を代わってくださいませんか?」
約一名を除き、納得と安堵の顔を見せる外野たち。
そんな折、ミアキスが掬ったスープの一滴が、ぴょんと稲豊の頬へと跳ねた。
「おっとすまない、芋のスープが跳ねてしまった。熱くはなかったか?」
「はい全然。えっと、ナプキンナプキン」
「手の届く距離にないな。……仕方がない」
スープの入った皿を食卓に置いたミアキスは、“やれやれ”といった顔を稲豊へと近付ける。
――――そして、
「……んっ」
嬌声にも近い声をだし、稲豊の頬に自らの舌を這わすミアキス。
艶かしくスープの滴を拭った彼女は、ゆっくりと顔を離すと、
「うまいな」
と眩しい笑顔を覗かせた。
その肌が赤みがかっているのは、決して見間違いなどではない。
「なな……なななななな!!??」
ミアキスの大胆な行動に、稲豊は顔を真っ赤にし声にならない声を上げる。
だが、顔を赤く染めたのは彼だけではない。その一部始終を目撃したナナも、顔をリンゴのように赤くし、瞳には薄っすらと涙さえ浮かべている。
「やっぱりそういうアレじゃないですか~!!」
手をブンブンと振りながら抗議するナナとは逆に、ルートミリアの表情は冷え切っていく。それは比喩だけに留まらず、実際に彼女の椅子は凍結し、芋のスープは氷塊と化した。
「……最近、いくらなんでもスキンシップ過多ではないかのぅ? 前よりもずっと、シモンの世話を焼いているように見えるのじゃが」
「そうですか? 我としては、そこまでの自覚はないのですが」
「いやいやいや! たしかに最近のミアキス殿はイナホ殿に“べったり”でございますよ。いつ見ても一緒にいるように感じられます」
ルートミリアとアドバーンに言われ、ミアキスは近頃の自分を振り返った。
朝は一緒にヒャクの木まで山登り、それが終われば並んで調理し、朝食後は稲豊を労うためマッサージを施す。昼には鍛錬も手伝い、夜は耳かきや爪切りなどの身だしなみを整えている。
思い返せば、いつでも稲豊の傍にいる自分にミアキスは気が付いた。
だがそれでも、心が『充分』だと言ってはいない。それどころか、『もっと稲豊の傍にいたい』と彼女の心がわがままをいうのだ。
「そうだ!」
画期的な打開策を思いついたミアキスは、両手をポンと合わせる。
そして嬉々とした表情で、
「イナホ、我と夫婦の契りを交わさないか?」
容赦なく爆弾を投下した。
「め、夫婦!!!???」
「ああ。そうすればいつも一緒にいられるし、スキンシップが多くても何ら問題はない。どうだろうか? 我は尽くすタイプだぞ?」
驚愕し目を剥く稲豊に、ミアキスは畳み掛けるように再び訊ねる。
しかし突然のプロポーズに、すぐ答えるだけの精神力は稲豊にはなかった。
「…………はっ!? だ、ダメです! いくらミアキス様でも、それはあまりにあんまりです~!!」
「な、なぜだ?」
硬直する稲豊よりも数秒早く我に返ったナナは、もはや半べそをかきながら糾弾を開始した。
「お、お嬢様、ここは一つ冷静に! 食堂が大変なことになっております!」
「……何がジャ? 妾はいま極めて冷静ジャぞ。冷え切っておるぐらいジャ」
ルートミリアの魔法により、その半分が氷のオブジェと化した食堂内。
もはや手がつけられないほど無秩序と化した室内に、
「あかんで!! ハニーはウチが先約しとるんやから!!」
マリアンヌという名の、さらなる混沌が吹き荒れる。
掛け布団で体が簀巻となった彼女は、布団から突き破った両手で食堂の扉を開け放ったのだった。
「ハニーは……ムグムグ、ウチの婚約者……ハグハグ、なんやから。手をだすのは許さへんで! おかわり!」
「求愛の途中でおかわりを要求する婚約者はイヤだ……」
食堂に入るなり稲豊の料理にがっつくマリアンヌに、食事を奪われた本人から冷めたツッコミが飛ぶ。
「毎日毎日、殊勝なことじゃの。して、何用じゃマリーよ。悪いが今日は、お前の相手をするほど虫の居所がよくないのじゃがな」
「ふふーん、いまのウチにそんな口をきいてもええんかなぁ?」
普段ならここで弱気になるマリアンヌだが、今日の彼女は一味違った。
鼻息を荒くし、不遜な態度で言い返す。
「む? 絵に描いたように図に乗っておるのぅ。――――ということは」
小首を傾げたルートミリアだが、思い当たる節は一つだけある。
得意満面のマリアンヌは誰かが口にする前に、
「そっ! 魔素が回復したんで、いつでもハニーの召喚者を調べることができるんや!」
声高らかに魔素の復活を告げた。
今までの喧騒を失い、途端に静寂に包まれる食堂内。
――それもそうだろう、
召喚者を見つけることは、稲豊が元の世界に戻るための段取りに他ならない。
暗に別れを意識した彼らが、微妙な空気に呑まれるのも当然のことだった。
「……今日はなんだか素直じゃの。前に隠しておった者とは思えん」
「そらウチかてハニーが帰るんは嫌やけど、でも……ここで留守番をしてたときに思ったんよ。ハニーだってウチらと同じように、親に会えんのは寂しいんやないか……って」
しんみりと話すマリアンヌの空気が伝播し、少しの沈黙が場を支配する。
親に捨てられ苦労したナナ。
親と死別し後悔したミアキス。
父親が蒸発し、悲しみに暮れた王女たち。
皆それぞれの形で両親と別れている。
だからこそ、その辛さや大変さも知っていた。
そして知っているからこそ、もう家族同然となった稲豊と別れる苦痛も理解しているのだ。
