第114話 「召喚者は俺に恨みでもあるのか?」
どんな毒を嚥下しようと、魔王サタンは死ぬことはない。
なぜなら、その全てを無毒化する舌を持っていたからである。
【魔神の舌】
それは魔王のみが持つ特別な魔能――――――――だった。
「な、なんで魔王サタンの魔能が……俺に? だっておかしいじゃないですか? 俺は元いた世界で、生まれつきこの才能を持ってたんですよ? この世界ならともかく、別の世界から来た俺が……どうして……」
混乱する頭で何とか質問を出した稲豊だが、ルートミリアに即答はできなかった。複雑な表情を浮かべる彼女の代わりに答えたのは、
「悩む必要なんてありませんわぁ! 貴方はお父様です。アリステラ達の、愛しい愛しいお父様ですわぁ!」
美しい顔をいまだ涙で濡らしつづけるアリステラ。
彼女は一旦、稲豊の胸から顔を離すと、さらに興奮した様子で口を開いた。
「だって、その魔能はお父様にしか扱えない能力だったんですもの。貴方がお父様でなければ説明がつきませんわ!」
「父上がいなくなった日はインドラの月九日。そして、貴殿がこの世界にやって来たのも“インドラの月九日”。こんな偶然がありえますか? しかも、マリー姉さんだけでなく、気難しいルト姉さんにまで気に入られている! それは貴殿が、お父上だからではないのですか?」
クリステラまでもが涙ながらに「魔王なのではないか?」と訴えてくる。
しかし稲豊は、何がどうなってそう結論付けるのかイマイチ理解できない。
容姿、年齢、記憶、歴史。
そのどれもが魔王サタンと稲豊は大きくかけ離れている。
例えるならば、蒸発した父親と同じ物を持っていた誰かを「父親である!」と明言するような違和感。
いくら同じ能力を持っているからといって、あまりに早計ではないだろうか? そんな疑問が脳内を駆けめぐり、稲豊は返事を言い淀んでしまう。
「とにかく離れてください~! イナホ様はイナホ様なんです~!!」
潰されていい加減に息も苦しくなったナナが、双子の王女を両手で離しながら声を上げる。
「クリステラ様もアリステラ様もむちゃです! 魔王様は魔物でイナホ様は人間なのに、同じなんてことありえません!」
「し、しかし共通項が……」
「だ、だって魔能がぁ……」
嫉妬から、ぷんすかと湯気を立ち上らせるナナ。
そんな少女の叱咤に、クリステラとアリステラの両名はたじろぎながらも、ぶつぶつと不満を露わにする。
「お父様ですわよね? アリステラたちに会うために、お戻りになられたんですわよね?」
双子の王女は両手を合わせ、祈りすがるような眼差しを稲豊へと向けてくる。
二人の不安げな表情には、『そうであって欲しい』という切実な願いが込められていた。
「……い、いやぁ~……その……」
だが、たとえ美少女が弱点の稲豊であっても、その願いに応えるわけにはいかない。
魔法も魔物も存在しない世界で、十七年もの時を過ごしてきたのだ。「はい魔王です」と言えば場をうまく収められたのかも知れないが、稲豊には口にできなかった。それだけ、この質問は大切なものだったからである。
「ナナも言ったとおり、俺はただの人間です。魔王なんて大それた存在じゃない。申し訳ないッスけど、人違いです」
はっきりと告げた稲豊は、おそるおそる双子の王女の顔を見た。
すると二人は、両の瞳からはらはらと涙を流している。
ズキリと胸が痛む稲豊。
そんな彼がばつの悪そうな顔で二人から視線をはずした――――そのとき。
稲豊にとって思いもよらない出来事が起きた。
「やっぱりそうでしたのね! アリステラの目に狂いはありませんでしたわ!」
「父上! も、もういなくなっては……ダメですから……!!」
そんな歓喜の声を上げながら、双子の王女がまたも稲豊の胸に飛び込んできたのだ。
「むぎゅ~!?」
そしてまたも潰されるナナ。
アリステラとクリステラの反応に稲豊が当惑していると、そこにルートミリアが近付き、片眉を持ち上げながら言った。
「シモン、その冗談はいただけんぞ。この場所で魔王サタンを“名乗る”ことがどういう意味を持つのか。わかっておるのか?」
「………………名乗る?」
既視感を覚える皆の反応。
首をひねった稲豊は少し時間をおいたのちに、「あっ!」と小さな声を出す。
そして、アドバーンの方へ顔を向ける。
「俺がさっきなんて言ったのか、教えてもらっていいッスか?」
「うん? 何やらよく分かりませんが、承知しました」
老執事は一つ咳払いをし、口髭をいじりながら、
「『お前たちの言ったとおり、俺は魔王サタンだ。人間の姿をしているが、魔王なんだ』――と、今しがたイナホ殿は口にしました」
そう質問に答えた。
アドバーンの返事を聞き、開いた口が塞がらないばかりか、これでもかと目玉を飛び出させる稲豊。その様子を見ていたルートミリアは持ち上げていた眉を下ろし、全てを察したかのようなため息を吐いた。