「もしシモンが元の世界に帰ったとして、二度と会えないと決まった訳ではない。妾らが会いに行けるかも知れんし、シモンをいつでも召喚できるやも知れん。ここはマリーの気が変わらんうちに、調べるのがよいだろう。この食事が終われば、さっそく頼むぞマリー」
ルートミリアの音頭により、皆が複雑な表情で席へと戻る。
それは話題の中心にいる稲豊も例外ではなかった。
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「ほな調べるで? ええねんな? ほんまに調べるで?」
「かまわんから、さっさと調べろ」
何度も確認をするマリアンヌに、ルートミリアの喝が飛ぶ。
「な、なんだかドキドキしてきました!」
「どこの誰がイナホをこの世界に呼んだのか? 恐らくは高名な魔道士には違いないのだろうが……」
「我々の知る者なら良いのですがねぇ」
「外の方が気が晴れる」というルートミリアの言葉により、青空のなか屋敷の庭に集まった稲豊たち。魔素を練るマリアンヌの周囲に集まったのは、クロウリー家の者たちだけではなかった。
「なんのためにシモッチを召喚したのか気になるよねー」
「僕に恥をかかせるためでは無いことを切に願うよ」
マリアンヌの料理人のタルタルに、エルルゥ家の料理人ネロ。
「アリステラは召喚者なんて存在しないと思いますわぁ。だってぇ、お父様はお父様ですもの。クリステラお姉さまもぉ、そう思いますわよねぇ?」
「私はお父上がいてくれるのなら何でもいい」
クリステラとアリステラの双子の王女。
計十名が集う屋敷の庭で、稲豊は落ち着きなく視線を泳がせていた。
「どうしたシモン? 帰るための手掛かりが得られるのじゃぞ? もっと喜べ」
「い、いやぁ嬉しいことは嬉しいんですけど。なんか帰還できるのが現実になるかと思うと、少し複雑な気分がしてきたと言いますか……」
数ヶ月という時を異世界で過ごした稲豊。
育んできた住人との絆は、少年には既にかけがえのないものとなっていた。
「何を感傷に浸っておるか。妾との誓い……忘れたとは言わせんぞ? お前が究極の料理を作り、『最悪の食糧問題』を解決するまでは、帰りたいと言っても離してやらんからな。まだまだ、お前には妾の傍にいてもらうぞ?」
「ルト様……。ええ、もちろんッスよ! まだ拾ってもらった恩も返せてないし、そして何より“あいつ”の理想とした世界を、俺自身も見てみたいんです」
気を利かせたルートミリアの鼓舞により、稲豊はやる気を取り戻す。
そしてそれとほぼ同時に、マリアンヌは両耳に練り上げた魔素を集中させた。
遂にやってきた、一つの謎が解明する瞬間である。
「……『教えて、私の目の前にいる彼を、この世界に召喚したのは――誰?』」
『正答』の魔能は、使用した本人にしか答えが聞こえない。
瞳を閉じ神妙な面持ちをする彼女を、他の者は息を呑み待つしかないのである。
すると質問から数秒のちに、マリアンヌの魔素が何度か瞬きをみせ、そして――――――消えた。
「ど、どうでした!?」
「誰だったんですかー?」
「ご存知の方でしたかな?」
魔素が落ち着いたマリアンヌに、矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
どこか緊張の面持ちで訊ねる彼らとは違って、魔能を使った当の本人は渋い顔を浮かべている。
「いやそれがな? なんというか…………不発やったわ」
「不発?」
その言葉で、数名の表情が落胆へと変わる。
それは自らの魔能に絶対の自信をもつマリアンヌも同じであった。
「質問が未来に関することや、明らかにおかしいときは発動せんこともあるにはあるんや。……でもなぁ」
「さっきの質問、どこも矛盾しているようには感じられませんでしたが……」
「そうなんよ。無難かつ核心を突いたつもりやったのに」
首を傾げるマリアンヌと稲豊たち。
そんな中でも、双子の王女だけは喜々としてこの状況を楽しんでいた。
「やっぱり! 召喚者なんか存在しないからぁ、不発に終わったんですわぁ。アリステラの言ったとおり、お父様に違いありませんの!」
「お父上である信憑性が増したのなら、何よりです」
それぞれが稲豊の腕を取り、笑みをこぼす双子の王女。
そんな姿を見せられては、ルートミリアも面白くない。
「ええいマリーよ! 質問を変えてみるのじゃ。『誰か』を教えてもらえぬのなら、そいつが『何処に』いるかを質問してみよ。それだけでも、大きな手掛かりには違いないわ」
「そやね。もっかい訊いてみるわ」
マリアンヌは「今度こそ」と魔素を練り上げる。
そして先ほど以上に真剣な表情をし、再び全神経を耳へと集中させた。
「……『教えて、彼をこの世界に送った張本人は――いま何処に居る?』」
次の質問を終えて数瞬後。
マリアンヌの耳に、唐突に情報が流れ込んでくる。
それは稲豊をこの世界に招いた者の、現在の居場所に違いなかった。
「わ、わかった……のか?」
「きっとそうですよ! さっきと様子が違います!」
目を見開き驚きを露わにするマリアンヌに、周囲から期待の声が上がる。
待ちきれないといった様子の彼らとは対照的に、マリアンヌは静かに『正答』を吟味していた。
そしてたっぷりと皆の気を持たせたあとで、
「ハニーを召喚した者がおるんは…………」
彼女は周囲の者たちの顔をぐるりと見渡してから――――――言った。
「『リリト=クロウリーの屋敷、その庭』。つまり……いま……この場におる」