「なるほどの、また“翻訳の誤変換”か……。難儀なものじゃな」
「理解してくれたのは嬉しいんですけど、これどうしましょう?」
稲豊は眉をハの字にし、自分に抱き着く双子の王女を指差す。
ルートミリアはさらに大きく嘆息したのち、
「とりあえず、ナナを解放するべきじゃの」
息ができずに、顔を赤くする少女メイドを見ながら言った。
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「お父様~! あとで必ず、か・な・ら・ず! お屋敷にお伺いしますわぁ」
「支度を済ませましたら、すぐに向かいますから!!」
「えっと…………うん。よ、よろしくね?」
手厚く見送る双子の王女と別れ、エルルゥ家の門扉を目指す一行。
結局、『魔王だと完全に信じた二人に真実を告げることは、シモンの身が危ない』というルートミリアからの助言により、誤解は現状維持となった。
「イナホ様。色々あってお疲れのこととは思いますが……」
「大丈夫ッス。最後の“一仕事”の余力は残してますんで……」
コソコソと囁いてくるオサに、稲豊は親指を立てて健常をアピールする。
そう。彼にはこれから、最後の役目が待っていた。
それは稲豊とオサらで打ち合わせた、ミアキスへのサプライズである。
「こ、これは……っ!?」
門扉を視界に捉えたミアキスは、驚きの声を出して目を丸くした。
なぜならそこには――――
「あっ! ミアキスさんだ~!!」
「ようやく来たか、待ちくたびれたよ」
「こっちこっち~!!」
子供から大人まで、非人街の住民のほぼ全員が、ミアキスを見つけるなり歓喜の声を上げていたからだ。
屋敷に入ることがかなわないので、住民たちはその門の前にある歩道でミアキスを待っている。数十人にものぼるその数に周囲の貴族らはすっかり萎縮してしまい、遠巻きに眺めるのみで近寄ってはこない。彼らの護衛を託された城の兵士の二人は、苦笑しながら稲豊へと右手を振った。
「あ、あれは少年の仕業なのか?」
「はい。門番のマースさんとミースさんに護衛を依頼しました。いやぁ本当に良い兵士さんで、俺なんかの頼みごとを嫌な顔を一つせずに受けてくれたんです。と言っても、いつも鎧を着ているんで素顔を見たことないんですけどね。ハハハ」
「いや、そっちではなくて……」
軽快に笑う稲豊に、突っ込みを入れるミアキス。
「住民たちのことならば、イナホ様から貴女様の話を聞き、迷惑を承知でワタシが声かけをさせていただきました。どうしても……そう、どうしてもミアキス様に、我々から伝えたいことがあったものですから」
「我に――伝えたいこと?」
オサの言葉に、ミアキスは目に見えて落ち着きを無くす。
稲豊の話ということは、過去の話に違いない。
だとしたら、自分にかけられるのは罵詈雑言ではないのだろうか?
村を捨てる切っ掛けになったのだから、それも当然かもしれない。
後ろ向きな考えがミアキスの頭をよぎり、その表情を曇らせた。
しかし――――
「大丈夫ですよ。なにも悪いことなんて起きませんから。俺を信じてください」
「……わ、わかった。少年の言葉なら……信じよう」
稲豊に勇気づけられ、ミアキスは止まっていた足を動かす。
そして住民たちと会話できる距離まで歩いてきた彼女は、まだ少し不安な顔をして口を開いた。
「そ、その……皆には悪いと思っているんだ。我さえ馬鹿なことをしなければ、今でもポタロ村で平和な暮らしを続けていたかもしれない。いいや、きっと続けられていただろう。だから、いくら罵ってくれても構わない。だから……その……すまなかった!」
感じる罪が大きすぎて、ミアキスはどう謝罪をすれば良いのか分からなかった。
頭を下げてみたものの、それで皆の気が晴れるなんて欠片も思ってはいない。
だからこそ、どれだけ酷い態度を取られようとも、受け入れるつもりだったのだ。
――――だが現実は、そんな彼女の思惑通りには進まなかった。
「面を上げてくださいミアキス様! 誰も貴女を恨んでなんかいません!」
一人の住民の男性が声を上げたのを皮切りに、
「謝る必要なんてどこにもないわ!」
「むしろ謝るのは俺らの方だ。辛い思いをさせてしまった……」
「私たちは皆、命の恩人であるミアキス様に感謝をしております」
「ミアキスさ~ん! ありがとう~!」
住民たちから贈られる温かい言葉の数々。
まったく予想していなかった彼らの反応に、ミアキスは信じられないといった表情で面をゆっくりと持ち上げた。そして視界に入る、住民たちのにこやかな顔。
「ミアキス様。彼らは人間の身でありながら、この貴族街へやってきました。貴族たちにどういった目で見られるのか? 承知の上でやってきたのです。それは全てこの為、つまりは貴女に感謝の気持ちを伝えたい一心でございます」
「…………感謝?」
「ええ、感謝です。誰も貴女が悪いだなんて思ってはおりません」
オサの言葉が飲み込めず、困惑するミアキス。
そんな彼女の様子を見かねたオサは、一度パイロと顔を見合わせたあとで、申し訳なさそうに口を開いた。
「ミアキス様。随分と今更になりますが、貴女にお話したいことがあります」
「……なん……だろうか?」
「実は四年前のあのとき、ワタシが貴女の説得を聞き入れたのには“もう一つの理由”があったのです」
そしてオサは四年前の記憶を紐解く。
「ミアキス様が説得にくる三日ほど前になります。日課となっている朝の散歩をしているとき、ふとワタシの耳にある会話が飛び込んできたのです。それは当時、駐屯していたトロアスタに一兵士が何かの報告をする声でした。そのときの彼らのやり取りが――――こうです」
過去へと思いを馳せ、記憶を手繰りよせるオサ。
彼は忠実に、当時のトロアスタと兵士の台詞を再現する。
『トロアスタ様。やはりこの森の“魔石”は多くの魔素を含み、かなり上質なものになるかと』
『それは素晴らしい――――が、入手は可能なのかね?』
『些か問題が……。ここから数キロ先に採掘場があるのですが、人狼と住民の手により守られています。我々が独占するには……』
『彼らが邪魔となるわけか。……非常に残念だが、彼らには“ババ”を引いてもらう事としよう。エデン国の礎という名目ならば、神もへそを曲げないだろう』
台詞の再現を終えたオサは、沈痛な表情で一度だけ嘆息する。
それはまるで、目先の欲に目がくらんだトロアスタらを軽蔑するかのようでもあった。
「……トロアスタへの不信感を募らせていた矢先に、貴女が現れました。だからワタシは、説得に応じたのです。なのでミアキス様、あれはワタシが自分の意志で決めたもの。貴女が気に病む必要など、どこにもありはしないのです」
「で、ではトロアスタは人狼と人間、そのどちらも初めから排除するつもりだった……と?」
「おそらく……あの男は『人狼が人に手をだした』という、人狼討伐への大義名分が欲しかったのでしょう。もしミアキス様があのとき説得に来なかったら、ワタシも決断ができなかったのかも知れません。貴女は名実ともに、我々の命を救ったのです。伝えるのが随分と遅れました、本当に申し訳ない!」
頭を下げるオサの前で、ミアキスは言葉を失っていた。
オサの言葉を信じるなら、たとえ彼女が何も行動を起こさなかったとしても、人狼族は歴史の闇に葬り去られた事となる。
心なしか、ミアキスは両肩がスッと軽くなるのを感じた。
「見て下さいミアキス様。彼らの笑顔は、貴女が救ったのです」
オサの指差す先には、元ポタロ村の住民たちの眩しい笑顔。
ミアキスは考える。
あのときの行動で、もし最悪の結末を回避していたのだとすれば――――
「我は間違っていなかったのか……? もしそうなら……本当にそうなら……」
そこでミアキスは言葉に詰まり、少しだけ呼吸を整える。
そしてこの日、最後になる涙で両頬を濡らしたのち、
「皆を……助けて………………良かった!!」
永劫にも感じた四年間。
数多の苦痛や苦悩に苛まれた彼女は、ようやく――――自分を許すことができたのだった。
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「ああ~! なんか既に懐かしくすら感じる!」
「いろいろありましたね~」
マルーの牽く猪車から降りた稲豊とナナは、自分たちの屋敷を見て安堵の声を漏らす。『この屋敷にミアキスを連れて帰ってくる』という至上命令を達成した二人は、ほくほく顔で仲間が側にいる幸せを噛みしめていた。
「二人には世話になったし、姫や執事長には多大な迷惑をかけてしまった。だから心機一転し、より一層の精進に務めたいと思います。勝手で誠に申し訳ありませんが、これからもよろしく頼みます」
「うむ! くるしゅうないぞミアキス。お前が側にいてくれると言うのなら、妾はそれ以上を望まん。これからも妾らの為に――――」
「それはなりません」
ミアキスの新たな決意を聞き、上機嫌のルートミリアが締めに入ろうとしたとき、真剣味のあるアドバーンの声がそれを冷徹に遮った。
「…………今なんと申した?」
予想していなかった老執事の言葉に、ルートミリアは訝しげな顔をして彼の台詞を確認する。
その不穏な空気を感じ取った稲豊とナナ、さらにはミアキスの視線が集まる中で、アドバーンは断固とした様子で口を開いた。
「“なりません”と申し上げたのです、お嬢様。騎士ミアキス殿を再びこの屋敷に迎え入れることは、この『アドバーン』の名に置いて、絶対に許可致しません」




